472 高取〜田ノ小屋〜白口
歩けるかな、歩かなければならぬこの尾根は。
在るかな、先ずは城跡(高取城跡)目指せども『これや!!』と思う跡は無し。
高取(△)過ぎて6・0・8から岩稜ヤセ尾根長く続き、宝物を見つけた感激。
町境界への長い上りは予想通り苦登に苦闘。
そして見た、町境界の手前には、知る人も無きミズナラの芽吹き始めた原生林。
終盤下った西尾根は、地図では見えぬ岩頭幾重。
吉野観音〜東尾根〜高取(609.9m四等)〜608m〜582m〜〜
625m〜田ノ小屋(671.4m三等)〜町境界(一宮・神河町)〜
町境界南下〜Ca900mから西尾根〜775m〜林道〜R=39
◎所在地 : 一宮町福知川と草木川に挟まれた山塊(主に)
◎地形図 : 2万5千図 『安積(あづみ)』 『長谷(はせ)』 『神子畑(みこばた)』
◎山行日 : 2009. 5. 2 (土) 晴れ @白口09.3.30 A09.4,18
◎山行者 : 兵庫山楽会/大柿CL(車)・北村・安藤・川上・寺本・井川 Age=62
◎コースの見所 : @△高取先から見る東・成る地区の棚田
A608mヒカゲツツジとその先長く岩稜ヤセ尾根 B町境界手前のミズナラ林
C(19)からの西尾根岩頭幾重
◎走行距離 : 往路 A76.7 @80.40km 往復166.5 km
自宅発(7:32)〜姫路BP〜R=29〜一宮町安積橋交右折〜R=6〜2・福知渓谷入口(9:27)〜
1・(9:34)〜引き返し〜2・(9:39〜9:56)〜3・観音堂(10:03)〜4・(10:26)〜
5・(10:36)〜6・(10:48)〜7・(10:53)〜8・高取(11:10〜11:20)〜9・(11:30)〜
10・608m(11:41)〜11・(12:05)〜12・682m(12:20 昼 12:50)〜13・(13:12)〜
14・(13:25)〜15・(13:31)〜16・田ノ小屋(13:38〜13:43)〜17・(13:55)〜
18・(14:00)〜19・(14:10)〜20・(14:13)〜21・休み(14:30〜14:42)〜
22・(14:59)〜23・(15:11)〜24・白口(15:20〜15:28)〜25・(15:35)〜
26・(15:45)〜27・775m(16:09)〜28・(16:45〜16:55)〜29・林道(17:00)〜
1・(17:10)〜2・(17:15〜17:22)〜29・文殊の水(17:28〜17:36)〜(往路)〜(19:25)
白口(△)に長い間があかず、まさか3度も立つとは予想もしていなかった。とは言え、高取〜田ノ小屋〜白口 は、初めて歩いた『白口〜下千町〜千町ヶ峰』の時から何時か歩きたいと考えていた。4月18日2度目の『白口〜下千町〜千町ヶ峰』の帰りに立ち寄った福知渓谷入口の『ふれあい広場?』の高札によると
『高取城 城主は田路隠岐守○純 草置城主の嫡男田路若・・・・が築城したと言われているが年代その他一切不明 城の位置は生野街道と明延街道の分れ道を十キロメートル入った所に有り安積城に対する東の守りのために築かれたのであろう 郭跡 石塁 掘割 井戸有り 宍粟郡古城誌 日本城郭全集 朝食会(私が判読の範囲)』
馬さんが広場隣接の住民に城跡の事を尋ねると「@城跡は、目前の山で山の上に広い所が在るA城跡への道はR=6尾根裾からとこの上手集落からあったB城主の子孫が近くに居られ(現在家も教えてもらった)その家が現存のお寺を寄進されたC白口地地区から上岸田地区へ通じる道があり途中には鉱山跡がある」との事。興味満杯の情報を聞き『5月2日に上る予定です』と告げて別れた。
そしてその日(今日)が来て『ふれあい広場』に駐車をさせてもらおうと入って行くとまたもや同じ人が居られ駐車の承諾を頂いた。 2・福知渓谷入口(9:27)この付近には、最近では珍しくなった大きな鯉のぼりが数軒の庭さきで元気よくおよいでいた。私は、下山口へ向かい自転車をデポ。 1・(9:34)〜引き返し〜2・(9:39〜9:56)R=6から上り始めた。山裾に『吉野集会所』が在り『南無観世音菩薩』の幟が立っていた。小さな集会所だったが同じ屋根の下の一室に観音菩薩が祭ってあった。窓越しに老婆がお経をあげておられた。
ふれあい広場近く(9:59) 福知橋から上り行く尾根(10:01)手前山裾寺跡・上ピーク4番
