bR80   京見山〜白毛山〜西蒲田山

※ポイントbヘ地図を一度削除した関係で不明確とポイントが抜けている

今日は二度目の京見山。西の端から上って見れば古墳古墳の群集墳。

途中で出会ったハイカーに、もらった地図と説明の、古墳コースを辿って見れば

小振りながらも石棺見たり。京見山でのおにぎりタイム、早くも小雨が降り始め、

カッパを着れば雨が止む。泣き坂峠・見晴らし台、白毛山から蒲田城跡。ここで再び雨となり、

ピチピチちゃぷちゃぷ雨中のハイク。



勝原小学校前〜52m〜128m〜古墳巡回コース〜勝山コース分岐〜鉄塔−T〜

鉄塔ーU(町境界・172m東)〜京見山(216.1m三等)〜町境界北進〜泣き坂峠〜

見晴らし台〜白毛山(しらけやま)215m〜蒲田城跡〜148m〜109m〜

西蒲田山(178.0m四等)〜町境界西進〜鉄塔〜青山南地区。



◎所在地 : 姫路市広畑区山戸・熊見・京見・才・西蒲田と揖保郡太子町との境界尾根

◎地形図 : 2万5千図 『姫路南部(ひめじなんぶ)』 『網干(あぼし)』

◎山行日 : 2006. 6.17 (土)  曇りのち雨       @2004.6.6

◎山行条件 : マイカー登山/C・L川上・馬場・安藤・中島・大柿  Age=59

◎コースの見所 : @京見山一帯大古墳群  A京見山から展望 

             B見晴らし台から展望  C白毛山からの展望

◎走行距離 : 往復JR(東加古川) 東加古川〜網干=480円



自宅発(8:00)〜JR東加古川駅発(8:46)〜加古川乗換え〜網干駅(9:19 発9:28)〜

パン屋さん(9:40 発9:46)〜1・登山口(9:52)〜2・52m古墳(10:00)〜

春日神社分岐〜3・(10:08 おやつ 発10:16)〜4・熊見山128m(10:27)〜

5・地図もらう〜6・古墳コース分岐(10:36)〜勝山町分岐(10:45)〜

石棺古墳(10:46)〜7・鉄塔(10:52)〜8・鉄塔(11:03 発11:10)〜

8−1・(11:17)〜9・京見山(11:24 おにぎり 発11:53)〜

10・則直分岐(12:00)〜11・泣き坂峠(12:06)〜12・(12:15)〜四ツ塚古墳散索〜

13・見晴台(12:25 発12:32)〜14・トンガリ山分岐(12:36)〜

15・白毛山215m(12:40)〜16・(12:58)〜17・峠(13:03)〜

18・蒲田城跡(13:12 おやつ 発13:26)〜19・148m(13:38)〜20・峠(13:44)〜

21・鉄塔(13:46)〜22・西蒲田山(14:03 〜24・(14:20)〜墓地発(14:40)〜

25・B/S(14:45 発14:53)〜自宅(17:00頃)



今日は、川上さん担当のマイカ-登山に参加させてもらった。JR網干駅9時20分集合。電車での参加は慣れてなくて緊張した。東加古川駅に早く着きすぎて辺りをポタリングして時間を過ごした。加古川で新快速に乗り換え。姫路駅で「前4両切り離し」との案内。発車してから車両を移動していると馬場さんが見えてやっと落ち着いた。網干駅で全員が揃って挨拶を交わしてホームから出た。

登山口へ向かう時、川上さんが『パンのおいしい店が在るから寄ってもいい』皆で寄ることにした。その店は橋の手前直ぐ左に在って「自家製パン サリアン」だった。好みのパンを買い込んで発つ。 パン屋さん(9:40 発9:46) 私は早速パンを食べながら歩いた。勝原小学校の体育館で行事をしているようで、グランドには沢山の自転車が止めてあった。

当初の計画は春日神社から上る事になっていたが尾根の先端から上ることになった。ここは前回トンガリ山から才地区に下山し、勝山町へ戻る時に見て『ここからも上って見たい』と思った所だった。1・登山口(9:52) 薄暗い混生林の中に良く踏み込まれた道が付いていた。間もなくNHKの中継塔横を通過(9:57) 方向が東向きになって上り切ると道の左手に古墳(山戸4号古墳)が在った。円墳長さ16m・・・邪馬台国卑弥呼の時代のものらしい。2・52m古墳(10:00) 直ぐ先で左へ道があり、馬場さんが入って行くと『畑があった』と言って戻って来た。先のコルで春日神社分岐。

