bS14  大中山〜鶴居〜横倉観音


今日で4度目十三回りへ、近道と、思って谷筋歩いてみれば、在る筈の林道は古道だった。

鼻歌も出るほどの快適町界、403番(’07. 4.15)懐かし尾根や、

記憶新たな西脇〜美佐を、右に左に眺めながら進んで早くも大中山と思った所で大倒木帯。

心配していた町界外れ、難なく出来て△鶴居を目指す。

陽を背に受けた七種山塊、見事に尖がる槍の山容。

引き返しもし探せど、今日も顔見ず三角鶴居。次なる山塊尾根に乗って、

△横倉観音下った所、峠の地蔵へ遊歩道。

高木雑木に明るい日差し、落ち葉蹴散らし歩けよ進め。

どんどん歩いて最終ピーク、予想以上に大きな城跡。ちと無理したかな今日の計画。




美佐地区G〜林道(谷筋)〜十三回り〜町境界南下〜635m〜大中山(662.3m三等)〜

町境界外れる(南東支尾根)〜498m〜433m(鶴居城跡)〜鶴居(285.6m四等)〜

南尾根に乗り換え〜284m〜横倉観音(282.7m四等)〜206m(谷城跡)〜大歳神社。




◎所在地 : 市川町鶴居・神崎・田中・千原地区北東山塊

◎地形図 : 2万5千図   『寺前(てらまえ)』 『粟賀町(あわがまち)』

◎山行日 : 2007.12 .19 (水)  晴れ〜曇り       

◎参 考 : @2007.11.26 412  A2007.4.15 403

◎山行条件 : 単独      Age=60

◎コースの見所 : @大中山からの雪彦山山系展望 

             A町境界外れてからの七種山山系・西脇〜美佐尾根展望 

             B鶴居・谷城跡 

◎走行距離 : 往路@ 41.7 km  A 46.7km  往復 91.2km



自宅発(6:42)〜明姫R〜播但道〜市川南L〜R=312〜月見橋〜R=404〜千原交左折〜

谷地区大歳神社1・自デポ(7:32〜7:41)〜2・美佐G(7:51〜8:05)〜3・(8:25)〜

4・(8:37)〜5・(8:50)〜5−1(9:12)〜6・尾根(9:20)〜7・十三回り(9:25〜9:30)〜

8・(9:35)〜9・(9:42)〜10・(9:50)〜11・635m(9:58)〜12・(10:10)〜

13・大中山(10:30 おやつ 10:55)〜14・(11:00)〜15・(発11:08)〜16・(11:20)〜

17・(11:30〜11:35)〜18・498m(11:40〜11:52)〜19・(12:00 おにぎり 

12:20)〜20・鉄塔(12:27)〜21・(12:33)〜22・433m/城跡(12:40)〜

23・(12:50)〜△鶴居探し〜24・(13:25)〜25・(13:34)〜26・峠(13:40)〜

13:45)〜27・(13:55)〜28・(14:00)〜29・(14:09)〜30・△横倉観音(14:12〜

14:15)〜31・峠(14:18)〜32・(14:28)〜33・(14:41)〜34・狼煙台(14:44)〜

35・井戸跡(14:54〜13:20)〜36・谷城跡(15:02〜15:05)〜1・大歳神社(15:15〜

15:20)〜自転車で走る〜2・美佐G(15:36〜16:00)〜往路〜自宅(16:51)



地形図 『前之庄(まえのしょう)』 の右下に福崎工業団地が在る。その南の町境界を除けば、この地形図内の町境界(平成の大合併前)を、前回の「坂戸山〜大師山」で歩き切った。次は 『寺前(てらまえ)』 で七種山の北東552mから十三回りまでの境界が何年も前から気になっている。鹿ヶ壺の方からか、美佐・鶴居地区の方からか迷いに迷った結果ニ分割で歩くコースが出来上がった。今日のコースはマップ計で13kmになるので、私にはかなり厳しい距離。

後半の△横倉観音が在る山塊は、鶴居地区に下った時の、残り時間と体力の消耗度をみて決めることにして家を出た。市川町に入ると時雨がきて心配したが間もなく止んだ。美佐・鶴居地区も二回目の訪問で気楽に走れ、目的地の大歳神社に着けた。 1・自デポ(7:32) 境内に立つ行政の看板によると、裏山は「谷城跡」で遊歩道が整備されていた。これなら計画通り歩き切れるかもしれないと思った。 発(7:41)


