bR62  日和(大河内町物語その4)


宮野地区から見上げれば、歩く界尾根雪冠り、不安と期待を胸に抱き、

入った谷は期待に応える。目には映らぬ幾重の滝。崖に付いた確かな道を、

上れば開けて深谷瀑布。時代を耐えた石標一体、貯水池から西の谷は杉の倒木雪積もり、

乗り越え潜り着いた界尾根(峠?)想定外の巡視路だった。北へ上って林道歩き、

チョウ慎重に読図して、計画尾根にバッチリ乗れるも通るに通れぬ倒木地獄は

迂回しながら進み行き、最終尾根肩展望楽しむ。



宮野地区〜宮野掛ヶ谷(宮野地区西の破線谷)〜水力発電所跡〜掛ヶ谷の滝〜

掛ヶ谷の道標 掛ヶ谷の貯水池〜西の谷上る〜夢前・神河町境界〜北進〜林道〜

坂の辻峠方面へ進む〜宮野(911.4m三等)の東尾根に乗る〜840m〜

日和(606.6m四等)〜TVアンテナ〜送電線鉄塔〜尾根通しに下る。



◎所在地 : 神河町(旧大河内町)宮野地区西破線谷突き詰め
                        夢前町との町境界その破線谷北面の主稜線周回

◎地形図 : 2万5千図  『寺前(てらまえ)』  『長谷(はせ)』

◎山行日 : 2005.12.10 (土)  曇り(積雪あり)       

◎山行条件 : 歩き/単独      Age=58

◎コースの見所 : @水力発電所跡  A掛ヶ谷の滝  B掛ヶ谷の道標                  

             C(11)から西の大展望  D(23)から360度大展望

◎走行距離 : 往路 @57.7km  往復 112.0km 

          播但道 神崎南LP往復(750円×2=1500円)




自宅発(6:55)〜加古川・姫路B/P〜播但道〜神崎南LP〜R=8〜

1・宮野橋(8:03 発8:22)〜2・水力発電所跡(8:36)〜3・(8:41)〜4・(8:55)〜

5・掛ヶ谷の滝(9:07 おやつ 発9:14)〜6・道標(9:18)〜7・突き詰め(9:28)〜

8・貯水池(9:35 発9:52)〜9・(10:00 おやつ 発10:05)〜10・町境界(10:14)〜

11・(10:20 発11:23)〜12・林道(10:30)〜13・(10:39)〜14・南尾根巡視路(?)〜

15・(10:58 おにぎり 発11:05)〜16・(11:23)〜17・840m(11:33)〜

18・(11:49)〜19・(11:56)〜20・(12:02)〜21・日和(12:25 おにぎり 発12:37)〜

22・TV(12:55 発13:03)〜23・鉄塔(13:12 発13:19)〜24・林道(13:38)〜

1・(14:02 発14:10)〜往路〜自宅(15:20)



今日のコース『いつ歩けるかなあ』と思っていた。今年10月15日峰山高原〜砥峰高原を周回した帰りに立ち寄った野菜販売所に居られた人(60歳位男)との話しの中で『雨の中でも歩くとは余程山が好きなんやなあ』から始まって『宮野地区から西の谷への破線は熊部地区へ越せるのですか』と訊いた(この時にはまだ掛ヶ谷とは知らなかった)すると『あの谷には滝が3つ在って凄くきれいな谷やで上って見たらええわ、奥には池も在ってそこまで道もついとるし、この間家の親父が池の近くまで上ったと言うとった。』熊部へ抜けられる事の情報は得られなかった。

そんな事もあったし「お宝」によると「宮野掛ヶ谷の道しるべ」として地図に記されている。そして12月3日には決定的な情報を得て早く歩きたいと思っていた。加えて「やまあそ」からも宮野地区から熊部へ抜けて雪彦山の賀野神社へお参りする道が在った事や谷には石標が二ヶ所、滝もある事などの情報も送ってもらっていた。『播但道を走るのも少し飽いて来たなあ』と思いながら走って神河町がちかづいて山並を見ていると、中腹から上は雪を冠って白くなっていた。『歩けるかなあ』と思いながら宮野地区に着いて車を橋の付け根の広場に置かせてもらった。 1・宮野橋(8:03)

