№ 367 増位山~随願寺~広峰神社~弥高山~大谷

香寺町の境界歩き、目ぼしい所はここで終了。
テナてなことで地図を見ながらスタート地点は何処にする。6本考えその内の、
最長コースで歩き始める。自然歩道は良かったけれど、香寺・姫路の界に入って、
1ヶ所2ヶ所3ヶ所とコースが掴めずその都度停帯、
時間もどんどん経過して少々焦りも出始める。
最後の、ピークからの下りでは視界塞がるダメ押し柴ヤブ。
増位山南尾根破線~増位山(259.0m三等)~随願寺~広峰神社~氷室池分岐(322m)~
弥高山(339.7m四等)~町境界北進~307m~3町境界~香寺町と姫路市境界~
界から外れる~大谷(おうたに)295.4m四等~引き返し~261m~仁豊野地区に下る。
◎所在地 : 姫路市の増位山・随願寺・広峰山の山域とその北方の町境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『姫路北部(ひめじほくぶ)』
◎山行日 : 2006. 1.28 (土) 曇り
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=58
◎コースの見所 : ①(4)と△増位山からの展望 ②随願寺と姫路城主等の墓所
③広峰神社と同所からの展望 ④(13)から(15)の自然林横ばい道
◎走行距離 : 往路 ①31.0 km ②35.4km 往復 63.4km
自宅発(7:40)~加古川B・P~播但道~豊冨L・P~R=373~仁豊野橋~
1・仁豊野駅・自デポ(8:29)~2・(8:45 発9:09)~3・(9:12)~
4・鉄塔(9:34 おやつ 発9:43)~5・大歳神社分岐(9:52)~6・風灰の上?(10:00)~
7・△増位山(10:08 発10:13)~8・そうめん滝分岐(
10:18)~
9・随願寺(
10:28 発10:38)~10・白国分岐(11:45)~
11・そうめん滝・広峰神社分岐(10:59)~12・広峰神社(11:20 おにぎり 発11:46)~
13・氷室池分岐(11:58)~14・△弥高山(12:20 発12:25)~鉄塔(12:29)~
15・鉄塔(12:39)~16・307m(12:50)~17・3町境界(13:07)~18・鉄塔(13:19)~
北のピーク(13:22 引き返し13:24)~18・鉄塔(13:27)~19・(13:33)~
20・△大谷(13:48 引き返し13:56)~19・(14:07)~21・(14:13 発14:31)~
22・(14:47 発14:52)~23・(15:06)~24・(15:22)~25・(15:33)~
26・(15:36)~27・(16:00)~下り始め(16:07)~
28・(16:33)~
1・仁豊野駅(16:43)~自転車で走る~2・車(17:05)~妻合流(17:10)~
R=312南下~R=2東進~高砂市豆崎東交右折~明姫G・R~自宅(18:16)
この時期、無雪地域とハンターが入っていない所を選びながら計画を立てる。そんな中でも歩きたい所はあちこちに有る。「空木城跡」の続きの界尾根も歩きたかったが、今日歩いた香寺町と姫路市の市町境界を歩くと、香寺町の町境界でめぼしい所が歩き終えるのでここを優先した。長短6本のコースが考えられたが決めたコースは、最長のコース。かなり長いが半分以上が近畿自然歩道や歩道なので何とかなると思い決定した。
仁豊野駅に自転車をデポ。
1・仁豊野駅・自デポ(8:29)登山口へ向かった。破線が始まる所には墓地マークがあるので墓参用の駐車場を期待していたが墓地にも辺りにも無くて、山裾を巻きながら車を進めた。それでも適当な空き地が無く、山へ登る細い舗装路の入り口に置かせてもらった。
2・(8:45) そこには、大きな石標が立っていて、天に 太い字で「右増位」その下に縦列で「たいし尊 ふうら堂」と彫られていた。山への舗装路少し先に「文化財をたずねて 広嶺・増位・白国めぐり」と書かれた行政?の道標が立っていてその上部直ぐ道の右に「増位○○堂」が在って享保二年の銘が入った立派な地蔵石仏が祀られていた。
