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800   蛇山/岩尾城跡 (約5.0km)




石金山か蛇山か・・・辰年なのに蛇(巳)山へ。

「気楽なコース」と、ここにしたが一つの上りで5回も休む、何で何でこんな筈ではなかったに。

極楽尾根から西尾根経由、着いた頂上城跡は、整備が入り様相一辺驚き隠せぬ規模の大きさ。

見えなかった北も開け大展望にまた感動。




◎所在地 : 山南町和田の北山塊

◎地形図 : 2万5千図 『丹波和田(たんばわだ)』

◎山行日 : 2023..25 (日)  晴れ  Age=76

◎参  考 :  @1999.6.27   A2006.12.17 397  

          B2008.1.1 415  C2008.5.7 433

◎山行者 : 単独    

◎コースの見所など : @蛇山から大展望(358mから360度大展望は別格の素晴らしさ満喫) 

               A岩尾城跡(石垣群/大規模整備実施)   B整備されたコース

◎走行距離 : 往路51.0km   往復102.4km



和田下町登山口/岩尾城跡縦走コースP〜258m〜

蛇山手前西尾根〜蛇山/岩尾城跡(358m)〜堀切/井戸跡〜親縁寺〜和田下町登山口P



自宅発(9:57)〜小新屋観音(11:32〜11:50)〜1・和田下登山口(12:08〜12:13)〜

柵ゲート通過(12:20)〜2・258mアンテナ(12:45)〜3・(13:08)〜4・(13:23)〜

5・西尾根分岐(13:33)〜6・(13:50)〜引き返し〜7・蛇山/城跡(14:11 探索 14:40)〜

8・堀切(14:46)〜井戸跡(14:48)〜9・下知殿丸曲輪/南曲輪(14:55)〜

10・親縁寺・和田小学校分岐(15:06)〜11・新縁寺(15:17)〜

1・和田下登山口(15:30〜15:40)〜西脇市トンネル先Fマ仮眠20分〜往路〜自宅(17:10)



好天の朝、例年通り山南町の小新屋観音へ向った。小新屋観音(11:32〜11:50)Pに着いたが車は1台も止まっていなかった?境内へ向かう。これまでは、たき火を囲んで懇談やら新年の挨拶が飛び交う所も人の気配も無く静まり返っていた。たき火は完全に消火、縁台も片付けられていた。今年の接待当番の方針なのか今年からこのように決まったのか・・・。石金山に上るか蛇山に上るか思案の末 、蛇山に上ることにした。麓から眺めると頂上がハゲ山のように見えた。1・和田下登山口(12:08〜12:13)

 
小新屋地区から城跡を望む11:56   登山口 12:11

登山口辺りでも人の気配無いまま支度をして発つ。山裾には山崩れ災害防止で大規模な擁壁が施されていた。擁壁の網に沿って落ち葉を踏みながら赤い鳥居をくぐり上る。神社マークに在る祠は正月だと言うのに全く祀られてなかった。
獣除け柵ゲート通過(12:20)道は整備が入り小シダは刈られていた。麓のお寺からだろう八十八ケ所巡拝の祠が建ち並ぶ。間もなく中上り、これくらいの上りでハムストリングに・・・後方開け振り返ると妙見山と白山尾根が見えた。

 
巡拝道を通過 12:115           シダが刈られた道 12:25

道に蔓延る小シダが刈られているから「脚への抵抗が無い分助かる」と思いながら上る。
2・258m/アンテナ(12:45)現役なのか分からないがTVアンテナが立つ。ここからの中下り「こんな下り在ったかな・・・」全く記憶から飛んでいて「コースを外しているのでは」とさえ思いながらの下りだった。3番への上り中盤からは急登の岩盤上りになる、ここは記憶にあったが最近余り歩かれてないのだろう落ち葉が積もり良く滑り、気を付けて上った。きつくて5回も立ち休みをした「最近は急登を避けているからか・・・正月休みの影響か・・・」

 
3番から上った尾根を振り返る 13:04     3番からの尾根 13:11

 
頂上まで20分の11地点 13:04    狸の「ためぐそ」 13:20

 
4番からの城跡 13:25         その後の道 13:28

3・(13:08)
振り返ると上って来た尾根の遥か奥に白山・妙見山・高山その奥に白髪岳?が見えた。ここからは、しばらく極楽尾根が続く。足の疲れもウソのように消えて歩く。4・(13:23)西樹間から城跡が見えた。次の鞍部直前左にトラ道が来ていた(4番への上り途中にこの道を確認していた)。鞍部からの上りは右がヒノキ林になる。ここにも「狸のためぐそ(うんこ)」があり4か所目。5・西尾根分岐(13:33)「このまま城跡へ」と思ったが前回歩いた西尾根も気になったので寄って見る事にした。

