(9)譲葉神社に着く:東から(11:08) 西から(11:11)
『架空生物名の山シリーズ:獅子山348.3m・・』のプラ札が落ちていた。「う〜んこれに興味を持ったか」しかし、どれ程の山が在るのだろう・・・。竜ヶ岳・天狗山なんかもその部類?。獅子山からは開きも有り快適に歩けた。時々左樹間から山並みが見える。6・(10:00)〜7・高杖山(10:16)ピークから少し下った所が広く伐採され「新設の・・・」と思ったがコンクリの杭だけが立っていた。
おやつを食べて発つ。休発(10:21)黒色の鹿網が出る。次の上りからヒノキの幼木帯になる。地籍調査の杭は見るが殆ど切り開きなく柴ヤブ状になる。右開けて馬頭から反射板尾根が見える。8・(10:47)左右ヒノキ林になり次第に傾斜がきつくなる。休み休み(立ったまま)の登りになる。歩数を数えると連続で20から30歩で呼吸を整える為に休んでいた。
反射板
皮を剥かれて肌がつるつるのヒノキ(9:20) (3)巨大なスラブ(9:29)
584 獅子山〜高杖山〜譲葉山〜岩尾〜梅堺〜清水山〜剣爾山
台風(3号)逃げて天気良し「今度はここ」と決めていた。
ササユリに出合えた序盤の幸運も体調今一シダヤブ急登。
「今日はあかんリタイヤか・・・」我慢がまんガマンで上り、シダヤブ抜けりゃ快適尾根。
今日の難関謙葉山へ小ヤブと急登凌ぎ上り、着いた台地に譲葉神社。
境界尾根は分水界、快適軽快どんどん歩くも数あるコブ越えペースが落ちる。
向山連山道に合流し、西に折れて清水山でしばし休みと展望楽しむ。
尾根から尾根へ移るポイント難問抱え下り行き『領家の頭』でコース同定、ほぼ計画通り明願寺。
480m
←12・棚原坂
11=岩尾/権現山
541.4m
4
@圓成寺
@
※(17)氷上・柏原・春日町の境界 ※譲葉山から(17)春日・柏原の境界町 ※(17)から(22)近くまで氷上・柏原町の境界
トラバースで界尾根に乗り、下っていると明源寺への道に合流した。しばらくその道を下り、途中から道を外れ界尾根を下った。其れは角の立った大きな露岩の連続で楽しめたが界杭も見ず心配したが杭を見てホッ。終盤は界から意図的に外れて下り凄く大きく立派な明源寺に出た。22・明源寺(14:35)自転車デポちが把握できなく「この方向や」との勘で歩いていたが朝の景色と違う。
「南多田公民館は何処ですか」1人目尋ねた婦人は「この辺りの者で無いので分かりません」2人目は農夫「あの車が曲がった所」引き返しが必要だった。1・南多田公民館自デポ(14:50〜15:00)〜自転車で走る(3.3km)〜2・円成寺(15:18〜15:37)是にて柏原町の境界歩き済みとする。
トップに戻る 歩きの記録に戻る
(21)領家の頭からの眺め(14:10) (22)明源寺(14:40)
石戸山
高見城山
北面が全開で最高の展望。空気も澄み切っていた。カヤマチ山〜水山尾根の奥に粟鹿山の頭。尾根から南多田への分岐に不安を持ち下って行く。前回の記憶「岩場からの展望があった筈」そこには『領家の頭』の道標が立っていた。21・領家の頭(14:07)西面全開は記憶通りだった。下山に使う界尾根からは少し外れていたので少し引き返す。
水山
霧山
(20)剣爾山から北の眺め(14:02)
5/15縦走尾根
「最後の展望になるかも・・・」と思いながら休む。道標は『清水山(剣爾山)542m』『剣爾山・珪石山/向山三角点』古い道標では『柏原町八幡神社』へもあった。反射板の柵に上ると三岳や鋸山も見えた。南面は白髪岳・高山・猿藪・西光寺山・テンロク・妙見山・白山(黒田)に5月15日に歩いた長い尾根の殆どが見えた。清水山発(13:41)
記録漏れで何時頃歩いたか分からないが(98年以前)下れるかかな・・・不安半分抱きながら鳳翔寺へ下った尾根も踏み固められていた。『イルカイワ』(13:48)イルカと言うより『トビウオ』のイメージだった。コルから尾根左斜め前方に緩く下る道は『南多田(明願寺)』(13:52)「これで下れば楽やけど・・・」前回既に在ったかは記憶に無い。コルから上っていると尾根右に大岩頭群は記憶に無かった。
その岩場は『博打岩』(13:55)の看板。岩頭からの眺めは期待外れ。次は『亀岩』(13:58)「何処から見れば・・どう見れば・・亀に見るの」そして最高点。20・剣爾山(14:00)『剣爾山416m』の道標立つ。清水山に立っていた『清水山(剣爾山)542m』は何?。
高山
白髪岳
(19)清水山からの眺め(13:28)
『梅堺(ウメノキョウ)567m』『野村峠・棚原山』の道標が立っていた。梅堺からは何処へ下るのか心配するほど下り峠に着いた。16・野村峠(12:40)道標が立つ『野村峠(藤ノ目坂)480m』『蛙子峰・梅堺』『野村・東奥』「下った分だけ上りがある」少し落ち込んでいたが意外と楽に『向山連山道』に合流した。17・向山連山道(13:00)蛙子峰から向山に寄る気力は無し。
