390 馬見塚〜一山

今年の国体兵庫県。
わが故郷の波賀町はカヌー(スラローム・ワイルドウォーター)競技の開催地。
これを観たくて向った山は町界歩きで一山。
ヤブも覚悟で入って見れば、難無く進めて緩い鞍部は二本の源頭ミズゴケ群生。
植林帯を通過した、先で感動原生林はクリとミズナラ大木残る。
一山から視程よきも北風強く早々退散。大甲・植松・三室山。阿舎利に三久、
藤無山の彼方に頭は氷ノ山。鳥取人よさよ〜なら、ススキに笹原さよ〜なら。
8・0・1にもピッタシ乗れて我が故郷の実家も眺め、計画通り完縦果たす。
高野峠(R=429)〜馬見塚(まみづか)895.5m四等〜
一山(ひとやま/ひとつやま)1064.6m〜南西尾根〜801m〜R=429〜高野峠。
◎所在地 : 宍粟市波賀町と一宮町境界尾根他
(波賀町上野と一宮町三方町をつなぐR=429高野峠から同町境界北上)
◎地形図 : 2万5千図 『音水湖(おんずいこ)』
◎山行日 : 2006.10. 8 (土) 曇り @’99.6.5
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=59
◎コースの見所 : @(9)手前の栗とミズナラの大木原生林
A一山から展望(南西から東) B(13〜19)南西から北東展望
◎走行距離 : 往路 84.9km 往復 179.5km
自宅発(7:17)〜姫路B/P〜R=29〜波賀町上野〜R=429〜
1・高野峠(8:53 発9:18)〜2・(9:25)〜3・(9:30)〜4・(9:43)〜
5・馬見塚(9:48 発9:52)〜6・(9:55)〜7・(10:11)〜8・(10:19)〜
9・(10:32)〜10・(10:45)〜11・(10:50 おやつ 発11:00)〜
12・一山(11:10 発11:28)〜11・(11:37)〜13・(11:52)〜14・(12:01)〜
15・(12:05 おにぎり 発12:20)〜16・(12:29)〜17・(12:39)〜18・(12:47)〜
19・(13:04)〜20・801m(13:14)〜21・R=429(13:22)〜1・高野峠(13:34)〜
妻合流(13:40 着替え 発14:00)〜原地区/カヌー競技場(14:09 発16:00)〜
往路〜ながさわ仮眠30分〜自宅(18:52)
東山から三久安山をつなぐ町境界で“虫食い”が2ツ残っている。その1ツ「高野峠から一山」残る1ツは「
阿舎利山の北100m(等高線)」’99.11.19三久安山に上った時に残った虫食い。高野峠から一山は峠往復だと短すぎるため今日まで残った。下山後第61回国体(9月30日から10日まで)でカヌー競技のスラロームとワイルドウオーターが波賀町原地区で開催されている。『これも観たい山にも上りたい』と思い、この方面で短い山歩きに願ったり叶ったりのここに決めた。
とは言え『峠往復では物足りない』と言うことで肉付けをしたが結果的にこれが失敗の元になった。R=29に乗ると通過する町々で「○○競技会場あと何キロ』との案内板が立ち要所には警備と世話人が立っていた。R=429を上っているとフォレストステーションで泊まった競技参加者だろうカヌーを乗せた車と行き違った。一宮町に入って時雨がきていたが峠に着いて見上げる空は青空が広がっていた。
1・高野峠(8:53)
支度をしながら、ふと峠を見ると自転車と共に20代の青年が立って地図を見ていた。近寄って挨拶を交わし訊くと『大阪から一宮町の道の駅まで車できて、そこから自転車で走ってきた』この後の事を訊くと『砥峰高原から峰山高原へ周ってR=8で一宮町の道の駅へ帰る』とのことだった。砥峰・峰山高原周辺の状況を伝え、健闘を称え別れた(自転車は700C35のホイール18段変則泥除け付き)。何時頃造られたのか峠から南尾根西面に水平林道が付いていた。明治25年・・・に建てられた峠の石仏にお参りして峠を発った。
発(9:18)