(2)車を置いた所から上っている道
支度をしていると60歳半ばと思える人(男)がやって来られた。『この道は増位山へ上れるのですか』『20~30分もあれば上れる』『毎日登られているのですか』『休みの日だけ』お礼を言って見送った。今度は老婦(82歳とのこと)がやって来られた。婦人は、毎日このお堂と他2個所に、これまで健康に生きて来られたことに感謝してお礼参りをされているとの事だった。次は自転車でやって来られた人(70歳位男)が自転車を置いて上って行かれた。
発(9:09)
車の近くに立て看板があって「随願時で護摩供養 送迎バス発着地」と書かれていた。上り口へ向かって下って行く、墓地近くで登山者風の60歳代の婦人2人に出会い挨拶を交わす。墓地の脇に巡視路の入り口を見ていたので、これが巡視路兼破線の道かと想い、そこから入って行った。
3・(9:12) 道は上へ向かわず左斜め上へと上がって行き竹林を通過して間もなく鉄塔に着いた。
(9:17) 上への巡視路を探したが見つからず当地だけへの巡視路だった。仕方なく半ばまで引き返し、上れそうな所から上り始めた。破線コースはシダ柴藪だったので、それを避けて上ると破線から西へ西へと離れてしまった。
採石跡の上に立つと木製の簡単な手書きの道標板が木に付いていて、「現在地・下りコース・頂上へ」と記してあった(上右写真)。今では道の形跡は無かったが以前は道だったのか・・・だとすれば「私の眼力と感は捨てたものでない」と自己満足。更に西へ回り込んで、今度は頂上へ向かって上っていると確かな道に出た。車を止めた道の奥の何処かから上って来ているように想った。傾斜が緩んで間もなく頂上に着いた。
4・鉄塔(9:34) 日々多くの人が上って来ているようであった。
360度の展望。北西の山の中腹に白い建物「国民年金保養センター」が目を引く。南は何と言っても1番気になる姫路城が緑の中にぴょこんと飛び出ていた。瀬戸内海は霞んでいて家島の一部がぼんやり見える程度、手前には元姫路競馬場、東は同定出来なかった。鉄製のベンチが2台置いて有った。 おやつを食べて
発(9:43) 直ぐ先にドーム状の大岩が在り道は岩の右を巻いていた(私は岩を越えた)。その直ぐ先で、右に踏み跡が在って、「大歳神社・・・新道」とやらが書かれた丸太を半割りした杭が立っていた(分りにくい)。横ばいを進んでいると左の谷へ下る擬木の階段があって、行政?の道標が2本立っていた「東尾根下りコース」と「随願寺・登山口」と書かれていた。ここから下れば、車の所に下れるのだろう。

(4)先で遊歩道に出た所
左の道が車の所へ下ると思う道で東尾根下りコース右は進行方向(増位山へ)
より多くのハイカーが入って踏み込まれ、ここからは一級品の遊歩道になる。少し進んで2本目の鉄塔
(9:50) そこから上ると、そこは、展望台になっていて東面が開けていた。
5・大歳神社分岐(9:52)「随願寺へ1400m 登山口へ800m」の石標あり。 ここで登山口で見た自転車の人に会った。その人の話によると『今日は随願寺の弁財天の御社が建て替えられて竣工式があり、11時からうどんの接待が有る』とのことだった。その先で良く踏まれた道が右に下っていた。 5・大歳神社分岐(9:53 地図の破線)計画段階の2本目のコースで麓に在る大歳神社から上がって来て以後今日歩いたコース。
ゆる上りをして、左に全体がチョコ色に塗られた反射板を見て上り切る。
6・風灰の上?(10:00)「風灰の上」と書かれた板があったがこれは山の名前だろうか・・・。下ったコルは「風灰の上 鞍部」となっていて西の谷に道の形跡を見た。その先で方向が大きく変わるが道端のあちこちを大きく掘り返しているのはイノシシの仕業だと思う。増位山直下で道は分岐して「随願寺 山頂展望台/随願寺」の道標が立っていた。
(10:07) 右の山頂展望台・随願寺の道を上ると直ぐに頂上に着いた。
