№338   室山~荒木山~行者山~コケズラシ山~岩倉山


府県界、上り下りどっちする?迷ったけれど上りに決めた。

登山口で蛙の合唱、中腹までも響き亘る。

ミツバツツジを愛でながら室山・峠・荒木山。

おにぎり食べて上って行けば、岩場で2体の石仏発見?府県界から外れて下り、

いっぱいこっぱいワラビを採って下る所は石像寺。のつもりだった・・・。



水西地区北西の谷~池~巡視路~室山(313.1m二等)~府県界西進~317m~

荒木峠~荒木山(416m)~行者山(Ca460m)~分岐(Ca510m)~府県界から外れ南下

~467m~コケズラシ山(310.3m四等)~310m~岩倉山(372.5m三等)~

東尾根麓『石像寺』方面へ下る。



◎所在地 : 丹波市市島町中武田を取り巻く北府県界と西の南北尾根

◎地形図 : 2万5千図  『福知山西部(ふくちやませいぶ)』  『福知山東部(ふくちやまとうぶ)』                          
                 『黒井(くろい)』 『市島(いちじま)』                 

◎山行日 : 2005. 4.16  (土) 晴れ        

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=58

◎コースの見所 : ① (4)からの西~南の展望  ② (11)行者山・石仏と建物跡 

             ③ (12)下大岩から南展望 ④ 石像寺の四神相応の庭

◎走行距離 : 往路①=76.1km ②=78.0  往復 157.7km



自宅発(7:05)~R=175~市島町岩倉石像寺(公民館)1・(9:15)~2・(9:20 発9:30)~

3・池(9:46)~4・鉄塔(10:09)~5・室山313.1m二等(10:15 発10:20)~

6・(コース外れ)~7・鉄塔(11:19 おやつ 発11:24)~8・荒木峠(11:50 発12:00)~

9・荒木山(12:20 おにぎり 発12:45)~10・峠~11・行者山(13:35 発13:48)~

12・親不知コース(13:55 おやつ 発14:00)~13・コケズラシ山(14:37)~

14・鉄塔(15:00 ワラビ採り 発15:40)~15・岩倉山372.5m三等(16:10)~

16・(16:29)~17・(16:50)~18・グランド(17:05)~石像寺(公民館)1・(17:19)

発(17:23)~自転車で走る~2・(17:30)~石像寺(公民館)1・(17:44 発18:05)~

往路~自宅(18:00)

始めに・・・またまたやってしまったデーター消去。昨日の山行きの時、レコーダーのファイルが満タンだったので『これはレポート完了のデータ』と思って消去したところレポート未完のファイルだった。今までもこの種の失敗を経験しているが又もや繰り返した。レコーダーは非常に便利であるが、最大の欠点は消去の操作をした瞬間にデーターが消えてしまい取り返しがつかないことである。私の様にセッカチで注意力が散漫な性格の者には向かない道具かも知れない。 
※はデータ消去で不確定

tena 訳でコース状況などのレポは簡素化してしまう。経過タイムは大きく把握する分にはなんら問題が無いと思う。この方面の山歩きは、冬季は雪の心配があって遠のいていたが、気が付けば桜の花が散り始めていた。『歩きたい、歩いて見たい』と思う所が先行して溜まるばかり。府県界にどっかりと居座る親不知から界を東へ下ると、R=175を横断して武田川へと入っている。これを三分割で歩くと短いし二分割で歩くには少し長い・・・。しかし、『今の時期なら気温も余り上がっていないから二分割でいける』と思う。ならば、何処で分けるか思案が続いた。

コースが決まった、所要時間は7~8時間を覚悟した(なんせ道草が多いから)。一度はコケズラシ山から東尾根で「一ノ貝」へ下ることも考えたが、99年6月13日に「石像寺~岩倉山~コケズラシ山~一ノ貝」を歩いているのでついでに再びこれも歩いて見たくなってコースに取り入れた。99年6月13日には工事中だったバイパスも完成して素晴らしい道になっていた。自転車を、桜満開の石像寺の直ぐ下に在る岩倉公民館に置かせてもらった。 1・(9:15) バイパスは車も少なく、まるで高速道路のようであった。登山口へ入る所が分らず、通り越して引き返し、目的地の谷へ入り、草原(元田圃?)に車を置いた。 2・(9:20) 谷の奥に見えるピークが室山かなーと思いながら支度を済ませた。 発(9:30) 


