@

3・鍋山


780  鍋山〜升田山 (約4.5km)



気になっていた尾根歩きました。鍋山過ぎて次の尾根は古墳、古墳の連続標識。

だがしかし、その形跡残るは数か所のみ。展望無き横這い尾根を進んだ先で見える岩峰升田山。

その頂で
友に合う。



◎所在地 : 加古川市東神吉町升田・天下原と平荘湖の間の尾根

◎地形図 : 『加古川(かこがわ)』

◎山行日 : 2022.11.30 (日)  晴れ  Age=75

◎参  考 : @ 17. 2. 7 655  A18.10. 9 685  B 18.11.12 689
 
          
 C19. 2.24 696

◎山行者 : 単独

◎コースの見所など : @目に見える形跡は3か所位かの古墳群  A升田山からの大展望  

               B完全整備された遊歩道

◎走行距離 : 往路14.5km   往復30.0km



加古川ウエルネスパークP〜鍋山(80m)〜古墳群尾根〜升田山(105.1m三等)〜

北尾根〜石切り場通過〜平荘湖湖畔舗装路歩き〜ウエルネスパークP


自宅発(9:59)〜高畑〜R2〜加古川橋渡る〜右岸北上〜東神吉町升田地区西進〜

1・ウエルネスパークP(10:44)〜盆栽展観覧〜2・登山口(11:49)〜

3・鍋山(11:59)〜4・(12:05)〜5・(12:08〜12:11)〜6・(12:15)〜

A・(12:34)〜7・別当谷分岐(12:37)〜8・升田山(12:45)〜9・(13:05)〜

8・升田山(13:11)〜10・(13:20)〜11・(13:30)〜12・(13:32)〜

5・(13:43)〜2・(13:50)〜1・ウエルP(13:56〜14:08)〜自宅(14:41)



ウエルネスパークで開催の盆栽展覧会を観に行く(加古川盆栽協会)。そのついでに気になっていた尾根を歩いた。このコースは東の鎖場からMTBを担いで上った記憶が有るが記録に残っていない(MTB初登山 H.14.11.1 雪彦山から始まる)1・ウエルネスパークP(10:44)盆栽展は従来より規模が小さくなった様に感じたが秋の気配を感じる作品に魅入った。

 
ウエル本館への進入路 10:52         館内のドライフラワー(非売品)10:57

 
   盆栽展の作品

 
日本の柿                         中国の柿(老爺柿)

車に戻り山歩きの格好に着替え発った。登山口は見るにも無残なゴミ捨て場となつている(見たところ最近捨てられたゴミは無い)2・登山口(11:49)気になるもそれをやり過ごして上って行く。低木帯の上り途中で振り返ると高御位山方面が全開した。頂きに「鍋山 80m」との小さな木札が下がっていた。3・鍋山(11:59)少し進むと鉄塔が在り平荘湖方面が全開し良い眺めが得られた。

 
6番への上りで振り返る。尖がりが高御位山 11:58   3番鍋山から相ノ山・飯森山方面 12:00

 
3番鍋山から平荘湖 12:00             3番鍋山から6番(手前ピーク)

進行方向のポッコリお山が次に上る山か・・・。岩盤を下ると地道で視界が塞がり湖の周回舗装路に出た。
4・(12:05)そこは第三堰堤の北端の始まりで南端が次の山の登山口だった。5・(12:08〜12:11)升田山登山道案内の絵看板が立っていた。

「山頂まで1200m 升田山は、標高約105mで一級河川加古川に隣接しています。山頂から見渡すと、北に平荘湖、南には加古川の流れと市中心部を経て、はるか播磨灘まで遠望出来ます。升田山の南面には、自然に出来た石段(八十「やそ」の岩橋)あり、80人の神が天と地を行き来していたという伝説が「播磨国風土記」に記されています。

八十の岩橋について 東神吉町と平荘町の境である升田山の東の尾根は、八十の岩橋と呼ばれています。「播磨風土記」には「石を以て升(ます)とおけ乎気(おけ)を作った故に」斗形山(ますがたやま)といった石橋がある。伝えいうに上古の時、この橋天に至り、八十人衆が上下往来した。