7・増位山(10:08) 計画段階の3本目のコースで増位山の東山裾に神社マークが有るが、その神社から164mを通過して増位山に立って以後今日歩いたコース。
物凄く踏み固められた頂で、三等にしては珍しく無傷の石標だったが上部は赤く塗られていた。ここでは (3) 地点で出会った御婦人2人が居られ、会話をした。展望は東が全開で志方の城山や古法華の山々が同定できた。
発(10:13) 御婦人と会話をしながら同行、トラバース道と合流する所で展望台で出会った人も合流して、5人で歩いた。ほぼ横ばいで
8・そうめん滝分岐(10:18) 計画段階4本目のコースでそうめん滝から上って以後今日歩いたコース。私が初めてこの山域に入った時にそうめん滝の方から上がって来た所でもある。
’96年3月16日 (MTB/単独 №31) 増位山~広嶺山(神社)~書写山(円教寺)~刀出地区。砥掘地区ソーメン滝下P(発8:55)~増位山259.0m三等(9:25)~随願寺(9:35 発:48)~広嶺山(神社10:28 発10:36)~空港予定地鉄塔下(10:56)~引き返し~氷室池(11:40)~書写山登り口(東坂参道11:57)~円教寺(12:22)~刀出(13:19 発13:29)~ソーメン滝近くP(14:05)。
ここに立つ看板によると、当地を「有明の峰」と言ってその謂れが書かれていた。・・・「この峰は・・・有明の峰と呼ばれる景勝地です。・・・大きな岩で造られた石槨があって古墳のあとだろうといわれています」見るからに古墳と思うが古墳と断言出来ない訳があるのだろうか・・・。

(8)そうめん滝分岐
これだけの姿と形をしているにも関わらず
「古墳のあとだろうといわれています」としか
言えないのにはどんな理由があるのだろう・・・
(8)からも5人揃って進む、間もなく左右とも桧林で横ばいが続き、右谷筋の桧が一昨年の台風でだろう沢山倒れていた。間もなく分岐になる、私たちは左に折れた(地図破線通りに下った)が他はそのまま進んで行かれた。少し下ると「姫路城主の榊原政邦と夫人の墓所に着いた。総御影石造りの稀なる立派な墓(当然です)。階段を下って「増位山梅林」2箇所を通過すると池の傍らに新築された弁財天を祀る御社が紅白の幕に囲まれていた。
9・随願寺(10:28~10:38) 関係者や一般参拝者が集っていた。

姫路城主:榊原政邦と夫人の墓所 新築された弁財天の御社
そこからの石段が本殿への参道と思われた。本殿では護摩供養の準備が始まっていた。(知り合った御婦人に出会う)お参りをして、広峰神社へ向かう。本殿の左隣に姫路城主「榊原忠次」の墓所が在りこちらも稀なる立派な墓、その横の開山堂の前を通過して地道を上って行くと山中へ擬木の階段が有り、それが広峰神社へ向かう道。(広峰神社まで1.6km)山を1つ越えて下ると麓からの舗装路と池の所に出る。道標に従って前方の山へ上って行くと尾根で、左へは白国地区へ下る道(西尾根コース)
10・白国分岐(11:45) 右へ進む。
大きな上り下りの無い自然林の山歩きがしばらく続いてY字分岐を右(尾根)にとって直ぐの所 11・そうめん滝・広峰神社分岐(10:59) 計画5本目のコースで、そうめん滝キャンプ場から上って以後今日歩いたコース。
’01.2.25(№196)市立キャンプ場から上がって来て 広峰神社~3町境界~町境界北へ~アドヶ岳371.8m三等を通過して暮坂峠に下りている。この時にも微かな踏み跡があったがその道が何処へ繋がっているのか分らなかったが、今では良く踏み込まれた道になっていて「弥高山」への案内が有った。(手前Y字分岐を左にとるとここへは至らない)分岐からほんの少し下ると随願寺からの道に合流し、しばらくジグザグ下りが続いて薄暗い植界となり、尾根を何本か回りこんで進む。2本目の大きな谷筋から上り始め、隙間が無いくらい見事に積まれた石垣が見えて来て広峰神社にたどり着く。
12・広峰神社(11:20)
神社では節分祭(3日)と立春祭(4日)の準備も終えて、当日を待つばかりとなっていた。参詣者は1組を見ただけの静かな境内だった。お参りをして、休憩所で姫路市街を見ながらおにぎりを食べた.
