393 猪の口山(城山/黒井城跡/保月城跡)


今日のメインはフェステバル(ふれあいフェステバル2006)。

その前に、丁度良い距離虫食い境界、スタート地点は圓光寺。

霧に隠れる城跡目指し、上れば霧が晴れてきて、期待の雲海見られず残念。

雲海見られず残念も、大展望に心は晴天。

その後歩いた町境界は、覚悟のヤブは無きにひとし。

点々出てくる岩頭からの遠望これまた心晴ればれ。

ふれあいフェステバル2006=第18回兵庫のまつりーふれあいの祭典
  ※来年は西播磨で開催予定
  ※昨年は三木市で開かれた



圓光寺〜猪の口山(いのぐちやま)356.8m三等〜猪の口山(黒井城跡)の北町境界〜

281m〜R=175〜圓光寺



◎所在地 : 丹波市春日町黒井・多田地区の北山塊(黒井城跡〜多田地区北町境界)

◎地形図 : 2万5千図   『黒井(くろい)』  

◎山行日 : 2006.10.28 (土)  曇り

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=59

◎コースの見所 : @黒井城跡とそこからの大展望 

◎走行距離 : 往路 67.5km  往復 141.3km



自宅発(7:30)〜R=175〜西脇市〜山南町〜春日町道の駅(9:09〜9:20)〜

春日町多田地区〜1・圓光寺(9:30 発9:46)〜2・(9:53)〜3・(10:06)〜

4・東出丸跡(10:13)〜5・黒井城本丸(10:25 おやつ 発10:44)〜6・西ノ丸(11:02)〜

7・(11:10)〜8・峠(11:28)〜9・281m(11:33 おにぎり 発12:05)〜

10・(12:15)〜11・(12:31〜12:34)〜12・(12:48)〜13・崖(12:54)〜

14・林道(13:02)〜15・R=175(13:10)〜徒歩〜1・圓光寺(13:43 発13:52)〜

水分れ公園(14:11〜14:30)〜柏原工業団地P(13:41)〜丹波の森公苑(15:00〜

17:10)〜往路〜自宅(18:58)



昨年この「ふれあいフェステバル」を見に行った時、色々なイベントや売店も沢山出て楽しい祭典だったので今年もいく事にした「来年は丹波市で開催」と言っていたが柏原町で開かれた。この間、穴地蔵〜水山から△長ズエ〜△沼の町境界を歩く計画が失敗に終わったが、フェステバルへ行く前に残るもう一つの虫食い境界「黒井城跡〜多田地区北町境界」を歩くことにした。

山南町に入ると物凄い霧が出ていて山すそから上は視界なし、『うまくいけば雲海が見られるかも』と期待をしながら走った。春日町に入ると「道の駅・おばあちゃんの里」の看板が目に入った。『それは何処に・・・』と、思いながら走っているとR=175の直ぐ右に出来ていた。そこで野菜など買い物をして見上げた城跡は霧につつまれて全く見えず。

多田地区へ向って走る。やがて山裾にお寺が見えてきて『あれが圓光寺・・・』集落と地形を確認して向った。目を見張るほど大きな寺で無かったが造りは本格的な立派なお寺だった。駐車場に車を置かせてもらって支度に入る。 
1・圓光寺(9:30) 駐車場の下は地区のグランド(広場)で老人がグランドゴルフをされていた。霧はまだ山裾近くまでたち込めていたが下山最終尾根終盤はハッキリ見えていた。先ずはお寺にお参りして発った。 発(9:46)

  
登山口に在る圓光寺:東から(9:36)お寺の左が登山口

お寺の左上に赤い鳥居が有りそこが登山口だった。ほとんど消えた字で「保月城跡」と書いてあるようだった(保月の字は読めたが他は読めず予想)。ジグザグと上って尾根肩に着くと左(南)が開けて簡易展望所になっていた。 2・(9:53) ヒノキ主体の植生も手入れ無くかなり荒れていた。鹿網ゲート(金属)を通過して緩く上ると岩盤短急登。霧は全く感じられず、次の上り返しで右(北)へ明るい踏み跡が付いていた(これは (3) 先へのトラバース道だった)。再び短急登を終えると南が伐採されて大きく開けていたが霧のため展望なし。 3・(10:06) 

