10
搦め手道入口
        ↓
9・柊神社
254m
11
6・砦跡
石碑
12

№674  荒神山(上月城址)~後山(点・愛宕山) (約12.0km)



播磨・作州・備前に接する要衝地。

赤松・山名・尼子・毛利・織田など各氏の間で歴史に残る激しい攻防城取合戦(14初~16世紀後半)。

凄惨語る看板に心痛めて戦跡辿れば高木雑木に小鳥さえずる、花期は過ぎしミツバツツジ


◎所在地 : 佐用町上月駅南西「寄延(よりのぶ)・目高(めたか)・後山(404.6m)」に至る南主尾根

◎地形図 : 『上月(こうずき)』 

◎山行日 : 2018. 4.30  (月)  曇り一時小雨~晴れ

◎山行者 : 単独    Age=71(2月29日から)

◎コースの見所など : ①
上月城址  ②遊歩道完備  ③高木雑木帯も多い

◎走行距離 : 往路 75.0km   往復 145.5km


自宅~姫路BP~R29~追分交左折~R179(出雲街道)~三日月町~佐用町上月駅~

上月城址登山口~大手道~本丸~上月城跡歴史と自然の遊歩道~後山へ向かう~△後山(404.6m③)~

利地の花咲く村~目高地区~寄延(よりのぶ)~登山口~資料館~駅でソバ~R373~上郡町~R5~

たつ野市~姫路BP~自宅


自宅発(8:14)~たつの市亀山登山口(8:55)~R179(出雲街道)~1・上月駅(9:40)~

2・上月城址登山口(9:48~10:10)~大手道~堀切(10:25)~3・本丸(10:30~10:35)~

4・搦め手道分岐(10:40)~5・看板(10;55)~東254mへ向かう~254m(11:13)引き返し~

5・看板(11:25)~6・砦跡(11:35)~利他村分岐(11:50)~分岐寄り道~7・339m(12:10)~

8・林道(12:15)~9・柊神社(12:17)~10・十字路看板(12:35)~南砦へ・引き返し~

10・十字路看板(12:44)~11・後山・砦跡(13:09)~12・「利地の花咲く村」(13;12~13:16)~

目高地区(13:25)~寄延地区(13:55)~搦め手入口(13:58)~2・上月城址登山口
(14:06~

14:41)~1・上月駅(14:45 ソバ食 15:27)~上郡町経由~R5~自宅(18:05)


今一番歩きたいと思っているところは夢前町の「明神湖から明神山」のコース。もう蛭が出ていると思うが「やまあそ」の言うところの「ナイフエッジ・尾切れ」を観たいと思ってのこと。しかし、身体・脚力に自信が無く見合わせて城跡歩きにした。上月町には多くの山城跡が在るも第一の「上月城址」に出かけた。姫路BPは空いていた。R179(出雲街道)もガラガラだった。徳久辺りから先は土地勘がなく長く感じつつまずは上月駅に向かった。1・上月駅(9:40)

 
上月駅遠望:道の駅?も兼ねている(9:42)     上月城跡登山口に在る歴史資料館(9:55)

駅前で下車して登山口を確認(地図)した。
2・上月城址登山口(9:48~10:10)間もなく資料館が開いてパンフレットをもらい発った。登山口に看板あり「上月城跡歴史と自然の遊歩道・入口→柊神社→築地→利地の村→目高集落→寄延集落→上月歴史資料館(全長7km約3時間コース)」とありこれを歩く事にした。大手道で上る。やや朽ちかけた加工丸太の中上りが続く。堀切(10:25)駅前方面が見える。3・本丸(10:30~10:35)展望無し。

 
上り易い道(10:15)                    (3)本丸:東から(10:30)