階段を上って行くと平地在り(地図のお寺マーク)お寺は先程の場所に遷されたのだろう。鹿網ゲートを通過して網に沿って上って行くと左ヒノキ林に数段の平地が在ったが郭で無く畑の跡と思う。計画は大きな尾根を上るつもりだったが道は小尾根の方へ向かっていたのでそれを辿った。間もなく谷筋に入る。そこには不自然な石の山盛が数か所あり、小さな南尾根に2段の平地があった。郭かと思われたが上方に期待しながら上った。
始めは、ヒノキ林を上り、尾根に乗ると左ヒノキ林、右柴雑木林の境に沿って上る。1段目上り切って早くも休憩。みかんを頂く。 4・(10:26)城跡を思わす物無し。 発(10:36)次の上りに掛る所で右山肌からジグザグ道が上がって来ていた。情報の道か?その道で上り切ると南面が広く伐採され、視界が開け集落と棚田が見えた。 5・(10:36)ここからも道は続いた。左はヒサカキ主体でヤブ、右(東)は高木雑木帯(コナラ?)。若葉が白っぽく光っていた。上り切り 6・(10:48)『ここには』と期待していたが城跡の形跡なし。
次は、最後の候補地△高取を目指す。振り返ると樹間から黒尾山が見えた。横ばい尾根右赤松主帯の林になる。右前方に(10)608mの頭が覗く。上りに掛る手前左右ヒノキ林になり一時視界が塞がるも、その後、左右混生林になり良い感じになる。ミツバツツジの花も見る。 8・高取(11:10)城跡の形跡なし。 郭跡 石塁 掘割 井戸有り は何処に・・・。 発(11:20)
(7)から南展望・東地区の棚田(10:53) (8)高取:南から(11:10)
横ばいに進んだ先端から左に『高峰844.6m』が見え始める。 (11:24)R=6から上がってきている林道が草木川側山肌に回り込んで水平に延びていた。道は無くなったが下草無く快適に歩ける。右は高木雑木帯に赤松が点在する明るい林が続く。 9・(11:30)緩く下って行くと意味ありげな盆地(平地)になったが石塁等は無し。
(9)辺りの尾根(11:31) (10)608m手前の盆地へ下る所(11:35)
608mへは短急登。 10・608m(11:41)ここは岩場で、北面は垂直に切れ落ちる崖、ヒカゲツツジの群落ありポツリポツリ花が残っていた。南面は低木が間伐されて明るい。軽岩稜が続き、やや北方向に向く。尾根に入ると左右低木雑木で切れ落ち、尾根は岩稜となり大きく飛び出る岩が点在する。滅多と体感できぬ魅力的な尾根歩きが続く。左樹間から一山と東山が見えた。 11・(12:05)此処は、岩が重なり合って出来た小ピークで南下方に集落が見えた(現在地確認に多少時間がかかった)。
(10)から:大きな傷が入った高峰の山腹(11:41) (10)先の岩稜で大きな岩H2m余り(11:48)
白い線が林道
下ったコルには (12)682m北面からしっかりした作業道が上がって来ていて682へと上がっていた。 12・682m(12:20)展望なかったがここで昼にする。山以外の話に花が咲いた。 発(12:50)間もなく作業道は北山肌を戻っていた。先の道と合流するのか?それにしても草木川側の急斜面の何処から上がって来ているのだろう。 13・(13:12)植林帯が出たり自然林になったりしながら進む。 14・(13:25)高峰は、絶えず見えていたように思う。コース状況に是と言った変化が無かったのだろう記録しないまま進んでいた。 15・(13:31)〜16・田ノ小屋(13:38)
田ノ小屋との名に『ピークまたは周辺に何か在るのでは・・・』と、思っていたが何も無かった。 発(13:43)草置城辺りの鞍部に白く輝く物がしばらく見えたが何であるかは判断できなかった。 17・(13:55)〜18・(14:00)〜19・(14:10)ここは注意マークの地点、意識して無ければ北小尾根に誘われる。白口地区下手から北谷筋に入っている林道からの道が『もしかすると尾根を越えているかも』と、思っていたのでコルごとに注意しているとヒノキ林に、踏み込まれた道が上がって来ていた。 20・(14:13)草木川へ下る道は残っていなかったが時間を掛けて探すと見つかったかも・・・。
ここから鹿網が出て、長い上りの始まりだった。鹿網は相当古いもので地面を這っている所も多々。右(南)ヒノキ林、左は混生林と言うか低木雑木?一段一段上って行く。ついに『休もかー』と声が掛かり休む。 21・(14:30〜14:42)
(16)田ノ小屋:西から(13:38) (21)休んだ所から(14:32)左奥一山・手前高峰・右最奥藤無山
