(8)お旅山:南西から()()

576  小富士山〜仁寿山〜御旅山(往復)


T・カブト(3人)で歩く予定が天候不順で中止決定。

午後から風雨それじゃ近場で、歩き残しの御旅山へ。

行きは良い良い帰りの仁寿で、ポツリポツリ雨が当たるも往路返して無事車。



◎所在地 : 姫路市四郷町奥山の北から西・飾磨区妻鹿の東山域

◎地形図 : 2万5千図  『姫路南部(ひめじなんぶ)』 

◎山行日 : 2013. 3.13 (水)  曇り         

仁寿山・小富士山  @00.1.5

◎山行者 : 単独       Age=66

◎コースの見所 : @小富士山・仁寿山・御旅山から360度展望 

◎走行距離 : 往路 17.4km  往復 35.0km



麻生大歳神社〜小富士山/麻生山(173.0m)〜仁寿山(175.2m二等)〜

姫路BP横断(陸橋)〜御旅山(140.1m四等)〜97m〜松原八幡宮〜往路引き返し


自宅発(7:00)〜姫路東LP〜奥山地区〜1・神社(7:40〜7:50)〜

2・小富士山(8:15〜8:18)〜3・峠(8:28)〜4・仁寿山(8:44)〜5・(8:49 休 8:55)〜

6・BP陸橋(9:07)〜7・(9:24)〜8・御旅山(9:37)〜9・97m(9:47)〜

10・(?)〜11・(9:54 おやつ 10:02)〜12・(10:05〜10:15)〜引き返し〜

8・御旅山(10:40)〜7・(10:50)〜6・BP陸橋(11:05)〜13・(11:22 昼 11:43)〜

5.(11:49)〜4・仁寿山(11:54)〜3・峠(12:05)〜4・仁寿山(8:44)〜

14・鉄塔(12:11)〜2・小富士山(12:20)〜1・神社(12:43〜12:58)〜

往路〜自宅(13:30)


午後から雨とも・・・夕方から雨とも判断に悩んだが馬さんと相談で「今日は中止(昨年歩き納めの続き尾根)」に決まった。山行きの準備が出来ていたので午前中で下山出来ると思う小富士山〜仁寿山〜御旅山を歩く事にした。00年は仁寿山で引き返したが今回は気になっていた御旅山方面へ足を延ばした。

姫路BPの出口はこの時間でも渋滞していた。登山口の神社東の池の傍にP.池は近年改修されていた。1・神社(7:40〜7:50)相変わらず予習(前回の記録)なしで来たので「登山道はどんな道だったかなー」と思いながら歩き始める。境内の裏門から出てこられた人(男40歳代)と会話しながら小富士山を目指す。

14
13
←松原八幡神社
12
11
10
9・97m

175.2m

8・お旅山
   140.1m

@

※地図の青線は復路

復路→

竹林の中を上っていると巡視路階段が出た。鉄塔下から路は無くなり?往復路だった(地図のバイパスのバの字破線は高い法面の梯子を上る予想で敬遠した)。鉄塔からは小柴ヤブを上り廃棄撤去された鉄塔跡で風邪を避けて昼にした。13・(11:22 昼 11:43)

5.(11:49)〜4・仁寿山(11:54)往路で見つけられなかった△石標を探すと金網フェンスに『第706回・1316・仁寿山・175.2m・2012.10.13』と記した数センチ角の札が掛り、その横に何時も見るプラ杭が金網に縛り付けられていた。「さて石標は・・・」探したが無い。

諦めて発ち去ろうとした時、コンクリートで固められた地肌に境界目印に打たれている釘が目に入った。「多分この釘が石標が在った所」と判断した。小粒の雨が当たる中、往路で見た別の路を下り峠に着いた。3・峠(12:05)少し上った所でLanで下山してくる男性(30歳?)に会う「雨対策大丈夫ですか」「降ってくるかもね」で交う。

感じた所ではこの男性は消防士でトレイニングと思った。ここで又往路見ていた小富士山に繋がっているだろう路を歩くことにした。14・鉄塔(12:11)路は予想通り小富士山に向かって付いていた。2・小富士山(12:20)雨に濡れず車に戻った。1・神社(12:43〜12:58)

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14

復路→

←往路尾根路

小富士山

仁寿山

小富士山

←復路尾根

往路尾根→

仁寿山

小富士山

桟敷

(8)お旅山から下山園児の列(10:42)      同所から小富士山方面(10:44)

引き返し〜園児の写真を撮ろうと思っていたが少しコースを変えて上っている間に行き違いになった。8・御旅山(10:40)仁寿山・小富士山も良く見える。7・(10:50)仁寿山へは在るだろう巡視路で上る事にした。6・BP陸橋(11:05)橋を渡り、左に往路道をやり過ごしBPに沿って歩き、在るだろう巡視路札を探していると其れが在った(分かり難い)。

