368 大堤峠〜寺家〜3町境界〜三坂峠

※R=80への下山地点はもう少し西かも知れない。
チョッと長いと心配胸に町境界を辿って見れば、予想外に開きがあるも、急な上り急な下りが、
長くは無いが何度あったか。界を外れた▲寺家で、運良く見つけた寺跡は
多聞寺別院跡だった。
下った峠は「伊勢谷峠」、上り返しは又もや急登、その後の尾根も開けて快適。
三郡山との地点を通過、アッという間に3町境界。
葛城山への界を確認、三坂峠を目指して下る。
大堤(おおづつみ)峠〜町境界北進〜278m〜実線横断〜町境界北進〜
町境界から東に外れる(Ca250m)〜
寺家(てらいえ)247.4m四等/多聞寺別院跡〜引き返し〜Ca250m〜伊勢谷峠〜
町境界北進〜406m(三郡山?)〜3町境界〜町境界北進〜三坂(みさか)峠(R=80)。
◎所在地 : 飾磨郡夢前町菅生潤(すごうだに)・塚本・護持地区と
姫路市林田町大堤地区と宍粟郡安富町三坂地区との町境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『安志(あんじ)』 『前之庄(まえのしょう)』
◎山行日 : 2006. 2.11 (土) 曇り(一時小雨)
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=58
◎コースの見所 : @(3)辺りから両伊勢山と城跡遠望 A(13)寺跡から東展望
B全体を通じてほぼ開きある快適なコース
◎走行距離 : 往路 @47.0km A51.8km 往復 98.0km
自宅発(7:52)〜加古川・姫路B/P〜姫路西L/P〜R=417〜R=724〜
飾西交・R=411〜R=80〜1・三坂峠(8:56)〜護持地区・R=413〜大堤地区〜
R=519〜2・大堤峠(9:11〜9:30)〜3・(9:52)〜4・278m(10:20〜10:24)〜
5・実線横断(10:38)〜6・(10:45)〜7・(10:56 おやつ 11:05)〜
8・(11:20〜11:24)〜9・(11:30)〜10・Ca300m(11:34)〜9・(11:38)〜
11・(11:45)〜12・(11:53)〜13・(12:07)〜14・△寺家/寺跡(12:11〜
12:14)〜引き返し〜13・(12:28 おにぎり 12:41)〜15・(12:55)〜
16・伊勢谷峠(13:10)〜17・(13:24)〜18・(13:48)〜19・(13:50)〜
20・(14:03)〜21・(14:10)〜22・(14:29)〜23・三郡山・406m(14:35 14:39)〜
24・3町境界(14:42〜14:45)〜25・(14:53)〜26・R=80(15:23)〜
三坂峠・(15:30)1・自転車(15:35)〜妻と別れる(15:40)〜
自転車で走る〜2・大堤峠(15:55)〜妻合流(16:08)〜往路〜自宅(17:36)
大堤峠から入って3町境界から三坂峠へ下るか、大堤峠から入って3町境界から姫路市の最高峰「葛城山」を通過してR=29へ下るか、思案の結果は前記となった。R=80に乗ってからは歩くだろうと想える山並みを見ながら走って、三坂峠に着いた。下山地点の峠最高点には自転車デポ地が無く安富町側に少し下った広場でUターンして夢前町側に戻り、裂石置き場にデポした。
1・三坂峠(8:56)
護持地区に戻ってご婦人(70歳位)を見かけ、2ヶ所の峠の名前を尋ねると、地元では、安富町三坂地区への峠を
「三坂峠」林田町大堤地区への峠を
「伊勢谷峠」と言っているとのことだった。お礼を言って大堤峠へ向かった。「下山後はこの峠道を自転車で越えるのか」と思いながら走って、スタート地点に着いた。
2・大堤峠(9:11) 峠の手前、大堤地区側には広い広場が在り、そこで支度をしたがゴミの不法投棄がはなはだ多く、気分が良くなかった。
しかし、板に「小犬もらって帰ります」と書いた札が掛かっていて、わざわざ書置きをした、その人の心の温かさを感じつつ峠を後にした。
発(9:30) 界の西、桧林から上り始め、少し上ると旧の峠道だろうか、それらしき道が峠を越えているようだった。そこに小さな石標が立っていて字が彫ってあったが判読できなかった。その道跡を横断して本格的な上りに入ったが、中柴ヤブの急登にサルトリイバラが多く出た。妻を待ちながらでペースはスロー。
振り返ると伊勢山の岩座が飛び出ているのが見えた。中ほどで乗った境界は、右が桧の幼木帯(20Y)でシダが生えていたが丈が低く難なく歩け上り切った。 右下に菅生潤地区が見えた。
3・(9:52) 横ばいに進んで尾根先から見えた278mピークは植林の尖がり山だった。右桧林左は自然林の界には想わぬ開きがあって順調に進めた。コブを越えた先で振り返ると左肩が鋭く落ちた△伊勢山から城跡までが見えた。