歩く谷は、見る度深くて厳しそう、おまけに上の方は雪で白い。どれ位の積雪なのか見当が付かないが期待の方が勝って、止める気は少しも起きなかった。人に会う事も無く支度を済ませた。 発(8:22) 集落を外れて上っていると右手に整備された墓地が在り、間もなく、2個所で鉢物を出荷している所が在った(初めのは閉鎖のようだった)。道の横には雪が残り、地道になって間もなく左に看板を見る(下写真) 2・水力発電所跡(8:36)



道の左谷川との間に在って、たいして広くない台地(1番広いのでも50坪位?)は石垣で3段に分れていて発電所の基礎らしきものは無く、植林されていた。薄暗い植林帯を上っていると、道は橋無しで谷を渡っていた。 3・(8:41) 北寄りの尾根にも道が上がっていたし、主流を渡ってしまったんではないかと不安のまま上って行く、道がしっかり付いていたのが救いだったが水音がしない、谷を間違えたか・・・。道の右に石垣が出て祠跡のようでもあったがその近くにコンクリート塊が在ったので発電所に関わるものか・・・。

間もなく右に大断崖が現れた。この断崖はR=8からも良く見える、と言うことは計画コース確信。と言っても渡った谷の奥にも同等の断崖が在り、安心はしていなかった。何処までも続く踏み込まれた道と方向に自信が増していった。崖の中腹の岩棚をぬって付けたかのような道は、融けかけた雪が凍っている所も有り慎重に上る、左下からの水音が大きくなって、見えないが滝かと思う。 4・(8:55) 岩場を上り切ると谷川と接近して緩い上りが続いた。


(4)を通過して道が緩くなり始めた辺りこれでも左は崖になっている


右に鹿網が出る。地形と地図と方向が合って間違い無く計画コースを歩いていると確信した。「上岩奥山(岩ヶ谷)公団造営地・・・」の例の黄色の大きなプラ看板を見る。谷川には滑ら滝も出て、やがて傾斜が増して行き、太い樅の木が目立つ。次第に谷から離れて行き尾根を右に回りこんだ正面下に3段の美しい滝が現れた。 5・掛ヶ谷の滝(9:07) 滝を覆う樹木が無くやや殺風景な感を否めないが滝自体は気品を感じた。ここで肩きりを脱ぎ、おやつを食べながら滝見物。 発(9:14) 

(5)これが「掛ヶ谷の滝」と思う
 高さは3段合わせて20m位感じたが遠望なので実際はもっと高いと思う

そこに生える3抱えに余る太い樅の木と滝を後にする。 発(9:14) 何だか石標が有りそうな(それは無かった)感じの大岩の際を通過し、深い谷を左へ回りこんで滝の頭を通過、横ばいから緩い上りになり、上り切ると太い杉林になって右が広いガラの谷筋になった。そんな時左の杉の根元に、待ち望んでいた道標が杉にもたれ掛かって建っていた。 6・道標(9:18)

(6)道標(左側上から:左・熊・部 右側上から:右・山・三・千)
左の「熊と部」は漢字の変体文字で全く読めなかったが「熊と部」であるらしい高さは45センチ

「右 山三千 左 熊部」熊部は漢字変体文字なのだろうか・・・全く読めなかった。もう少しで見逃すところだった。右の大ガラの谷筋に道が入っている様な形跡を見たが、これが石標の「右 山三千」の道なのだろうか・・・。道標は道しるべの方向からして見え易い所に移動されたようだ。発って間もなく谷川を右から左へ渡るがここには橋が架かっていたらしく両岸に石垣が残っていた。 (9:23) 緩く上ると左断崖、谷筋は大岩が重なり突き詰めとなる。状況から谷を上るしかないと判断して谷筋の上れそうな所へ行き、岩盤を上り掛けると、岩盤を掘り込んで三段の階段が付いていた。 7・突き詰め(9:28)