霧の中からガタゴトと福知山線の列車通過音が聞こえていた(地図破線の道は確認忘れ)。向きが北に変わると上方にピークが覗いたが東曲輪辺りか・・・。間もなく大きな段差の下に着く、段差を越えると、それは「東出丸跡」だった。 4・東出丸跡(10:13) ここからは高木雑木が出た。見上げると、あごが上がる程の急登に差し掛かるところで左前方から微かな踏み跡がきて、右の山肌へ入っていた(右への道は明るかったので本丸へつながっているかと思い、本丸で道を探したがつながっていないようだった)

ずるずる滑りながら上っていると軽い岩場になり「ヒトツバ」が広く群生していた。西へ振りながら上っていると黒井地区からの道に合流した。 (10:22) そこには「多田方面」と「本丸まで100m」の行政の道標が立っていた。分岐から直ぐの「東曲輪跡」に立つと霧のほとんどが晴れ、東に先ずは三尾山・夏栗山・黒頭峰を同定。三尾山の左に、まさに鋸の歯の様に見える鋸山連山と三岳が薄く残った霧の上に見えていた。「三の丸跡」「二の丸跡」を通過して本丸に上り切った。 5・黒井城本丸跡(10:25) おやつを食べながら展望と山座同定した。


東曲輪跡から三尾山方面(10:23)左から@三岳 A鋸山 B三尾山 C夏栗山・黒頭峰  本丸跡:南から(10:26)碑の後ろから右へ@三日月山 A五大山 B五台山

ここから見える山座の列挙は有り触れてどうかと思うが視程の良し悪しの目安に、ざっと上げると北から五台山〜五大山。東から南では高谷山・妙高山・三岳・鋸山・三尾山・夏栗山・黒頭峰・譲・向山など等、西の方は篠ヶ峰方面までだった。北東目前には、この後歩く市島町との町境界尾根が猛烈な柴シダやぶを予測させて見えた。地元の人(同年代)が一人上がってきて居られて雲海の話をすると、『今日は雲海が見れなくて残念だけどそれを見るための登山者も多い』と言われた。 発(10:44)

 
城跡から:上って来た町境界尾根(10:45)   (7)辺りの倒木(11:13)

少し下るとミツバツツジが咲いていた、この時期だけに花のサイズは五分の一位だったと思う。その下で軽い崖、妻は悪戦し私がサポートして下ったが北に巻き道が在った。下り切ったコルは峠、西へは消えかけていたが東へはハッキリして町境界に向っていたので『これを歩いて先のピークをトラバースするか・・・』と思ったが我慢して短急登で「西ノ丸」に着いた。 6・西ノ丸(11:02) 草とススキとイバラが繁っていた。 

方向を確認して町境界入り口に立つと開きが在り、そこから下っていった。初めは無かった倒木(朽ちかけた松)が出始めたが程度は軽かった。峠からの道が来ていないかと注視していたが来ていなかった、見落としか?『あの道は西の谷を下ったか・・・』そんな時、左(北)に踏み跡があり少し入ってみると、ほぼ横ばいで北の山肌を逆戻るかたちで続いていた。 7・(11:10) 右スギ幼木帯の上から三尾山・夏栗山・黒頭峰などが見えたが直ぐに閉ざされた。左灌木?混生?右は赤松林主体の横ばいが続き尾根肩に着く、曲輪跡のように思う所で樹間から次の小コブが覗いていた。 (11:16)

下りから右ヒノキ林に変わり、下ったコルは土塁状(掘り切りを埋め戻したか?)で左右自然林に戻った。短く上って小コブ (11:22) コブから下った所はこれまた「掘り切り」を思わせ、峠だった。左へは谷を下っていたが倒木が道を塞ぎ、右は前方山肌へとハッキリした道が確認できた。 8・峠(11:28) 高木雑木が生える感じの良い尾根をいく。左下を鹿だろうか大きな音を立てて走り去った。左樹間から三日月山・五大山・愛宕山方面が見えた。  

