796   京見山 (約5.5km)





記録を見れば、記憶以上に月日が過ぎて15年。

今年5月16日に「勝原古墳巡りウオークマップ」を手に入れて『何時巡る・・・何時行く…』と

思い続けて今日実現。秋浅しも天気良し気温良し、良き人にも会えて会話も弾む。

下山コースで会った鹿は逃げるでもなく目と目を合わせ心通わす。



◎所在地 : 姫路市広畑区山戸・熊見・京見地区の北山塊

◎地形図 : 『網干(あぼし)』

◎山行日 : 2万5千図 2023.10.29 (日)  晴れ  Age=76

◎参  考 : @ 2004. 6. 6  303   A2006. 6.17 380   B2008.11.30 456   

◎山行者 : 単独

◎コースの見所など @5番から海と街並みの展望  A京見山から山側と海側の展望

 Bコースは凄く踏み込まれている  C凄い数の古墳が在る  D瓢(ひさご)塚古墳は国指定史跡

 ※「勝原古墳巡りウオークマップ」このコース上には20ケ所の古墳が番号入りで紹介されている



勝原公民館P〜勝原小学校側登山口/山戸西登山口〜52m〜春日神社コース合流〜荒山〜128m〜

勝山町・原町・京見山分岐〜京見山(215.9m三等)〜引き返し〜勝山町/のぎ保育園〜

瓢(ひさご)塚古墳〜勝原公民館P     ※山戸西登山口名称は京見山山頂看板で分かった



自宅発(8:43)〜姫路BP〜太子東〜1・勝原公民館P(9:41〜9:50)〜

2・山戸西登山口(10:03)〜3・52m(10:09)〜4・春日神社コース合流〜

5・荒山(10:20)〜6・見晴台(10:38)〜7・鉄塔(10:44)〜128m〜

8・勝山町・原町・京見山分岐(11:05)〜9・京見山/215.9m三等(11:15〜12:32)〜

引き返し〜8番分岐(12:40)〜10・勝山町/のぎ保育園(13:01)〜

11・瓢塚古墳(13:20)〜1・勝原公民館P(13:38〜13:43)〜往路〜自宅(14:28)



今年5月16日読売新聞に載った「勝原古墳巡りウオークマップ」を貰いに行った。ついでにそのコースを歩こうと準備をしていたが余りにも暑くて中止して帰宅した。それからは暑い日が続いたこともあり、気になりながら月日が過ぎて今日になってしまった。竜山のファミリーマートで弁当のおにぎりとおやつを買って(約1千円)BPに乗り太子東で降りて先ずは勝原区の瓢塚古墳へ向かった。計画は瓢(ひさご)塚古墳Pに置いてその東にある尾根172mを歩いて京見山への時計回り。

塚直近の畑で作業の婦人に塚のPを尋ねると「ありません」との事、しかし「そこの狭い空地に止めている人が居ます」と教えて下さったが私は長く止めるので諦め勝原公民館に止めることにした。公民館のPとは言え10台位のスペースで気が引けたが止めさせてもらった。1・勝原公民館P(9:41〜9:50)従って計画とは逆回り出歩くことになった。勝原小学校では児童がソフトボールの試合(高レベル)をしていたので暫らく観戦した。

 
2番 山戸西登山口 10:03          少し上った所 10:04

2・山戸西登山口(10:03)春日神社から上ると思っていたがここにも登山口が在った。道路側に張られた金網フエンスに沿って少し上ると「京見山登山口 頂上まで2km」の札が掛かっていた。道はよく踏み込まれていて植生は楠が目立ち孟宗竹が浸食していた。3・52m(10:09)ここには古墳が在った。

 
3番 4号古墳 10:13              勝山町へ下る分岐 10:16

看板
「19 山戸(やまと)4号墳 山戸古墳は、全長約28mの前方後円墳です。その後円部の墳頂付近には2つの埋葬施設が築かれています。一つは幅約1.3m、長さ約1.9m、の竪穴式石室で、その中から大形の壺が鉢蓋をされた状態で出土しました。この壺は形態や粘土の特徴から讃岐地方で作られ、当地に持ち込まれたものであると考えられています。また、出土した状態からこれらの土器は棺として使用された可能性が高いとされています。もう一つの埋葬施設は、そのすぐ東隣に一辺約0.7mの石囲いです。

ここからも棺と思われる土器片が出土していますが、これは地元で製作されたものです。いずれの埋葬施設からも副葬品は出土していませんが、棺に使用された土器の特徴から、山戸4号墳の眼下の谷部にはほぼ同時期の前方後円墳である瓢塚古墳があります。立地や規模等の違いは何を示すのでしょうか。 地域夢プラン継承事業(勝原地区連合自治会)」


この古墳は、こんもりしたコブで頂部(蓋)が無くて石室が丸見え、小形の石積み石室だった。緩く下った所が
4・春日神社コース合流(10:16)。先の鞍部から勝山町に下るコースが在った。ここからの上りは中上りの擬木階段が100段余り続きその後岩盤肌道になり上り切る。5・荒山(10:20)「荒山見晴らし台」木製の長椅子が数脚あり海側が全開。「京見山山頂へ1.750m」その直ぐ先(10:26)

