553 黍田富士〜宝記山〜天下台山
※(17〜18〜20)相生市とたつの市の境界
『上る眺める歩く歩く、下って上って歩く眺める』春の山は我らの貸し切り。
多くの古墳が何で此処に・・・それらを繋ぐは遊歩道、それらが在るとこ『ヤッホーの森』。
新芽膨らむ林から、ウグイス・ホオジロ・ヤマガラ・メジロ春を告げる鳴き声響く。
誰が手入れかシダと笹が刈られて難無く天下台山。
下った古道は趣きタップリ、山越え古道も楽し歩き。終わって見れば8の字歩き
(1)登山口『どんぐり広場』北から(8:40)と古墳の配置図
「もう少し先になるとツツジが咲いてより楽しめるな」なんて思いながら上った。一段目上り切り(8:52)3号古墳があった。黍田富士が正面に見える。觀木帯の中からウグイスとホオジロの鳴き声がする。2・黍田富士(9:01)『黍田富士向山古墳群』〈幸せの鐘〉と言う塔が建っていて鐘を鳴らす(揖保川町がH12年4月に建造、教会などで鳴らす鐘と同じ型の鐘で鳴らす方法も同じだった)
※「ベルと鐘の違いは・・・」なんて発信しましたが答えは得られず。日名倉山の『日本一大きいベル』を思い出した。どんなに大きくても小さくてもベルはベルで鐘は鐘。大きさでは無く、私の思う所では「内側から打って音を出すのがベルで外から打つのが鐘」さて、正解は何でしょう。
(2)黍田富士:南西から(9:01) 黍田富士から北面(9:04)中央的場山
展望台からは、東西北面が全開で中でも的場山が目を惹いた。桜・菜の花・レンゲ・ツツジなどが咲くとどんなにかきれいな事か・・・うねって流れる揖保川が依り引き立てる。此処ならではの展望に感激感動が同思同音。発(9:08)間もなく、緩い下りも加工丸太の階段になり対峙する上り山肌にもそれが続いていた。3・分岐(9:12)小振りのベル設置も鳴らす紐が無し。
登山口のどんぐり広場と繋がる道が在る。『亀岩まで950m・どんぐり広場へ500m・黍田富士へ250m』の道標あり。階段を上りながら「この階段要るか」「山歩きを熟知していない者が整備すると自然破壊につながるなー」快適な気温の中、好き勝手に語りながら歩く。右の小ピーク裾を通過。
黍田富士の下りから(9:09)左201m 201m側からの黍田富士(9:17)
4・201m(9:25)『山津屋古墳群』ここはこの名称が付いていた。周りにも多くの古墳が点在、その殆どが蓋石も崩れ落ちていたり盛り土で覆われていた。歩く人も多いのだろう先への道も整備が行き届き、ほぼ横ばいが続く。散歩気分で歩ける。間もなく緩い鞍部に着くと『山津屋14号墳隠し田跡へ』の看板。「見に行くか」「距離と時間が分からないから止めよ」
201mへ(3)からの上り(9:22) (4)201m:南から(9:28)
5・分岐(9:32)此処には形を崩さず遺した古墳が在り石室も覗けた。「方向確認は」と馬さん。歩きはじめると「そっちか・・・」「何の事かな」と思っていると宝記山への道で無く亀岩へ歩こうとしていた。このメンバーで歩く時は、特にすっかりリラックスしてしまい、方向確認その辺りが常にいい加減になる老猿になった証しか。
間もなく左が開け、黍田富士方面が見える。次のコブ手前で右(東)へ『金剛山 山寺跡 日吉神社へ』の案内あり。間もなく宝記山が見える。「若草山見たいや」「ほんまや」「上った事有るんか」「ない」(笑)。6・宝記山(9:48)『金剛山古墳群』此処から東裾へ『河内小学校へ1151m』ここに3個目のベルあり。発(9:55)
(6)宝記山:西から(9:48) 宝記山にて:南から(9:54)
引き返し(5)を通過して下った鞍部から地図破線の道あり、どんぐり広場へ下れる。7・分岐(10:09)左は觀木帯でヤブっぽいが右は高木雑木帯で整備されている。少し上ると前方が開けてきて亀岩に着いた。8・亀岩(10:12)保護石・タグ無し・展望やや良し。亀岩と言うからには自然の岩がその形に見えるのかと思っていたが露出した石室だった。
(8)亀岩:東から(10:14) 亀岩:西から
今度は「石舞台や」南が全開で東西御津山脈が見えた。『どんぐり広場990m・河内小学校1630m』の道標あり。発(10:16)地図破線の道から西への分岐点『馬場・黒糞池 原・大正池』の案内板あり。視界塞がり薄暗い時間が続くも自然林なので気分は悪くない。6・216mピークへは踏み跡在るも木の枝で『とうせんぼ』。
私以外はトラバース道を踏む。ピークには大きな露岩が点在するも古墳は無いようだった。9・216m(10:25)視界は塞がったまま皆と合流して進む。10・(10:30)横ばいで丘越え。11・(10:45)下りになって久し振りに前方全開した。馬場地区・東西御津山脈とこの後歩くコース尾根なども見えた。
(10)ヒサカキ帯を行く(10:30) (11)下りからの眺め(10:50)奥左から岩見?・雄鷹台山・野瀬奥山