(7)岩盤を掘り込んで作られた階段
雪と木の葉と土を取り除いてハッキリ分った

水流も細くなり谷川の右を上っていると、身を切るほど冷たい風が吹き降りて来た。谷の上に石垣が出てその上が池だった。 8・貯水池(9:35) 規模は予想以下だった。計画段階では @この池から東の尾根に乗り、北進して林道に出る。 A池の北の谷を詰めて林道に出る。 B池の西の谷を詰めて町境界を北進して林道に出る。の3パターンを計画していたが積雪あるも残り時間が十分有り単独行だったので一番長い距離のBを選択した。

とは言え、先ずは北の谷の探索に入った。道がそのまま続いて谷の奥へと続いているのを確認して引き返した。 (9:40) 池の堤には雪の上に靴跡が付いていた(往復だったかは記憶なし)堤を渡って西の谷への道を探すと道らしき段が在るも積雪で不明瞭(靴跡は付いていた)西の谷に入った時は手持ちの地図では途切れていたのでその時用に地図のコピーを準備していたので水門の所で張り合わせをしてカバーできるようにした。 発(9:52)

(8)掛ヶ谷の貯水池 南から
水面への写り込みがキレイ発電所用主体に造られた池か?

池に滑り落ちそうな所もあり、間もなく巡視路の指示板が立っていて、矢印は南の△柳谷797.6mへ上がっていた。靴跡もその方向に上がっていたが倒木と急斜面で歩き辛そうだった。谷に入ると道だったらしき跡があったが所々倒木があり避けながら上っていると、どうにもならない位の倒木が谷を塞ぎ始める。谷筋を避けてはとても歩ける状況ではない『さて、どうする・・・こんな時には休むに限る』とおやつを食べながら対策を考える。 9・(10:00) 


(9)おやつを食べた所から上方の谷筋倒木の上に乗って撮る

『町境界までの距離はしれている』との結論から界を目指した。 発(10:05) 雪が無ければ道の跡も見られたかも知れないが、在るだろう道跡は分らない・・・しかし、数ヶ所で『これは・・・』と思う所が在った。倒木帯から抜けて間もなく左上に尾根が見え、奥へ続く谷筋から外れて尾根に乗った。 10・町境界(10:14) 南北界を見ると双方共に明るく開け、南から靴跡が下りて来ていた。池のところから上ってここへ下りて来たのか・・・。夢前町側の太い杉林に道跡が無いかと入って見たが如何せん積雪有り、どうにも分らない『残念!!』

林道(北)へ向かって上り始めるとプラ階段が出た。尾根の開は巡視路によるものだった。やがて明るくなって視界が開けた。 11・(10:20) 西を見ると大きな山塊の中央を林道が走っていた。多分「雪彦・峰山線」だろう、見ているとその林道は尾根を巻いて消え、その先二つ目の尾根上に雪彦山の「不行岳」だろうか尖がり岩が頭を出していた。七種山山塊はシルエット程度だったが見事な遠望で笠形山も同定できた。(写真に収めたが雪に煙ってハッキリしていなかった)現在地と北の小尾根は伐採されていたので鉄塔跡かもしれない。立っている尾根下の深い谷に熊部地区が在るのだろうが、これから先の事を考えるとジックリ確かめる余裕が無かった。

振り返ると界尾根の南に見事に尖がったピークに大きな鉄塔が建っていた。勿論立ち木は無く360度の大展望が得られるだろう、この尾根も歩く計画を立てているがその日は何時になるか・・・。 発(11:23) 高い木が無いと積雪も多かったが直ぐに右桧左高木雑木の植界になり、上っていると靴跡は消えた・・・ここまで来て引き返したか・・・。間もなくガードレールが見えて来た。 12・林道(10:30) 凍える位冷たい風が吹き抜けていた。幅4mの完全舗装の道にはパウダースノーが10〜15cm位積もっていて車が通っていた。


