16・石戸山
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№677  頭光岳~石戸山 (約7.0 km「新コース」)




新緑輝くモミジのトンネル、掃き清められた参道歩き、奥の院から頭光岳。

東向きの地蔵に参り始めて歩く寺坂道で金屋地区の奥に下る

。鉱山跡まで続いていると予想の道は途切れてしまい悪戦苦闘で体力限界。

やっと着いた鉱山跡からそれでも頑張り石戸山。


◎所在地 : 山南町岩屋「石龕寺」から東尾根を越え金屋地区谷筋北上△石戸山

◎地形図 : 『柏原(かいばら)』 

◎山行日 : 2018.6.4  (月)  晴れ  日中気温 29~30℃

石戸山
①97.12.21 ②98.9.13  ③01.4.22  ④06.9.9 388  

⑤09.11.4 495 ⑥09.12.8 501  ⑦09.12.27 ⑧10.3.17

岩屋山
①97.12.21 ②01.4.22 ③02.3.31 227 ④06.9.9 388 


⑤09.11.4 495 ⑥09.12.8 501 ⑦09.12.27 ⑧10.3.17

頭光岳
①97.12.21 ②01.4.22 ③09.12.27 

◎山行者 : 単独     Age=71(2月29日から)

◎コースの見所など : ①石龕寺  ②噴気孔化石(非常に珍しい)  ③鉱山跡  ④岩屋城址

◎走行距離 : 往路①48.8 km   往復98.2 km


石龕寺~奥の院~頭光岳(439m)~尾根南下~東向き地蔵~金屋地区~不動明王~

噴気孔化石~岩屋鉱山跡~石戸山(548.5m一等)~岩屋山(506m)~石龕寺


自宅発(7:20)~渋滞~稲美町~渋滞~樫山~R175~山南町~1・石龕寺P(9:13~9:26)~

~山門(9:40)~2・登山口(9:45)~陶器破片探し~3・鐘楼(10:20)~4・頭光岳・439m(10:32)

~尾根南下~5・東向き地蔵(10:49)~6・石仏(11:03)~7・作業道合流(11:23)~

8・林道合流(11:23)~9・砂防ダム(11:29)~10・不動明王入口(11:35 休み 11:49)~

11・不動・噴気孔(11:54~11:55)~12・林道終点①(12:14)~13・林道終点②(12:30)~

昼(12:45~13:06)~14・鉱山跡①(13:23~13:37)~鉱山跡②(13:40~13:46)~

15・主コース合流(13:55)~16・石戸山(14:10)~17・岩谷山(14:30~14:35)~

18・(休み10分)~2・登山口(15:30)~~1・石龕寺P(15:46~16:05)~往路引き返し~

自宅(17:23)


本当は「明神湖から明神山~小明神~549m~立船野(588.9m四等)~西尾根で下山」を計画していたが体力に自信が無く「試し歩き」を兼ねて前夜急遽変更した。今日のコースは新コース計画に当たっての下見を兼ねていた。自宅発(7:20)高畑から樫山に入るまで渋滞が続いた。山の緑は夏色に変わっている。山門まで乗り入れる事も考えたが参道は歩く事にした。1・石龕寺P(9:13~9:26)

 
P手前からの眺め:岩屋山と右に頭光岳            山門への参道

歩いて良かった。新緑のモミジの枝が垂れて緑のトンネルで、参道は掃き清められ落ち葉一枚も無く地区住人の奉仕なのだろか・・・。山門(9:40)~2・登山口(9:45)「奥の院まで800m」の石標が建っている。中程から陶器の破片が点在し拾い始める。県指定文化財町石によると、(応永年間1399年の銘あり)この当時の陶器か・・・。一部露出しているのを掘ると(釉薬もあり)一辺が10センチ近い物もあった(何れも瓶の破片の様で石の上に並べて置いた)

そんな時、40代くらいの男性が上ってきた「高見城山まで(初)・単独歩き派」だった。
奥の院地蔵堂(10:18)ここから目的の「東向き地蔵」への道(裏参道寺坂道)の案内が有った。探してみると「これかな?」と思う形跡は有ったが杉の落ち葉に覆われていた。3・鐘楼(10:20)鐘を2回突く(意味は無い)岩屋地区の奥に石金山、その右奥に妙見山を同定。奥の院拝殿に向かっては大きな石灯篭が20基(見える範囲)建っていた。

 
奥の院鐘楼                           同所から岩屋地区展望


 
頭光岳から北に岩屋山とその右石戸山             同所から篠山方面の眺め(手前の尾根は石戸山から南東尾根)

