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632 坂ノ谷〜十年〜宮ノ後
996mから覗いた北の境界尾根に惹かれて今日もやって来た。
『やまめ茶屋』の敷地内は、相変わらずの完全封鎖で国道沿いから歩き始める。
丸太橋(倒木)で谷川渡り、一段二段三段上り序盤の急登終えた肩は、
でっかい露岩と滴る緑、疲労も暑さも忘れる世界。そんな世界は僅かの時間。
再度出会った原生林は、市町境界付近だった。
視界無き、延々続く植林尾根を地図と磁石で折れ折れ進むは読図訓練最適コース。
十年(△)からの原生林に見る大木のブナ林は異様な木肌のブナだった。
◎所在地 : 波賀町堀の北から東の山塊(大屋町との境界尾根)
◎地形図 : 『戸倉峠(とくらとうげ)』
◎山行日 : 2015. 7.26 (日) 晴れ(快適) @宮ノ後15.7.4631
◎山行者 : T/カブト・馬場・川上・安藤・大柿(車) Age=68
◎コースの見所など : @3番から△坂の谷へ原生林 A△十年から966mまでの原生林
B△宮ノ後から27番まで尾根右(北面)原生林
◎走行距離 : 往路 97.3km 往復 196.0km
堀地区R29沿いP〜桂橋通過〜谷渡り〜北西尾根〜坂ノ谷(936.7m四等)〜市町境界〜
境界東進〜1080m〜宮ノ後山/十年(1039,8m三等)〜996m〜界から南西に外れる〜
宮ノ後(871.5m四等)〜西尾根〜林道〜桂橋通過〜堀地区R29沿いP
自宅発(5:54)〜姫路BP〜R29〜1・波賀町堀P(7:45〜8:15)〜桂橋通過〜谷渡り〜
北西尾根〜2・(9:00)〜3・(9:16 休 9:22)〜4・△坂ノ谷(9:29)〜5・(9:37)〜
6・(9:50)〜7・(10:00 休 10:10)〜8・(10:20)〜9・反射板(10:34)〜
10・市町境界(10:49)〜11・(11:02 昼 11:30)〜12・1080m(11:45)〜
13・(11:50)〜14・(11:58)〜15・(12:04)〜16・林道終点(12:09)〜
17・(12:12)〜18・(12:20)〜19・(12:25)〜20・宮ノ後山/十年(12:45〜13:00)〜
21・(13:10)〜22・コル(13:15)〜23・(13:20)〜24・966m(13:27)〜
25・(13:36)〜26・△宮ノ後(14:15)〜27・(14:15)〜28・桂橋(14:44)〜
1・波賀町堀P(14:46 スイカ 15:22)〜往路〜自宅(17:38)
台風一過暑さがぶり返す中「波賀町は少しは涼しいはず」との思いと、7月5日に序盤登り切った界尾根966m地点に見た原生林に感動。そこから続く原生林の北界尾根に惹かれ「次に歩くのは、この北界尾根や」と決めていた。始めから同じコースを歩くのはしんどいので966mを後にまわすことにした。『やまめ茶屋』に着くと予想通り私有地とあって空き地はロープが張られ進入出来なかった。
『やまめ茶屋』は、車社会になるまでは氷ノ山登山のベースキャンプ的存在で長らく振るわっていた。少し奥の広場に止め、支度を始めたが○○さんが「水持ってくるの忘れた(良くここで気が付いた事)」で『そうめん流し』まで戻り水を求め今度はR29から入って直ぐの広場に止めた。1・波賀町堀P(7:45〜8:15)
中央尾根を上った 桂橋を渡って間もなくの所からの眺めと川向うの廃車ボンネットバス(8:24)
『桂橋』を渡りながら見た水量は台風の影響で心配通り増水していてた。渡れる所を探しながら林道を歩いたがしばらく見つからなかった。間もなく杉丸太が川に倒れて丁度橋の代役を成していてこれを伝って渡った。いきなり植林帯の急登にかかる。一段上り切る辺りになると尾根には太いクヌギが連続して残されていた。二段目上り切り、たまらず休みに入る(冷たいコン二ャクゼリー)。
尾根に残された太いクヌギ(8:43)
耐えて忍んで待ちに待った地点に着く。2・(9:00)尾根右に水平道が北へ延びていた。間もなく自然林へと入って行く。東西尾根は原生林になりその肩で休む。3・(9:16 休 9:22)大きな露岩にも目を奪われる。熊が冬眠?出来そうな岩窟も見つけた(私だけ)しながら進み△坂ノ谷に着いた。4・△坂ノ谷(9:29)展望・タグ・保護石無し・掃除もなし。すんなり通過する。
(3)尾根肩で休む(9:16) (3)発間もなくの巨大露岩(9:25)
(4)坂ノ谷:東から(9:29)
ここからは左自然林右は植林帯が続く。5・(9:37)〜6・(9:50)「もう急登は無い」と思っていたが悲鳴を上げる急登が残っていた。その上りでは何時しか全員が無口になっていた。7・(10:00 休 10:10)「もう急登は無い」薄暗い植林帯をを進む。植林前は如何ほどの原生林だったか想像しながら歩いた。8・(10:20)大きなヌタバは最近使った形跡なし。左からバイクの走行音が聞こえる。