(1)大歳神社の看板(7:37)              (2)美佐Gの駐車場(7:56)

今日は、美佐Gの駐車場に置かせて貰い支度をして発った。 2・美佐G(7:51 発8:05) 12月も半ば過ぎと言うのに周りの気配は、晩秋から初冬を思わせる。小鳥の囀りと水音を聞きながら、十三回りを目指す。左上に大中山から下る尾根に送電線鉄塔が建っている。『あの尾根を通過するんや』と、思いながら眺めた。 3・(8:25) そして、前回歩いた林道分岐に着く。 4・(8:37) ザックを下ろして「小ちゃん」をすべく道の傍らへ行くと、前回は気が付かなかった巡視路が、南の337m尾根に向かって入っていた。『もしもの場合エスケープに使える』

『今日は、谷筋直登コースを歩いて少しでも時間稼ぎ』と思っていたので迷わず谷へ入って行く。車さえも余り入ってなさそうな道で、緩い上りが続く。『かなか良い雰囲気の道や』それだけにススキに混じってイバラが道に倒れ掛かり、バリッバリッとパンツを引っ掻く。谷川を右に左に何回か渡り、谷を突き詰めて行く。路上一面ススキが生えて前が見えない『これ、どうなるんや・・・』うきうき気分が曇る。それは直ぐに軽くなったが、もう車も人も寄り付いている気配は無かった。

そして、再び道はススキで覆われた。周りを見ると、谷を突き詰めた所で林道の終点だった。 5・(8:50 ポイント不明確) 作業道くらいは在るだろうと思ったが見当たらず、少し開けた谷の右へ入ると、鹿網が谷に沿って上がっていた。しばらくそれに沿って上ったが、傾斜が急で、草・イバラ・ガラで歩けなくなり、網の下を潜って谷の左へ移った。こちらはスギ林でどんなにか楽に歩けた。

5(8:50)林道突き詰め

十三回りから時計周りに付いていた林道は、周回になっているとばかり思っていたが全くの予想が外れてしまった。弱気の虫が出て『前回の林道へ出れないかなー』と、左上を見ながら歩いたりもしたが『これもまた良し』と受け止めると、迷いが無くなり気持ちが落ち着いて歩けた。と、その時左に道跡が出てホッ。林道は無かったが『やっぱり道はあったんや』谷の水は殆ど無し。猛禽にやられたのだろうアオサギの羽根が集積していた。 (8:57) 

一時はどうなることかと案じたが、道が出てからは、林道と違い、人の匂い気配(人工)を感じず、古来物を背負ったりもして、十三回りを越えて往来したであろうその道を歩いている喜びがあった。太いスギ林の谷筋は薄暗かったが、そこに射し込む光芒が神秘的で、また、妻が私に力を与えてくれているようにも感じた。そしてとうとう本当に谷を突き詰めた。 5−1(9:12) 

『道は何処に・・・』地図では直登になっているが倒木と激急斜面で、登れるどころか歩くこともできない状況(十三回りから見下ろした時にもそれは分かっていた)。周りを見渡すと、右に微かに道が残っていてホッ。右に左に折れながら上っていくうち『十三回りから東へ下った林道は一体何処へ・・・何処まで・・・』『この道と繋がっているのかなー』『もしかすると、比延へ向かっている林道と繋がっているのでは』と、思ったりしながら上っていると益々傾斜がきつくなり、折れるスパンが短くなっていく。

スギ林から自然林になり、数歩で折れるようになった。十三折れも過ぎ、結局林道に交差も合流もせず十七回折れて尾根に出た。 6・尾根(9:20 二本マーキング) そこは、北の3町境界への上り取り付きの辺りだった。地図では十三回りに直接繋がっているが、ここと分かってしまえば『地形的に見てココしかないわ』と言う所だった。コブを二つ越えて十三回りに下り立った。 7・十三回り(9:25) 今日は「西脇〜美佐」の尾根も山座同定できた。 

 
(7)十三回りから(9:27)左端西脇中央520m  十三回りまで枯れ木に切り込みを入れて折れた回数を数えた ※十三回りまでの所要時間はどちらのコースを使っても大して差は無かった

