8=鎌倉岳・725.4m
14・奥中山
   590.3m
345   鎌倉岳〜奥中山〜六路木山


深い谷に、アッと驚く高い石垣。

乗った尾根からウリュウドや、西へ進んで七種山塊展望しながら着いた点名鎌倉岳は展望無し。

期待の断崖目指して下ると、予想に反し明るい開き。

楽々立った大岩頭はのんびりゆっくり安全帯。

その後歩いた尾根上で大倒木やヤマビルに襲撃されて難儀するも、

モリアオガエルや高木雑木に心身癒され山下りる。



杤原地区〜林道(杤原川本流に沿って入る)〜実線終点Y字分岐(Ca330m)〜北東破線〜

地図『富』の字左肩谷筋上る〜尾根〜尾根西進〜
鎌倉岳(725.5m四等)〜

鎌倉岳南西崖マーク〜西尾根〜498m〜奥中山(530.3m四等)〜

六路木(ろくろぎ)山(494m)〜安富町北小学校。



◎所在地 : 安富町皆河(みなご)・富栖湖・関地区と杤原川に挟まれた尾根

◎地形図 : 2万5千図  『山崎(やまさき)』 『寺前(てらまえ)』

◎山行日 : 2005. 6.12 (日) 晴れ        

◎山行条件 : 歩き/大柿夫婦・井上夫婦      Age=58

◎コースの見所 : @ 鎌倉岳南西の断崖  A (11〜12 17〜19)高木雑木 

◎走行距離 : 往路 1=54.5km  2=58.5km  往復 113.0km



自宅発(7:00)〜姫路B/P〜R=29〜安富町安志南交〜R=430〜

1・安富北小前(8:06 発8:31)〜2・(8:45 発8:51)〜3・林道終点(8:56)〜4・(9:17)

〜5・(9:47)〜6・尾根(10:30 展望 発10:40)〜7・(11:50 展望 11:55)〜

8・鎌倉岳725.5m四等(11:10 発11:28)〜9・岩頭(11:35 おにぎり 発12:23)〜

10・尾根(12:35)〜11・(13:15)〜12・498m(13:22)〜13・(13:55 GPS 発14:03)

〜14・奥中山(14:10 発14:20)〜15・(14:38)〜16・ヒル(14:40)〜

17・六路木山(15:10 おやつ 発15:24)〜18・熊爪痕(15:39)〜19・(15:40)〜

20・(16:08)〜21・(14:20)〜1・安富北小前(16:30 発17:15)〜往路〜R=435〜

R=179〜井上菜園(17:56 発19:10)〜太子北L/P〜自宅(20:22)



今日は井上さんが計画されたコースに乗っかって歩く。待ち合わせ場所は安富町北小学校前で時間は8時30分。思ったより早く着けたが井上さんご夫婦はもう着いて待っていて下さった。 1・(8:06) 学校のPはソフトボール大会が有るらしく遠慮して少し離れた川沿いのスペースに車を置かせてもらった。奥さんは急用が発生して、私達を登山口まで送って帰宅される事になった。 発(8:31) 

杤原川に沿って奥へと入って行くと、北に面した山肌の植林は昨年の台風で、悲惨な倒木被害を受けていた。間もなく今日一番の楽しみにしている断崖が正面谷の上に覗き、車を止めて写真に収めた。舗装路はやがて地道に変わって、車の底を擦りそうになりながら目的地の分岐に着いた。 2・(8:45) ここから、地図では双方破線になっているが双方とも林道が続いていた。数台の車が置ける広場が在った。今年になって初めて井上ご夫妻と歩けると思っていたが致し方なく奥さんは引き返された。 発(8:51)

上る方の谷には砂防ダムが見えていた(上半分はアングルでスノコになっている)。深い谷と過日の雨が相まって路面が良く滑った。推定百年位の杉が目立ち始めて 3・林道終点(8:56) ここから傾斜がきつくなり、ガラ道を上っていると「万里の長城」」を彷彿する石垣が出た。道幅2m高さは左(谷側)最高で4〜5m位右は3m余りで長さは15m位だったか・・・こんな厳しい立地条件の所にしては大きな規模でビックリやら感心するやら・・・。その左の谷には赤茶の岩肌に適量の水が流れ落ちる高さ15m余りの滝が在った。 (9:00)


