547 鎌倉岳〜奥中山〜六路木山
今年最後の歩きかも・・・好天選んで又安富町。
11日に歩いた尾根から、眺めた奥中・六路木山の険しき山容心惹かれ「今度の歩きはここや」と決める。
ウリュウド尾根に先ずは立ち寄り、返す尾根では倒木出迎え。
鎌倉岳の大岩壁はスリル満点ランチ満点。
奥山・六路木縦走尾根は、点々快適感動するも倒木帯が次々現れ潜り乗り越え踏破する。
杤原地区『正源寺』前自デポ〜林道(杤原川本流に沿って入る)〜実線終点〜北東破線から北谷筋〜
530m地点〜北東谷筋〜尾根〜尾根東進〜798m〜引き返し〜尾根西進〜鎌倉岳(725.5m四等)〜
鎌倉岳南西大岩壁〜富栖湖西の南西尾根下る〜498m〜奥中山(530.3m四等)〜
六路木(ろくろぎ)山(494m)〜南尾根下る〜栃原地区『正源寺』前自デポ
自宅発(7:00)〜姫路B/P〜R=29〜安富町安志南交右折〜R=430〜安富北小前〜
1・杤原地区『正源寺』前自デポ(7:15)〜2・(7:35〜7:47)〜3・林道終点(8:00)〜4・(8:09)〜
5・(8:22)〜6・(8:40)〜7・尾根(9:13)〜8・798m(9:30〜9:35)〜引き返し〜7・(9:46)〜
9・(10:00)〜10・(10:14)〜11・岩尾根(10:28)〜12・鎌倉岳(10:43 休 11:13)〜
13・断崖(11:20 昼 12:05)〜14・(12:20)〜15・(13:00)〜16・(13:10)〜17・(13:20)〜
18・(13:25)〜19・奥中山(13:40〜13:45)〜20・(14:00)〜21・(14:10)〜22・(14:27)〜
23・494m六路木山(14:50)〜24・(15:00)〜25・(15:07)〜26・(15:15)〜27・(15:25)〜
1・栃原自デポ(15:45)〜自転車で走る〜2・(16:10)〜引き返し〜
1・杤原地区『正源寺』前自デポ(16:21〜16:30)〜関地区・鹿ヶ壺山荘散策(案山子見物)〜
発(17:05)〜往路〜自宅(18:35)
12月21日に歩いた、界尾根から眺めた奥中山と六路木山、小ピークながらこの二山の険しさが余りにも魅力的だった為、今回は二度目となるがここを歩く事にした。また馬さんのリクエストでも有る。今年の4月14日に歩いたウリュウド〜小畑/殿廻山の時、798mから鎌倉岳へ尾根が繋がっていた事から此処へ寄り道する事にした。
車外の気温は零度、安富北小前通過。05年に車を止めた所は整備され自転車のデポすらし難くなっていたので先へ進み、川向こうに在る『正源寺』への橋の裾にデポした。1・自デポ(7:15)その後は車に合う事無く谷の奥へと進むが兎に角、山肌や民家周りに南天の木が多い事にビックリした。
正面上方に大岸壁を見て鎌倉岳の岩場と思う。地図のお寺マークを過ぎると廃屋が一軒あり植林帯の木も太くなり薄暗くなっていく。道は舗装から地道に変わり上り傾斜が増して行く「下山後、自転車での上り道はきついな、そろそろ歩きにかかろか」馬さんも了解で林道分岐まで乗り込むつもりだったが早めに止めた。2・(7:35)
(2)南から(7:40)前方へ歩く (3)林道分岐(8:00)ここから左へ入って行く
車外は意外と寒さは無かった。発(8:51)右に細流の水音と小鳥のさえずりが心地よく歩く。3・林道終点(8:00)林道分岐も二度目なので迷うことなく左(北寄り)に入る(一度目は05年に太子町の井上さんと歩いた)。簡易舗装は右(南寄り)に続く。直ぐ左に砂防ダムがある。分岐正面の尾根(山)は岩盤でその裾を歩く。林道終点は少し開けて明るさが戻る。4・(8:09)
ここからは踏み跡すら無きに見えるが谷筋を上ると道が現れる。間もなく幅2m延長20m位で石垣を5・6m?積み上げた道が在る。石は無尽蔵に有るとしても類を見ない道。「これ程の道を造るのは何の為か・・・」鉱石運搬なら考えられるが炭や材木を運ぶ為だけに造ったとは考え難い・・・。右崖のガラ場を上り谷を渡る。橋は消滅している。
(4)先の石垣の道(8:14) (5)辺り(8:21)
5・(8:22)今年の台風12・15号の増水で流されたのか踏み跡も無くなってしまう。また、行く手を倒木が遮る。荒れた作業小屋前通過。この後方は高さ50mもあろうかと思う垂直の岩壁。6・(8:40)正面に岩尾根が付き出て谷筋が分岐する。
05年は、前方右の谷を詰めたが今回は△ウリュウド南の798mに寄るのでここから右の谷筋に入った。急登のスギ林はザレで、滑りながら上る。左に雑木尾根を見て馬さんが「あの尾根良さそうやけど」と言うもそれに乗るのも岩盤尾根で楽では無くやり過ごす。
