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@
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行者山
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20・378m
2・利神山
bS38  利神山〜和正谷〜行者山 (約9.4km)



又の名を「雲突城(くもつきじょう)」とは的を得たり天を突く、

城跡後に進んだ先は予想通りのメダケのヤブ尾根。

左を巻いて進んでい行けば遥か彼方に尖がるピーク、行者山が顔を出す。

横ばい尾根でポイント見逃し『ここは何処・・・』皆で進めば不安なし。

現地確認おやつを食べて下ったコルは倒木地獄。 

横さん先導後を追い、難無く?突破で破線を通過。心うたれるアベマキ林も当に地獄の三段上り。

日名倉・後・駒の尾山など眺めながらのおにぎりタイム。

和正谷から行者山、快適尾根あり柴ヤブ尾根あり、よく歩きましたと行者山。

サテ、ここからの下りは如何に・・・。




平福駅〜利神山/利神城跡(373.3m四等)〜北東尾根〜372m直北〜破線横断〜

和正谷(418.3m四等)〜行者山(Ca460m)〜南西尾根〜378m〜尾根通し下る



◎所在地 : 佐用町平福・庵・小和田地区の東山塊尾根

◎地形図 : 2万5千図   『作用(さよう)』  『土万(ひじま)』

◎山行日 : 2008. 6.14 (土)  晴れ                                    
 
◎参考 :  @利神山 03.3.16 257   @和正谷〜行者山 03.4.29 261

◎山行者 : 兵庫山楽会 大柿CL(車)・馬場・安藤・北村・川上・横山・井川   Age=61

◎コースの見所 : @平福駅前旧宿場町並み A利神城跡と利神山から360度展望 

             B行者山からの360度展望 C低ピークながら幾つも越える尾根歩き

◎走行距離 : 往路 86.2km(ロス9.4km)  往復 163.0km

◎有料道路 : 往=播但道 400円 中国 600円   復=中国 1200円 播但 400円

◎北村車(川上・安藤・横山) 馬場車(井川)



自宅発(7:35)〜明姫R〜忘れ物引き返し〜自宅発(7:52)〜明姫R〜播但道〜福崎JC〜

中国道〜佐用IC(9:02)〜R=161〜平福道の駅〜1・平福駅(9:17〜9:30)〜

2・利神山/城跡(10:10〜10:27)〜3・(10:35)〜4・(10:46)〜5・(11:07)〜

6・おやつ(11:13〜11:20)〜7・(11:26)〜8・倒木(1;35)〜9・峠(11:46)〜

10・(12:00 おにぎり 12:30)〜11・和正谷(12:35)〜12・(12:43)〜13・(13:02)〜

14・(13:15)〜15・分岐(13:21)〜16・(13:34)〜17・行者山(13:43〜14:00)〜

18・石仏(14:06)〜19・(14:22)〜20・378m(14:37)〜21・(15:00)〜R=443〜

舗装路歩き〜1・平福駅(15:35〜16:00)〜往路〜自宅(17:00)



私宅で私の車に全員(7人)乗って平福を目指した。加古川の鶴林寺近くまで走った時『忘れもんや!!』と大柿。安さんがすかさず『引き返し』お言葉に甘えて引き返した。実は登山靴を積み忘れていた。水剣山では登山口で気が付いたので運動靴で歩いたが今日の山は、低山とは言えヤブ・ザレ在りだったので引き返して良かった。播但道に乗る直前『パーン』ごく近くでかなり大きな音がした。不審に思いながらも走り続けた。平福の道の駅におやつ買う為に寄る。

『自転車をデポしに行ってくるわ』と、言いながら自転車を見ると、なんとパンクしていた。あの時のパーンはこれの音だった。下山地点から歩けば一時間近く掛ると見ていたがこうなると仕方が無い(チーユブ持っていたが取り換えず)。城跡を眺めたりして真向かいに在る駅へ行った。 1・平福駅(9:17) 支度を済ませ発つ。 (9:30) 少し前をハイカーらしき4人も同じ方向へ向かった。平福と言えば川沿いの土壁の建物、それを見ながら歩き線路下を潜った所で4人を追い越した。