発(11:46) 神社の裏に回りこんで氷室池方面へ進んでいると、中ほどで氷室池から上って来たのだろう30歳代の男性1人と小学低学年生(男)3人が向かって来て、元気な挨拶を交わした。
13・氷室池分岐(11:58) 近畿自然歩道の道標あり、氷室池2.3km広峰神社0.9km。この道標の付け根に「氷室池へ/空港予定地から奥須賀院へ」の案内板があった。
ここから延々と高木雑木の葉が道に積もる素晴らしい横ばい道が続く。破線左の墓地マークの墓地確認の後、
’01.2.25(№196)に立たなかった弥高山への取り付きを慎重に読みながら進んでいると右下の谷へ踏み跡が付いていて、その先(下)を見ると池の水面と思われるような物が目に入ったが私の地形図に池は記されていない。その直ぐ先で「弥高寺山」(ここでは寺の字が入っていたが11地点では見落としていたのか・・・)と赤字で書かれた札が立ち木に付いていて、悩むことなく取り付きが分った。
(12:10)

(13)から入って間もなくの所 (14)空港反対派拠点?の鍋やヤカンなど
本道から外れて、谷筋までは横ばいで、その後中上りで立ち木が無く草地の中に地肌が広がる所に出ると、そこが、噂に聞いた「播磨空港いらん!市民の会共有地」の看板が掛かる空港反対派拠点だった。三角点石標はその近くに立っていた。
14・弥高山(12:20) 展望は南が全開。ブルーシートが張られてその下に煤けて黒くなった鍋とヤカンが数組おいてあり、開けた所には石で囲って作った炉が有り網が載せてあった。空港計画は凍結か水に流されたと思うが、今も活動?がなされているのか生活?の匂いを感じた。素晴らしい高木雑木帯が広がるこの一帯は私も、何時までも残して欲しいと願う。
発(12:25)
石標の横、踏み込まれた北への道を進み、
鉄塔 (12:29) 更に下って行くと本道に合流し、その先で道に接する鉄塔
(12:39) ’96年3月ここまで来て引き返した地点。自然林の中にいぜん続く横ばい道を進んでいると、左谷筋2個所に氷室池との札を見た。道の右側に低い石垣が続く所 (12:43) 「この石垣の上、小さなコブに何か祀ってあってその為の石垣か」と想い、上がって見ると何も無かったがその周りにも数段の低い石垣を見て、疑問が湧いてきた。
道は直ぐ先のコルで町境界から右に外れて307mPの右下を横ばいにトラバースして行く、その道に少し入った所で左上を見ると石垣の様な物が有ったので、私だけ引き返し、町境界に乗って上って行くと、界の右側に石垣があった。一度緩んで次の上りでは低い石垣が3段在った。「この先の3町境界は砦跡なのでそれに関わる石垣かも」と、この時点では想っていた。
16・307m(12:50) 短い横ばいの後、柴ヤブっぽい界を下っていると7・8段位石垣が在って、これは山の土(真砂土)が流されない為の土留めの可能性が濃いと思うようになった。
本道に出て妻の後を追う。次のコルは左の谷へ氷室池右へはそうめん滝との札が掛かっていた。上り返していると、アンパン大位の大きさの扁平な川原石が狭い範囲敷き詰められている所があった(これは何を意味するか)途中右へ巡視路が入っていた。上りでも石垣の段を何本も見かけ上り切った。最後の石垣は砦跡のものかも知れない。
17・3町境界(13:07) 尾根先端まで行って暮坂峠の方を眺めて引き返した。香寺・姫路の界方面を眺めたが、遠くの尾根は何本もあって、どれが歩く界尾根なのか分らなかった。界に付いた道は多くの人が使っているようで直ぐに分ったが、私はここからは初めての山域、何年か前に島田君と向井さんも下っていた事を想い出しながら下った。コルは左奥須賀院・右そうめん滝・正面から広峰山との矢印が書かれた木札が掛かっていた。計画6本目のコースで、そうめん滝キャンプ場から上って以後今日歩いたコース。

コルから上りの巡視路
中ほどにはまるで城の石垣の様な岩があり、その裾を上って行く
巡視路だろう上りも明確な道が付いていた。意識無く巡視路を上っていて中ほどで「しまった、界から外れている」と気が付いたが、界は柴ヤブの急登でここはもう界に復帰する気になれずそのまま上った。着いた尾根に鉄塔が建っていた。
18・鉄塔(13:19) 妻を進行方向へ送り、せめて北のピークまで上って見ようと尾根を見ると道が付いていて難なく上れた。露岩ピークで、道はそのまま尾根を下り、間もなく右へ分岐していた。ここで引き返したが道は巡視路だった。
引き返し(13:24) 戻る時弥高山方面が展望できた。
18・鉄塔(13:27)
先行していた妻の後を追う。ヤブも覚悟していたが意外と開けていた。この上りでも石段が次々と出た。妻が待つ所に着くと、そこは左へ横ばい尾根が延びている所だった。地図とコンパスで確認すると (19) 地点だった(と思った)。