白口〜下千町〜を歩いた時、峠から振り返り眺めて『何時かあの高木雑木尾根を歩くんや』と思っていたがその尾根になかなか乗れなく(出てこなく)『あの尾根は一体何処やったんや』と思いながら上っていると左手にやっと見えてきた。乗る筈の尾根と言うのは、左の谷の向こうだった(是と思う)。その谷の両山肌はミズナラの原生林で感動感激。私は尾根から外れ、源頭を経て谷を上った。 22・(14:59)上り切って間もなく見覚えが有る町界に着く。 23・(15:11)何度も見ても良い所。
(23)谷筋の上方(14:59) 下方を見ると、切れ落ちてここもまた空中・・・
少し休んで白口(△)を目指す。尾根北面に点々と満開のミツバツツジを見る。 24・白口(15:20〜15:28)休むごとにおやつが出る。下って下って 25・(15:35)初めの計画では、町境界を下りR=39こ出ることになっていたがその後考えが変わり、メンバー了解のもと西尾根を下る事にした。西尾根は、地図で地形を読む限りではドンドン下りで簡単に下れると思い入って行った。
(24)△白口:南から(15:23) 775m手前から上り尾根が覗く(16:01) 岩頭から(16:22)谷間にセンターが見える
勿論、入口から下草無しで快適に歩けた。右は植林(結果、右(北)の谷は最後まで植林帯)左は太い赤松混じりの自然林。山肌の傾斜はどちらもきつい。やがて左右ヒノキ林になって複雑な尾根になる。 26・(15:45)西向きの尾根に乗って進む。左自然林に戻り、尾根または尾根左山肌に予相無き凄い岩塊や岩頭が次々と出る。尾根右は一切無くこれほど対象的な所は知らない。
それが幸いして岩を巻いて下れば危険は伴わない。とは言え等高線以上に急下りが有って予想の『ドンドン下り』とはとても言えなかった。私は数か所の岩塊を通過して下ったが視界が得られるので出来ればそれが望ましい。 27・775m(16:09)やがて視界が塞がり下り切る。 28・(16:45)植林の中で一休み。林業のだろうと思うがあちこちマーキングだらけ。地形も建物跡を思わせる段差の平地らしき所。ここからの下りをどうするか検討する。
尾根先端は崖マークでアウト。南へ下る事に決めていたが朝自デポの時に確認したところではこれも激下りと判断していたので残りの北コースを観に出た。一段下って北谷筋を覗き込むと、谷底が見えて白い帯状の物が見えた。枯れ谷か林道かどちらかに間違いないと判断して『ここは私の判断で北へ下る』と告げて発った。 発(16:55)
(16:35)通過地点の岩頭(H約6m) 休憩後に見た石垣の囲い(16:57)
さて、ここから北の谷へ下りようとした時、石垣を見る。上写真の辺が一番長く高い部分だったが高さ約1m長さほぼ南北で20m(地表を掘り下げて平地を造っている)東西2辺手前は平地を守るための石垣で写真奥の方はやや掘り下げて低い石垣だった。20m四方の平地を確保しているようであった建物跡と思われるが礎石らしき石は見当たらなかった。下って行くと、白く見えたのは枯れ谷の石で、林道と交差している橋の所だった。 29・林道(17:00)計画予想タイムを2時間も大きくオーバーしてしまった。
この判断は“大当たり”だった。林道を下りながら見た尾根先は林道の法面で高い崖、南に下っていればどうだったか山肌を見ながら歩いたが崖で無かったがガラで簡単では無かったと思う。途中から『舗装路に出たら(文殊の水)が近くに在るからそこで待っといて』と言い先に下った。このレポ書きながら今、フッと閃いた。
それは、先の石垣で囲まれた平地の事で、あそこには『田ノ小屋』と言う小屋が昔々から建っていたのではないか・・・?そこで△田ノ小屋の名が付いたのでは・・・で、地形図を見直すと橋の所に平地らしき所が有る。ここにも建物跡が有るかも・・・。田野さんの小屋⇒田ノ小屋。田ノ字造りの小屋⇒田ノ字小屋⇒田ノ小屋。鉱夫が住む家にしては高い所なので不自然。城跡とは考えにくいが・・・ロマン有る想像です。
最後の下り尾根、予想に反して大変な尾根でしたが皆さんのご協力で、全員無事下山でき、有りがとうございました。大柿流(山猿流)山歩きお気に召せば又の参加と乞うご期待・・・。
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22
A
15
16・田ノ小屋
671.4m
19
17
18
20
28
21
23
24・白石
941.9m
25
27・775m
初計画コース
A
3
4
5
6
7
高取・609.9m
8
9
10・
608m
11
12・
582m
13
14・
625m
29