大堤峠:林田町側から:左のガードレールの端所から入って行った

(4)への上り手前で見た△伊勢山.岩坐.空木城址
(4)への上りは、戦後間もなく植えられたと思う太い桧も、植えたまま手入れがされていなく、木の下の方にも枝が残っていた。
4・278m(10:20) 上り切って下る方向を確認すると、コンパスが指す下る方向は上ってきた方向に引き返す事になって、しばらく思案した。樹間から右と左に集落が見えていたが、界に尾根が無く、相変わらずこの種の方向付けには苦労をする。
発(10:24) コンパスを信じて急下りをしていると地図と方向が合い、尾根も出て来てホッ。
界にはコンクリート杭が立っていて、傾斜が緩んだ所で、方向を西に振って下った。ほぼ下り切った所は大岩場で、採石跡かもしれないが岩場を掘った跡の様だった。その直ぐ下に建物が見えてそこに下り着いた。
5・実線(10:38) 建物を回り込んで表に出て見ると建設資材置き場で、民家が接近していた。地図から言うと道(実線)の上に大きな倉庫が建っている事になる。道(峠)には鉄のポール2本が固定されていて車止めになっていたが、それが無くても倉庫で車は通れない。
大堤地区からは幅3m位の道が上がって来ていたが使われている形跡は無かった。ここからの上りは笹ヤブだったが直ぐに開け、踏み跡(獣道かも)も出て上り切ると「これは道」と思う様な開きが出た。
6・(10:45) 左下から大きな音がして来て「何だろう」と思っていると大規模の牛舎で、例の匂いが風に乗って尾根を吹き抜けていた。左の谷上方尾根一帯に立ち並ぶ高木雑木が美しい。小さく上った所に、格子のパラボラアンテナが南向きに建っていた。
左の高木雑木が一段と大きくなって、中でもアベマキが目立つ。上り返して間もなく、積もった落ち葉に腰を下ろしておやつにした。
7・(10:56 〜11:05) おやつの時に、気持ちよく座った落ち葉がここからの急登で凶と出た。急登に乾いた落ち葉と来れば答えは“滑る”どこでも歩き放題に開けていたがとにかく滑った。上り切った尾根は北へ水平に延びていた。
8・(11:20) 尾根先の樹間から先方を眺めながら妻を待った。
発(11:24) 界は開けていて難なく下って上り返した。
9・(11:30)