(12)林道に出た所 南より写真左から上がってきた

さて、これからが大変、引くに引かれぬ所まで進んでいる。この雪の中『林道から間違わずに下り尾根に取り付く事が出来るか』と凄く緊張した。雪の中を歩くと体力の消耗が大きい、かと言って轍を歩くと滑る、あちこち歩きながら進んだがとにかく現在地を確実に確認しておかないと、林道から下り尾根に取り付く事が出来ないので、何時に無く神経を尖らして地形と地図を合わせながら歩いた。間もなく「起点から11.0km 裏を見ると終点から8.08km」の標識が立っていた。この林道はまだ完走した事がないが総延長19.083kmだから計算が合う。

車がチエ−ンを巻いた跡もある、緩く下ったり上ったりしながら進んでいると、右尾根に巡視路が入っていた。 (14) 地点だと思う。(私の地図には送電線マークが入っていないので確認できないが池とここの鉄塔は巡視路で繋がっていると思う)大きな支尾根なので現在地確認に役立った(合っていればのこと)。道は北を向きバッチリだった。次に方向が大きく西向きに変わる所に立った。ここは日当りの良い所で風も無く、ホッと気持ちが和らぐ所だった。 15・(10:58) 

ザックを降ろして入念に現在地確認して、ほぼ確信を得ておにぎりを食べた。 西側法面は前後とも10m近い高さで谷側は急斜面で滑り落ちていた。現地から尾根の確認は出来無かったが林道から踏み込んだ(カーブミラーが立っている)。 発(11:05) 直ぐに桧の倒木が出た、しばらくは尾根を行けたがコルからは雪のせいもあるが越える事も潜る事も出来ず、尾根右へ少し迂回する、これとて笹藪で思うようには行かなかった。 (11:09)

倒木帯を抜けて上っていると北樹間が開けて太田池方面が見えた。そんな時、何処からかリズム音??ザックの中の携帯電話からだった。 (11:13) 開けると「マイカー登山」の藤原さんからで、ピンチヒッターで私が入った、今度の山行きの参加者についての問い合わせだった。上り切ると南が全開になった。七種山山塊から笠形山も同定でき、晴れていれば千ヶ峰も見えると思った。16・(11:23) 横ばいなるも少しの倒木は苦になるほどでは無かったが積雪多し。北側も悪環境で伸び悩んだ雑木の間から見える、少しばかりの岩場が在り、下って上って 17・840m(11:33) 先のコブは凄い倒木に雪が積もって、越す事も潜る事も出来なく左側(北)を巻いた。

着いたコルからの上りも、これまた倒木、今度は右側の桧林をを大きく巻いて西の尾根に乗ってピークへ向かったが倒木でピークへは立てないまま笹を掻き分けてコースに乗った(乗ったつもり) 18・(11:49) 左は植林帯右は笹藪の自然林、この辺りの地形は特に苦手とする所、必死で地図と地形を読んだ。結果、我ながら上手くコースに乗れたと思い(100%の確立は無かった)下り始める。 19・(11:56) 太い樅の木が群生していた。笹も消えて『この尾根が正規尾根でありますように』と祈りながら下った。 

20・(12:02) ここも要注意地点、直に下ってしまいそうだったが何故か気が付いて上手く東向きの尾根に乗れた。左桧林右が自然林になって、その界を下った。時々北が開け雪を冠った△南小田(U)850.2mの三角山が飛び出ていた。上り返して 21・日和(12:25) おにぎりを食べながらお茶を飲もうと腰に付けているボトルに手をやると無い、ボトルが無くなっていた。何処かのヤブを通過した時に落ちたのだろう。カメラなら引き返して探すところもボトルではその気にもならず諦めた。詰め替えのボトルをザックに入れていたから大丈夫。(計画時、ここから北東の461mを経由して下る事も考えたがキャンセルしていた) 