(11)下りから黒糞池(10:50) (12)峠を見下ろす(10:55)
黒糞池がチラッと覗く。12・峠(10:55)大正池方面へは湿地ながら広く開けていたが馬場地区へは歩道程度の開きだった。レコーダーの電池を入れ替えて先行を追う。13・(11:09)短いおやつタイムに合流。発(11:12)低木雑木帯を上る。14・(11:15)
何時ピークを越えたか分からない程で下りに入った。15・(11:25)よく似たような植生が続く。16・滝分岐(11:35)右(北)を指して『滝 原』の札が掛っていた。上りはシダヤブ状になるが粗刈りが入り助かる。17・286m/東尾根分岐(11:42)
(17)への上り(11:36) (17)東尾根分岐(11:42)
測量用の紅白ポールが立ち、286mの札が掛っていた。ここから市町境界歩きになる。少し進むと天下台山方面が見える。シダ原に低松が生える植生で視界も良くルンルン歩きが続く。鉄塔下丁度(12;00)通過。ここから巡視路なる。18・(12:03)左へ馬場坂への分岐。直ぐ先、岩屋谷コースに合流し、横ばいから214段の階段を上り切る。19・天下台山(12:13)
(9)先から天下台山(11:47) (9)から下りで:(11:52)
男女二組6人?が居たが間もなく下った。やや強い風を避けて昼にする。家島諸島も霞む視程ながら前回歩いた西御津山脈の殆どが見えた。黍田富士は見えるがその後のコースは(17)286mの陰に入って確認できないのが無念。発(13:05)
天下台山:北から(13:02) (20)馬場坂地蔵(13:15) 馬場坂:西から(13;20)
20・馬場坂(13:18)私は3度目となる。@ 08. 2.16 A07.11. 3 何れも東西で無く東へ上って間もなく西へ進んで△遠見山と御坊尾根方面へ下った。何時の頃までだったのかこの道はかなりの要所だったのだろうそれを伺わせる道普請がされている。
そんな道も間もなく笹やシダが覆い始める。しかし、粗くも人の手が入っていた。細流は滑ら流しが多い。左山肌には砂防石垣?を見る。それは大規模なものも在り「道路か」と覗き見したがそうでは無かった。21・(13:39)左からの谷筋に架かる簡易橋(雑木を束ねた橋)を二本渡る。工場の雑音と少々の異臭が気になり始める。
馬場坂発直ぐ(13:32) (21)辺り行く仲間(13:38)馬・川・中・横
簡易橋を渡る(13;42) 墓地手前辺り(14:56)
集落の掛りは大きな墓地だった。墓地の出口辺りで高齢者(男)に出会った。「何処から下りてきた」「天下台山から」「若い頃、物の売り買いで自転車で相生へよう通うたもんやその頃には道の管理も行き届いていたけど」「今から黒糞池を越えて原地区へ帰る」と言うと「その道もよう管理してきたけど今では自転車も通られん程になってしもうた」
また室津と繋がる舗装路が出来た時の事も力説された。若かりし頃の話も聞いてあげたかったし、聞いてもらいかった様だったがこちらにも事情が在るので別れた。集落はラッパスイセンの蕾が膨らみ始めている長閑な集落を歩く。22・(14:00〜14:10)
のんびり歩いていると「此処からと違う」と川さん。地図を見る「ほんまや」原地区への山越えの入り口だった。川さんや馬さんは、多くは語らないが絶えず高度を合わせたりポイント確認したりされていて頼りになる。しばらく右孟宗竹林を歩く。「京都の嵯峨野や」相当無理がある・・・。
集落を離れ先ずは黒糞池を目指す(14:15) 峠直下の黒糞池:東から(14:36)
猪が土中のタケノコを掘って食べていた「さぞかしうまかったよろなー」。道幅は4輪でも通れる位も道面も次第に荒れていく。道を塞ぐ笹は刈られ、谷川に付き当たる。岩盤斜面通過でトラロープが設置されていた。橋を架けるにも架けようが無いと思ったが往時はどうだったのだろう。
黒糞池で小休み。ここから天下台山への案内板が掛っていた。『黒糞』との語源は・・・。馬さん説では「池の周りの石や岩盤が黒いから」墓地で会った人は「黒糞を越えるんか」と言われていた。12・峠(14:40)短く何処からともなく水が湧きでる道を歩く。少し下ると右に『古池』を見る。
(12)峠:南から(14:40) (24)大正:池北から(15:00) (15:00)辺りの様子 学校に近付く(15:16)奥黍田富士
次は道が鋭角に曲がる所に在る池を通過。23・池(14:50)続いて『大正池』を見る。24・大正池(15:00)此処からは完全整備の道になり里に出た。25・(15:10)車道を歩いて学校に戻り校庭のトイレを借りて車に着く。1・神部小(15:20〜15:37)誰かが『幸せの鐘』をならしていた。
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2・黍田富士・166m
25
岩屋谷コース
21
321.4m