(8)の水平尾根中ほどから北を見る
妻が上がって来ないので、待たずに計画通り西のピークへ向かった。少し藪っぽかったが直ぐに頂上に立つも展望無しで何も無かった。
10・Ca300m(11:34) 直ぐに引き返し、界に戻る。
9・(11:38) 妻と合流して、下りは左右桧林、上りに入ると右は高木雑木帯になる。
11・(11:45) 開きがあって順調に進めた。左山肌の桧がなぎ倒されていた。右の高木雑木が美しい。
12・(11:53) こここから左が開けて伊勢谷峠へ下る尾根と、峠から上り返し、同定は出来ないが葛城山から (23)406m 辺りまでが展望できた。また右樹間から△寺家と思うピークが飛び出し尾根先端に尖がっていた。妻を待たずに進んで
13・(12:07)
今日も、私だけ△寺家へ向かった。雑木尾根で、切れ落ちた左(北)足元に護持集落が樹間から見えて、犬がしきりに吠えていた。下ったコルは右が植林帯。短急登で上り切ると、植林が左に変り、平坦地に石標があった。
14・△寺家/寺跡(12:11)着いた時から、正面が明るく開けているのが気になりながらも、やり過ごして戻ろうかと思ったが、展望は・・・と思いそこへ出て見ると、一段下がった平地に、予想もしていなかった、新しい石標が建っていてビックリ!!高さは1m余りで、表に「多聞寺別院跡」裏には「本誓寺連研OB会平成十年十月建之」と彫ってあった。東面が全開で麓の集落や、それを取り巻く山並みが霞んで見えた。ここへの上り道は南から東に延びている小尾根であるように思った。
発(12:14)

多聞寺別院跡:尾根先から振り返る
(14)寺家三角点:東から
後日、調べてみると本誓寺はこの尾根の
麓に在った
小走りで引き返すと、妻はおにぎりを食べていて、私も食べた。
13・(12:28) 犬はまだ吠えていた。小さな雨を数滴受けたが空を見上げると晴れ間もあって、あわてることも無く発った。
発(12:41) 左桧林が続く植界を下る、妻を待ちながらの下りで尾根肩に着く。
15・(12:55) もう少し直進のはず・・・と思ったがシダ藪でいやな感じ、西の植界尾根は開けていた。381mピークの近くまで来ていることは分かっていて、西へ曲がる角度も界と同じ、しばらく思案したが、ここから西へ曲がった。尾根は緩く下っていて境界の傾斜とは明らかに違っていて、間違いが濃くなったがそのまま下った。
やがて、右山肌が伐採されていて、381mピークが (15) 地点の尾根続きの先端に尖がっていた。あのシダ藪を進むのが正解だった。 (11) 地点から聞こえ始めていたチエンソウーの音の発信地はここだった(朝方伊勢谷峠を通過した時も音がしていた)。チエンソウーと山仕事の道具が有ったが人影は無かった。伐採地を下っていると、70歳位と思われる人が谷に見えた。どうやら昼食だったらしく、間もなく対面して挨拶を交わした。大堤峠から歩いて来て、三坂峠へ下る事を言って、この後の境界の状況を尋ねると『かなり塞がっていると思う』『ここの峠から上る境界は、見えている杉林の中を上る』等教えてもらった。『用心して行くように』と送ってもらった。
16・伊勢谷峠(13:10)
R=413に出て「峠を横断する境界は峠の最高地点に在る物」と思い込んでいたのでそこへ向かった。勿論そこには姫路市と夢前町の標識が立っていた。ここが境界だと、私が下った尾根が境界になるが・・・。そこは高さ1.5m位の法面だったので、妻は手前より山に入っていて、その妻から『境界杭と思う杭がある』と言った。「そんな筈無い、そこが境界だと境界ラインがジグザグになる」と思いながらそこへ行くと、コンクリート杭で頭が黄色く塗られていた(後日地図を見直すと、境界は峠の最高地点でなく杭通り夢前町側を通過していた)。
薄暗い杉林の傾斜は次第にきつくなりジグザグ上りに切り替えた。中ほどから左山肌に竹林が出て上の方まで続いた。杉林を抜けてやっと上り切る。
17・(13:24) 妻を待って発つ。自然林には大きな株立ちの樫があちこちに生えていて、その大きさ(太さ?)は稀なるものだった。それらを見ながら、予想外に開けた山肌を上り、難関を突破した。
18・(13:48)