(2)地点にて支度をする ・左室山          池から上って間もなくのツツジと道

谷の奥まで元田圃が続いていて一番上の元田圃では蛙の物凄い合唱が響き亘っていた。春先やな~と思いながら池を目指した。池は山間に入って間もなくの所に在って、岩盤の高みに石碑が建っていたが風化して読み取れなかった。道端にツツジが沢山咲く林道は奥へと続いていたが予想していた巡視路が直ぐ横から上がっていて、出足良し!!。今まで見たことのない(一本足?)金属性の2連の梯子を上がる、急登で辛い所ながら満開のツツジとここまでも聞こえてくる蛙の合唱に気を安らげられて上り切った。

南東尾根に踏み跡在り、(実はこれを上ろうかと考えていたがシダ柴藪を警戒して止めた)短い横ばいから中上りで左に鉄塔が見え出し、巡視路は線に沿って東の尾根に消えていた。鉄塔から道がどうなるかと思いながら上がって見ると、鉄塔用に刈り払いされて、西から南が全開で展望良し、西はワラビを採った鉄塔(14)から岩倉山一帯と一番奥には五台山(小野寺山)から鷹取山が見えた。

カケスが10羽程群れて東へ飛び去った。そこからもしっかりした道で、最後は短急登で室山に着いた。 5・室山313.1m二等(10:15) 一回り太い杭(6cm角)には一等三角点と書かれていたが石標は二等と言う非常に珍しくも「国土地理院も完全で無い」の一端を見た。緑の板に白字で「室山」と書かれたプレートが掛かっていて展望なし、東界にも開きがあり歩けそう。 発(10:20) 界は明るい切り開きがあって難なく歩けた。

次のコブでは鉱石?の露天掘りをした跡が有った。植生は赤松・ソヨゴ・ヒサカキ・高木雑木などの混生林が続く。界杭が打ってあってそれも目印に進んだ。左破線の道かどうかは分らないが地図より早くから跡を確認した。『それに気を取られて』と言えば言い訳になるが (6)地点から突然開きが悪くなっておかしいと思いながら微かな踏み跡を辿って進んで尾根先に出た。(6-1)前は深い谷で上を送電線が通過していた。やっぱり界を外していた。界尾根に建つ鉄塔は右から大きく回り込んだ所に建っていた。 (6)まで引き返して見ると、歩いて来た開と同じ明るい開きが杭と共に北へ下っていた。

下ったコルは旧峠(※)で福知山へは道を確認できた。左桧林も途切れて進んで行くと鉄塔に着いた。 7・鉄塔(11:19) 鉄塔下は南北が開けて、南にコースを外して立った尾根先が突き出ていた。北は福知山の市街まで見えた。 おやつを食べて発つ。 発(11:24) ここから後のコース状況が全く思い出せない・・・。荒木峠への下りで直前にTVアンテナの変圧器具?が柱と共に廃棄されていた。掘り切りの峠の影響で、急下りで薄暗い峠に着いた。 8・荒木峠(11:50) 


(8)荒木峠 福知山側から       市島町側から

大きな峠なので、先ずは福知山市側の探索に入る。初めは石仏も無いし・・・と思いながらもう少し下って見ようと思った時、土石に埋もれながらも一部露出したコンクリートを発見した???。良く見ると道は舗装されていた。全体では無いと思うが下の方では路肩のコンクリートも確認できた。今度は市島町側へ入ると地蔵菩薩の石仏が一体建っていた。右側の天に施主と書かれその下に戒名が二体書かれその下に「性・吉田氏」と入っていた。左側の天は「為」下に戒名二体でその下に「菩提」と書かれていた。建之年号は入っていなかった。