(2)林道分岐左を上って行った(西から)奥妻と井上  (3)先 高い石垣の道

薄暗いまま、“崖の間”といった感じを受けながらガラ道を上って行く。谷を渡る数本の丸太橋は芯を残して朽ち果てていて、一度谷に下りて渡る。道はやがて谷筋から左山肌の崖にへばり付いて尾根を回り込んで北の谷へ入っていた。良く見ると東の深い谷へも道が入っていた。 4・(9:17) 北の谷に入って間もなく道は終点になって適当に上っていると小さな作業小屋が有り、そこで一休み。 (9:24) 小屋の後は高さ30m位の垂直の崖が幅広く在った(地図にマーク無し)。この先の谷筋は倒木と崖で歩けなくなり左山肌に移って上り、谷分岐に着く。5・(9:47)  

正面に尾根先を見て右の谷へ入る。 (私はここを一本南の谷と思っていて、尾根に出て井上さんに指摘されて判った)始めは明るい杉林の中上り、中ほどでおやつタイム。その後傾斜がきつくなって何処を上るか思案していると、運良く東へ斜め上りの踏み跡を見付け、それを歩いて尾根に着くと、まるで城の石垣が崩れたかと思う角ばった岩や石が散在していた。井上さんと私は緩い谷を横断して主尾根に乗る。 6・尾根(10:30) 目高で丁度2m(実測)を頭に樅の木が3本生えていた。そこから町境界への横ばい尾根は桧の倒木で塞がっていたがそれが功を奏してウリュウド周りから点名雪彦山や鉾立山が同定できた。この尾根には角が取れて丸みの石や岩が散在。 発(10:40)

鎌倉岳へ向かって進む、直ぐの丘周りも岩や石が集積し、太いウリハダカエデが数本生えていた。尾根から少し北に外れると、奥行き2m位幅1m位の岩組の洞が在った、中は木の葉も溜まっていなく、まるで古墳のようで有ったが、それよりも熊が冬眠に使っていたのでは・・・と思った。北面は自然林に変わって妻と合流してふたこぶの初めのピークへ上る。 7・(11:50) ここは東面が崖になっていて、そこから張り出す樫の木に登って展望すると(6)から町境界へ、ウリュウドから点名雪彦山や鉾立山。ぐるりと回って三辻山などが見えた。 発(11:55) 


(7)から展望 右端町界798m・中央ウリュウド・左の方点名雪彦山と鉾立山三辻山

(6)から町境界への尾根は望みを絶たれる倒木の海に見えた。尾根の南北面は切れ落ちの自然林で南面はアセビが群生、北の深い谷の向こう山肌に多くの家が点在していて鹿ヶ壺のログハウスと思ったが数が多すぎる・・・関地区西の別荘地帯だった(井上さん確認)。その遥か先に黒尾山と中継塔も見えていた。下ったコルには現役だろうTVの送受信アンテナが立っていて南が開け、幾重の稜線上に七種山本峰その左に槍、右に離れて薬師が険しい頭を出していた(私は大小明神かと思っていると井上さんが七種山塊と確認)。

北面が短く植林帯になる。尾根は相変わらず難なく歩け、コブを越えて鎌倉岳に着いた。 8・(11:10) 展望無し。これまでもこの後もマーキングは見なかったがここに『九十九志会』の例のプレートが掛かっていた。(ある日、この会の一人からTELを頂いたことがある)進んで来た前方左右に下れそうな尾根が2本在り、私は安易に「右の尾根を下って岩頭に立ってそのまま進んで目的の尾根に乗る」と思っていた(岩頭に立つ事は私が提案していたにも関わらず、“岩頭からは横ばいで尾根に乗る”と言う事をもう忘れていてここでも、井上さんに指摘されて思い出す始末)。井上さんと歩く時は注意力が何時も散漫になってしまう。

地図には崖マークが無くても凄い崖の場合が多々あるので、岩頭から横ばいで目的尾根に乗れるか否かは判らないのでここに来て、ザックをデポしてピストンすることも話し合ったが井上さんが強気で横ばいを敢行すると言われ計画通り下り始めた発(11:28) 少し下った所に「この尾根を下ると崖マークに立つ」といったことを書いたプレートを付ける。、心配しながら下ったが雑木尾根は何人もの人が歩いている、又はこれだけの大岩頭なので地元の人がよく上っているかも知れないと思う位開けて歩き易かった。 横ばいコースを探りながら2度緩んだ後に北寄りの一本目の岩頭に出た。 9・岩頭(11:35) 

先ずは歓声だけが出た。崖の高度感は5つ星。南の方が本格的な大岩頭で、そこに風雪に耐えて生えている太い赤松が実に美しい。自称高所恐怖症の井上さんが先にそこに立たれ、私と写真を撮り合う。(何時もながら写真では高度感が出ていなかった)井上さんと入れ替わって写真を撮り合い、ここを選択して本当に良かったと話しながらここでおにぎりタイム。