再び植林帯の上りが続く。プラ階段も出る。4・頭光岳・439m(10:32)「鉱山跡へ0.7km 奥の院0.3km」進行方向の南を除いて視界が開ける。千ヶ峰・篠ヶ峰・岩屋山・笠形山・妙見山など一杯見える。「先に出会った方は健脚だったが今、何処を歩いているのだろう」何十年か前に妻と歩いた南尾根に入る。間もなく道は東へ下る。「方向が違う・・・巡視路かも・・・」何度か確認し、不明ながらコンパスが指す方へ下る。

すると、確かな道が左から来ていた(横這い)。分かっていたが確認のため辿って見ると手前で東へ下った道と繋がっていた。左右植えっ放しのヒノキ林、少しは雑木が残っている。左灌木帯もある確かなコブから道は左下トラするも尾根を行く。「そろそろ地蔵さんが・・・」思う間もなく着いた。
5・東向き地蔵(10:49)高さは約40センチで肩横一文字割れ目が入っていた。奥の院への道はほんの少し感じ取れた。

 
 東向き地蔵

手作り案内板=「東向き地蔵 東向き地蔵はめずらしい。久下氏が栄えた中世、この寺坂道は石がん寺参道としてよく利用された。戦時には兵隊除けにここに詣り、縄で地蔵を縛ったという。親しまれた峠の地蔵さんであった。」出兵とお祝いの裏では辛く悲しんだ人々の思いを顧みながら、枯れたヒシャカキを新しいのと取り換え、お茶と飴を供えてお別れした。


初めての道(所)はワクワクする。金屋地区へ急斜面の下り「何度折れて下るのか・・・」南へ少し下り折り返した「一回目・・・」次の折り返しが無いまま尾根に着き、そこからは、尾根を下った。すると間もなく緩んだ所で石仏が並んでいた。6・石仏(11:03)石仏五体・町石一基(案内なし)探索すると礎石の一部(加工石)が見られお堂が建っていたとみられる。町石は四丁だった。

 
東向き地蔵からの下り道(11:00)           6番の石仏と丁石 

植林帯を下っていると石仏一体を見てさらに下方で丁石一基見る(一丁)左下に林道らしきものが見え隠れし始め間もなく林道(作業道)に出た。7・作業道合流(11:23)道なりに下っていると林道に出た。8・林道合流(11:23)太い杉の木に青色のビニテープが二本巻いてある。この林道は今年の1月1日に△石金山の麓にある「小新屋屋観音」に詣でた帰りに「東向き地蔵」とつながる道を探すため歩いていた(この時は特定できず)。

この林道下方には十三塚が在る。
行政案内板= 「国指定有形民俗文化財・金屋の十三塚・指定年月日昭和61年3月31日・所在者丹波市・金屋の十三塚は石龕寺への金屋集落側からの参道である寺坂道に接して十三基の塚が南北一列に築造されている。一辺2.1m~1.5m、高さ0.2m~0.5mほどの平面が方形の小さな列塚12基と一辺3.7m~3.8m高さ0.9mとやや大きめの親塚1基とからなる。この十三塚には足利尊氏が京都から逃れる際に部下13人が追手に立ち向かい奮戦した後、自刃し果てたが尊氏は無事石龕寺へ逃れることができたため、後に13人の部下の冥福を祈って塚を造ったという伝説が残る。・・中略・・15世紀から16世紀かけて成立展開した十三仏信仰との関連が想定されており、庶民信仰の様相を示すものとして貴重である。平成22年3月 丹波市教育委員会」

       18年1月1日の写真:13塚が並ぶ山間とその案内

林道を上って行くと間もなく右手に大きな砂防ダムがある(手前左に巡視路が上がっている。下方には東尾根の△422.9mへの巡視路が在ったと思う)9・砂防ダム(11:29)「金屋堰堤・竣功昭和62年1月・H12.0mW84.7m」右細流に沿って緩く上ると「彦凉山近滂寺・不動明王参道」の石標が建っている。ここでおやつを食べる。10・不動明王入口(11:35 休み 11:49)林道は荒れたコン舗装が続くが参道を歩く。

細流に並んで上ると清掃道具小屋が在り由来を書いた額が揚がっている。そのすぐ上に大岩があり正面窪みに不動明王が祀られ右に大日如来、左に役行者が祀られている。(清掃行き届いている)更に上ると案内と共に「
噴気孔化石」が在る。11・不動・噴気孔(11:54~11:55)

 
不動明王清掃道具小屋                   不動明王などがが祀られている所

下写真:噴気孔化石
 



行政案内板=
「噴気孔化石・この地域の山あいを流れる金屋川に、7000万年前の流紋岩・火山岩の一種(っ神戸大学教授話)があり、この断層が上久下地区の阿草(※)の断層へ続いているといわれる。この流紋岩は「噴気孔の化石であると言われ、白亜紀の頃、火山噴火による火山灰や火砕流が、浅い湖や沼のような所に降り積もった時、高温のため水が気化して、その堆積が増大し、水蒸気爆発を起して形成される世界的にも珍しい構造である。ここ金屋地区には1平方メートルに35個程度ハンを押したような岩があり、大変貴重な珍しい自然物である。」※山南町「下滝駅」の先「川代公園」が在る所