桟敷

桟敷

○部分が練り場

桟敷

松原八幡神社                    (12)『灘のけんか祭り』の練り場(10:13)

団体も下山に掛ったので連れ立って先へ進んだ。9・97m(9:47)東に道が付いていた。先の鞍部で上って来る30人位の園児と会う。頭上で人の声がする「何処から・・・」それは送電鉄塔(10)の最上部からだった。「こんな風の強い日に」と思いながら見上げた。11・(9:54)頂上からは視界悪し。直下の展望台(テーブルとベンチあり)でおやつを食べる。発(10:02)

少し下ると松原八幡神社が在った。12・(10:05)更に下って『灘のけんか祭り』の練り場を見る。テレビの映像では広く思っていたが『猫の額?』程度に思えた。その練り場に比べ桟敷の広い事、広い事。団体ハイカーは昼の間に下り終えていた。居合わせたハイカー(日本アルプス方面もかなり歩かれていた)と会話し此処を後にして往路引き返しにかかった。(10:15)

11

山火事跡

(8)お旅山から松原八幡神社方面の眺め
    (9:42)


石標

(8)お旅山北から
    (9:40)

神社
 ↓

陸橋
 ↓

お旅山

←(7)お旅山への取り付き(9:27)

下方の孟宗竹林を抜ける。6・BP陸橋(9:07)右折して初めの左折道は、畑で行き止まりの気配で先へ進み、直ぐ先の神社で左折したが結果は同じ所に繋がった。車道に出て右折し『北原西口』のバス停から集落を抜けた。地図北原の北の字辺りで御旅山への登山口を尋ねる。「車道に出て上ると峠辺りに在ります」

よく踏まれている側溝を歩く。右手の畑には水仙や梅の花が満開だった。7・(9:24)朽ちかけた道標に小さな案内板が打ちつけて有った。よく踏み込まれた道を上る。所々にコンクリの疑木階段が有る。尾根に乗りしばらくすると頂きに出た。8・御旅山(9:37)毎日登山の団体(熟年男15人)が休んでいた。東屋の周りは山火事で黒く焦げていた。訊くと今年の1月17・18日の2日間燃えたとの事だった。

(5)からお旅山方面(9:02)             (6)陸橋の上から西方面(9:10)

前回と同じ道を下った。「古墳の上を通過するはず」それは意外に下方だった。3・峠(8:28)よく踏み込まれた南北峠道。舗装路は避けて直登の山道で上る。舗装路に出て上っていると久し振りにヤマガラ・ヒガラと珍しく地面近くの枯れ木を“こずく”コゲラに出合った。地図の仁寿山の寿辺りで下って来る熟年3人(男1)に出会う。訊くと毎日登山だった。

4・仁寿山(8:44)予報通りの強風で中継塔等の風切り音が凄かった。金網フエンスの周りを探したが移設されたか三角点を見つけららないまま進んだ。5・(8:49)おやつを食べたり進む道の確認する。発(8:55)頂きから御旅山山塊が全望でき、集落の通過経路も確認し、陸橋を目指して踏み跡を下る。

←往路舗装路

小富士山から仁寿山(8:27)

(2)小富士山(8:16)                (2)小富士山の華厳寺(8:19)

道は分岐するが最後は小富士山に辿り着く。2・小富士山(8:15〜8:18)この山の呼び名は沢山ある(小富士山・麻生山・播州富士・播磨小富士山・麻生富士)頂きは削平地?でお寺が立っている。一人の婦人(30歳代)が教本を手に読経(黙読)されていた。スパッツを付けていたのでハイカー?・・・。

消えかけていたが『飾磨郡西国一番札所』華厳寺の看板が掛っていたから続けて何番か巡拜されるかも知れない。私もお参りして仁寿山へ向かった。下山口(当頂き南端展望地)で、御旅山へ行けるのは知っていたが先程の男性に「御旅山の方へ行きたいのですが道が付いていますか」と尋ねると「私は知りませんが行けるようですよ」との事。

←クサリ

不動明王と役行者が祀られていた岩(8:07)    左岩の上からの眺め(8:09)

その人の動きから見て「リハビリでは」と思い尋ねるとその様だった。ウグイスの本鳴きを聞きながら上る。道(参道)端の草木は刈られ完全に整備されていたが道は雨水で荒れたままだった。間もなく鎖が掛る高さ10m?大岩(崖?)の裾に着く。不動明王と役行者が祀られていた。道は間もなく岩盤になり、海が見え、淡路島や家島群島も見える。

(1)P神社の裏門・土塀に惹かれた(7:55)     登山道入り口(7:57)