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計画
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高木
豊國

№729  生野(大歳神社~城見台一・二・三) (約9.0km)



播但道を走る時、いつも気になるこの山塊。その中で最も惹かれる秋の黄葉、黄金色に輝く黄葉。

そんな山塊歩いて見れば植生豊に広い路在り。

しかし、しかしそんな路が続くはずなし。時にヤブ、時に激降、時に迷い期待していた路は無し。



◎所在地 : 姫路市飾東町佐良和の北山塊(城見台を囲む尾根)

◎地形図 : 『姫路北部(ひめじほくぶ)

◎山行日 : 2020. 5.11(月)  晴れ   

◎山行者 : 単独      Age=73

◎コースの見所など : ①玉姫神社櫓から展望   ②前半の尾根心地よい歩きが出来る

       ③大歳神社の絵馬  ④歳徳神社は小振りながら謂れ多き神社

◎走行距離 : 往路24.0km   往復44.5km



大歳神社~文学小径~玉姫神社~主尾根~主尾根東進~181m~城見台(四→三)~

尾根北進~115m~引き返し~城見台北尾根西進~生野(198.7m四等)~163m~

城見台(二→四)~往路尾根~文学小径~大歳神社P~歳徳神社


自宅発(8:50)~明姫BP~高砂西~R2~飾東町豊国(迷)~引き返し~飾東町佐良和~

1・大歳神社(9:32~9:45)~文学小径~2・玉姫神社(9:53~9:55)~ヤブ上り~

3・分岐(10:27)~4・鉄塔(10:30)~5・(10:40)~6・肩(1041)~7・肩(10:51)~

8・農園・四(10:54)~(三)公園(11:06~11:10)~9・農園(11:14 おやつ 11:23)~

10・尾根(11:30)~11・(方向難渋)~12・115m(11:53~11:55)~引き返し~11・(12:11)~

13・(12:29)~引き返し~10・(12:35)~9・(12:41)~14・(12:56~13:00)~

15.△生野(13:10 昼 14:40)~16・迷(13:50)~引き返し~15.△生野(14:05)~

17・(14:15)~18・(14:25)~19・163m(14:36)~20・農園(14:50)~8・農園(15:15)~

4・鉄塔(15:35)~3・(15:40)~21・鉄塔(15:46~15:49)~引き返し~22・分岐(15:50)~

23・(15:52)~文学小径~大歳神社(16:03~16:08)~1・(16:11~16:23)~

歳徳神社(16:25~16:54)~往路~自宅(17:42)


秋の日、播但道花田ICを通過して間もなく左前方の山塊は黄金色に輝く時期がある。この輝きの見事さは何年経っても何回見ても実に感動的で心底残っている。「この山塊を何時か歩いて見たい」と思い続けていてようやく足が向いた。登山口となる山裾の集落は地図で見れば分かり易そうでも土地勘が無く、花田IC近くのコンビニでナビに目的地をセットして走った。学校が在って池が在って・・・。学校の傍を通過して山裾の住宅街に入った所で地図を見せ場所を尋ねた。

「ここへ行きたいのですが」地図見た人(男60歳代)は「佐良和(さろお)か、全然違う所に来とる」そこで道順を丁寧に教えて頂いた。ナビは飾東町豊国を指定していた。今度はナビは使わずそれなりに走って飾東町佐良和には入り、山裾で再度尋ねる(前回と同年代)。「地元住民で無いけど」と前置きされたが「ここならすぐそこや」御両人親切な方で感謝。登山口から後数十メートルの所に来ていた。
1・大歳神社(9:32~9:45)

 
「文学小径」の入口 9:47                   小径に連なる句碑 9:51

大きな石の鳥居の横を通過して駐車。支度をしていると女子高か中生2人ががやって来た。「山登りするの」「ハイ この上に展望台があって・・・」私も後を追った。神社の右下より上ると「文学小径」との石標が立って句碑が連なっていた。書体が草書体でしかも本格的な句だった。暫らく道の右は凄く太い孟宗竹林が続いた。打ちっ放しのコン舗装は雨後で滑る。

カーブの手前で女子の悲鳴の様な声がして間もなく下って来た「もう帰るの」「ハイ」多分滑って危ないからだと思った。
2・玉姫神社(9:53~9:55)右下から階段が上がっていてその奥に展望櫓が建っていた(2013年3月30日完成)。展望は桶居山から仁寿山・姫路警察署までも一望出来るとの展開写真が設置されていた。現在地から主尾根を目指した。踏み跡を上ると鉄塔が在り、尾根への路を探したが見当たらず暫らく笹柴ヤブヤブを上り広い道?路?に出た。

