839 東海道五十三次 (約22.0 km)




◎所在地 : 徒歩=京都三条駅〜滋賀県大津駅(JR)〜琵琶湖
◎山行日 : 2026.3.28. (土) うす曇り Age=79歳
◎山行者 : ご近所仲間/大西・上野・吉村・大柿
◎運 賃 : 土山〜京都=1,180円 七条〜三条=180円 大津〜土山=1180円
自宅発(7:00)〜土山発(7:13)〜西明石発「京都・草津行き」(7:30)〜
京都(8:45)〜歩き〜京阪七条駅(9:10)〜1・三条駅/三条大橋(9:20〜9:40)
〜歩きで大津を目指す〜琵琶湖疎水「蹴上駅」散策(9:50〜10:08)〜
御陵駅前通過〜(国立)京都薬科大学校門前(10:55)〜京阪電車「山科駅」近く通過〜
名神高速道路高架下・京阪電車と平行歩行〜京阪電「大谷駅」横通過〜
敦賀・高島方面(県道558)と四日市・草津(国道1)分岐(12:15)〜JR草津駅(12:30)〜
吉村待ち(15分)〜駅セブンで弁当駅前広場で食べる(12:20〜13:28)〜
琵琶湖(13:40〜13:55)〜大津駅発(14:34)〜西明石発(16:19)〜自宅(16:30)
3月の初め頃だったか読売新聞のツアー広告で東海道五三次を分割で完歩するというのを見た。すると数日後、大西さんから「こんなん有るけど歩けへんか」と声が掛かった。「28日か、日程が合えば」と聞き流していた。その話が本格になり私を入れて4人揃う。土山まで車で行った。切符を買うのに一苦労して電車に乗る。土山発(7:13)座りっぱなしで京都に着いた。京都(8:45)

京都タワー8:52 京都駅8:53
この後、「長い距離歩くのでタクシーで三条駅」との思いも有ったが七条まで歩くことになった。大勢の外国人が行き交う中、七條駅に着いた。七条駅(9:10)〜地下鉄〜三条駅/三条大橋(9:20〜9:40)河原の空き地がツアーの集合場所で其れらしき団体がいた。

三条駅前対岸にツアー団体9:22 枝垂れ柳と駅入り口9:26
高札風看板(1)「三条大橋 この橋の架けられた年代については明らかでなく、室町時代前期には、すでにごく簡素な構造を持つ橋として鴨川に架けられていたものと推定されるが、本格的な橋となったのは天正一八年(一五九〇)で、豊臣秀吉の命により奉行増田長盛が大改造を行った。また、擬宝珠は天正と昭和のものが混用されているが、その銘によると、「洛陽三条の橋は後代に至るも往還の人を化度とせしむるもの也、
盤石の礎は地に入ることを五尋(ごひろ)、切石柱は六十三本也(以下略・・・)とあり、いかに大工事であったかをうかがわせる。かつてはここが東海道五十三次の西の起点にあたり、重要な交通上の要衝であった。以後たびたび流失シダが、幕府が管轄する公儀橋としてすぐ修復された。
元禄以来、たびたびの改造を経てきたが、昭和25年の改造によって今の姿に改めれた。現在の橋の長さは七四メートル、幅一五.五メートル。なお、橋の西詰め北側には、高札場とされたところで、現在も天正年間の大改造の際に使用された石の柱が残されている。」英語・中国語・韓国語で表示されていた。
御影石にプラスチックプレート印字をはめ込み「三条大橋の補修・修景 三条大橋は、安土桃山時代 天正十八年(一五九〇)に架橋した日本で最初の石橋橋で、現在も当時の「石橋」や「擬宝珠」が使用されていると言われます。江戸時代には三条大橋を「東海道五十三次」の終点と位置付け維持管理を行い、明治十三年(一八八〇年)に架け替えられ、昭和二十五年(一九五〇年)に現在の三条大橋が完成しました。
本事業が開始された平成三十年(二〇一八年)当時、更新から約五十年経過していた木製高欄の老朽化が進んでいたため、木製高欄,補装、防護柵の更新を実施することにしました。これらのデザインは、家村浩和京都大学名誉教授を座長とし、学識経験者、地元関係者等により設置された「三条大橋デザイン検討会議」において川崎雅史京都大学教授の監修のもと、検討されたものです。
木製高欄には「みやこ杣木(そまぎ)」呼ばれる京都市内産の檜を用い、防護柵・歩道補には「和柄」と「伝統色」を採用し、京都らしさを表現しています。防護柵には、魔除けと成長を願う意味の「麻の葉模様」を施し「檜皮色」の石柱も設置しています。また、歩道舗装には「銀鼠色」で、繁栄の意味が込められた「市松模様」としました。多くの皆様の御寄付と御支援を賜り完成しました「三条大橋」を新たな財産として、後世に伝えてゆきたいと存じます。令和六年一月 京都知事」
他に「そすいさんぽ」の看板があり「大津-山科-鴨川コース」「鴨川運河コース」「疎水分線コース」が紹介されていた。川沿いのしだれ柳が芽吹き凄くきれいだった。ツアーの後を追って行くつもりだったが発ちそうに無いので独自に大津駅を目指す(歩くコースは違うかも)。何処を歩いているのか分からないまま歩いていると前方に何となく記憶に有る景色が・・・それは琵琶湖疎水の「インクライン」だった。
折角通り掛かったからと道から少し左に外れて観に行く。桜は満開近かった。琵琶湖疎水「蹴上駅」散策(9:50〜10:08)大勢の人が集っていて「前撮り」も一組見かけた。