その先から疑木階段の急登が始まる。イチ、二イー、サン階段の数は八十数段?記録を忘れていた。階段の幅は大概のパターンで「人に優しくない」。終盤は階段も付けられない地相の急登になって、トラロープが張ってあった。上り切ると南が全開。3・(10:08) 広畑区と播磨灘を見ながら早くもおやつの時間。先ほど買って食べるのを我慢していたパンを取り出して口にする。何とも幸せそうな面々に私もホンワカ!!幸せを感じた。発(10:16)

 
パン屋さん:女性3人は既に店内に居る (3)南から  左から:川上・安藤・中島・馬場(10:10)

進行方向から次々とハイカーがやって来て挨拶を交わす(3組7人?)。右に左に古墳を見ながらコブを越える。鉄塔から熊見地区へ道(順視路?)が下りていた。(10:25) 春日神社まで1.05km。直ぐ先上り切り。4・熊見山128m(10:27) 緩く下ったコルから京見地区へ道。上りに掛かった時、下ってくる熟年団体あり『地図持ってるかぁ』手持ちの地図を見せる、中島さんはネットから落としプリントしたのを見せた。すると『それよりも詳しい地図』と言って人数分頂いた地図には特に価値ある?古墳の所在地が記されていた。そして、この先に古墳巡回コース入り口が在ることを聞き、お礼を言って別れた(ここからも京見地区へ下れた)。

少し上った時『おーい』と呼び声が掛かった。お互いに歩み寄ると今度は『京見山の先にヤマドリがいて人になついている』との事でそのヤマドリの写真を見せてもらった。馬場さんも前回上った時撮ったと言うヤマドリ(雄)の写真を取り出して見せると同じヤマドリだった。直ぐ先に古墳コース分岐が在った。6・古墳コース分岐(10:36)古墳コースはかなり遠回りだったが時間に余裕が有ると言う事でそれを巡る事にした(勝山町と繋がる道)。

良く踏み込まれた道を緩く下っていると、展望所が在り熟年のご夫婦が手製ベンチに座って麓を眺めていた。『わが谷は緑なり?』と川上さん小説の一節か・・・。道以外は手付かずの自然林が続き、皆心身ともにリラックスして歩いた。やがて勝山町「のじぎく保育園からの道と合流(前回上がってきた道)。勝山町分岐(10:45)そこから少し上った所に、教えてもらった石棺がある古墳が在った。石棺古墳(10:46)

古墳の中に入って石棺(蓋無し)を見ると長さは1m位だったので子供が埋葬されたのかも知れない。石棺は「石の宝殿」の石質と同じで、そこから運ばれたと言われているらしい。尾根を越えると鉄塔が建っていた。 7・鉄塔(10:52)地図をもらった時に何故「さくらんぼ」の話が出たのか・・・『鉄塔の所にさくらんぼがなっている』と聞いていたので桜の木を探した。桜の木は2本生えていたが「さくらんぼ」は高い枝にポツポツとなっている程度だった。

現在地確認して発つ。谷に向かって下ると谷筋で勝山町とつながる道が在り、ここから上り返す。下って来るご婦人(2人)に京見山へ上れることを確認する。間もなく二本目の鉄塔に着いた。8・鉄塔(11:03原地区へ道在り) 今度こそはと「さくらんぼ」を探す。さくらんぼと言っても山桜なので実は小さい。良く熟れた実を採って口にすると渋みの中にほんの少し甘みが有った。安藤さん『食べる物には少しうるさい』と自負。安藤さんも口にする。私と同じような味覚のようだった。西の172mを確認して発(11:10)町境界に乗って上って行く。所々で小さく土が掘り起こされていて??植物の盗掘か・・・。

間もなく上り切って横ばいになる。そんな時小さな鍬を持った人(男)と擦れ違った『この人か・・・』やがて見覚えの在る交差点に着いた。8−1・(11:17)ここからは記憶に有る道を進んで京見山に着いた。9・京見山(11:24)『少し早いけどお昼にしますか』と川上さん。一同意義なしでザックを下ろす。ミニトマト・プラム・ぶどうのような実・カモメの卵(これだけだったかな?)を夫々に頂く。中でも安藤さんから頂いた「カモメの卵」はそれを見るまで、本物の卵かと思って、カモメの卵の「ミヌキ」ってどんな物かと真剣に思っていた(実物は饅頭だった)。

 
石棺の在る古墳を覗き込む(10:46)  9番 京見山:南から(11:48)スタート前 (親子と単独、二組三人のハイカーと出会う) 

馬場さんはどうやら「酸っぱい物」が苦手なようでカモメの卵以外は口にしなかった。東面は白毛山方面、南面は広畑区と播磨灘が広く展望できたが『誰か(又はグループ)の手によって私物化?されている思いが強くする』なんて思っていると雨が落ち始めた。朝方は予報とは逆に天気が良くなって喜んでいたが意外と早い雨になった。『カッパ着ると暑いからいややなー』『カッパ着ると雨が止むんや』なんて言いながら女性はカッパを着た。発(11:53)