 
2番:玉姫神社櫓から桶居山方面 9:54       展望櫓 9:55

「大歳神社から破線の道か」と、思いながら緩く上って行く。3・分岐(10:27)「帰路ここから川沿いの尾根に乗る所」と記憶に留める。尾根左右から車の走行音が続き耳障り。ほぼ横這いに進む。「この雑音が無ければ最高なのに」植生は高木雑木もありそれも太い木が多く生える。4・鉄塔(10:30)何処まで・・何故こんなに良い道が・・道幅は1.5m位か・・。5・(10:40)

 
主尾根・3番辺りの路 10:23             5番近くの尾根・このような杭が続く 10:35

方向が大きく変わる。道は続く、左への尾根を気にしながら道を進む。南向きが長く感じて確認すると5番から真南の尾根を下っていた。6・肩(10:41)ここで、引き返したがこの良い道は路(巡視路)の確立が高いと思えた。5番に戻り記憶に有った尾根に乗り下る。7・肩(10:51)前方樹間から団地の一部が見えた。地図では案ずる事が無いように見えるが擁壁とか柵が在り、その際の通過の可否。「今日一番の難所」と考えていた。

 
7番肩から北方面・奥の尾根が△生野辺り 10:51     8番:農園に出た 10:54

下りにかかると左山肌に幅20センチ位のU溝が等間隔で水平に設置されていた。土砂流出防止と思う。カズラ等と急斜面に阻まれて「予想が当ったか」に思う。右下がりの道なき斜面を進んでいると左上に開きがありそこを覗くと金網の柵に囲まれた農園で一人の男性が作業をしていた。
8・農園(10:54)「今日は柵に沿って向こうの山へ行きたいのですが」「山歩きか・・気持ちがええやろ、ここから入って行ったらええわ。

出口はあっちや」柵のゲートを開けて下さった。柵に沿っては凄い草と笹だったので助かった。出口はゴミステーションでもあり、散歩のご婦人が来られて挨拶をする。「凄い広さの団地ですね」「橋一本で市内と繫がっているので播但道の方への抜け道を嘆願したが叶わないでいる」「城見台っていい名前ですね」「ここからは見えないけれど北の方へ行けば姫路城が良く見えます」「それでは行って見ます」

閑静な街で素敵な佇まいを観ながら進み、大通り(姫路行バスが通過した)に出ると本当に姫路城が丸見えだった。計画コースから外れたが「これも良し」
(三)公園(11:06~11:10)公園に立ち寄って男性と会話し9番へ向かった。9・農園(11:14 おやつ 11:23)「東尾根115mはキャンセルしてここから△生野へ」とも考えたが思い留まった。ここでおやつを食べて東尾根を目指した。

 
中央最奥に姫路城が見えた 11:05         階段の上が9番農園 11:14

8番でも見たがここにもミツバチの巣箱が何本か立ってて現役の箱もあった。急斜面だったが上り易かった。10・尾根(11:30)道幅は狭くなったが歩き易い開きがあった。11・(方向難渋)右か左かしばらく思案したが左を下って正解だった。右竹林尾根を通過して12番に着いた。雑木林で視界なし。12・115m(11:53~11:55)引き返しの11番へは疲れが出た。11・(12:11)

気を付けていたが二本巻いていた布をを見落として進んでしまい「おかしいい・・記憶に無い林」で引き返す。13・(12:29)忠実に尾根を辿ると赤い布が見えた。
10・(12:35)布を巻いていなければ全く分からなかったと思った。9・(12:41)ここからの上りは開きは無しも難なく上れた。14・(12:56~13:00)下方の団地の奥に3番辺りから22番その奥に市街、その奥に仁寿山辺りが霞んで見えた。

団地から尾根に延びる線は階段で上には貯水槽が在った。下った鞍部は凄い笹ヤブとイバラで心配したが尾根右下に逃れて通過した。その後は難なく上れ△生野に着いた。
15.△生野(13:10 昼 14:40)保護石3個タグ展望無し。ここで昼にした。爽やかな風が吹いて暑さと疲れは直ぐに癒された。「さて、下りはこの方向」コンパスを合わせて下って行く。左樹間下に大きな池が見える。二段目肩に着く。