19・(13:33) 界尾根の近くに在ると言う事で△大谷に寄ることにしていたので、妻を誘うと、妻は『ここで待つ』と言った。で、私1人で△大谷へ向かった。間違いでない事を願いながら進む尾根も余り塞がっていなかった。初めの下りで少し右に外れるも復帰して、視界無き尾根を進んで初めのピークに立った。
やや右に曲がって下っていると、前方に△大谷と思う大きなピークが見えるもヤケに遠く感じ、後の事を考えて一度は『ここで引き返そうか・・・』と思ったが『二度と来る事が無いかもしれない』と思い、そのピークが大谷であることを願いながら向かった。コル辺りは開けた所も有り、上り返すとススキに覆われたピークにTVアンテナが立っていた。アンテナのケーブルは北の尾根に下っていて、石標を探したがそれは無かった。もう一度しっかり探したが無かった。『せっかくやって来たのに・・・』地図を見直すが間違いが無いように思う。そこで、『もしかしたら・・・』と、思い続きの尾根に期待をして進んでみると(20m位か)そこに石標が立っていて、胸を撫で下ろした。
20・大谷(13:48) 展望なし。
初めてのコースで目的の石標に合えた時は本当にホッとする。
引き返し(13:56) 往路で気になっていた所、初めのピークから北に、ちょこっと飛び出た岩場に立つと3町境界から (18) 辺りや
棚原山方面も見えた。そこから妻を呼ぶと(肉声)返事が有って『寒くなってきたから先に進む』とのこと、また『私の姿も見える』と返ってきた。
19・(14:07) 妻がメモを置いていた『先に行きます14:05』尾根は一度は切り開かれたような形跡が有り (18) からプラ杭が打ってあって、それも頼りに比較的楽に歩けた。
21・(14:13) 展望なし
ここは、何でも無いように思っていたが、感覚的には左へ大きく向きが変った。杭は尾根先端へと続き、そのまま下っていた。その杭に沿って一度は下り始めたが視界が開け、続きの尾根が無く間違いに気が付いた。目を展じると界尾根だろうか右にえらく回りこんで左へと延びていた。10m位引き返して、手ごろの太いクヌギに登って展望すると、261mが凄く尖がって険しそうに見え、尾根が繋がった。
発(14:31) 尾根無き所を緩く下って行くと、こちらにも同じ杭が打ってあった。間もなく尾根が出て横ばいに進むと意外と簡単に上り切れて、高木雑木が生える水平ピークだった。
22・(14:47)

(21)で木に登って遠望
先方の方はどの尾根が町境界か分からなかった
着いて直ぐに左へ下るのが正解と下り始めたが、尾根が続かない・・・眺めるとピークの先端から尾根が繋がっているように思え、引き返してピークの先端から下った。
発(14:52) が途中で、やはり初めの下りが正解だったと分ったがそのまま下ってコルで界に乗った。
(15:00) 獣道程度の踏み跡を緩く上って
23・(15:06) シダが出るも踏み跡は続く、やがて左下の谷に建物(地図のマーク)が見え始めた。
24・(15:22) ここは尾根に直角に上り着き、左へ折れた。上手く界に乗れて先へ進む。柴ヤブを分け、枝を払いながら横へ横へと進んだ。
25・(15:33) こんな所に新しいと思える「鳥獣保護区」の立て札が立っていた。
左の谷底の建物の全貌が明らかになった。それは、建物の高さまで土塁で囲まれた建物だった「火薬庫か弾薬庫?」と思ったが・・・。コース状況が岩盤尾根の様になって行く。そして、南の支尾根に乗らないように要注意地点。
26・(15:36) 展望が効いて心配はいらなかった。界尾根方面はヤブっぽい岩盤急下り、その先に最後の大きなピーク (27) が尖がっていてその麓に仁豊野地区だろう住宅街が見えていた。残り時間も迫って来ていて少々焦りが出たが進むしか無く、左右を展望しながら下り切ると開きが出るも急登が待っていた。
27・(16:00)
少し進んで右へ下り始める。
(16:07) 始めはそこそこ開いていたが次第に柴ヤブになって激ヤブの所もあり。とは言っても昔は道が付いていた事がハッキリ分った。中ほどの緩んだ所
(16:15) 2度目の下りもヤブが続いて、やがて右の谷に大きな砂防ダムが見え始めた。界から外れるが、今日はダムの底に下りないように気を付けて下り、ダムの上部に着き、ダムの上を歩いて谷筋の南に見えていた道に出てそれを下った。
28・(16:33) 集落に出て、仁豊野駅への道を尋ねて駅に着いた。
1・仁豊野駅(16:43)
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