作業小屋近くの谷筋(8:36) (6)からの上りで面白い模様と形の岩・高さ3m(8:44)
やがて倒木が出始める。「イヤな予感」そんな時、右の尾根へ獣道を見つけてそれを借りて上った。急登から緩くなった頃一部左が開けて△鎌倉岳?辺りが見えた。7・尾根(9:13)尾根北面は高木雑木帯で木間から21日に歩いた界尾根やウリュウド方面も見えた。
ほぼ右植林帯、左雑木帯少々の倒木通過して上り、△ウリュウド南の798mに着いた。8・798m(9:30)僅かながら雪を見る。ウリュウド方面の尾根はすばらしい雑木尾根。冷たい風が吹き抜ける。発(9:35)引き返しの早い事、「えっ早っ」7・(9:46)下方の鞍部に倒木が重なるもここは尾根右に逃れて進めた。が、やがてどうにもならなくなる。
(7)尾根:西からウリュウド方面(9:16) (8)798m:西から(9:31)
(7)先から右振り返る(9:52)△雪彦山・鉾立山・大阪山 (9)先の倒木帯:東から(10:03)
それでも進まなくては成らない。9・(10:00)(6)からの上りで見た雑木の岩盤尾根が左に在った。倒木帯はさらに続く。10・(10:14)05年に上り着いた所で倒木も少なくなる。「ここに不思議な岩穴が在ったはず」と探すとそれは在った。人工的としか思えない穴?で如何にもその穴を造るために出た石かと思う石列(積み上げ)も見る。
不思議を感じる岩穴:北から(10:15) 左穴近景 馬さん見つけた石柱(1017)
馬さんも辺りを歩く「これ道しるべと違うか」行って見るとこれまた人工物と思える石柱(銘無し)があった(写真)。ここからは倒木は無くなる。進む方向に崖の様な尾根在り「これ登んか」その上に立つ。11・岩尾根(10:28)木間からの東に798mからウリュウド・鉾立山・三辻山方面が見える。少し進むと11日に歩いた界尾根と暁晴山方面が見えた。
岩尾根を進むと鞍部に5本立てのTVアンテナが立ち、埋設ケーブルは関地区へ下り、集落とレイクタウンが見えた。先の最高点Aに石標無く展望も無し。つぎのピークが伐採で開け石標があった。12・鎌倉岳(10:43)展望は北面が立ち木で一部塞がる。保護石4個・タグ無し。おやつを食べながら展望と山座同定する。
(12)鎌倉岳:南から(10:52) △鎌倉岳から(11:11)中央ウリュウド
南から小畑/殿廻山・明神山系・文殿・798mっと現地からそこへの尾根・ウリュウド・鉾立山。西は黒尾山・水剣山・山崎宮山・長水山。最近に母栖山から南の幾筋の尾根に在る山名は歩いたものの浮かばない。発(11:13)「この尾根を下ると岩頭に出る。05.6.12」前回付けた札が残っていた。
落ち葉蹴りながら心地よい雑木尾根を下ると次第に岩稜尾根になり、一つ目の岩頭(断崖)に出た。13・断崖(11:20「風もないし暖かく展望抜群昼にしょう」満点気分でランチタイム。奥中山の先が山の陰で見ないだけで、この後歩く尾根の殆どが一望出来る。食後本命の断崖に立つ馬さんの写真を撮り入れ替わる。
第一断崖から第二断崖の馬さん(11:53) 第一断崖から六路木山への尾根展望・手前尾根最高峰奥中山
第二断崖から西方面(11:59)最奥水剣山・黒尾山・其の手前金鉱後見える
第二断崖から第一断崖の馬さん
特に崖の東面は垂直で50mは有ろうかと思う凄さ。発(12:05)50m位引き返して奥中山尾根へトラバース開始(布二本巻く)。急斜面で雑木帯から植林帯になり、少々倒木も出てザレで滑り思う様に進めない。14・(12:20)ここからの尾根は本格的な倒木帯になる。
地籍調査が入って、特に邪魔になる倒木は裁断されていたがそれでも難渋した。「後もう少し」と思った頃左下に広い平地が在りその先が崖の様に見えて「行って見よか」樹間から先程の断崖が見えたが当地は切れ落ちていたが崖とまではいかなかった。
当地から西へ良い感じの尾根が伸びていて「この尾根を歩くんやった良いのになー」と言いながら尾根に戻りながら二人で確認すると「この尾根や!!」05年は倒木帯を最後まで歩き切りこの尾根に乗っていた。ここで思った事は断崖からのトラバースの時、横移動せずこの平地を目指せば初めの倒木帯は避けられる。
倒木から解放されて進む。15・(13:00)振り返ると木間から何度も断崖が見えて「凄いなー 凄いなー」と言う。右下には富栖湖がチラチラ見える。16・(13:10)右は垂直の崖も横ばい尾根は雑木で快適になる。上りに掛ると右は植えっ放しのヒノキ林になる。17・(13:20)
(16)への上りで振り返り見る大断崖(13:02) (16)辺りから富栖湖を見る(13:10)
