841 浄土寺と花見 



花見を兼ねて浄土寺参り


◎所在地 : 小野市ひまわりの丘公園・浄土寺(国宝)

◎地形図 : 2万5千図 『社(やしろ)』

◎山行日 : 2026.4.6 (月)  晴れ  Age=79歳

◎山行者 : 単独

◎コースの見所など : @浄土寺と桜

◎走行距離 : 往復41.7km



自宅発(13:10)〜ひまわりの丘公園P満車〜1・近隣池の下P(13:08)〜

共進捨牧農園(14:13〜14:20)〜浄土寺P(14:20〜14:27)〜

池周回(14:30〜14:50)〜浄土寺散策(14:52〜15:20)〜

(15:20 巡拝道周回 15:40)〜浄土寺発(15:55)〜池の下P(16:11)〜

往路〜自宅
(17:00)



突然ではない今日の行動、自転車でこの辺りを周回したいと随分前から考えていた。9日のペタンク総会の資料コピーをコミセンで済ませ遅掛けの出発となった。自宅発(13:10)あちこちに咲く桜の花を車窓から観ながら走る。ひまわりの丘公園Pは満車、何台もの車が迷走していて私もその内の一台。公園を出て間もなく池の下に広場を見つけた。1・近隣池の下P(13:08)積んでいた自転車を出して走り出す。

 
共進牧場の牧場14:14        小野市観光マップ14:18

すると、何十年も何処に在るのか調べもせず思い続けていた「共進舎牧農園」に着いた。
共進舎牧農園(14:13〜14:20)「こんなに近くだったのか」牧場にはジャージー牛?が放牧され柵の周りには満開の桜並木。そこから離れかけた所に大きなイラスト絵看板「小野市観光マップ」があり「浄土寺」が目に入る。「あそこには沢山の桜の木が有ったな」と言う事で行くことにした。浄土寺P(14:20〜14:27)

 
浄土寺P花弁が一面に落ちている14:24  向かい側の桜14:30

辺り一面満開の桜が待っていた。浄土寺散策の前に、向かい側の広場の桜を観に行くと、そこは遊具も少し有る地区の公園だった。70歳代の男性が歩いてこられ「桜キレイですね」「私は何時もこの池を回って歩いとるんや、あんたも歩いたらええわ」と言われた。対岸にも桜並木が見え歩く事にした。
池周回(14:30〜14:50)池は何故か二つに分けられていた。二つ目の池の端では本格的なフナ釣り仲間が5人雑談しながら竿を出していた。

 
フナ釣り風景14:35        浄谷北池と周辺の案内看板14:42

 
看板から少し先の桜並木14:45    眼鏡橋14:47

その土手(堤)からは視界が開け加西の善坊山や笠松山が同定でき、市街地も見えるが同定は出来ない。堤の北端にイラスト絵看板が立っていた。「浄(きよ)谷北池とその周辺」として池の概要と共進牧場・浄土寺等が写真とイラストで紹介されていた。浄土寺寄りが「浄谷上池」もう一方が「浄谷北池」中央の道に架かる橋はレンガ製で「眼鏡橋」との事。又別の看板で県のマーク入りで

「浄谷北池 平成18年3月竣工 後期:平成12年度〜17年度 総事業費:231,700千円 堤長:228m 堤高:7.1m 周回道路全延長:1.043 貯水量:114千? (満水面積:3.8ha) 受益面積:38.5ha (受益戸数:78戸) 事業主体:兵庫県 管理者:小野市;浄谷町」

「ため池を守りましょう この北池は、管理について兵庫県知事、兵庫県土地改良事業団体連合会会長より優良ため池として表彰されました。 平成28年3月」と記されていた。池一周の後、浄土寺散策に入る。浄土寺散策(14:52〜15:20)Pの端、お寺の入り口の看板「国宝浄土寺 鎌倉時代のはじめ、源平合戦で焼失した東大寺復興の大勧進職(だいかんじんしき)となった重源上人(ちょうげんしょうにん)は、

その資金を得るため東大寺の荘園「大部荘(おおべのしょう)の開発に乗り出すと同時に、自らの信仰の道場とするため浄土寺を建立しました。そのため浄土寺境内の建物配置は重源の阿弥陀信仰に基ずく神仏習合思想が反映されていると考えられています。浄土寺には重源により來迎の様子を再現するために建てられた浄土堂(浄土堂と快慶作阿弥陀如来三尊像はいずれも国宝)、薬師堂、八幡神社本殿・拝殿(国重要文化財)、開山堂、鐘楼(県指定文化財)など多数の文化財が伝えらています。