谷へ向かう林道の終点を確かめることなく進んだ。 発(9:30) ヒカゲツツジが点々と生え、ソヨゴとミツバツツジが主な植生。すでに大勢のハイカー?が歩いている尾根は問題なく歩けた。高度は次第に上がって  8・(9:35) 落ち葉踏みふみ進んでいると、 一抱え余りの元気な境界松が生えていた。次のピークは左にトラバース道在り。 9・(9:42) 発ってすぐ左(東)樹間から (4辺り) 地点の林道分岐が見えた。 10・(9:50) ここから露岩痩せ尾根になり、右(西)が大きく開ける。403亀ヶ壷〜亀ヶ坪〜奥関山尾根が見え、その右奥に「禿の行者」その真裏に雪彦山の「洞ヶ岳・ウリュウド」などが見えた。

踏み跡が薄れ短急登で 11・635m(9:58) 西尾根に誘われ易いので注意。発って直ぐ軽岩場を下ると前が開け、左から右へ回り込んで、大中山だろうピークが太陽を背に受け、ベタグロで見えた。その右が遠くまで開け、三角のきれいな山容は・・・「七種槍」で「そうびろ山」「薬師」「七種山」身を乗り出すと「明神山」が見えた。次に歩くようになるだろうか、大中山から七種山(552m)への尾根が鍋底のような形で見えた。進んでいると尾根左(東)が広場になり、逆走の場合は東尾根に誘われ易いから注意。右(西)は険しい地形にも関わらず素晴らしい赤松林。 12・(10:10)

横ばいから上りに掛かると、尾根右下から左への倒木が出た。初めは『お陰で雪彦山方面が良く見えるわ』と、思っていたが越すに越されず潜るに潜れずの倒木の海だった。左のヒノキ林(急斜面)を大きく巻いて進んで『石標が在るかなー』と思いながら上り切ると、無傷の石標が立っていた。 13・大中山(10:30)  『展望無しか』と思うまもなく西側に開けていそうな所があり、少し下ってみると雪彦山方面が見えた。  

大中山から(10:35)
中央やや左より白い所不行・洞ヶ岳 その後ろ鉾立山△雪彦山・中尾根白い所禿の行者


  
(11)からの眺め(9:58)七種山連山 大中山の石標:南から(10:29) 「西宮労山 1963年創立」の焼印が有る木札:大中山(10:29)

おやつを食べて 発(10:55) 十数年来の希望が叶った大中山を後にし、下り始めると赤ビニテープが点々と巻かれ、こちらからの登山者の方が多いのだろう踏み跡もハッキリしてきた。左ヒノキ林、右は自然林。小コブを越える。町境界から外れる地点が今日一番の要注意点。慎重に地形を読みながら下った。『ここや』と思った地点には、赤ビニテープ二本巻きもあり確信できた。 14・(11:00)

境界から外れて間もなく、前方から右(西)が開け(尾根からやや西へ寄り道)遠望では「深山」の大きな中継搭が、その手前に前回歩いた「坂戸山〜大師山」の山塊を同定。西には七種山山塊(上写真「11:58」と似ている)が広く見えた。 15・(11:04 発 11:08)

(15)からの眺め(11:04)
左尖りそうびろ山奥尾根薬師七種山連山

人の手で付けられたと思う道(古道)をジグザグと下る。左ヒノキ林、右は赤松が目立つ。横ばいから下りに入ると不思議なくらい明るい道になる。やせ尾根右に引き返す形で、その先では左へ下る道が在る、まさかこんな所に峠道でもあるまいが獣道以上に明るいので謎・・・もしかしたら、神河町比延の方から西の573m尾根を越え(破線)、次にこの尾根を越えて振古川に下り、七種槍越え(破線)で田口地区へ。もう一つは川原川(破線)へ下ったかも知れないと、地形図を見ながら繋げて見たりしてると時間が経つのを忘れる。

左梢越に 07.11.26 412 に歩いた△西脇・520m・486mが見える (11:17)。上りに掛かると右に確かなトラバース道あり。迷ったがやぶっぽい尾根を行くと、七種山山塊が良く見えた。尾根がお勧め。 16・(11:20) (17) から南に延びる支尾根に心惹かれる。トラバース道が合流して快適に歩ける。今度は、右にトラバース道あるも軽い岩場尾根をいく。こちらから見る薬師は、播但道や明神山から見る鋭く尖がった形からすると何とも緩やかな山容。 17・(11:30 発 11:35) 