 
本丸から二の丸へ(10:32)                       (10:45)緩い上りを行く

西面に墓碑3基が建っている。二の丸から平福の利神城が写っている絵看板(写真)が立っていたが霞んで見えなかった。下った鞍部が搦め手道の分岐だった。
4・搦め手道分岐(10:40)ここから始まったのか「上月城跡歴史と自然の遊歩道」案内板に誘われて進む。完全整備で階段の無い歩き易い道だった。左下谷筋からカエルの鳴き声が絶えず小粒の雨が落ちてきた。空もかなり曇っていた。「引き返すか・・・」と思ったが天気予報は晴れだったので進む。5・看板(10;55)

  
 この案内板が導いてくれる      5番からこの看板が現れる

行政のしっかりした看板。東の254mが気になっていたので向った。尾根から左谷筋は杉とヒノキの混成林だったが鞍部からは朽ちた倒木が多い灌木帯だった。
254m(11:13)東面に段差を見たから砦跡と思う。引き返し5・看板(11:25)緩い上りで平らなピークに着く。6・砦跡(11:35)行政看板立つ。僅かに段差を感じた。ほぼ上り切ったところに利他村分岐(登山口では利地となっている?)と行政看板が立つ。(11:50)利他方面は地図から察すると目高集落方面へ確かな道が下っていた。


右尾根下を緩く上ると左へ林道が在り少し下って見た。直ぐに339mを巻く道が在ったが通過して下る。左谷筋には段々畑(放棄)が迫っていた。林道はその谷筋へ折れ下っていて引き返す。道は無かったが339mへ上って見るとTVアンテナピークだった(ポールは根元から裁断されていた)7・339m(12:10)道に戻り少し下ると現役林道に出た。8・林道(12:15)右を見ると柊神社だった。9・柊神社(12:17)北の目高集落の鎮守だろう。篤く祀られていただろう形跡は見られたが近年は祀られている形跡が無く荒れ放題だった。

 
(8)現役林道に出た:神社側から見る(12:15)       (9)柊神社:間口約3m(12:17)

引き返し先へ進むと右下の谷筋は放棄畑が在り、伐採が入り明るくなった。しばらく左竹林を行く。
10・十字路看板(12:35)※ここでカメラのバッテリー切れ発生。左と正面は確かな林道で右は後山・△愛宕山/目高の築地・砦跡へは山道。看板には左へは「南側の砦」右は「北側の砦」ともなっていたので先ずは南側の砦へ行く。

 
柊神社からしばらく進んだ辺り(12:25)       (10)十字路に立つ看板(12:44)

間もなく右下へ分岐するも直進するとまたもや分岐になる。右を取って緩く下るも砦跡らしき形跡無く引き返した。
10・十字路看板(12:44)左植林帯を上る尾根に着くと土塁と思われる段差が続いた。小さなコブは花崗岩のほぼ球状の大きな露岩が集積していた。11・後山(13:09)丘ピークで約1m四方一段の石組が在った。その横に△石標が立ったいた。展望無し。左植林帯を下って行くと前方が開け、芝生状の山肌に家が建っていた。12・「利他の花咲く村」(13;12~13:16)

別荘地のように思う(携帯写真あり)。舗装路のジグザグ下りが続く。
目高地区(13:25)10戸位の集落で全戸がかやぶき屋根にトタンを被せていたと思う。何軒かに車が止まっていた。圧巻は取り巻く急斜面に見た目幅2m位の段々畑が連なっていた(住居周り以外は全て放棄)。厳しい谷の奥に在る集落を見ると平家の落ち武者が生き延びて住み付いたと想像する。集落の入り口に立つ記念碑には「目高集落記念碑・昭和28年水道完成時居住者・20名」が彫られていた。

寄延地区(13:55)この集落は目高に比べると生活の匂いが濃かった。間もなく右手に墓地から搦め手入口があった。(13:58)しばらく下ると道端に毛利軍に攻められ自刃した「尼子勝久の碑を中心に山中鹿之助の碑・上月城戦没者合同慰霊碑」を見ると直ぐに登山口に着く。
2・上月城址登山口(14:06~14:41)資料館を見学して駅へ向かった。1・上月駅(14:45 ソバ食 15:27)

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