高野峠からの新林道:一宮町側から(9:16) 峠の石仏南から(9:17)
右ヒノキ林左赤松主体の自然林の植界を上り、一段目上り切る。
2・(9:25) 植界は続いて
3・(9:30) 緩い上りが続いて
4・(9:43) 北樹間間から (6〜7) が見えた。 ここまでのヒノキ林は手入れされていたがここからは手入れ無し、左はスギ林になった。さて、すぐ先に三角点が在ればグッド。それは直ぐに在った。苔むしたコンクリートブロックでしっかりブロック?ガード?されていた。
発(9:52) 赤プラ杭も続く。短い横ばいから下っていると正面樹間から一山が覗いた。その手前左には下山に使う801mへの尾根が見えた。スタートから何の支障なく歩けた。
6・(9:55)
コブを越えて
7・(10:11) 倒木あるも東939mへも下草無く歩けそうだった。大きく方向変えて下っていく。今日の難関に突入。939mの下見をしている間に先行の妻は西に振りすぎていたから呼び止める(実際は妻が歩いていた植界コースが正しかった)。私は手書きコース通り下ったが後で確かめると界を外して書いていた。一抱えはあろう栗の木があり、その実が沢山落ちていたがその殆どが何物かに食べられていた。ヒノキ林を下り緩い鞍部に着くと、手前と西からの谷筋が源頭でそこにはミズゴケが群生し、とても美しかった。
8・(10:19)
△馬見塚:南から(9:50) (8)2本の源頭が合流した下流のミズゴケ:西から(10:19)
北を向いて緩く上り、ヒノキ林を抜けると太いアセビやミズナラの林になり、一本のトチの木には熊の爪の引っかき傷が沢山付いていた。やがて太い栗の木も点々と生え、ここでも無数の栗の実が落ちていたが殆ど食べ尽くされていた。やがて下草に笹が出て傾斜も次第にきつくなって行く、ここでも熊の爪痕が無数に付いた木(下写真)があり、そこにはアンパン位の大きさの柔らかな白い塊が4個あった。塊の中には栗の皮があり、そのことから推測すると栗を食べた熊の糞と思われた。
9・(10:32)

熊の爪痕が無数に付いた「トチの木」(10:30)
この爪痕の中には新しいものも有った

(11)おやつを食べた所の上方(10:59)
上へ上へと上って行く、立ち木は細くなっていく、笹の丈は長くなり膝上位になる。南東尾根に乗ったと思う所の木に布を巻き「高野峠は右に下る(だったと思う)」と書いて上った。尾根東面にもシデ・ミズナラ・コナラ等が生えていた。笹と言っても歩くにはほとんど支障が無い、笹が疎らになって秋を感じる静かな林でおやつにした。
11・(10:50) 『後一息で一山か・・・』と思いながら腰をあげた。
発(11:00) できれば801m尾根を確認しておきたく、注意を払っていたが見つけられないまま上った。太い樅の木が生え、アセビが群生し、少なからず行く手を阻んできたがそれを抜けると間もなく前方が全開した。
一山頂上から50m位手前だった。背の高いススキは強風にあおられていた。東に暁晴山・生野高原・笠杉山を見て頂上に着いた。
12・一山(11:10) 大きく尖がるのは藤無山、うっすらと見えているのは粟鹿山?植林ピークの
阿舎利山と遠方からでもハッキリ分かる落葉高木の三久安山が見えた(頭だけ見えていたのが氷ノ山?)。目を西に展じると△飯見から大甲山への尾根が目を惹いた。荒尾山の右奥に鋭く左肩を落とした植松山、その遥か彼方に三室山が見えた。残念ながら頂上から我が実家は見えなく残念。
阿舎利地区と野尻地区をつなぐ林道から阿舎利山の尾根南下に林道が付いていてビックリしたがもしかすると、音水湖の畔元円形校舎からの林道とつながるか繋がっているかも知れないと思う。最近の新設林道の数の多さとその必要性に疑問を持つ。そんな時、いきなり男4人のハイカーが現れた(20〜30代)。『どちらから』『同じコースで、ラベルは貴方が付けられたのですか』住まいを訊くと鳥取県からだった。装備から相当熟練ハイカーと見受けたその人達は、風が強いと言うことで北小尾根に下って立方体近い大岩の上で昼食に入った。
@阿舎利山の南に新設された林道
南から(11:25)
鳥取人の会話で記憶に残っている言葉は『ワー素晴らしい展望』だった。おにぎりを食べるつもりだったが強風でキャンセル、801m尾根へ上手く乗れるか心配を胸に下山にかかった。 発(11:28) 西面の山肌地形を読みながら下って『801m尾根へはここやっ』と思った所はなんと、おやつを食べた地点だった。 11・(11:37) 尾根がが出るまで心配しながら自然林を下っていると杉林になり、やがて下方の明るい所に尾根が見えてホッ。そこは尾根北側が伐採地だった。
13・(11:52)
南西に (15〜16) の植林尾根が在り、その右彼方に大甲山・荒尾山その尾根右奥に頭を見せるは植松山と思う。左杉林と伐採地の界尾根は中笹ヤブに朽ちた鹿網が続き、時々引っ掛かりながら進んだ。尾根肩からは方形の針金鹿網も出て、これにはより難儀し、これがしばらく続いた。短く下った時、左下に地図の実線林道が見えた。妻に『もし、しんどかったらここから林道に出て車に戻っても良いけど』妻は同行すると言った。
14・(12:01)
一段上り切って振り返ると一山の南面が全開でみえた。 (15) への上りの尾根左杉林は風倒木で悲惨な状態だったが幸いにも尾根を塞ぐ倒木は少なく助かった。 (15) ピークは植林なので直下で一山その左に
阿舎利山・三久安山等を眺めながらおにぎりタイムに入った。 15・(12:05) 足元の谷は突き詰めなのに大きな水音がしていた。
発(12:20) 上り切ってピークを越えると再度右山肌一面が伐採地になり全開する。ここに来てやっと我が実家が見えてきた。南展望は黒尾山が追加された。
16・(12:29)

