807 芝桜(ヤマサ蒲鉾) (約3.5km)
◎所在地 : 夢前町置本(ヤマサ蒲鉾)〜ゆめさきの森公園
◎地形図 : 2万5千図 『姫路北部(ひめじほくぶ)』
◎山行日 : 2024.5.3 (金) 快晴
◎山行者 : 大西(車)・田中・上野・大柿・吉村
◎コースの見所など : @ヤマサの芝桜 A新緑・黄葉時の尾根歩き
B蓮の花の時期は向上の裏(北)に蓮池あり
◎走行距離 : 往路 31.0(ヤマサ) 往復 ?km
古田発(9:05)〜中地〜1・ヤマサ蒲鉾P(10:00)〜2・芝桜観賞発(10:35)〜山歩き〜3・(10:58)〜
引き返し〜4・蒲鉾売店発(11:30〜11:40)〜ウエルサンピア(11:50〜12:00)〜
県立ゆめさきの森公園(12:10〜13:25)〜弥勒寺〜夢前SIC〜香寺町中村〜香寺町土師(はぜ)〜
香寺町溝口駅〜福崎町八千草南下〜山田町西山田交左折〜加西市東剣坂右折〜加古川市志方町〜
志方町投松〜高畑〜古田(15:40)〜大西宅Gで宴会
「何処か山歩きに行こう」と言うことでここに決めた。芝桜の最盛期は過ぎていたが少しは残っているかと期待していたがやはり終わっていた。それでもかなり多くの人が奥の方まで入っていた。花は終わっていたが花の後のグリーンの絨毯も私は気に入った。それを見た後尾根歩きに入った。尾根歩きコースは@一番手前コースA中のコースB大外回りの3本のコースが在る。今日はメンバーの脚力からA番を歩いた。
尾根に着くと大西さんが3番の方へ行ったと言うので後を追うと尾根先端3番の切れ落ちの所に居た。A点を経由するB大外回りコースは3番で崖状になっていたが真砂土採取が進みほぼ繋がっていた。ヤブっぽかったが尾根は幅広く完全刈り払いされていた。引き返し先に下っていた上野・田中・吉村の後を追う。合流して歩き、売店に戻り蒲鉾の試食(一か所のブースで提供)をした。相変わらずバラ売りのコーナーでは行列が出来ていた。
その後ウエルネスで昼にしようと立ち寄ったが私の案で「ゆめさきの森公園」にした。公園ではイベントの「新緑登山」あり。参加者募集150名で『◎8:30受付開始◎9:00準備体操、順次発◎11:00〜下山報告』@Aコース3.5km2時間ABコース4.5km3時間BCコース7.0km4時間。5月4日は「新緑まつり」1、森であそぼう2、食のブース3、森の音楽会が開催される(何時の日かこれに参加したことがある)。昼終了後「少し歩こう」と言う事で「通宝寺池」を一周した。その後近くの弥勒寺で「布袋」さんを観て帰路に就いた。
布袋=日本一の大きさ・石は中国より取り寄せた御影石・十数分割で作成。
弥勒寺看板@『弥勒寺 長徳三年(九九七)性空上人は書写山を延照に任せ(円教寺縁起等事)、長保二年(1000)当時国衛領であった当地、飾磨郡菅生郷に隠棲したと伝える。性空上人に帰依する花山法皇は長保四年(一〇〇二)に重ねての結縁を求めて御幸、七日間参籠して結縁を果たした(峯相記)。法皇は播磨大掾延昌に守護堂・護摩堂の建造を命じ(悉地伝)、これを弥勒寺起源としている。
弥勒寺(天台宗、山号通宝山)には数多くの文化財が保存されれる。現「本堂」は室町幕府重臣で播磨・備前・美作三国守護となる赤松義則が康暦二年(一三八〇)に再建したもので国重文。細工お施す内陣の折上小組格天井など南北朝時代の建築様式標本といわれる。「開山堂」は享保年間(一七一六〜三六)の建立で市指定、「開山堂厨子」は扉墨隅金物に慶長十六年(一六一一)の打出し銘があり県指定。
繊細な細工が・施されている「護法堂」は宝永八年(一七一一)建立で県指定。塔身正面の梵字に扉お線刻する珍しい「宝塔」と元弘二年(一三三二)刻字の「石鐘」は市指定。本尊の「木造弥勒仏及両脇侍像」は国重文、弥勒仏に長保元年(九九九)仏師安鎮の作お示す銘があり、弥勒寺開創期のものである。平成二七年九月 姫路市教育委員会』弥勒寺看板A『開山堂 建築様式 方形造り 梁行4メートル50センチ 桁行4メートル50センチ 弥勒寺開山堂は、弥勒寺開基性空上人お安置する。
性空上人を安置する厨子に奉寄進皇太神宮権大僧都法印祐園阿闍梨、三千日の行者慶長16年12月2日とある。しかるに開山堂の建立は慶長16年(一六二年)前後の建立とみられる。 開山堂厨子 性空上人を安置する厨子で、四方の金具に慶長16年12日銘三千日の行者権大僧都法第祐園阿闍梨銘有。兵庫県指定重要文化財 姫路市指定文化財』
三角屋根が売店 花期を過ぎた芝桜畑 10:11
奥の芝桜畑と少し残っていた藤の花 10:24
奥の芝桜畑から尾根への道 10:49 尾根の広場を行く 11:04
売店前のシトロエンのキッチンカー 11:30 ゆめさきの森管理棟前 12:13
通宝寺池 13:11 弥勒寺の布袋さん 13:39
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