運が良ければ京見山の先に居ると言うヤマドリと対面できるかもと目配りしながら緩く下ったが今日、この時間帯は会えなかった。10・則直分岐(12:00)前回ここから直則へ下りかけた所。才と直則地区へは道標が有るも白毛山への案内は無い。大きく方向が変わって才の方へ向かう。『そろそろ四ツ塚古墳が在るはず』と思いながら下っていた。下から長さ2m位の女竹の束を担いだ人が上がって来た『何に使われるのですか』『菊の支えに』菊作りは土作りから始まって大変な手間ひまが要ると聞いているがこれもまた菊作りの楽しみ?の一つか・・・。古墳は無いまま「泣き坂峠」に着いた。11・泣き坂峠(12:06)

右へ下れば才地区へ左へ下れば原地区。落ち武者が女・子供と悔い泣きながら原地区へ落ち延びたと言う伝説のある峠。谷間に入って凄く蒸し暑く、おまけに急登。振り返ると京見山方面が丸見えだった。上り切ると横ばいが続く、何処を見てもネジキの鈴なりの白い花が満開。緩く下っていると、ここで四ツ塚古墳が現れ三基まで寄って見た。軽く上り返してほぼ三百六十度全開の見晴らし台に着いた。13・見晴らし台(12:25)

ここにはしっかりした作りのテーブルとベンチが二セット有った。ほぼ三百六十度の展望が得られる。ここに来て涼しい風を受けホッ。東面に、立ち寄る計画のトンガリ山が見えたがリーダーが天候のこともあってかキャンセルが決まる。京見山やこの後立つ白毛山も良く見えた。発(12:32)

 
見晴台から京見山の眺め(12:26)  (13)見晴台からトンガリ山尾根を眺める(12:27)

大きな中継塔が建つ白毛山へ向かう。間もなくトンガリ山への分岐点に着いた。14・トンガリ山分岐(12:36)トンガリ山経由才地区へ下れるカラフルな道標が立っていた。左が桧林になって進んでいると、形をしっかり保ったササユリが一本咲いていた。馬場さんは『他にも生えていそうな気がする』と言って道から外れてまで探したが見つからず。やや笹に覆われた道を上ると舗装路(管理道)に出て遠くからでも確認できる大きな中継塔が建つ白毛山に着いた。15・白毛山215m(12:40)

『ヤブっぽい町境界を忠実に下るか、舗装路を少し下った所から町境界に乗るか』リーダーに問いかけられろ。ヤブっぽい町境界を下る事に決まった。ここまで半そでだった中島さんが長袖に着替える。何処でだったか、中島さんが『安藤さんが朝から着ているシャツと同じ色と柄のシャツを持って来ている』と言っていたが本当に同じだった。

準備は整って、微かな踏み跡が在るも身の丈を越す笹ヤブに入る(前回ここまで確認)。発(12:45)間もなくヤブは開けるが道は不明瞭。一本目のマーキングして下っていると直ぐ左に舗装路が見えた。町境界は舗装路の右下を通過していたが一旦舗装路に出て少し下ると蒲田城跡・原・西蒲田・青山へ縦走可の道標が立っていてそれが指す方向、道から右に外れて桧林に入って行った。(12:49)

 
(14)トンガリ山分岐の道標(12:36)    舗装路から入り口の道標(12:49)

始めは緩い下りだったが直ぐきつくなって、『これを上るとなれば相当きついなー』と言い合いながら下った。左右ともにウラジロが生えていて、その黄緑色の若葉が凄く美しかった。下り切って尾根肩に出た。16・(12:58)深い谷を隔てて蒲田城跡ピークが尖がって見えた。左桧林は続いて下りきると峠だった。17・峠(13:03)左はYMCAのキャンプ場を通過して原地区、右へは西蒲田地区。

短く休んで上り始める。踏み跡は付いていて、中ほどで振り返ると白毛山や西蒲田地区が見えて姫路B・Pを走る車の走行音がうるさかった。ほぼ上り切った辺りから西蒲田への道が付いていた。城跡と言う位だからその形跡が在るのではと注意深く見たが全く無し。18・蒲田城跡(13:12)「平成16年1月吉日 京見山愛好会 広畑・大津・勝原まちづくりの会」が木柱標を立てていた。展望なし、おやつタイムに入った。おやつを出し合って食べた。馬場さんは私と共同で二本目の杖を作る。そんな時、雨が降り始めた。発(13:26)

降り始めた雨は次第に大きくなって行く、先のコブは大岩が広く露出していた。『カッパを着ようか』『もう少し先の木の下で』女性だけカッパを着る。笹が道を覆う所もある。19・148m(13:38)北向きと東向きに道が付いていた。リーダーはここを既に縦走しているから『右の道』と即決できたが初めてでうっかりしていると北へ下ってしまうかも知れない。ここからの下りは高木雑木帯になって最後は急下りになった。20・峠(13:44)