私はおにぎりを食べながら、岩場を歩き回って先ずこれを探した。『播磨 山の地名を歩く』の本によると『安志藩主小笠原氏が参勤のとき、将軍家へ進上した土産品の一つに、国元の産物にイワタケがあった。・・・・イワタケは高級料理材料で、上流社会では珍重された。栃原村は安志藩領であったから入手しやすかったに違いない。雪彦山や関の岩場にもある。・・・・・』と記述。一段下に降りて垂直の壁を見ると”イワタケ”と思う物を見つけた。単なるコケかも知れないが表面は滑らかであったが乾燥してカラカラだった。岩場の東面は直ぐに数十メートルの垂直の断崖、南面は放物線を描いて滑り落ち、高さは測り知れない断崖になっていた。

崖と岩の上に赤いサツキツツジが咲いていて、ギボウシ・ノキシノブ・コオニユリが沢山生えていてギボウシは鹿と思うが口が届く範囲は食べられていた。ここへの踏み跡は鹿の通り道だったのか・・・。足元から東面の崖と鎌倉岳から南の尾根一帯の自然の植生と地形が素晴らしく、この後歩く尾根も殆どが展望出来てその長さに不安も覚えたがそれよりも不安だったのは横ばい後の尾根に続く倒木の海だった。



南の岩頭に立つ井上さんと下山尾根・中央尾根を奥まで縦走。写真右半分奥に黒尾やま・水剣山同定

現在地は、図上平面距離で三分の一にも達していなく、余り長居は出来なかった。 発(12:23) 少し引き返して獣道から横ばいに入った。崖も無く始めはシメタと思っていたが尾根を回りこむとザレの激斜面になって進めなくなり、10m位高度を下げて主尾根に着いた。 10・尾根(12:35) 妻を待って下って行ったが既に倒木は出ていて、次第に激しくなった。一見、尾根も左右も通過できそうにない。そんんな中でも倒木を渡り、潜ったり尾根の左右に外れたりして進んで倒木の海から抜け出した。

先の中上りで振り返ると樹間から大岩頭が覗いた。 11・(13:15) ここからは露岩が出て雑木帯になって左右凄い切れ落ち、自然がそのまま残っていて倒木で痛められた心が癒された。その後、短く上り返して 12・498m(13:22) 切れ落ちが続くも尾根は変わらず歩き易く、右下にチラチラと富栖湖が見えた。少し柴ヤブっぽくなって行く、左は獣も通れない位の柴の密生になった。上り切りコブ (13:30) 展望全く無し。

横ばいが続く、現在地が曖昧になって行く、地形も読めなくなる、しかし尾根を外すような地形で無いので違った方向へ進んではいない、それにしても点名奥中山に着けない・・・。とうとうGPSで確かめる事になった。すると (13) 地点に居た。 (13:55) 井上さんはGPSを完全に使いこなしておられる。機械の図面を描いておられる仕事柄でも緯度経度の割り出しと線引が大変らしいがピンポイントで現在地をつかまれる。(本人談=GPSを余り使うと歩きが面白くなくなるので余り使わない)ついでにおやつも食べて 発(14:03) 

現在地がハッキリすると地図と地形も合って来るし、とたんに元気が出た。地図の等高線以上に上りが続いた後バッチリ標石が顔を見せた。 14・奥中山(14:10)  とにかく左右深い谷に挟まれた尾根に居ると感じつつしばらく休んだ。 発(14:20) 下っていると一抱え位の範囲ながら、石垣の一部としか思えない石組みを見つけた。奥中山への上りでもそれらしき石組みを見ていたが城跡?。尾根先から (19) 地点先までも見えて、不安になるほど遠く長く思った。南尾根麓の神社マークへの分岐尾根は要注意(植林尾根に開きあり)太い樅の木の方へ下り、高度を下げているときつくは無いが再び倒木が出て越えて行く。 15・(14:38) 倒木は途切れたがこの先コルからの倒木が見えた。

下って倒木を越えている時、井上さんが“ヒルやー”と叫んだ。近付いて見ると靴に這い上がっていた。井上さんは小さなスプレイを取り出し、ヒルに噴射するとたちまち弱って次第に動かなくなった。スプレイの中身は食酢で、この方法は井上さんが考え出された独自の撃退&防備対策であった。私は前日『ヤマビルファイター』と言う専用スプレイを購入していて、自宅を発つ時、靴とスパッツに吹き付けていたのが効いたのか靴には付いていなかった。周りを見ると点々と居るのが見えた。そうこうしていると妻が大きな悲鳴を上げた。妻の靴にも付いていた。妻には靴だけに吹き付けていたので、その差が出たのか・・・。急いでその場から退散したがしばらく大変だった。 16・ヒル(14:40) 

     
食酢をかけられた「ヤマビル」 「モリアオガエル」の泡卵、中にオス一匹いる

    
「モリアオガエル」のオス    「モリアオガエル」のメス(シュレーゲルかも?)