 
 
(17)からの眺め(11:30)奥尾根左から薬師・七種山 (17)の先何処でも歩け尾根(11:37)

緩く下った所でトラバース道が合流。“何処でも歩け”の幅広雑木尾根には、動物の寝床が点々と在る。道は小コブの右を巻くも尾根を行く。 18・(11:40) 中下りは小シダ出て踏み跡も無し。下っていると道に合流し、ホッとしたのもつかの間、その道は北の杉林へ下っていた。進もうとする方向は道もなくヤブっぽい軽岩場の急下り・・・。丁度登るにも展望にも手頃な木があり早速登ると、中抜きながら最終ポイントの谷城跡までが見えた。


(18先)木に登った者だけの展望(11:46)左20番ピーク中央尾根先端谷城跡

次のポイントに方向を合わせ下ろうとした時、赤ビニテープ(点々と巻かれてるテープは数年前のもので色があせかけたり外れかかったりしている)の二本巻きが目に入り『やっぱりこの方向で間違いなし』私も二本巻いた。 発(11:52) ガラガラと下っていると、左から道が下ってきていた。先ほどの北への道は、多分このガラ場を迂回していたのだろう(未確認)。下り切ると快適尾根になった。小コブ右巻き道は (19) への取り付きから右下を緩く下っていく。破線に繋がっていると思う(人工の明確な道)。

デコボコと上っていると赤ビニテープ二本巻きが右にあった。ここからも破線に繋がるのだろう(踏み跡は不明瞭)。ほいほいと上ると頂きだった。何処からからかサイレンが鳴ってちょうど12時だった。 19・(12:00) スターとから3時間55分。手作り弁当を取り出し、食べようとすると箸を忘れていて手作り箸で食べた。これぞ「マイ箸」。目前の梢越に谷城跡、西は槍の左にそうびろ山、右に薬師が見えた。天気が悪くなってきたところで発つ。 発(12:20) 

 
(20)南から(12:02) マイ箸(12:15)

    
(20)から鉄塔から鶴居城跡     (20)先からピンカーブ

進行方向すぐ先には、鉄塔と城跡までの尾根がが見えた。下っていくと軽岩場になり、左(北)谷底に朝方通過した見事なピンカーブが見えた。鉄塔手前から左へ巡視路が下っていた、これは (4) へ繋がっていると思われる。 20・鉄塔(12:27) 右の谷に方形の建物が並び、それを包むように横倉観音山塊が在った。巡視路は鉄塔から右へも下りていた。△鶴居が無ければこれで下ることも考えた。左下に美佐Gが丸見え、北の境界尾根を見ながら進む。 21・(12:33) 七種山山塊も見える。赤松が目立つ。

堀り切り(と思う)が現れ、何本か越えて二段の急斜面(狭い範囲ながら石垣が残る)を登って頂上に着いた。 22・城跡(12:40) 広さは30坪位か・・・。展望は下ってきた方に (19) と大中山が重なって見えたが葉が茂ると展望は無くなると思う。立札の類は皆無(一升瓶が一本落ち葉に埋もれながら転がっていた)。休むことなく、方向を確認して下り始める(こちらにも石垣が残っていた)。踏み跡は見当たらず、何段もの段差で次第に下って水平尾根肩。 23・(12:50) 

右ヒノキ林、左混生林。ヒノキ林に、下草刈りが入っていたから助かった。これが無ければ相当な柴草ヤブで難儀したと思う。ヒノキの上から七種山山塊や鶴居地区・横倉観音山塊を見ながら植界を下る。△鶴居を探したが見つからず。植界は尾根からやや西に寄っていると思われ、尾根を引き返し(古道が残っていた)探したが△坂戸山に続いて△鶴居も見ないまま池に下り着いた。 24・(13:25) 

池から舗装路を歩いて峠越えの破線入口へ向かった。ここは巡視路も兼ねていて、うまく見つかった。 25・(13:34) 中ほどで、古道と巡視路は左右に分かれた。右巡視路が凄く明るいが行き先が分からないので、左の古道を上っていくと、峠近くで右からの道(巡視路からの道だろう)と合流し、峠に着いた。 26・峠(13:40)  峠は高さ5m、幅2m位いの掘り切りで、往時の重要性を感じた。地蔵様の台座には発起人と世話人で8人くらいの名前が彫られていた。(大中山から下り (19) からここを通過して谷城跡へも選択肢の一つだった). 発(13:45)