また、浄土寺を中心として周辺には塔頭寺院(子院)が建ち並んでいました。現在は歓喜院と宝持院の2院ですが、かつて浄土寺の周辺には、14の塔頭寺院があったとされ、江戸時代末期の絵図でも9つの塔頭寺院が確認できます。江戸時代末期の浄土寺境内図(歓喜院所蔵)と浄土寺伽藍配置復元イメージ(江戸時代の絵図面より復元) 令和2年 小野市教育委員会」

 
浄土寺前景14:54            浄土寺外周道路14:59

境内を目指す。桜は満開で人並みもそこそこあり、本堂着。浄土堂の拝観料500円季節によって拝観時間の変更あり(今回配管せず)。相変わらず正面からは入れず右角に狭い入り口が有り隙間から覗くと像を守るためかと思う.暗くて何も見えない。何十年か前に妻と入った時は、像の後方の扉が開けられていた「これは像の光背を計算されての事」との説明があったと思う。

 
本堂前の鐘楼15:03     「浩宮徳仁親王殿下御参拝記念樹」の石碑と松15:06        

「浄土寺浄土堂 国宝指定昭和二十七年三月二九日 旧法指定明治三十四年三月二七日」「阿弥陀如来及び両脇侍立像 国宝指定昭和三十九年五月二十六日 旧法指定明治三十四年八月二日」夫々について概要が記されていた。お堂の南横に回ると「浩宮徳仁親王殿下御参拝記念樹」の石碑が立ち枝振りの良い五葉の松が植えてあった(年月日見落とし)。ほぼ正面に戻る。

  
国宝八幡神社の拝殿15:11      同から本堂を振り返る15:18

立て看板
「芭蕉句碑 浄土寺境内に南面して立つ、高さ約1.4mの自然石の碑です。碑面の上から左に「寿(すず)しさは飛騨の」、上から右に「匠の指図哉」、中央下に「芭蕉」と刻まれています。江戸時代の有名な俳人である松尾芭蕉が、浄土寺に訪れた記録はないことから、松尾芭蕉をたたえるために、文化9年(1812)に当地域の俳句愛好者たちが建立したものとかんがえられます。」

その横に古墳時代の石棺と石棺の蓋を用いて作られた板碑が有った。少し離れて八幡神社本殿・拝殿(国重要文化財)が建っていた。概要の看板が立っていたが一部字が風化して判読不明。神仏習合そのものが見て取れた。今日、もう一つの目的である巡拝道周回に向かう。巡拝道周回入り口の看板
「浄土寺裏山四国八十八カ所とアジサイ巡り この四国八十八カ所は、江戸時代後期(文化年間)につくられたものです。

江戸時代になると、四国八十八カ所への巡礼は市井の人々にも流行しましたが、現地に赴くのは体力的、経済的負担が大きかったので、これを模して寺院の裏山などに霊場が作られました。巡礼に行きたくても行けない人々は、このような巡礼コースを巡っていろいろな願い事を祈ったのでしょう。この浄土寺裏山の霊場は、一つの基礎の上に札所の本尊と弘法大師像の祠が並んで祀られています。

各祠は小野市や三木市・加東市在住の願主よって奉納されたものです。また、このコースには、ガクアジサイやヤマアジサイ、カシワバアジサイなど、約三千株のアジサイが植えられており、木立の中でしっとりと咲く、美しいアジサイをご覧いただけます。概要 全長:1.500m 散策時間:約30分 開花時期:6月中旬頃 注意事項:足元にお気をつけください。ハチにご注意ください。」

貼紙「強風の日は枝などが落ちてくることがありますので入らないようにお願い申し上げます。」(15:20 巡拝道周回 15:40)この巡拝道は御近所仲間二人とアジサイの咲く頃、雨の日に来た事があり、濃いブルーのアジサイに魅了された事を思い出した。道は整備されていた。周り初めて間もなく早くも枝落下で危険、進入控えてください。注意して奥へと進む。

 
巡礼道と祠15:23       
巡礼道の奥の方にはミツバツツジが満開だった15:25       

 
終盤巡礼道15:34         役行者(左)と不動明王(右端)15:40

  
帰路本堂の下15:45          このすぐ先ツバキの花も観れた15:48

 
入り口に出来た茶店[JIMOTOselect いちいち」15:50  この自転車で回った16:11        

今度は本格的な進入禁止の札あり、でも十分気を付けて進む事に・・・。最奥部と思われ右に回り込んで戻って行く。ここの祠は何処もよりも四国八十八カ所往時の姿を保っていた。アジサイはどうなんだろう。株が小さく、どこに有るのか分からない状態だった。お知らせの通りコナラと思う高木雑木の枯れ枝が落ちていた。
浄土寺発(15:55)境内を離れて帰路は少し遠回りをして車に戻った。池の下P(16:11)


歩きの記録にもどる トップにもどる


@