 
5番からの極楽尾根 13:38       同 13:41


6番手前の広場 13:47

「真砂土が広がる山肌はどうなっているのか・・・(前回の記録では人間地獄と称している)」この尾根も快適に歩けたが終点まで全くその気配すら無かった。木々が生い茂るとは考えられない程の広い地獄だったのに・・・。今日は6番直前で北へ下る明確な踏み跡を見つけた。
6・(13:50)6番は立木で展望無く引き返す。5番から少し上ると平坦地に出る。これまでは頂に出るまで木々に覆われ視界が塞がっていたがいきなり全開、太い木々も伐採されていた。郭が露わになり城の規模の大きかったことに先ずは驚いた。トラロープ設置の急上りをして見晴らし台に立つ。7・蛇山/城跡(14:11 探索 14:40) 


本丸北の平地 14:11          .

 
南から本丸を見上げる 14:21     西の丸石垣(手前左) 14:26

無粋な金属の椅子が置かれていた。しかし展望は360度、前回立木で見えなかった北面が伐採により丸見えになっていた(これで360度展望)。北方近場尾根はずいぶん昔縦走した篠ヶ峰から南へ延びる岩屋山・嵐山・延命寺山、特に南端の延命寺山の鋭鋒は見事な姿。南ではヲコサカ・石金山・イタリ山。東では白山・妙見山・高山などなど。年間何日も無いと思われる視界良好に恵まれた。

天守台の看板 
「天守台 ここは、岩尾城の心臓部で天守閣のあった所です。縦9m・横6mの長方形でさほど大きくはありませんが、高さ三mの石垣で築かれ本城の最高所に位置しています。」 西の丸の看板 「修築によって、古城本丸の西がわに張り出した曲輪で、高さが四mの石垣で三方をがっちりと固めています。丹波の山城の石垣構造の中でも最もすぐれたものと言われています」 西の丸の石垣の裾には多くの瓦片が散乱していた。探索展望終えおやつを食べて発った。

8・堀切(14:46)鞍部に着くと看板あり 「堀切と堀井戸 ここは、堀切といって、ふもとからせめてきた敵兵を防ぐために人工的に掘って造った深い谷です。ここから少し左に行くと堀井戸があります。標高三〇〇m近い山上にあるめずらしい井戸です。深さが約七mあるとされています。」 「天守台へ順路」 「岩屋城跡登山 蛇山」 早速、井戸を見に行く。直ぐに着いた井戸は急斜面に在った。約1.5m方形できれいな水が溜まっていたが何故水が漏れずに溜まるのか不思議に思う。


堀井戸(西から)14:49
上部の岩盤から水が染み出ていた。西の丸から下方に踏み込まれた道はそのまま麓に見えた墓地に下っているのかと思っていたがここに繋がっていた。8番に戻り下山開始、堀切を上り横這いを進むと広場になった。
9・下知殿(げちとの)丸曲輪/南曲輪(14:55) 看板 「下知殿丸曲輪 この曲輪は、東・南・西の三方面のふもとから尾根があつまり、敵兵を防ぐのに重要な位置にあります。南北に約60m、東西に十五mの長靴状の曲輪です。」 さらに進むと 「南曲輪 傾斜地をけずり平らにして造った広場です。

 
下知殿丸曲輪から南曲輪へ 14:54    南曲輪から振り返る 14:55

 
南曲輪からの下り 14:58     下り途中の展望・奥は妙見山・高山など 15:04

周りを急傾斜にし敵兵が侵入しにくく造ってあります。戦時はここに兵をおき城を守りました。この所を曲輪といいます。」 
ここからほんのすくし下った時、上って来る夫婦(50歳代)に出会う。「ここは初めてですか」「下の小学校に通っていました」「だったら遠足山ですね」下りは左右小シダが生える。道は良く踏まれている。立木も低く視界が開ける所もある。10・親縁寺・和田小学校分岐(15:06) 看板 「右 大手門曲輪を経て下屋敷親縁寺にいたる 左 南曲輪、下知殿曲輪を経て岩尾城にいたる」 

 
10番から下り始め 15:07    登山口に戻る 15:29

上って来た人用の看板で前回は堀切・曲輪・この看板も無かったと思う。小学校へも下ったことが有るが今回はお寺の方に下った。直ぐに植林帯になり視界塞がる。麓近くにお坊さんの墓が在った、正月だと言うのに花筒には枯れたシャカキ「気の毒に忘れられた存在?」それとも土地柄で正月のお参りは無いのか?近くに生えるシャカキをお供えして手を合わせた。ゲートを通過するとお寺が見えた。
11・新縁寺(15:17)枕木の階段(5段)に足を置いた途端ツルン!!思いっきり尻餅と滑り落ちた。無難に済んだのは先程のお墓のお陰かと思った。後は広い道に出ず山側の道を歩いて車に戻った。1・和田下登山口(15:30〜15:40)

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