350 白髪岳〜御狩山

黄金揺れる住山地区から林道歩いて親水池。新たに出来た遊歩道で、立った白髪は6回目。
辿る境界眺めて見れば、最後の難所?御狩山が見事な山容見せていた。
住山地区〜ワン谷林道〜親水池〜終点〜遊歩道〜白髪岳(721.8m二等)〜
町境界南下〜ワン谷分岐〜町境界南下〜453m〜355m〜
「平安の道の峠」町境界峠〜御狩山(おかりやま)501.3m四等〜R=372。
◎所在地 : 篠山市住山地区北部白髪岳から真南に座する
御狩山への
旧町(丹南・今田)境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『篠山(ささやま)』
◎山行日 : 2005. 8.28 (日) くもり〜時々小雨
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=58
◎コースの見所 : @ 住山地区に数棟残る茅葺き屋根 A ワン谷のヤブ椿群落
B 白髪岳からの大展望と岩場歩き
◎走行距離 : 往路 52.0km 往復 106.5km
自宅発(7:30)〜R=175〜小野市中古瀬南交右折R=567〜R=372〜1・自転車デポ〜
篠山市不来坂(このさか)〜住山地区1・(8:53 発9:10)〜2・銀鉱跡コース分岐(9:35)〜
3・親水池(9:49)〜4・林道終点(9:52)〜5・尾根(10:03 おやつ 発10:14)〜
6・白髪岳(10:30発10:49)〜7・ワン谷分岐(11:20)〜8・354m(11:37)〜
9・TV(11:42 おにぎり 発12:06)〜10・(12:20)〜11・峠(12:26)〜
12・(12:40 発12:47)〜蜂に刺される(13:08)〜13・355m(13:15)〜
14・峠(13:26 おやつ 発13:37)〜15・肩(14:02 発14:13)〜
16・御狩山(14:24 おやつ 発14:46)〜17・(15:20)〜18・神社(15:27 発15:30)〜
自転車で走る〜1・(15:38)〜19・休み(16:00 発16:47)〜往路〜自宅(18:27)
※町境界=旧今田町と丹南町
計画したものの雨で中止、次は納屋のリホームで順延になっていたが、やっと歩ける日が来た。白髪岳へはあちこちのコースを使って上っているが、近年出来たと思うワン谷林道終点からの遊歩道が未知とあって、これを歩いて白髪岳に上り、メインの下りは旧丹南町と今田町との町境界尾根を南下して、終盤美しい三角錐の山容「御狩山」を通過してR=372へ下り立つことにした。デカンショ街道に入るとかなり稲穂が色付き始めていた。下山地点(R=372)は法面が高く下りられないので近くに在る神社に自転車をデポして住山地区へ向かった。
白髪岳を正面に見て住山地区へ入ると早くも稲刈りが始まっていた。西を見ると「御狩山」が聳え、辿る旧町境界尾根は、ヤブっぽく思え、気合を入れた。車を置く所は、今では定番になったと思える集落と集落の間に在る広場。
1・(8:53) 既に2台の車が止まっていた。支度をしていると、もう1台やって来て、一人の男性(40才代)が軽装でさっさと上って行った。
発(9:10)道の傍には未だ青い大きな栗のイガを付けた木が沢山植わっていた。変わりない林道を上っていると山仕事の人が乗った車が私たちを追い越して行く。
やがて建物が見えて来たと思うと、それは東屋で銀鉱跡コース上り口だった。
2・銀鉱跡コース分岐(9:35) 初めて上った時はうっそうとしていたが大きくキレイなイラスト看板も立ち明るく開けていた。看板を見ると林道終点から白髪岳と松尾山をつなぐ道に遊歩道がつながっていて、これが今日歩く道だった。右は太い杉林左は急斜面にヤブ椿の群落が長く続き、その中を横断している遊歩道が見えた。やがて、その道が林道に交わり、少しすると2連の小さなダムで出来た親水池だった。
3・親水池(9:49)
(3)親 水 池
そこからの林道はコンクリート舗装でワン谷林道終点に着いた。
4・(9:52) 何故か遊歩道へは直接つながっていなかったが数メートルで遊歩道に乗って上り始めた。この道は余り使われている気配が無く、「タケニグサ」が道を覆いかけていた。上るにつれてそれも無くなり、間伐整備された急斜面の山肌を予想以上に長くジグザグと上り続け、白髪岳と松尾山をつなぐ歩道に出た。