ヒル地獄を去ったかに思っていたがその後も何箇所かで見かけた。小さなコブを越えたかと思う尾根に大きなヌタバと思う水溜りが有った。井上さんがいち早く泡卵を見つけられて“モリアオガエルや”と言われた。私も泡卵は何回か見ていて確かにそれであったが“こんな山奥に”と思いながら泡卵をつっついて見ると中から黄緑色の大きな蛙が一匹出てきた。「モリアオガエル」のメスでアマガエルをそのままでっかくした色で実物を見たのは初めてだった。パッと見でPCのマウス位で、想像以上の大きさだった。その後オスがでてきたが濃い緑色(黒っぽい感じ)でメスに比べるとずい分細身だった。泡の中にはもう一匹オスがいた。

緩く上っていくと白っぽい大きな露岩が続き、上り切った尾根肩でおやつにした。 17・(15:10) 妻がまたヒルが付いていたと言いながら悲壮な顔付きで上がって来た。 発(15:24) 494m六路木山に立つと、倒木で北から西が開け展望が利いた。谷筋に皆河地区、遠くには黒尾山や水剣山が目を惹いた。展望と露岩は続き、露岩は下りでも暫く続いた。左杉林、尾根右は高木雑木帯でアベマキが目立つ。快適に進んでいると3本株立ちの柿の木があって、おそらく熊だろう爪痕が上の方まで付いていた。 18・(15:39) 左右共に高木雑木帯になって 19・(15:40) 方向確認して暫く中下りとなるが高木雑木帯が続いて、濃くなり行く緑にも感動を受けて井上さん共々これを未来まで残して欲しいもんだと語る。

(19)先の高木雑木尾 南から
『六路木山』の『六路』は生地屋が使う轆轤で、生地屋が轆轤にかける原木を採った山
なのでこの山名がある・・・。「播磨 山の地名を歩く」より

やがて尾根左右共桧林に変わって左谷筋にお寺の屋根など見え始める。 20・(16:08) 西向きに方向を変えて直ぐ、2抱えに余る樅の木が3本生えていた。このような樅の木は初めて乗った尾根から点々と続いていた。薄暗い桧林を下ってそのまま尾根先を下る予定だったが先端は等高線が詰まっているので手前から学校を目指す尾根で下った。多分これが正解だったと思う。山裾には猪鹿避けの高い金網が張り巡らされていて、ゲートを探すと少し左に移動した所に有った。墓地への道に出てそれを下ると学校近くの、ふれあい広場に出た。 21・(14:20) 集落の中を抜けて 1・(16:30)

目前に車が見えてきた時、道の右下に畑仕事の人(60歳半ば?)が居られて挨拶を交わしてから会話になった。井上さんが歩いたコースを言われると理解が出来て @今時そんな山を歩く人がいるのかと感心された。 Aヒルのことを話すと『そりやーえらい悪かったなー』と謝る口調に人間性を感じる。話では、ヒルは雨の後に沢山出るらしく最近は、家の周りにも田畑にもヤマビルが繁殖している。ヒルに詳しい人の説によると鹿の糞で繁殖しているとのこと。 

B六路木山の山名を姓に貰った家が3軒在る。 Cこの人は小学校で稲作をボランティアで教えておられる。 Dこの地区には誰に言われるでもなく自発的にボランティアで道端等の草刈をしたり、神社の清掃をしたりする人が多く、そんな訳でとても住み易い。 Eこの時期暗くなるとホタルが沢山飛び交い(小学校で繁殖させて幼虫を放流している)観賞者がホタルを持ち帰らないように毎晩放送がある。などが会話の内容だった。

車は何処に置いているのかと聞かれたが、どうやら遠くに置いているなら車まで送ってくださる気配と私は感じた。帰りは井上さんを送ったが、自宅近くの菜園に奥さんが居られると言う事でそこへ直行した。朝にも採りたてのジャガイモを貰っていたが、更に無農薬で有機栽培の野菜と言う事で大変な手間世話をかけた貴重な野菜をいろいろと頂いた(何時も頂いてばかり)。


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12・498m

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岩頭展望所

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17・六路木山
   494m

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