次の丘ピークは慎重に方向確認した。細い尾根に乗ってホッ。左下から大きな水音がして滝が在りそうに思い覘きに下ると谷筋は平らな地形で池の様に水が溜まっていた(浅い)。後を追い進むと皆は反射板の下に居た。9・反射板(10:34)南東面が開けかなり遠方まで見えたが正確な山座同定は出来なかった。対峙する反射板は何処に建つのか?。
まるでお墓の様な土饅頭(9:49) (9)反射板:南から(10:34)
反射板から南東の眺め・左藤無山右三久安山? (10)市町境界:南から(10:49)
氷ノ山に近いと思えぬありふれた植生を行く。直進するとコースから外れる地点では慎重に角度を合わせて進んだ。地図と方向と予想距離が面白いようにピッタリ合って行く。久し振りに根曲がりザサが出て(歩くに問題なし)楽しさらしきものを覚える。左に原生林を見て緩く上り切ると16センチ角の石標と戸倉○○・神姫○○・30・・のプレイトが有った。ここが市町境界と分かる。10・市町境界(10:49)
ここから北西の境界を歩く日は何時のことか・・・。地図を読み地形と方向を合わせながら進んだが展望が全く無いので皆でより慎重に進んだ。何時も通り「朝が早かったのでそろそろ昼やなー」と言っていると左が開けて「ここで昼や」開けた先には、氷ノ山の大段平コースが見えて赤い屋根の大屋避難小屋・古杉帯・頂上の避難小屋がはっきり見えた。11・(11:02 昼 11:30)
(11)昼所から眺める氷ノ山:ズームで撮る(11:06) 大屋避難小屋
一年の間に何日も無い最高の展望日和だった。多分氷ノ山頂上から鳥取県の大山も見えていると思う。要注意点も読図ベテラン揃いなので心強く難なく進めた。12・1080m(11:45)溝の様なものが東西に延びていた。細い尾根に乗ると左下(大屋側)に林道が見えた。こんな険しい地形に何処から何処への林道なのか・・・。13・(11:50)〜14・(11:58)〜15・(12:04)〜16・林道終点(12:09)
林道の支線だと思う終点だった。後日考えたが此の林道はスタート地点の堀から北の谷についている林道と繋がるのでは・・・。境界に乗ってから延々続く植林尾根最大の難所に入って行く。単独で進むとなると相当な勇気と決断ががいるコース取りが続く。17・(12:12)〜18・(12:20)〜19・(12:25)アルミとコンクリとプラ杭もコース決めての参考にしたがピンクのビニテープに頼るのは厳禁、色んな方向に巻いてある。
(16)林道終点から振り返る(12:09) (12:20)辺りを行く
△宮ノ後山への上りは少しばかりの我慢が要った。頭上に狭い明りが見えて△宮ノ後山/十年に着いた。20・宮ノ後山/十年(12:45〜13:00)タグ無し・展望西に切り開きあり・保護石何個かあり。開きから遠望出来たが山の同定は出来ず。馬さんは誰かのネット見てこのコースの情報を得ていた(私も“やまあそ”も歩いていることを知っていたが何時も通り予習はせず)しばらく休み集合写真を撮って発つ。
(20)(12:57) △宮ノ後山発って間もなく(13:06)
(21)湿地帯(13:10) (13:12)快適尾根を行
(13:25)尾根左の原生林 (24)966m:北から(13:27)
23・(13:20)尾根左の原生林は急斜面で滑落すれば止まる所を知らない地獄谷。24・966m(13:27)966m前回立った所とは全く認識なく馬さんに言われて気が付いた。「あの日の感動は何処へ・・・」日時の経過で木々の肌や茂る葉に瑞々しさも無く、あえて言えばはやくも秋に向かっているかに感じた。「後は△宮ノ後まで同じ道」とは言え逆方向に歩くと「初めての道」の感覚になる。
25・(13:36)正直、石標を見るまでコースを間違っていないかと不安もあった(安易に下っていたので)。26・△宮ノ後(14:15)前回は厚い雲に覆われていた展望も今日は澄み切っていた。三ノ丸辺りの笹原だろうかが見えた。何となく下っていて「△から方向合わせなかったけど」すると「合っています」と川さんが言った。私は分岐との認識なく下っていた。
(26)△宮ノ後から北西の眺め(13:55) △宮ノ後から(27)まで続く植生(14:04)
自然林の尾根を期待していたが左は植林帯、右は大木なき原生林で展望無き尾根だった。27・(14:15)ここからは全体が植林帯になった。急な下りは覚悟していたが予想以上の急下りだった。「最後の下りや十分気をつけて下ろう」を合言葉に下った。谷筋が見えて間もなく林道が在り、それで下って行ったが朝の林道には繋がらず離れていく。
余りににも離れていくので途中で道から外れて下り谷川を渡ろうと思ったが水深と流れも速く安全を見て逆戻りして桂橋に出た。28・(14:44)車を木陰に回し持参のスイカに包丁を入れた。中玉一個四人では余り、徒歩で下って来た釣り人(男二人)に助けを求め、なお残った分を分け合ってお腹に納めた。
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