732 里山歩き(北山・北池・魚橋) (約6.5km)
遊歩道が出来たと聞いて歩いて見ました。
◎所在地 : 高砂市阿弥陀町北山・北池・魚橋の山裾(遊歩道)
◎地形図 : 『加古川(かこがわ)』
◎山行日 : 2020. 6.26 (金) 晴れ
◎山行者 : 単独 Age=73
◎コースの見所など : @平成29度に整備されたかと思う遊歩道で僅かなアップダウン
A竹林と雑木帯が交互に在る
◎走行距離 : 往路 @?km 往復?km
北池〜魚橋〜引き返し〜北池〜北山
自宅発(11:35)〜1・段畑の畑(12:17〜12:25)〜2・(12:37)〜3・(12:43)〜
4・鴻ノ池(12:47)〜5・山所の地蔵(13:00)〜6・石切り場ターン(?)〜7・案内板(13:13)〜
8・瓦師地蔵〜旧魚橋郵便局舎〜9・金剛山・安楽寺(参詣)〜10・無染山・正蓮寺〜4・鴻ノ池〜
11.(?・昼20分間)〜12・北池コース登山口〜13・動物生体学研究(?)〜14・遊歩道終点(?)〜
15・(15:03)〜16・往路復帰引き返し(?)〜1・段畑の畑(14:30〜14:45)〜往路寄り道〜
自宅(16:10)
幼馴染の段畑(だんばた)さんが地図の1番近くで畑作をしていて年に数度伺う。その時「山裾に遊歩道が出来た(平成29年度?)」と聞いて歩いて見た。1・段畑の畑(12:17〜12:35)遊歩道は畑の直ぐ上部に在るので畑を通過して道に乗った。ほぼ横ばいで小さなアップダウンには加工丸太階段が設置されていた。入った所は竹林で間もなく常緑又はナラ系の高木雑木帯になる。
遊歩道に入って間なし 12:28 素掘りの溜池 12:33
2番辺り快適な道が続く 12:37 3番辺り 12:43
あちこちに素掘りの溜池がある。2・(12:37)果樹園もあり。南の大きな池の南には打ちっ放しのゴルフ場もある。再び右側竹林を通過。3・(12:43)緩く下って行くと墓地があり、池の堤近くに出た。4・鴻ノ池(12:47)この池の北側には芝生広場のような所があるように見えた。池まで車で入ることが出来たが車の侵入は禁止になっていた。
4番 南から 12:47 12:47
右に民家を見ながら下って、カブトで歩く時の為にPを探して集落に入ったが空地は無かった。遊歩道に戻り山裾の道を進むと「○○神社参道」との看板が有り、少し上ると後は横ばいで進む。間もなく右下方から石段が上がって来ていた旧のメイン参道と思う。「○○神社」に着くと最初に地蔵堂があった。5・山所の地蔵(13:00)道はここで終点かと思っていたが更に続き間もなく先細りで消えた。
5番辺り土塀の名残り 12:59 矢板穴跡 13:00
右下の車一台が通れる舗装路に出て進むとゲートがあり、鎖に鍵は掛かっていなかったが私有地のようなので引き返した(後で寄った安楽寺の婦人によるとその先は現役の石切り場だった)。6・石切り場(?)Uターンして遊歩道は歩かず生活道路を歩いた。道の角に近辺の建物案内板があった。7・案内板(13:13)「登録有形文化財旧魚橋郵便局舎:金剛山・安楽寺:無染山・正蓮寺:旧印南郡役所跡:旧印南郡魚橋警察署跡」。
7番の看板 13:13 8番 瓦師地蔵堂 13:16
この辺りでもPを探してR2まで出て見たが家は建て込んでいて適当な空地は無かった。8・瓦師地蔵(?)興味ある名で小さな地蔵堂は篤く祀られていた。看板に戻って旧魚橋郵便局舎を探しながら歩き、住民に旧魚橋郵便局舎を尋ねると「ここに在る」目の前に在り、立派な瓦ぶきの旧家に接して建っていた。その方(80歳位の男性)は「案内するわ」と言ってその家に入って行かれたが「留守やけど見たいんやったら入り」
旧郵便局舎 13:21 13:21
文化庁 登録有形文化財のプレート13:23
家に入れて頂き旧魚橋郵便局舎の中を見せてもらったが中は大きな空間になっていた。「お寺も見たいんやったら案内する」案内は辞退したが「かまへん」と言って庫裏のチャイムを鳴らされた。9・金剛山・安楽寺(参詣)ご住職の奥さんが出てこられた。「この人がお寺を見たいらしい」と紹介してもらった。本堂の中へ入り暫らく色々と会話をした。
『浄土真宗であること・近隣の天台宗のお寺が廃寺になり(年代は訊かず)、その材料を活かして建立した・最近内陣を修復した(京都の本職)その他』案内して下さった方は神吉さんと言う方で地区の有力者のようだった。ご婦人は宍粟市の事も私の実家の波賀町の事も認識ある方だった。お礼を言って別れ、すぐ近くの正蓮寺へ立ち寄る。
佐々木英先生の碑 13:55 13:55
山門前の石碑を読むと「童謡作曲家 佐々木すぐる先生生誕の地 平成3年3月 高砂ライオンズクラブ建之」看板には「童謡作家 佐々木英(すぐる)先生 明治25年4月16日父佐々木源蔵,母やおの次男として兵庫県高砂市阿弥陀町魚橋(正蓮寺境内地)に生まれ、阿弥陀小学校、姫路師範学校、東京音楽学校(現東京芸大)を卒業、浜松師範学校教諭となる。
大正11年、作曲家を志して上京、レコード出版、放送で活躍、その後日本作曲家協会理事、日本音楽著作権協会常務理事を歴任すると共に「お山の杉の子等、主として童謡約2000曲(「月の砂漠」の石碑が建っていた)」に及ぶ作曲と青い鳥児童合唱団を首旁する等音楽指導に一生を捧げられ、昭和41年1月13日、74才で逝去、正六位勲五等旭日章が授与された。
私達は郷土が生んださ佐々木すぐる先生が音楽に捧げられた功績と情熱を後世に伝え、人々の心に文化のともしびが広がることを念願してこの碑を建立するものです。平成3年3月7日 高砂ライオンズクラブ」
正連寺の西側畦道を歩いて鴻ノ池に出た。4・鴻ノ池(?)遊歩道合流点で昼にした。11.(昼20分間)遊歩道を引き返す。12・北池コース登山口(?)この辺りは「私有地に付き立ち入り禁止」の札が掛かり登山コース入口にもその札が掛かっていた。左下舗装路と平行に進む。孟宗竹林が続く。数カ所に「調査中 神戸女学院大学 動物生体学研究室 連絡先0798−51−8427(写真)」が設置されていた。13・(15:03)
13番 動物生体学研究資材 14:41 竹筒に巣を作っている 14:41
13番辺りの道 14:44 高御位山遠望 14:47
聞いた所ではこの道は「長尾地区の辺りまで」との事だったが何処まで続くのか興味があった。14・・遊歩道終点(?)遊歩道から集落への道は無く、民家の横を通過して舗装路に出た。社宅だったと思われるかなりの数の廃屋を見ながら本道に出た。15・(15:03)記憶ある道を確認できたので往路を引き返すつもりだったが疲れがあり本道りを歩いた。
これは是で暑く、往路で見つけていた遊歩道出入り口から遊歩道に復帰して車に戻った。16・往路復帰引き返し(?)〜1・段畑の畑(14:30〜14:45)※遊歩道又は傍らは草や竹や細いタケノコが生え、荒れ始めていた。
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