インクラインのレールとお客9:57 同10:00
「インクライン(傾斜鉄道)」 大津から京都を結ぶ東海道の難所あった縫坂山や日ノ岡の峠道は、旅人や貨物運搬にとって悩みの種で琵琶湖から水を引き、その水を利用して舟運を興すとともに、田畑を潤すことが古くは平清盛、豊臣秀吉の時代からの願望として伝承されてきました。明治2年(1869)の東京遷都以降、衰退する京都経済の復興策として京都府三代目知事北垣国道、青年技師田邊朔朗、測量師島田道生ら技術陣、行政関係者、
上・下京連合区会、市民の力で明治18年(1885)8月、水車動力、舟運、かんがい、精米水車などの多目的な効用をはかるため、疎水開削工事に着工しました。インクラインは、蹴上船溜(ダム)や南禅寺船溜に到着した船から乗り降りすることなく、この坂を船ごと台車に載せて昇降させる目的で建設されました。当初、蹴上げから分水した水車動力(20馬力、15kw)によって水車場内のウインチ(巻上機)と水中の滑車を回転、
ワイヤーロープでつないだ起動上の台車を上下する構造を考えていました。その後、明治21年(1888),田邊技師、高木文平調査委員が訪米し、アスペン銀鉱山の水力発電を視察した結果、インクライン動力源を水車動力から電力使用に設計変更され、事業用としては我が国初の蹴上発電所を建設することになりました。この電力が世界最長のインクラインに35馬力(25kw)、時計会社に1馬力(0,75kw)など産業用、電灯用として活用されました。
明治27年(1894)には伏見区堀詰町までの延長約20kmの運河が完成し、この船運により琵琶湖と淀川が疎水を通じて結ばれ、北陸や近江、あるいは大坂からの人々や物資往来で大層にぎわい、明治44年(1911)には渡航客約13万人を記録しました。しかしながら、時代の流れで大正4年(19915)には、京津電車、京阪電車が開通旅客数が3万人台に激減したのに加え、国鉄(JR)の方でも東山トンネルが開通して大正10年に現在の山科駅が開設されたため、京都大津間の足としての疎水の機能は実質的に失われることになりました。
一方、貨物の輸送量は、大正10年に現在の史上最高の22万3千トン、1日約150隻を記録しました。やがて、陸送化がどんどん進み昭和26年(1951)9月、砂を積んだ30石船が最後に下り、疎水舟運60年の任務を終えました。こうして、琵琶湖疎水・インクラインは文明開化以降における画期的な京都再生の役割を果たしました。平成8年(1996)6月には、国の史跡指定を受け、今日の京都を築いた遺産として後世に永く伝えるため形態保存しています。
概要 着工:明治20年(1887)5月 竣工:明治23年(1890)1月 運転開始:明治24年(1891)11月(蹴上発電所営業運転開始) 幅:約22m 勾配:15分ノ1 所要時間:10〜15分 電動機:直流440V、70A ドラム工場:南禅寺船溜北側(白い建物)」
上り坂が続き峠を越え下って行く。御陵駅前通過〜(国立)京都薬科大学校門前(10:55)外装はレンガ?貼り広大敷地の校舎だった。正門から見えた枝垂れ桜の並木は蕾固かった。ここは京阪電車「山科駅」近くだった。やがて名神高速道路高架下・京阪電車と平行歩行してR1を歩き上って行く。大西・吉村さんは先行し、私は上野さんと歩く。峠辺り京阪電「大谷駅」横通過、峠には関所跡が有ったと思う。
下りに入る頃には先行の二人の姿は見えなかった。間もなく大津の市街が見え始める。敦賀・高島方面(県道558)と四日市・草津(国道1)分岐(12:15)先行の二人は・・・と思いながら下っていると大西さんがGSの所に立っていて合流、そこから集落に入るらしく、大津駅を尋ねて下って行った。大津駅(12:30)駅舎は囲いもなく屋根は懐かしいスレート葺きだった。この光景に余りの田舎くさくてびっくりした。

京阪電車下り線12:15 大津駅南口より12:39
ここは大津駅の南口で不明の吉村さんに電話をするとファミマにいるとの事、R1を歩いていて呼び寄せた(15分待ち)。駅の正面に周り食堂で食事も考えたが駅セブンで弁当を買って駅前広場で食べる事になった。(12:20 弁当 13:28)風が有ったが寒くはなかった。上野さんが「折角ここまで来たんやからこの辺り散策しよう」と言う事で歩き始める。駅の辺りに商店街は無し、琵琶湖に向かって緩く下って行く。

琵桟橋から琶湖と琵琶湖ホテル13:51 奥の山並みは比叡山
「駅前が長い坂道なんて他にあるかなー」商店街が無い。、長い坂道不思議な駅前。30分ほどで湖畔について桟橋?のように突き出た歩道の先端まで行く。琵琶湖(13:40〜13:55)はるか遠くに白い三角の帆を上げた凄い数のヨットが観られたが大会だったのか。帰りは反対車線を歩き市民会館でトイレ休憩をして駅に戻った。大津駅発(14:34)〜西明石発(16:19)〜自宅(16:30)
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