5・尾根(10:03) 丁度白髪岳も望めて、そこでおやつを食べながら一休みしていると、白髪岳の方から鈴の音がしてきて男の人(40歳半ば)が下って来た。『早足ですね』『雲行きが悪いので雨に遭わないうちにと思って』足を止めることなく松尾山へ消えて行った。
発(10:14)
白髪岳へは元コースで上ったが、道は雨水で土が流されひどく荒れていた。頂上に立つと誰も居なく『貸切りだ〜』と思う間もなくワン谷の方から(P)で出会い先行された人が上がって来た。
6・白髪岳(10:30) 『やー』と声を掛け合うだけでその人は松尾山の方へ消えて行った。入れかわって、私より少し若いと思う人男性が松尾山の方から上がって来た。聞くと「20年振りに上った」と言われ35ミリ一眼レフと一脚を携えて居たので『写真が目的で』と尋ねるとそうでなかった。
そうこうしていると、婦人2人(どちらかが奥さんだった)も上がって来られ、私の知る範囲で山の名を教えたが視界は良くなかった。この後たどる町境界を目で辿ると終盤に険しくも美しい姿の「御狩山」が目を惹いた。その人達が昼食に入られたところで頂を後にした。
発(10:49) 妻は一般道を下り私は最後まで岩場を歩き、先端近くに付いた時、下の方から女性の声がしてきた。待っていると70歳前後と思う婦人2人の姿が見えた。岩場の上から挨拶をする、『この岩場を上がられるのですか』半ば冗談で言ったつもりだったが、婦人は怖がる事もなく足場を確保しながら上がって来られた。
岩場最先端からの眺め・右最奥和田寺山・左奥虚空蔵山・その手前御狩山
この度も、この婦人2人に「感動と頑張る力」を頂いた。そう言えば私もMTB登山で感動を与え、『感動した』と言われて私も頑張る力を頂き、MTB登山を長く続けられたんだと思った。婦人と別れ、岩場の先端に立って、今年6月14日に踏み外した尾根を確認し、そこへ下れる岩尾根コースを見つけて登山道に下りた。6月14日の四斗谷分岐で妻を待っていると、ポツリポツリ雨が落ちてきた。空を見上げると大降りはなさそうだった。
(11:08)
妻が来て下り始める、やがてベンチが2台設置されているワン谷分岐に着いた。
7・ワン谷分岐(11:20) ここから白髪岳や松尾山が良く見えていた。展望は塞がるが界は開けていた。ヤブも覚悟していたがかなり人が歩いてている事が分って少々気合が抜けた。そんな事を思いなが下っていると黄色や赤のビニテープが派手に巻かれた要注意地点の尾根分岐だった。マークが無ければ東の尾根に誘い込まれていたかも知れない・・・。急下りが始まって地図通りの地形を確認する。
赤松が主体の植生になって松葉のジュータンが続く、コブを1つ越えて短い急登で
8・354m(11:37) 振り返ると樹間から白髪岳が見えた。少し先も要注意地点の尾根分岐(最終的に殆どの尾根に踏み跡又は道が在った)用心ようじん・・・。大した岩でないが露岩が続いて尾根肩に出るとTVアンテナが2本建っていて久し振りに展望も得られ、ここでおにぎりタイムにした。
9・TV(11:42) 共同のTV受信アンテナが2本建っていて樹間から住山地区からR=372と、丁度福知山線を走る電車が見えた。もしかして・・・と木に少し登ると私の車も見えた。おにぎりやおやつを食べながら眺める御狩山は一段と大きくなった。久し振りの山歩きで「これを越せるかな・・・」と思うくらいの急登だった。
発(12:06)

(9)からの御狩山(中央)
気が付くと、何時の間にか雨は止んでいた。発って直ぐは住山地区へ下るケーブル埋設の開きに誘い込まれる危険が有るので要注意。朝がた住山地区を走りながら「大ヤブかもしれない」と予想していた尾根には相変わらず明るい踏み跡が付いていて進行がはかどった。右下に6月14日に歩いた林道をチラチラと見ながら歩いた。
10・(12:20) 下って上り返したコルは峠で、住山地区への道は明るかったが四斗谷地区へは消えかけていた。
11・峠(12:26) 左山肌を囲む鹿網が出る。露岩が出てヤブっぽい横ばいを行き、私の苦手なポイント付近に着いた。
12・(12:40)
ザックを下ろして真剣に地図とコンパスで現在地の確認をした。進むだろう東側には尾根は無く、深い谷の東に御狩山が在った。「もう一つ南のピークから東に下って上り返すのか・・・」 南のピークの先に、もう一つのピークを確認し、434mピークの手前に居る事が分った。布を2本巻いて思い切って東向きに下った。
発(12:47) 下り始めるとマーキングも出て踏み跡も明るくなった。その後は展望が塞がったままで界を外さないように注意を払って進んだ。