 
(26)峠:西から(13:43)左側に祠 (26)峠の祠(13:44)

進行方向の尾根へは道がなく、適当に上った。混生雑木林の尾根には踏み跡が在り、難なく進めた。振り返ると、槍から大中山一帯が見えた。 27・(13:55) 次のピークが頭上に覆いかぶさるように見える『なんじゃこれは』ここに来ての急登は堪えた。 28・(14:00) 谷城跡が遠く下方に見える。しばらく膝下丈の小シダが出る。 次の上りは丸みの大きな露岩が続く。上り切ると、下草なき頂に現役のTVアンテナ(NHK)が建っていた。正面谷向こうの山肌に遊歩道が付いて、その下方にお堂が在った(これが横倉山観音堂だった) 29・(14:09)

 
(29)から谷城跡を眺める(14:09)尖り32番その先端谷城跡  △横倉観音石標:南から(14:12)

(29) からは遊歩道のように歩き易くなって△横倉観音に着いた。 30・横倉観音(14:12) ここの石標は深く埋められ、頭だけを見せていた。 発(14:15) 道なりに下っていると??道は北尾根へ下っていた。数メートル引き返し、峠へ下った。尾根には道が無いものの、西山肌は里山整備の刈り払いが入り、快適に下ってコルに着いた。先ほど見たお堂からの遊歩道が上がってきていた(終点)。そこは石仏が祀られた峠だった。 31・峠(14:18) 「峠地蔵(現在地) 横倉山観音堂300m 鶴居方面600m」の道標が立っていた

旧道が在って、西の谷へと東の神崎へ下っていた。尾根に遊歩道は付いていなかったが、それと変わらないくらい歩き易い。鉄塔を通過する辺りから振り返ると (29〜横倉観音)その上に大中山の頭と鶴居城跡、その右奥に△西脇が見えた。 (14:24) 上り切り 32・(14:28) 横ばい尾根に、積もり積もった落ち葉を蹴散らしながら進む。下りからしばらく露岩帯になる。下り切った所に遊歩道が上がってきていた。「横倉山観音堂300m 展望台50m 谷城跡770m 大歳神社1190m」小ぶりの展望台から市川市街を一望。その後50m先の大展望台へ上る。 33・大展望台(14:41)

 
(31)峠(14:18)南から   (33)大展望台(14:41)北から

 

(33)大展望台からの眺め左から32・19番・鶴井城跡・西脇   大展望台からの眺め右端谷城跡

大展望台からは、ほぼ尾根通しで遊歩道が付き、横倉山観音堂への道も在る。平坦なピークは狼煙台の看板が立っていた。 34・狼煙台(14:44) その先で「谷城跡260m 大歳神社680m 井戸跡120m 横倉山観音1000m」の道標。大分疲れていたので、井戸跡への斜め下り120mは、道が在るとは言え行くか諦めるか・・・思案の末行って見た。井戸と言っても深さ50センチ直径100センチにも満たない井戸だった。 35・井戸跡(14:54〜13:20)


城跡への落ち葉ロード(14:52)        谷城跡:北から(15:02)  
            

元に戻って落ち葉ロードを進み、掘り切りや郭を通過して本丸に立った。 36・谷城跡(15:02) 遺物らしき物は一切見当たらずも予想以上に大きな(広い)本丸跡だった。甘地方面の市街を一望して下山に掛ったが南山肌にも大きな郭が2段在った。 発(15:05) ジグザグの急下り、初めに神社と稲荷さんが在り、最後に大歳神社に下り立った。 1・大歳神社(15:15) 左に△横倉観音山塊・正面に鶴居城跡前後の尾根を見ながら車へ向かって自転車を走らせた。


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ポイントbヘ地図を一度削除した関係で
不明確とポイントが抜けている

@

36・谷城址

2・グラウンド

5−1
11・635m
13・大中山662.3m
14
498m
19
20・鉄塔
22・鶴居城跡・433m
鶴居・285.6m
24
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25

26・峠

30・横倉観音・
    282.7m