故に八十橋といった」とあります。また、この石段については「大昔、この橋は天までのびていてイザナギ、イザナミの神様と一緒に八十八人の神様が降臨された。」という伝説ものこされています。


登山口から右下に下る道が在りその傍らの草むらに古墳が在るとの標柱「升田山15号古墳 この坂を約二十メートル下ったところに、升田山15号古墳の横穴式石室があります。馬具や須恵器などの出土品は、加古川総合文化センター博物館に展示しています」。とあった。道は予想外に良く踏み込まれた中上り。ご夫婦を追い抜き若者に追い越される。6・(12:15)ここからは横ばいが始まる。


 
 こ
の様な標柱と看板が連なる 12:16

今日二本目の標柱あり「升田山一号墳 古墳時代後期(六〜七世紀)」〜看板「升田山九号墳 この古墳は、古墳時代後期((六〜七世紀)今から約一.四七〇〜一.二七〇年以前)の古墳(円墳)です。いつのころか盗掘をうけているので墳丘石室の規模は確認できません。この古墳に埋葬された人は益気里(やけのさと)近辺(升田山の南と北の周辺一帯)を支配していた豪族の一部と考えられます。 昭和五二年十一月 加古川市教育委員会」(12:20)


 
横這い尾根が続く 12:19               石室の名残石 12:31

看板
「升田山八号墳」説明は以後同じ(12:21)〜看板「升田山三号墳」(12:22)〜標柱「升田山二号墳」(12:23)〜看板「升田山五号墳」(12:24)〜看板「升田山十号墳」(12:24)〜標柱「升田山七号墳」この古墳だけが道の右に石室の形跡を認められた。標柱「升田山四号墳」(12:25)〜標柱「升田山五号墳」(12:30)古墳はここで終わり道に岩盤が現れる。少し進むと東方面大きく開け最終ピークと加古川(川)と町並みが見えた。A・(12:34)


 
 A
から加古川の流れと市中心部 12;34       Aから升田山 12:34

 
番 別当峠 西から 12:37            升田山上りで辿って来た尾根を振り返る 12:43

緩く下ると分岐があった。
7・別当谷分岐(12:37)行政道標「別当谷・平荘湖 ウエルネスパーク・升田山」南へも踏み跡あり。「帰りはここから平荘湖に下ろう」と思いながら進んだ。少し進むと一面岩盤となり上り切る。8・升田山(12:45)360度の展望、南から引き返してきた人「この先鎖場の下りで危ないから引き返した」との事。展望を楽しんでいると藤原さんと藤木さんが北尾根から上って来た。

 
8番 升田山 12:45                  升田山から平荘湖(北方向)12:57

平荘湖の北山塊(黒岩山〜相ノ山など)ぐるり回って来多との事かなりの距離だ。暫らく懇談して藤原さんは私が歩いてきた道で下山、私は藤原さんが歩いてきた道で下る事にして別れた。鎖場の方へ下って見たが鎖場を見ず引き返した。
9・(13:05)『ここでカメラのバッテリー容量が切れた』8・升田山(13:11)下った北尾根もかなり確かな踏み跡が在った。

 
升田山で藤原さんに会う 13:06           9番から東遠望 13:10

少し下ると左(北)へ踏み跡在り、下山コースかと思い確認すると石切り場の頭に出てそこの崖にはハーケンが打ち込んで有りクライミングをしている様だった。元に戻り少し進むと右が大きな石切り場になり、その頭に出た。右は垂直の断崖が続く(高さは20m位あったと思う)。
10・(13:20)地図破線通り東へも踏み跡在り、北へ進んで折り返す。

先程の石切り場の脇を通過し下ると湖畔に出た(出入口は分かり難い「布を巻く」)。
11・(13:30)後は殆どが向き合う人ばかりで挨拶を交しながら歩く。12・(13:32)ここにも行政の升田山への道標あり。5・(13:43)〜2・(13:50)〜1・ウエルP(13:56〜14:08)懐かしの楽しい山歩きが出来ました。

歩きの記録にもどる トップにもどる  Pすると地図番号が合う


A
8・升田山
10
11
12