(17)地点から(18)にかけて、
伊勢谷峠近くの山で出会った人
この種(株立ち)の樫の木が点々
と生えていた
上り切って休んでいる時、妻が『トランシーバーのバッテリーパックが無い』と言う。どこで落としたか見当も付かないのでアッサリ諦めた(間違いなく、私のスタート時点でのケースのセット不良だったと思う)。ここからも開きがあって、快適な尾根歩きが出来た。短い急下りで
19・(13:50) 短い急上りで
20・(14:03) 右は自然林が続いて、左杉幼木の上から植林帯の葛城山方面が見えた。
21・(14:10) 右(東)の横ばい尾根には、白っぽい木肌の木が生えていた。次の上りは最後の難所、妻のペースが何時もより遅い気がした。
22・(14:29)
左の杉林は、成長が止まってしまったかの様な生育状態で長く続いた。緩く上っていると、前方のなるいピークに生える杉の木に、プラスチックの白い札(25×15cm?)が付いていた。
23・三郡山(14:35) 見ると、大きい字で「三郡山」2回りほど小さい字で「大堤」と書いて大堤と書いた方へ鍵形の矢印が入っていた。辿ってきた方向とも思われたが取りよう(見方)によっては「3町境界から南の谷筋を下れば大堤に下れる」との矢印にも思えた。取り付け位置は梯子をかけないと付けれない高さに付いていたので不思議に思った、低い位置で付けていたが木が大きくなったからかも知れない・・・。

(23)三郡山:南から左は杉林
三郡山とは記憶に有る山名なので、ウエブで検索すると九州の三郡山が数件出た。「島田君も」と思いHPを見ると、京都の三郡山に2002年5月に登っていた。現在の3町境界はここより少し西に在る。三郡山とは宍粟郡・揖保郡・飾磨郡の境界を指していた(いる)のだろうか・・・。樹間の開きから振り返ると△伊勢山方面が見えた。
発(14:39) 短く下って直ぐに3町境界に着いた。
24・3町境界(2:42) 3方向確認しグッド。姫路市の最高峰「葛城山」へも植界の開きがあった。「葛城山に立つのは何時の日か」と思いながら下りにかかる。
サテ、「三坂峠に下る界は何処かいな」と北を見るが尾根は無かった。三郡山でも見た、あせたPPヒモのマーキングがあった。 発(2:45) 雑木帯を少し下ると尾根が出て方向もバッチリ、間もなく右が杉林になって赤プラ杭が出る。西の尾根にも明るい開きが在るもここは引き込まれなかった(と、思っている)。
25・(14:53) 太いカズラが引っ切り無しに生えていて木に登ったり、地面を這ったりしていた(これは、多くの尾根で見かけた)。右杉林との界に立つ杭も目印に下った。大きく緩んだ後、しばらくしてふと気が付くと杭を見なくなっていた。尾根肩から西の尾根に乗って下ったようだ。
三坂峠を横断する界は密生の笹で下山地点は、ここを避けて夢前町側の谷筋に計画していたので、それとは逆の方に下っていた。そこで私は東寄りに下りかけたが妻の姿が見えない。トランシーバーが使えないので大声で呼んだが応答無く、再び西の尾根へ向かうと妻が下っていて合流し、そのまま下った。R=80に近づくと、ここも猛烈な笹とイバラと竹のヤブだったが下るしかなく、切り開きをしながら舗装路に出ると安富町側に100m位?下った所だった。
26・三坂峠・R=80(15:23)

三坂峠:夢前町側から 伊勢谷峠:夢前町側から
町境界の続き、北の山塊はとてつもなくでっかく、険しく感じたがこれも何時か歩きたいと見上げながら歩いた。峠に打ち込まれたマーク210.5mの所には真鍮の円盤が打ってあって「H3年度・(主)山崎香寺線舗装修繕工事・兵・L=400:M・松尾建設(株)」と彫られていた。峠を越えて自転車デポ地点へ向かった。
1・自転車(15:35) 下山予想時間より1時間は早かったがこれはほとんどヤブが無かったからだと思う。木々の葉が繁ると展望に恵まれないので、歩くなら裸木の時期が好適期と言える。
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