白毫寺地区から城跡への谷と登り口辺りも見ながら上っていく、人が入っているのだろう心配していたヤブも無く快適の部類に入る尾根歩きで281mを目指し、最高点手前に西と城跡が見られる所でおにぎりタイムに入った。 9・281m(11:33) 城跡は本丸の北半分、西は三日月山から鷹取山の右奥に五台山が覗いていた。寒くも暑くも無く快適な時を過ごした。 発(12:05) 

281mの北側は数段の段差が在って「北出丸跡」とでも言おうか・・・。ヤブっぽくも下ってコル (12:13) 少しばかり風倒木がコースを塞ぐ、上り切った小ピークを進む。 10・(12:15) 展望なしと思っていると間もなく尾根右にデッカイ露岩(誰でも上に立てる)が現れその上に立つ。東から南が開け三尾山・夏栗山・黒頭峰・譲葉山・向山とグルリと見え、南の谷の向こうに台形の城跡が見えた。

(10)から城跡の眺め(12:15)

デッカイ露岩は左隣にも現れ、近くに点々とあった。次第に尾根が無くなり、踏み跡もマーキングも無く、人工的に造成された建物跡かとも考えられるほど扁平で広大な地形になっていった。方向を確認しながら進んで下りにかかった。下りも尾根が無く不安が続いたがやがて境界左寄りに大きな立ち岩が見え、現在地確認を兼ねて、私だけ上って見ると(少し危ない)市島町の与戸地区周辺とその奥に鷹取山・五台山方面が見えた。 11・(12:31〜12:34)

左すぐ下にも大きな立ち岩が在った。そんな時、妻が『道が在る』と、言ったのでそこへ向うと確かに道が在った。その道の上方は下ってきた扁平ピークの北面を巻いていた。その道を下っていったが何処へ向うのか・・・やがて地形と道の方向が合ってホッ。左がヒノキ林になり下り切る。
 (12:44) ここは峠だった。上った小ピークは大きな露岩が連なっていた。 12・(12:48) 展望なし。生暖かい風が吹き抜け車の走行音が聞こえてきた。

下っていると、地図等高線では表れていない鞍部が在り小さく上り返すと、やや左寄りがが崖になっていてそこへ立ち寄ると大きく開け、勅使から東勅使地区が大きく広い範囲見えた。 13・崖(12:54) 以後は植林帯が続いて下っていると右下に金網フェンスとそれに沿っている林道が見え、やがてJRのトンネルの上かと思う所を通過し、その林道に合流した。 14・林道(13:02) 金網を不思議に思ったが後で気付いたことは『JR線路内への動物を含む障害物の落下進入の防護柵』でなかったかと思う。

林道を使って山から出ることも考えたがここも我慢して金網ゲートを通過して境界を歩くことにした。短急登するとヒトツバが広く群生する尾根がしばらく続いた。
 (13) 崖から後、視界は塞がったままでなかなかR=175にたどり着けなく感じた。少しヤブっぽくなってとうとう尾根先端R=175が見えた。しかし、高い崖(法面)で下れなく右に巻いて国道に出た。15・R=175(13:10) 現在地がハッキリせず記さなかったが地図等高線では表れていない鞍部が他に二本位在り、その都度峠になっていた事を追記。


農道を歩いて圓光寺近くまで戻ってきた所右上方は黒井城跡(13:40)

車に戻って、そのまま水分れ公園へ行き、そこで着替えて柏原工業団地(造成空き地)からシャトルバスで丹波の森公苑へ行く。フェステバルは16時終了だったが運良く予定がずれこんで終盤のおいしい所がかなり観れてラッキーだったが二兎を追って失敗だった。


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8・峠

9・281m
10

@圓光寺

11
12
13
14
15

ポイントbヘ地図を一度削除した関係で
不明確とポイントが抜けている

’00.4.9 bP65
’04.4.3 bQ94