627 小島〜高代〜宝珠山〜茶臼山(約7.0km)
赤穂市の海岸線の地形図見れば、
坂越湾を巻くように、延びた半島先端まで相生・赤穂市境界線あり、興味が湧いて計画練る。
自転車デポして登山口で支度をしてたら車が次々。
「どこ歩くんや」「この半島を」「今から害獣駆除に入る」猟銃・猟犬・ハンター6人。
出鼻挫かれ第2ラウンド、宝珠山へ向かって歩く。
その境界線は遊歩道、数種のつつじや春の海、新緑若葉に癒されながら、
のんびりのんびりのんびり歩き。
日曜日に出かけると道が空いていて快適に走れた。しかし、相生市内に入り、コンビニで買い物をして間もなく渋滞した。「何でここに来て」と、思っていると体育館で剣道・合気道などの武道大会が有るらしく大勢の子供と付き添いの父兄などで車も人も混雑状態。R250から坂越の方に折れるとグレー系のセメントレンガばりの道になり、キレイ過ぎて「車で走ってもええの・・・」。
1番から茶臼山・宝珠山(右)を見上げる(7:51) 同所から海岸側の生島を見る
下山は『大避神社』なので辺りに自デポ地を探し停車してると「この先に広場が在る…(住民)』との事でそこに自デポして登山口へ向かった。1・自デポ(7:45〜7:50)〜2・壺根峠(7:58)駐車スペースが在るか心配していたが最適の広場が在った。支度をしていると軽トラなどが数台やって来た。「どこ歩くんや」「この半島を」「今から害獣駆除に入る」とのこと。ハンターは良い人ばかりで和やかな内に発った。P発(8:15)
2番 壷根峠(仮称)相生市側から登山前(8:14) 北から半島側
計画では半島に在る△網見山(133.1m三等)を経て海岸まで行き、折り返し、今日のコースだった。仮称『壺根峠』から山に入る。墓地を通過すると下草皆無で積もる落ち葉を踏み上る。3・(8:22)△小島に向かい間もなく尾根は幅広く開け(防火帯?)遊歩道?の名残り半ば朽ちた丸太階段が出た。階段と言っても緩い傾斜なので無用に思われた。
(4)△小島への道(8:27) (4)△小島:東から(8:33)馬さん作業中
点々と『関電社有地』の看板が立つ。高木雑木も残り、いい感じで上り切る。4・△小島(8:30〜8:37)展望・タグ・保護石なし。石標はひどく破損(故意的?)していた。近くには古墳と思われる石列が在った(横ばい少し先にも)。下っていると金網フェンスが出てそれに沿って下る。5・分岐(8:40)『宝珠山(坂越) 小島登山口・平成18年10月さこし船岡を良くする会』の道標が立っていた。
5番 分岐から赤穂岬の眺め(8:40) 分岐から少し上って(8:48)
宝珠山からの道はここから下へ下っていた。カキ筏が浮かぶ坂越湾が見え、歩く計画だった半島からハンターの「せこ声?」が聞こえていた。日陰が無く「日が照ってたら暑くて大変やったなー」と言いながら上った。ピンクのモチツツジや赤い山ツツジが点々と咲いていた。6・(8:51)〜7・鉄塔(10:10)道から少し外れて建つ鉄塔下で休む。西に△高代ピークが丸見えだったがそこへはヤブが予想された。休発(10:17)
6番方面を見上げる(8:48) 6番手前から歩く計画だった半島(8:55)
7番鉄塔下から北方面(9:15)
鉄塔発って間もなく高代(右)左は8番(9:22) (9:32)辺りの道
ここまでも何箇所か在ったが本当に心地良いのんびり歩きしながら分岐に着いた。8・分岐(9:44〜9:50)そこには巡視路札が立ち△高代を指していた。と、言うことで難なく高代へ。頂き周りはヒシャカキの群生でうす暗かった。9・△高代(10:05〜10:23)展望・タグ・保護石なし。石標の直近に極小ぶりの石室と思う石組みが在ったが地表に出ていて確信は無い。
9番への上りで振り返る(9:35) 8番 分岐:西から:奥へが高代(9:44)
9番 △高代:東から(10:09)馬、安、中 同所の古墳?:西から(10:10)
引き返し下る途中、西が全開して赤穂市内が見えた。8・分岐(10:40)少し進むと丘状の肩でツツジのお花畑。10・(?)思わず鼻歌が出そうな快適な道を進んでいると前方に東屋が在り、少し早いけど朝が早かったから昼にした。11・東屋(11:03)東屋のすぐ横に八十八箇所巡りの第五十七番の石仏が建っていて皆でツツジなどお供えした。昼発(11:39)ここから妙見寺へ道が下っていた。
151mの先辺りを往く(10:57) 11番 東屋:西から(11:13)
12播 宝珠山から生島の眺め(11:48) 宝珠山のベンチに座って(11:53)
宝珠山から少し下った不動明王の岩頭から尼子山展望(12:01)
十六・五十五・五十四と石仏を巡りながら上ると間もなく宝宝山の頂に着いた。12・宝珠山(11:48〜11:55)眼下に島全体の原生林が天然記念物に指定されている『生島(いきしま)』が実に美しく見えた。下っていると道の左右に石仏建つ。右は不動明王で岩頭から展望よし。やや尖がった台形の尼子山が見えた。下って緩く上り返すと展望広場に着く。
『茶臼山城跡』との標柱が立ち、側面に『標高一六六mの宝珠山(茶臼山)にある。山名持豊が駐留したといわれているが詳細はわからない』と記されていた。13・茶臼山(12:11〜12:15)展望堪能して下山開始。舗装路を下らず山道(巡拝道)を下った。宿遠居・児島高徳卿墓・忠魂碑・大鳥居をくぐって下り展望広場にくだった。展望ひろ場(12:44〜12:55)
13番 茶臼山からの展望(12:12) 児島高徳卿墓前(12:36)
広場から見下ろす民家や酒造会社の屋根瓦が統一されていて凄くきれいだった。建築規制が有るのか洋式の建物が無いのが何よりも風情を損なわない要因だと思う。広場に立つ観光案内では
【そのT】
『坂越浦城跡・御番署跡』坂越浦城は『坂越浦砦」または「坂越城」とも呼ばれ、室町時代に播磨地方を支配していた山名氏が築いたといわれています。その後、龍野城主である「赤松下野守村秀」の通城となり、坂越を支配したと言われています。江戸時代には、この展望台の前の小高い場所に赤穂藩の御番所が置かれ、坂越浦に出入りする船の監視をしていた。
【そのU】
坂越のまちは、波静かな坂越浦に浮かぶ原生林『生島』(天然記念物)を取り囲む緑豊かな山々と、港まちの面影を伝える集落の佇まいが調和して絵のように美しい光景を保っています。まちの中心部には、旧庄屋をはじめ入母屋の大屋根の造り酒屋や酒蔵の白壁、近世後半期から明治初期にかけての厨子二階建ての町家、寺院の門などが並び、かつて内海の要衝として拓けてきた港まちを偲ばせる風情を今なおとどめています。
展望広場トイレ横の杖(12:44) 展望広場から西の眺めで屋根瓦群がきれいだった
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