ここも左右に道が付いていた。B・Pを走りながら見て感じたところでは緩い鞍部だったが上り返しも急斜面だった。上り切ると、やや尾根右下に鉄塔が建っていて東側が全開、北寄りに最後のピーク西蒲田山が尖がって見えた。21・鉄塔(13:46)次の上り取りつきまで左が桧林にだった。しばらく急登が続いた。中ほどで大きな岩盤が出る。振り返れば小雨に煙りながら白毛山方面が見えた。そして今日最終ピークの西蒲田山に着いた。22・西蒲田山(14:03)1枚の白い札が掛かっていてそれには「北山山頂」と書かれていた。

 
(18)蒲田城跡 南から(13:12)        (22)西蒲田山:(14:04)

西の送電線が通過しているピークへはやや塞がり気味の道、反射板が建っている東の尾根は良く踏まれた道が付いていて小さな「古墳」の案内板が掛かっていた。ここもリーダが一度歩いている西の尾根へ下ることに決まった。発(14:07)下り切って小さなコブを越えると鉄塔が建っていた。23・鉄塔(14:13)左山田地区へも道らしきものを見たが順視路は下る方向の青山(東)へよく整備されていて楽々下れた。下り切ると左手に濁った水が溜まる小さな池が在った。24・(14:20)その先では左の樫の木?林の中にミツバチの巣箱が沢山置いてあった。

草が伸びていて、それを掻き分けながら進んだ。左に青い瓦屋根の民家が見えてきた。そこまでは僅かな距離だったがやり過ごして尚進む、ヘビイチゴ?が沢山生えていて赤く熟れていた。右山裾を進んで行くと道が無くなってしまって草ヤブを強行突破に踏み切る。一段下った所に道が在ると見ていたがそれも無く、又もや草ヤブ突破。今度は幅、深さともに1m位のコンクリート溝が在りそれを越えると孟宗竹林で直ぐ先にハイツが在る。『やれやれ出られた』と思って近づくとフェンスが張ってあってそれに沿って移動し、やっと民家の横から舗装路に出た。要するに最後の “詰めが甘かった” ってこと “詰めが甘かった” この言葉の意味は今日のメンバーしか解らないよネ中島さん、安藤さん。

 
この建物(サニーハイツ?)の裏に出て左へ移動した(13:35)    墓地手前を歩く(13:35)

リーダーは現在地確認に入る。すると、前回はこの舗装路の最奥部に出ていたようだった。全員腰から下はビショビショ靴はドロドロ『これ、どうする・・・』『このままバスや電車に乗るの・・・』そんな時道の横の墓地に墓地用の水道があり、それを拝借して靴を洗おうとした時ビックリ、ズボンの膝から下に「ひっつきむし=ヤブジラミ」がビッシリ付いていた「他の人も・・・」と見ると私だけに付いていた。私が先頭を歩いたからだろう。皆さんがいろんな手を尽くして取って下さって靴もきれいになってホッ。ちなみにヤブジラミ取りに一番効果が有ったのは「たわし」でした。

皆で『お水を無断で拝借しました。どうも有難うございました』お礼を言ってそこを後にした。発(14:40)国道R=2に出てB/Sへ向かう。25・B/S(14:45)時間標を見ると一時間に一本しかなく、発車時刻は14:44『出た後やー』と悲鳴が上がった。しかしB/Sには地元の人が二人居られて『バスは遅れてまだ来ていない』ラッキー!!。バスは14:53頃やってきた。

駅前でバスから降りて、川上さんがこちらへ来た時に利用していると言う喫茶店へ入り、皆揃って「しょうゆラーメン」喫茶店で「しょうゆラーメン」そうなんです、ここには煮魚もメニューに有ったと思う変なお店。と言っても作りはシャレタ喫茶店だった。店を出て、私にとって初めての経験、金券売り場で切符を買って駅に向かった。朝と同じ、加古川駅で乗換えとなった。お互いニコニコ顔で手を振って別れた。

それにしても、雨中ハイクも全く平気、それどころか活き活きした面も見られ、楽しげでも有った。あの草むらで蛇又はマムシを踏まなかったのは雨が幸いしたと思う。久し振りに、自然にまかせ・・・自然に戻って歩けた山と雨に感謝。墓地の水道もありがとう。リーダーの川上さん他メンバーにも楽しい山歩きが出来て感謝・・・。

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15・白毛山・215m
20

22・
西蒲田山

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17・峠

9・京見山
  216.1m

18・蒲田城跡

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19
11・峠
13
4・128m