本当に不思議な文様(化石・形)が入った岩が在る。ここから先は初めての所で杉林を歩き林道に出て上る。この林道は上部(岩屋山)に在る鉱山跡まで続いていると思っていた。何故かと言うと、鉱山跡にはトラックやブルの残骸が有るから。林道は谷突き詰めの広場から先(上)は蔓?で完全に塞がる。12・林道終点❶(12:14)右杉林に逃れその後林道に復帰して上るも遂に終点となる。13・林道終点❷(12:30)

 
林道終点①               その後の谷筋、この後次第に険しくなっていく

谷筋右は杉林の急斜面、左は灌木とヤブツバキのガレ急斜面。幸いにも谷筋が開いていてそれを上る。滑の所が多い。やがて谷が分かれる。右は滑滝で上れない、左から回り込んで高木常緑樹帯の急上りをする。疲れで休みが多くなる。「上り切ると何度か通過した鉱山跡」と思いながら上った。疲れもピークになり休みを兼ねて昼にする。昼(12:45~13:06)動きを止めるとかなり涼しいが簡易温度計は29℃をさしていた。「一体どのあたりに居るのか・・・」

ジグザグで上る。左に上下直の溝が出る。鉱石を落とした(流した)溝かとも考えた。間もなく古タイヤ・トタン板など人工物が見えて上り切った。
13・鉱山跡①(13:23~13:37)平地は水溜まりがありカエルの合唱がピタっと止まった。近くに坑道があり、朽ちかけたトラックなど3台とワイヤー類の残骸があった。これまで見た鉱山跡ではなかった。辺りを探索すると、鉱石を採り出した跡だった(新発見)。従来の鉱山跡を目指す。

 
鉱山跡①に着く、ここを回り込むとカエルの楽園、水溜まりがあった(左が坑道・右へが②鉱山跡)

 
岩盤に開いた縦横1.5m?の坑道とその前に車などの残骸

 

先の坑道を回り込むと鉱石?を採った窪み(深さ3m幅2~3m?)があった。坑道と繋がっていたが崩落でほとんど埋まる。右写真は水溜まりの上の木に沢山の泡卵があった。

14・鉱山跡②(13:40~13:46)しばらく探索する。手作り案内板=「金屋鉱山跡・大正時代いより採掘、昭和50年代廃山・輝緑岩の岩脈断層面の割れ目にマグマが入り、冷えてかたまったもの。サヌカイト一種で、大昔の石器の原石。カオリナイトタイルや陶磁器の原料にされた。輸入におされ廃山。岩石が崩落します。柵内に入らないこと」

 
鉱山跡②・後方の山は石戸山           石戸山:南から

疲れたので石戸山へ寄らず頭光岳~奥の院へ下る事も考えたが思い留まった。プラ階段もある急上りで尾根に乗った。15・主コース合流(13:55)一歩一歩が重たい・・・
。16・石戸山(14:10)一等三角点石標は保護石に囲まれて安定していた。相変わらず木々に遮られて展望無し。もう少し高見城山の方へ行くと展望が得られる所があったと思い、歩きかけたがしんどくて止めて引き返した。

堀り切り3本目の上が城跡でもある岩谷山に着く。ここも立木が成長して十分な展望が無くなっていた。
17・岩谷山(14:30~14:35)手作り案内板=「往時の山頂の平地(約5.5アール)の大部分は陶石(カオリナイト採掘で削りとられている。断崖に注意。岩屋山頂標高506メートル(岩屋古城趾)北の高見城に通じ、南は小川、久下、和田、西は氷上町、北東は柏原町を見おろす要害の地であって戦国時代広沢綱忠がここに拠ったと伝える。中世は丹波の修験の根拠地として熊野・白山両権現を祀っていた。よく晴れた日は瀬戸内海をも望める。」

  
18番鉄塔上部からの眺め      石龕寺山門に戻る

両権現共にお詣りされている気配は無かった。下山の道は踏まれていたが道を覆う小枝は伸び放題でそれを切り払いながら下った。間もなく視界が開けるが傾斜がきつく「この道を何度も上ったが当時そんなにきついとも思わなかった・・・元気やったんやな~」鉄塔下でしばらく休む18・(休み10分)ここからの下りも楽ではなかった。谷筋に着くと金属の鹿網が巡らされていた。2・登山口(15:30)~1・石龕寺P(15:46~16:05)

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17・
岩屋山
15
13・14・鉱山跡
11・不動・噴気孔
5・
東向き地蔵
4・頭光岳
10・不動入口
12・
林道終点
6・石仏
9・ダム