マッタケ山なんだろうか(近年はそうでなさそうに見えたが)ヒモが張って有った。そんな時、素早く虫が飛んできたと思ったとたん左腕に痛みを覚えた。その瞬間「蜂に刺された」と私には分って身を伏せて静止した。他に何匹か飛び回っていたが刺されてのは一ヶ所だけですんだ。(蜂に襲われると動かぬのが一番と思っている)
蜂に刺される(13:08)
子供の頃に、蜂には何度も刺された経験が有るが、大人になってからは「三室山」登山口で刺されたのとで2回目である。直ぐに刺された所を指で強く摘まんで毒を搾り出して(つもり)ムヒを塗った。痛みは余り無かった。蜂も我が家に帰ったのだろう居なくなった。未だ好奇心の強い山猿は何処かに巣があるはず、どんな蜂だったか探ることした。周りを見渡しながら恐る恐る歩く、巣は歩いて来た道の直ぐ横の枯れ木にぶら下っていて数え切れない数(数百匹)の蜂がとまっていた。この蜂は田舎には生息していなく初めて見る蜂で、巣は長さ25cm太さは最大で直径5cm位だったと思う。

こんな形の蜂の巣
ギザギザしているのが全部蜂で中に巣がある
妻は遠巻きに歩いて巣を離れて行き、私も後を追う。蜂に刺されて間もなく355m地点に着いた。
13・355m(13:15) 方向が西から南に変わって下り始めた所で西が開け、辰巳地区最奥の池が2つ見えてその間に建物が建っていた。凄く環境が良さそうなので『下山後はここに来て休もう』と決めて峠へ下った。 『慶佐次 盛一著・兵庫丹波の山(下)』 によると、『丹南町と今田町の町界の峠へ上る道に「平安の道 義経ゆかりの道」と書かれた道標を見つけ・・・』とある。その町界の峠とはどんな峠なのか興味を抱きながら下った。
14・峠(13:26) 峠は左植林帯右は雑木帯で薄暗かった。左右どちらにも明るい道が残っていたが由緒ある峠の雰囲気は全く感じられなかった。今田町側への道は雑木帯の中に水平に延びていた。
そう言えば、マイカー登山の馬場さん達は、『古市駅からこの峠を越えて、そのまま西進し四斗谷からトンガリ山へ上った事がある』と6月14日に聞いた。義経が家来と共にこの峠を越えて三草山で戦ったのか・・・。妻に、ここからは急登だから余力が無ければ住山地区へ下るように勧めたが『まだ2時間位は歩ける』と返ってきた。おやつを食べて、つま先上がりの斜面に踏み込んだ。 発(13:37) 始めは道が付いていてその道を歩いたが直ぐに獣の捕獲用柵に突き当たり、これへの道だった。
方向は南へ直登だった。古く白い角プラ杭に沿って雑木帯をあえぎ休みながら上って尾根肩に着いた。
15・肩(14:02) 妻を待って更に休んで
発(14:13) 肩からは西からの踏み跡が付いていて難なく御狩山に着いた。最高点は猪だろうか掘り返されていた。あれ!!石標が無い・・・。まさか・・・間違ったのか。標石は西へ少し外れた(下った)所に有った。コンクリート柱の天に真鋳製の丸い標識が埋め込まれていた。
16・御狩山(14:24) 展望は林越えに南が望め、高度感が無かったが険しく尖がった東山(471.1m四等)が見えていた。

御狩山三角点 東から 御狩山三角点標
ここで最後のおやつを食べて下山に向かったが、下り始めは界が分りにくかった。コンパスを頼りに下っていると尾根が出て、界のマーキングなのか立ち木の所々に消えかけた青のペイントが付いていた。西よりの尾根に乗らないように気を付けながら下っていると自動車の走行音がしてきた。界を下るとR=372に突き当たり、高い法面の上には多分金網が張り巡らされていたと思う。しかし、ここは忠実に界を下った。
17・(15:20) 網は確認しなかったが道に沿って西へ進んでいると、旧峠道なのだろうかそれらしき地形を歩いて自転車を置いている神社に出た。
18・神社(15:27)
境内の傍らに『皇紀二千六百年記念 百壽姥杉尾由喜植樹』の石標が立っていて、その木と思える枯れた株が残っていた。
発(15:30) 妻を後に、自転車で走り、先ずは美しく尖がった御狩山を眺め、曲がりくねった界尾根を見ながら車へ向かった。戻ると私の車だけがとまっていた。妻はR=372から住山へ入った所で私を待っていた。その後奥の池の所に行ってみると、広場があってそこで着替え、ゆっくり休んでおやつを食べて帰路に就いた。
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