(21)△日和606.6m四等西から

ここまで上手く下れて、『我を称えた』雪も殆ど見なくなって、時間も十分有り、気持ちにゆとりが出来た。 発(12:37) 展望は無かった。やがて傾斜が緩んで岩稜になり尾根肩近くなると山全体が一枚岩になって、その上に四方八方に根を張った赤松が生えていた『あんたも良く頑張ってますね』と思わずにはいられなかった。その直ぐ下にTVアンテナが立っていた。 22・TV(12:55) これは現役だった。寒さ無く、小春日和を思う気温に益々のんびりモード、南が開けていたと思う。 発(13:03) そうなんです、ここからだったと思う、雑木林の中に明るい道が出た。

鼻歌も出んばかりに快適に下って行く。やがて鹿網が出て、北から東面が全開になる。△南小田(T)前後とbR58の峠上尾根から城跡までが見え、a[361の尾根も見えた。網に沿って下っていると右からほぼ横ばいの明るい道が来ていた(巡視路だと思う)。直ぐに又道が右斜め下へ下っていた。そして、大きな鉄塔が建つ小さなハゲピークに立った。 23・鉄塔(13:12) 遮るもの無く大展望。振り返ると日和の頭に (18) ピークが乗っかっていた。勿論朝上った深い谷筋も(下方)。

この鉄塔にまつわる話を一つ、今年10月15日峰山高原〜砥峰高原を周回した帰りに立ち寄った野菜販売所に居られた人(60歳位男)との話しで「夏のある日、外国人女性を交える数人(人数不明)のグループが日が落ちて暗くなって、この鉄塔の所で焚き火をしながら救出を要請、警察や地元の消防団が出動して救助をしたそうな。大岩場「今日のコース(3)地点の北側の谷の岩場と思う」でロッククライミングをして下る時にこの鉄塔へたどり着いたらしい。たぶん巡視路を見つけてそれを歩いているうちに鉄塔まで来てしまい日が暮れて下りれなくなったのだろう。明るければもう一本の巡視路に気が付いていたと思う。

  
鉄塔からの眺め(ポイントはbR51から)中央南小田(T)右鞍部峠 (23)鉄塔が建つ尾根肩  鉄塔から振り返って奥18・手前日和

宮野地区もまる見えで私の車も蟻のように小さく見えていた。サテ、巡視路も見つけたし、『2本目に乗れば麓まで下りれるだろう』と思ったがここは計画通り尾根を下る事にした。1段下の尾根は横ばいで下草無く赤松生える快適な尾根だった、『この分だと麓まで・・・』と思う間もなく、下りに入ると見る見る柴ヤブ状になって行き尾根を下るつもりが次第に右に振って下っていた。ザレの急斜面だったが高木雑木が多くこれが救いだった。再びヤブがきつくなり始め、更に右へ振って下っていると下に広場が見えて来た。

下り着いた広場は道に接していて、道は西の大きい谷へ上がっていた。 24・(13:38) この谷には大きな砂防ダムが見えていたからその工事用の道と思う。(私の地図には道もダムのマークも無い)うろついていると直ぐ右の谷に沿って道が上がっていた、多分2本目の巡視路と繋がっていると思う。この広場は鉄塔を建てる時の資材置き場か?道を下ってR=8に出て車へ向かって直ぐ、右手に小振りの神社が在って覗くと看板が立っていた。

それには「石の懸樋(かけひ) 現在の小田原川は、その昔湯川と呼んでいた。播磨風土記にも昔、湯が出たところと記されているところから、奈良時代にはすでに湯がでなくなっていたようである。懸樋とは、水や湯を地上高く通すためのものである。この石の懸樋も昔、湯元から湯を引くものであったといわれている。」と記してあった。懸樋の実物は地表に45度位の角度で立っていて長さ2m20cm角位の石柱で一辺にV字の溝が彫られていた、この溝を湯が通っていたのだろう。

懸樋の実物
なぜこのような角度で立って、今に残されているのだろう

その近くにコンクリートブロックで囲まれた室の中に高さ1m位の宝篋印塔が安置されていた(双方共お宝地図に記されている)。その後立岩神社由緒が長々書かれた看板を読んだりして車に戻った。 1・(14:02 発14:10)


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13

@

21・宮野・606.6m
20
23
24
19
17・840m
11
10
5・滝
16
15
22
18

14
12