「危険 利神山へ登山する皆さんへ 利神城跡の石垣は崩れる恐れがありますので石垣のそばには近寄らないで下さい 佐用町」の看板が立っていた。細い登山道を折れながら上り尾根に乗る。川沿いの土壁の建物が見える所でそれをスケッチしている婦人が居た。 (9:45) 堀り切りを渡り一段・・・二段・・・と上って行く。本丸左下彼方に行者山が見えた。 (9:56)

  
道の駅からの眺め(9:17)中央尖り本丸跡・右下 (9:45)地点から見る川端風景土蔵群(川沿い面)

左右は崖のように切れ落ち、此処もまた難攻不落を実感する。視界閉ざされて間もなく前方頭上が明るくなって本格的な郭跡に立ち本丸跡へと上って行く。 2・利神山/城跡(10:10) 城は又の名を「雲突城(くもつきじょう)」とも言い的を得ていると思う。麓から見るとそれくらい聳えている。また豊臣秀吉が通りかかった時、余りににも立派過ぎたので即刻城取り壊しを命じたとも言われる。本丸跡で△石標を探したがなかなか見つからなかったが川さんが見つけた(笹に埋もれていた)。

先程の4人が上がって来た。其の人達のカメラのシャッターを北さんが押していた。訊くと4人は広島と岡山県からの人で、この後和田山町の武田城址と春日町の黒井城址へ行くと言っていた。西に大撫山・北?の日名倉山の左奥に後山その左に駒の尾山。北東に水剣山・黒尾山・一山などが同定出来た。この後歩く尾根の先には尖がった行者山も見えていた。 発(10:27)

二段下がって行者山へ向かう。ほぼ下り切った時、左(西)側山肌に小鹿が一頭いた(見ていると他にも二頭は居たと思う)。コルまで林道が上がって来ていてそこから尾根に乗る。 3・(10:35)  左右植林帯直ぐ先のコブを越え,、上りになると尾根右がメダケ(女竹)原になった。上り切ると胸辺りの丈になり尾根から左のヒノキ林に逃れて進んだ。それはしばらく続いて左山肌が伐採地になり彼方に行者山が見えた。


城跡からの眺め(10:32)手前尾根中央おにぎり&和正谷  (4)笹原に入った所(10:46)

左右自然林になり、笹は疎らになったがイバラが出て油断は出来ない。視界も悪く、話しながら進んでいて現在地が曖昧になってしまった。 5・(11:07) 右前方に372m尾根が確認できた。北面が植林になって北へ小尾根が下る特徴ある地形の所でおやつを食べる。 6・おやつ(11:13) ピークの直前だった。 発(11:20) 今日初めて前回のマーキングが出た。直ぐ先は372mへ誘われない様に注意。 7・(11:26) ザレ気味の尾根を下リ掛けると。二本目のマーキング有り。 

下って行くと北面山肌が倒木の海。その倒木が南向きに倒れ尾根を越えていた。ある程度予測はしていたがかなりひどい倒木だった。 8・倒木(1;35) 倒木のお陰で峠から上り切った尾根(おにぎりP)や△和正谷がチラリと見えた。横さんは、そんな倒木の歩ける所を見極め先導してくれ、北さんにアクシデント起きるも無事?通過し、やっと安全地帯のコルに着いた。 9・峠(11:46) 

峠と言っても道の形跡全くなく前回付いていた作業道も倒木に埋まっていた。『ここで昼にする』賛否両論。昼は待ち構える急登を上り切ってからになった。尾根と右山肌はアベマキの群生で『ええ林やなー』と声が飛び交う。やがて三段目の急登でその声も聞こえなくなった。


(8)倒木と△和正谷尾根を眺める安・川    (8)からの眺め・尾根手前から右の方へ回り込む

横さんは早く上り切って涼しい顔、井さんも疲れた様子は感じず。他の人は・・・。 10・(12:00) 正面谷側の杉がまたもや倒れていて視界は良好。おにぎりを食べながら、日名倉山の左奥に後山その左に駒の尾山。北東に水剣山(反射板目視)・黒尾山・一山などを同定。行者山がかなり近くなった。「今度何処へ行く、あそこはどうだった」など山の話が続くが先は長い。 発(12:30)


(10)への上りアベマキ林(11:53)    (10)東から:おにぎりタイム(12:21)      