(16)から西の眺め(12:29)左奥黒尾山・右の三山左から・大甲山・荒尾山植松山・中央はげた所我が実家が在る飯見地区
この後歩く尾根が見えてコブが連なっていた。尾根が笹ヤブで歩けない所は左の植林帯を進んだ。
17・(12:39) 用を果たし終えて?ヨレヨレになった鹿網はここから右へ下っていた。展望はここまでで、振り返ると (19) の右上に一山、左に
阿舎利山・三久安山等が見えた。 18・(12:47)

(18)から振り返る:左
阿舎利山・鞍部三久安山・ハゲピーク一山
(18) からは左杉右少しの間ヒノキ林も灌木に変わった植界を進んだ。尾根肩からも、その植界を下り、10m位の所で間違いに気が付いて引き返した。正規尾根には突如大きな露岩が連なった。
19・(13:04) 北が開け
阿舎利山・三久安山等が見え、ここから急下りに入ったが切り開きが在りコルに付く。 20・801m(13:14) 左右共に太い杉林で薄暗かった。
薄暗い杉林を下ったが年月が経った間伐材が横たわっていて歩き辛かった。中程から私が先に下って車に戻ることにした。朝方『計画ではこの辺りに下ってくる筈』と思っていた所に下れた。 21・R=429(13:22) 時々車に出会いながら上って峠(車)に着くと、峠から上ったと言う鳥取県の人達の車は無かった。
1・高野峠(13:34)
引き返そうと車の向きを変えると波賀町側から激上りをして来たのだろうロードレーサーに乗った20代若者が1人峠のお地蔵さん前で休んでいた。挨拶を交わして下っていると、1人また1人同じジャージを着ていたからチームでトレーニングをしているのだろう。妻と合流し、着替えて国体カヌー競技のスラロームとワイルドウオーターが開催されている波賀町原地区へ向った。当日の競技は14時30で終了予定で最終の選手がゴールをした所だった。
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結局翌日私1人で波賀町原地区へ競技を観に行った。全県からの出場は無かったが北は北海道南は九州、四国からも多くの男女選手監督が来られていた。その中で大分県と岐阜県から来られた選手と練習方法などを訊く会話した。
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種目によって入れ替わりがあるが出場最多種目で30県からの参加者あり。
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