 
5番荒山への上り階段 10:19         5番荒山から西の展望 10:24

看板
「山戸10号墳 (荒山山頂付近) 6世紀前半頃の初期の横穴式石室墓。玄関(入口部)には扉石を立てられ、塞がっている。6世紀前半頃には未だ小規模の古墳しか作られなかった渡来集団が、6世紀後半から末葉には山頂にアーチ状の横穴式石室を構築できる集団に成長したと考えられる。当時の渡来集団がどの方面から来たかは不明だが何度かの集団移住の時期があったと考えられる。この地域は、見晴らし台の役割もあったとかんがえられる。令和5年(2023)2月 京見山里山会」

 
10号古墳0:26                  こんな道が続く 10:28


 
6番 北の眺め 10:37             同西に見える檀徳山 10:38

この古墳は丸み帯びた大きな石が山積みになっていた。その後は小さな上り下りの繰り返しで進む。(10:36)山戸13号墳通過。
6・見晴台(10:38)西に「檀特山」北に城山山塊が望めた。(10:42)山戸11号墳通過。7・鉄塔(10:44)巡視路兼用か南山裾「能見」地区への良く踏まれた道あり。古い道標「至京見山950m」「至春日神社登山口1.050m」128m。すぐ先山戸12号墳通過。能見地区への道在り(10:52)。「至勝山町」道在り(10:55)上りが続くが同じ方向に向かって道が二本、歩き易い道と歩き難い道のようだが大して差は無い。

 
軽い上りが続く 10:52             8番分岐 正面へが京見山 11:05

8・勝山町・原町・京見山分岐・山戸春日神社分岐(11:05)「至勝山町 至原町」「至山戸春日神社」古い道標「1.6k勝山町(鉄塔経由)上コース 見晴らし台 古墳あり」「1k原 一部急坂あります」「1.7k山戸春日神社」「1.2k能見」勝原へ下るのはここからかと確認しここから300mの京見山へ向かう。緩く下って緩く上る。9・京見山/215.9m三等(11:15〜12:32)頂上入り口で「黄色スズメバチ」数匹が身体の回りを舞って出迎えてくれた。

蜂は看板の杭の根元の地面に降りて顔を突き合わせて語り合っては飛び立ちまた戻りを繰り返した。その地面に何か有るのでもなく何だったのか・・・。男性が居られ話しを訊くとこの山塊の主の様で会った(私は話しの成り行きで、ここは今日初めてと言う立場で話を聞いた)。その後4人家族が上がって来られ間もなく下られた(ちなみに上りで出会った人は全て下る人で中年男女8人で内一組が夫婦)。

 
9番 京見山 11:32               今日の弁当 11:47

 
       京見山から北の眺め・中央城山  と三角石標 11:51

弁当を食べていると女性が上って来られ訊くと御津町からで「今月9回目、用事が有るから」と直ぐに下られた。その後中年男女5人組が私と同じ方向から上がって来られ、全員おにぎり(手作り)を食べ始められた(地元の登山Gだった)。全員では無いが宍粟の山の話しも出て暫らく話し込んだ。

看板
「山頂から京都が見えるかと言うと山の高さから無理。それではなぜ京見山と言うのか?それは戦国時代のこと、京の町がたびたび戦乱で大火となり、その立ち上る煙が山頂より見えたことによるとか。東西は3250m、南北は2500m、最高峰は京見山216m、100m以上の峰は10.京見山の岩石は凝灰岩でできており、硬く風化しにくい。土質は貧弱で、特に南面は乾燥気味で植生が悪い。いまのような山形になったのは新生代の造山活動が終了した1〜2万年前と考えられる。」

国土地理院地図を基にこの山塊の登山コースを紹介した看板もあった。展望良ければ明石、鳴門両大橋も肉眼で見えると聞いた。引き返し開始。
8番(12:40)勝山町 原町方面へ少し進んだ所から勝山町への案内に従ったが原町への道も良く踏み込まれていた。原町を地図で確認すると勝山町からかなり離れているので入らなかったがこの方向が計画コースだった(下山してから分かった)。つまり、これが172mピークを経由コースでこのコースの途中から原町へ下るようになっていた。

 
下山時に出合った鹿 12:44          下山道 12:59

「勝山町へ近道」との簡易札に惑わされたことになる。下ったコースも踏み込まれていたが視界は最後まで閉ざされた。下って間もなく二頭の中形鹿に出合ったが人慣れしているのだろう何時もなら一目散に跳ねながら走り去るがここの鹿は近くで立ち止まり振り返り私を見つめていた。中頃で鉄網の橋が在り良く踏まれた左からの道に入りかけたが上りに歩いた道に向っていたので引き返し橋を渡って下った(正解だった)。

 
10播 のぎ保育園 13:01           11番 瓢塚古墳(中央) 13:20

10・勝山町/のぎ保育園(13:01)勝山町は造成住宅街と思われ碁盤の目の道、計画の172mピークコース登山口を確認して瓢塚古墳(13:20)何処かにPが無いか探したがそれは無かった。勝原小学校では未だソフトボールの試合をしていて暫らく見て公民館に戻った。1・勝原公民館P(13:38〜13:43)

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