一つコブを越えるとザレの急登、三歩登って二歩滑る?を繰り返して草木無き△和正谷の頭に立つ。 11・和正谷(12:35) 北に行者山、登って来た後方に大撫山が在った。ヤブっぽくなった雑木尾根を行く。 12・(12:43) ここは、南に入らぬよう要注意。中形雑木の快適尾根は岩稜混じり。中頃で少し休む。「君は新緑のアベマキを見たか」見てる余裕なし?誰だったか「ミヤマクワガタ」の頭だけを発見。そんなこんなで 13・(13:02)


(11)△和正谷:東から(12:35)       (13)への上り(13:00)

(13)は西側は崖、正面に行者山を仰ぎ見ながら年月経って朽ちた鹿網に沿って下る。 14・(13:15)尾根から右は、主に実生の幼木赤松の密生帯で尾根は殆ど歩けなく左へ外れて柴を分けて歩く。やがて右(田坪地区)の谷から良く踏み固められた道が上がってきていた。 15・分岐(13:21) その辺りで休憩。横・井さんは休まず上って行った。北さんからヤクルトのサービスがあり先の二人の分を預かって後を追い届ける。 16・(13:34) ヤクルトを飲みながら後続を待つ。

ここから南西は〜るか彼方に利神城跡と直ぐ右に行者山からの下り尾根が見えた。皆と合流して上る。直ぐに木製の鳥居を通過、その後間も無く祠が建つ行者山に立った。 17・行者山(13:43) 360度丸見えとまではいかないが良い展望がある。

  
行者山の祠:南東から(13:43)  行者山の祠横:南東から(13:53)

行者山からの眺め(13:51)
尖り手前から19・20番利神城跡・大撫山も見えた

北面は、覗き込むも測り知れない高さの崖。下山尾根の二つのピークは親子か兄弟かを思う。 発(14:00) 岩盤の急下りで道は無いので適当に下る。尾根なりに下れば先端は高さ5m位の垂直断崖(えぐれている)と分かっていたので南へ振って下り、崖の下を巻いていると、えぐれた所の割れ目に不動明王と思われる石仏が祀ってある。 18・石仏(14:06) 

後は尾根に乗ると一部倒木あるも踏み跡が在り快適に進む。前回のコース状況と比べると人が歩いた気配は少なくなっていた。人の目を避けるかのようにひっそりと佇む大師座像に手を合わし、後続を気にしながらも先行の横さんの後追う。前回は明確だった尾根右小和田地区とつながる道は今では上る人も居なくなったのか獣道程度になっていた。 19・(14:22) ここで小休みして発つ。前方樹間から疲れのせいか相当高く思うピークが覗く。『あれが最後のピークや』で少しは元気が出たかな・・・。ここへの上りは点々と倒木に阻まれた。 20・378m(14:37)

(20)この写真は今回のもの(14:37)台座に当る所は
※前回のレポ=ここにも初めて見る姿の石仏があり、崩れた石組みの中央に雨、風、雪にも耐えスクッと立っていた。顔は天狗で身体の左右には羽があり足元は狐の上に乗っている。高さ50p幅25センチ位の石仏である。このピークには他では見たことが無い石仏がある。一般的にはカラス天狗のようである(詳しくは やまあそ HPにて紹介していたと思う)

5分くらい休んだか・・・。後は快適(正味)赤松林尾根を行く。右下に小和田・庵集落も見える。最後の下りは道が分からなくなるが良く見るとそれらしき跡が在るのでそれを辿り建物辺りに出る。 21・(15:00) 舗装路に出ようと思ったが金鹿網のゲートは『金縛りで出られない』と先行の横さん。ここは二度目の山猿、ならばと山裾に在る林道を歩き舗装路に出た。

後続を気にせず横さんと早足で駅へ向かう。『早く戻って後続を迎えに行こう』と思っていたが結果はほんの少しの出迎え(女性だけ)で全員無事帰り着いた。1・平福駅(15:35 横・大) 

※二女性にもおやつ頂きましたヨー


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21
10
11・
和正谷
12
カシミールで測りましたら688メートルの累積標高差でした。
思ったより少なかったです。距離は9,4キロです.。 
川上さんのからの情報