第一と第二断崖
右ヒサカキ帯左高木雑木にソヨゴも群生になる。18・(13:25)太い赤松が二本、夫婦松と言える。ヤブっぽく視界は閉ざされたままでその後も太い赤松を多く見る。間もなく上方が開けて奥中山に着く。19・奥中山(13:40)展望・タグ無し。保護石3個。
△石標を見つけられなかった頂き △石標が見つかった頂き(13:43)
見渡しても探しても石標も杭も無い。「おかしいなー奥中山違うんか・・・でも立ち木が伐採され開けているし・・・」そんな時「在った―」と馬さんが言う。見ると石標の上に樅の木の枝葉が被さっていた。ここでも馬さんの奉仕で石標が陽の目を見た。発(13:45)進みかけていると「こっち違うか」私は快適な東尾根へ入りかけていた。進む尾根は倒木尾根。
20・(14:00)左が少し開け798m辺りが見える。21・(14:10)ここでも歩き易い南尾根に入りかけた。又もや倒木尾根が正規コースだった。22・(14:27)視界無しが続く。少し下った所に現役の大きなヌタバが在った。激しい倒木帯を通過し終える。前方の尖がったピークへ短急登する。六路木山かと思っていたが違っていた。
(23)六路木山:東から(14:50) 六路木山西側
六路木山からの下り(16:55) (22)からの下り何の木の実?(15:04)
又もや倒木帯が出る。「こんなに倒木帯が在ったかなー」23・六路木山(14:50)おやつを食べて発つ。左右切れ落ちで右(北)が風倒木(幹の途中で折れている)で全開しR430に沿った集落も見える。その上は母栖山から安志坂(R29)方面への何本かの尾根が見える。歩く尾根には全て角の尖った岩や石が並ぶ。
(25)先の今日最高の尾根(15:10) (27)『正源寺』の在る集落が見えた(15:34)
24・(15:00)尾根右は立ち木無く展望良し、緩下りから再度短急登するとそこが25・(15:07)ここからが今日最高の高木雑木尾根。その落ち葉で滑る滑る滑りだすと止まらなくなる心配があった。26・(15:15)ここからは植林帯になる。27・(15:25)05年はここから西尾根を下って小学校へ出たが今日は自転車デポが学校より奥なので南尾根を下った。
間もなく正源寺の在る集落が見え、最後に金属の鹿網を乗り越えて自転車に着いた。1・栃原自デポ(15:45)車へはザックを置いて走りたかったがフル装備で自転車で走る。緩い上りでボデーブローの様に次第に堪えてきた。歩こうかと思いながらも乗り切った。2・(16:10)引き返し1・自デポ(16:21)
20日の18時からNHKで関地区の案山子のニュースを見ていたので今日は渡りに船と関地区へ案山子を見に行く事にした。発(16:30)案山子は民家や畑や川の土手、バス停などに置かれていた。余りにも上手く出来ていて思わず笑ってしまった(良い意味で)鹿ヶ壺山荘内にも有りその周りにも置いて有った。山荘発(17:05)
関地区で出合った地元の方がた。声を掛けても応答が無かったのは何故でしょう・・・。
以下付録:05.6.12の記録コピー
鎌倉岳=断崖の岩場の事を言う。そこに生えると言う『イワタケ』について
『播磨 山の地名を歩く』の本によると『安志藩主小笠原氏が参勤のとき、将軍家へ進上した土産品の一つに、国元の産物にイワタケがあった。・・・・イワタケは高級料理材料で、上流社会では珍重された。栃原村は安志藩領であったから入手しやすかったに違いない。雪彦山や関の岩場にもある。・・・・・』
目前に車が見えてきた時、道の右下に畑仕事の人(60歳半ば?)が居られて挨拶を交わしてから会話になった。井上さんが歩いたコースを言われると理解が出来て @今時そんな山を歩く人がいるのかと感心された。 Aヒルのことを話すと『そりやーえらい悪かったなー』と謝る口調に人間性を感じる。話では、ヒルは雨の後に沢山出るらしく最近は、家の周りにも田畑にもヤマビルが繁殖している。ヒルに詳しい人の説によると鹿の糞で繁殖しているとのこと。 B六路木山の山名を姓に貰った家が3軒在る。 Cこの人は小学校で稲作をボランティアで教えておられる。 Dこの地区には誰に言われるでもなく自発的にボランティアで道端等の草刈をしたり、神社の清掃をしたりする人が多く、そんな訳でとても住み易い。 Eこの時期暗くなるとホタルが沢山飛び交い(小学校で繁殖させて幼虫を放流している)観賞者がホタルを持ち帰らないように毎晩放送がある。などが会話の内容だった。
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