 
14番から団地と3番尾根 12:56           15番:△生野・東から 13:10    

余りにも急下りになって「おかしい」確認すると北寄り尾根を下っていた。16・迷(13:50)最近は何かにつけて注意力が散漫になって「迷進」は全てこれによる。池と思っていたのは夢前川で正規コースなら左に見えるはずがない。引き返しながら思った「間違っての引き返しと思うからしんどいんや」引き返しと思わず「これも、あれも、それも山歩きの一部や」凄く楽に引き返せた。15.△生野(14:05)

 
△生野からの迷進尾根 13:43          18番:団地の奥は午前歩いた尾根 14:24

 
18番:午前に歩いた尾根・右肩が22番 14:24       
 19番:14:36

もう一度コンパスを合わ方向を定めて下り始めたが尾根が無いので心配しながら下っていると尾根が出た。17・(14:15)植生は左右高木帯で下草も倒木も無く順調に歩けた。18・(14:25)左樹間から団地とその上に7・5・4・3番尾根が見えた。やや柴ヤブっぽい所もあり、最終ピークに着く。19・163m(14:36)ここからの下りは、かなりの急下りでほぼ予定地点に下り着き農園を通過して車道に出た。20・農園(14:50)

 
20番先から:左山裾奥に姫路城が見えた 14:59     20番先から19番を見上げる 14:59

ここからも姫路城が良く見え、その姿は異様なくらい飛び出ていた。「さて、4番鉄塔への路は在るか」山裾を注意しながら歩いたが巡視路を知らす札は見つからないまま候補範囲は終わった。「鉄塔を通過した時に路の確認をしておけば良かった」は後の祭り。もし確認をしていて路が無いのが分かれば△生野から引き返していたとも思う。仕方ないので計画通り4番目指して直登も考えたが斜面が尋常でないので8番を目指し舗装路歩きをした。
8・農園(15:15)

4・鉄塔(15:35)団地と繋がる路の確認をしたがそれは無かった。3・(15:40)△高木へ回る元気はなく、朝方気になった神社から続く破線がこの広い路で繋がっているかの確認に入った。緩い鞍部から左の谷へ下る道らしき跡を見て鉄塔に着く。21・鉄塔(15:46~15:49)神社からの路は無く柴ヤブだった。引き返し22番から下ることにした。22・分岐(15:50)

 
22番分岐にある変形「ヤシャブシ」 15:50        「文学小径」に戻る 15:58

下っていると谷筋に小さな溜め池が在り、その堤を歩き向かいの山肌に移り下ると朝歩いた文学小径に出た。
23・(15:52)~大歳神社(16:03~16:08)境内に入り拝殿を覗くとその天井や側面に新旧大小の絵馬、更に干支の絵馬が所狭しと奉納掲げられていた。未だにこれだけの絵馬が奉納されているには相当な謂れが在る神社と思う。また、伊勢神宮・廣峯神社・金毘羅宮の遥拝所がそれぞれの方向に向かって設けられていた。階段を下ると車が見えた。1・(16:11~16:23)

 
                 
大歳神社の絵馬 16:03             

着替えていると散歩の男性が「すぐ先の歳徳神社へも行けばいいよ」と聞きその神社へ向かった。歳徳神社(16:25~16:54)パンフレット抜粋「歳徳(さいとく)神社の祭神は、俗に「さいのかみ」と称し、佐良和(さおろ)村の東北端、堂谷の入口にあります。当村は火難が多かったので、鬼門除けとして神を今の地に祀ったと言われています。姫路城の鬼門守護神でもあります。

神社の由来『今を去る六百有年前、赤松則村の二男赤松貞範、庄山(東前方の山)に城を築く、其の係族、小寺政隆が庄山城主なりし時、備前三石の城主浦上村宗なる者、庄山城に攻め来る、時に享禄三年七月廿七にして、大奮戦の結果、衆?(読めないしIMEパッド認識無し)敵せず、一族家臣尽く討死せり、内唯一人の武将足に重傷を負い、この地に逃れ来たり、此なる岩上にて自害せり、

死に臨み遺言して曰く「歩行不自由なる者は何人によらず一切われこれを守護せん」」と爾来祈願参拝するものその霊験を得て今日に至る。又姫路城主十六代は羽柴秀長公は竹の門と共に城の鬼門にあたる此の地にあき方を司る神を祀り、歳徳神社と称したるより一層有名となる。・・・』 


 
歳徳神社:姫路城之鬼門守護神の石碑        この山が「庄山」

 
歳徳神社から玉姫神社への参道(階段百数十段)     山門前の絵看板

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