ここは氷上・柏原・春日町の3町境界点。凄く踏み込まれた道は「荒れ気味」とさえ思った。薄暗い道を行く。18・硅石山(13:12)従来の道で無く珪石(以前ここの珪石は水分かれ公園の方に搬出したと地元の人に聞いた)を採った跡に新道が付いていた。微かな踏み跡程度だった清水山への道も踏み固められていた。向山周回は城跡を通過する激登コースから少しは楽な清水山経由に変わったと確信した。19・清水山(13:21)
五台山
梅堺直前から北面(12:38) (15)梅堺:東から(12:40)
左右自然林、爽やかな風が右から吹き抜け快適に進む。左側に最近では珍しく手入れが行きとどき成長したヒノキ?林を見る。13・野村峠口(12:20)『分水界の径』『野村峠口・P480m』の道標が立つ。春日町野村地区へ480mを経て繋がるのだろうけど480m回りは崖マーク多いの厳しい山容、何処に道が付いているのか興味が有る。
体調は・・呼吸は楽ではないが界は快適。段々上りでボデーブロー。14・(12:30)右樹上から向山からの東尾根大岩稜岩壁が見える(その上奥に五台山)。やがて上方が明るくなる。「何か在りそう」頂きは伐採されて新設の△点(金属)を見た。15・梅堺(12:40)山名か点名かは不明。保護石4個・展望無し。
岩尾/権現山(11:31) 点々残る大柿布(11:59) 棚原峠の道標(12:06)
展望無かった頂きも地籍調査?の伐採で五台山の右には福知山市と思うの山並みが広く見え、手前には黒井山から五大山への尾根とその麓の街並みが見えた。)99年にはここから東尾根を下って長谷大池〜国領に戻り助六で風呂に入った。『ツムラ68』の袋が落ちていた。昼発(11:56)発って間もなく左後方から水平道が来ていた「東奥と繋がるのか・・・」
明確なピークを越えは右巻き道がありそれに大柿布を見る。ピーク越えで行き先の鞍部に道標が出た。12・(12:06)『棚原峠(奥地坂)470m・右へ棚原・左へ奥東』「国領から山越えの通学道はこっちか・・・」東谷筋破線に一番近い地点でも有る。しかし『この先の峠道は無くなっています権現山横の大谷坂を利用て下さい・氷上高年低山会』のパウチ札が掛っていた。
←石標
譲葉山からの下り(11:18) (11)岩尾:南から(11:51)
朽ちているが巨木の株も点々と見る。お堂は数棟在ったと思われる形跡あり。’98か’99に付けた大柿布が色あせることなく残っていた。譲葉山下り始め(11:15)明るい開きと踏み跡で「この分だと少なくとも清水山まで楽勝か・・・」と思った。左右ヒノキ林が続く。10・大谷坂/520m(11:29)右(東)の谷へ『棚原』の案内有り。
「この峠道だろうか・・・」99年に国領で老人から聞いた話で「国領から山越えで柏原高校に通っていた学生が居た」と。ここから左右自然林になり上り切ると近年広く伐採された頂きに出て昼にした。11・岩尾/権現山(11:31)保護石なし、タグあり展望北面(切り開い部分)五台山方面と足元に集落が見えた。
獅子山先の尾根(9:45) (10:02)から南の展望
登り切ると植林帯平地の奥にお堂が見えた(御神体無し)。9・譲葉山(11:05)あちこちに案内板が立っていた。『譲葉山山頂594m東奥自治会』『春日丹波の森の会氷上高年低山会05.11』『K・W・V1992.10.3譲葉山柏原高校ワンダーホォーゲル部』『譲葉神社』他には道標あり『金山/瓶割峠・崇広小』明るい道を歩いていると崇広小の方へ下りかけていて尾根(堺)に復帰した。
馬頭
譲葉山
左に凄いスラブを見つけ寄り道をする(下山後、ここを眺めたが麓からでも凄い崖)高見城山・弘浪山・白山・篠ヶ峰などなどが見えた。「この体調だと今日はリタイヤかも・・・」と思う位きつい登りに耐えて登り切るとシダは消えた。4・(9:39)下草も無く傾斜も緩んで歩き易くなり少し元気が出た。間もなく上方が明るくなり頂きに立つ。5・獅子山(9:47〜9:50)保護石無し・タグあり・展望は西の隙間と北樹上から清水山〜譲葉山。
(4)からの尾根(9:45) (5)獅子山:南から(9:49)
さて、その裏手から、お寺の山号でも有る獅子山を目指す。古木に近いヒノキや若い(それでも百年近い)ヒノキの肌が“つるつる”している「なんでや」「そやっこれが桧皮葺に使う為に皮を剥いたヒノキなんや」始めて見る事が出来た。次第に傾斜がきつくなる。しかも一面シダヤブになる。暑さのせいか?歳のせいか?足が非情に重く息苦しい。3・(9:29)
秋葉権現の祠とササユリ
ブロンズの観音菩薩像(9:12)写真点々と白いのはササユリ
本堂下の空き地を通り左の尾根に向かうと道が在った。道は墓地へつながり更に上へと続く「何処まで・・・」折れながら上っているとササユリが群生していた(天然)しばらく見惚れる。その上は広場で観音像が建っていた。基壇の銅版には『獅子山圓成寺は方除けの寺の為鬼門神出現・・・観音菩薩を・・・』成る事が記されていた。その後方小振りの祠は『秋葉権現』が祀ってあった。
馬頭
3
(2)圓成寺(9:04) 圓成寺裏から(9:08)