こちら側にはコンクリート製の石垣用のブロックが山積みされ放置されていた。こちら側は舗装の跡は見られなかったがそうなる計画だったかも知れない。先行の妻の後を追って激斜面を上りかけると山肌一面コンクリートの打ちっぱなしの所が有った。土の流れを防ぐ為の工事か?急上りが緩んで又急上り3段上りだったか?やっと荒木山の頂に立った。 9・荒木山(12:20) 妻は暑くて日陰を求める。

私は休む間もなく北の出っ張り尾根へと探索に入る。緩い下りは数段になっていて城跡を感じる。この尾根に色あせかけた赤ビニテープが巻かれていた。おにぎりを食べながらうろついているとワラビが2本頭を出していた。ここにも室山と同じタイプの山名プレートが掛かっていた。 発(12:45)下っていると、樹間から親不知や分岐ピークが見えて厳しい上りを感じる。最低鞍部は旧峠かと思っていたが形跡無し、福知山市側は高木雑木が残っていて新芽が出始めていた。

上りと緩みを繰り返してコブを越えた所 (10 ※) ここが峠で、朽ちかけた親不知への道標が立っていた。福知山市側は太い桧林で尾根近くの桧数本が市島側へ倒れていてそれを見ていると、板が下敷きなっていて引き出して見ると「桜地蔵」と書かれ福知山市側に矢先が向いていた(これは新しかった)。市島側も歩かれている形跡ある道が付いていた。ここから急登が始まる。少し緩んで2度目の上りの所で道は尾根右山肌と左に分かれていた。左へ親不知の案内有り、それに乗って上ると緩んで左が桧林になった。

急上りの取り付きから大きな露岩、岩盤尾根になり倒木あり (13:35) それを越え上に立って振り返るとタムシバの花越しに荒木山とその下に福知山市街が覗いていた。そしてその近くにぽつんと一つの手水鉢があった。60×35cm(※)ここから岩場の本番で尾根左下に石垣が在った。幅6m×高さ1.8m平面積は3~4畳で方形でない建物跡(※)この上には、切り倒されて10年近くなるだろう木が重なり合って見苦しかったので私の力で取り除ける木を処分して、岩場を上る。桧の間から「室山」周りが見えた。

先行の妻が気になったが、この分だと「不動明王が祀られている可能性有り」判断し、続く岩場の探索で岩場尾根左下へ入る込むと予想通り在りました。手前から不動明王(像全体が筒のような丸形、高さ60cm ※)、祠(南京錠がかかる木の扉の中に木の格子があって横から覗けたが像は確認できなかった幅50センチ高さ60cm ※)役の行者(たかさ40cm ※)その奥に大小2ヶ所の石垣(建物跡)大きい方は一つ目と同規模だった。向きは全て南方向だったことから市ノ貝の行者山かと思う。

尾根に戻って少し上ると、これは私の想いこみか?高さ1m一抱え位の立ち石(私はこれを仏に見立てた)があってその横に丁度人が座禅するに使ったと思えるほぼ扁平な石を見つけた。水平を保つため?石の下に小石が噛まされていた。この頃には植林もされてなく、この石に座して行者が市ノ貝を眼下に座禅行を・・・と想像したりした。『兵庫丹波の山(上)』 ー氷上郡の山ー 慶佐次 盛一著 「親不知」で(市ノ貝でも役行者を宗祖とする山岳信仰の痕跡が見られるから・・・とある)と言うことで私は当地を行者山とした。 11・(13:35 発13:48) 

初めの石垣
手水鉢

 
祠の右に不動明王・左に役行者   見るも無残親不知の石標 

先行の妻が親不知の方へ上っていないかと心配して、一層の急登を急いだが上り切った所で休んでいた。 12・親不知コース(13:55) ここには行政の立派な道標が立っている。親不知まで約km、ここまで来れば後は下るだけ。体力に余力があれば親不知にも立ちたいと計画をしたが無理と判断してあきらめたが親不知に立ったことが無ければ無理してでも立ったと思う。おやつを食べて 発(14:00) 少し下った所にデッカイでっかい露岩が在って南眼下に大杉ダムや岩倉山を一望。

そこから少し下ると東も開けて荒木山と福知山市街が望めた。西にはクロイシから五大山までも同定できた。 (14:05~10)後は展望が無くなって左桧林との植界をどんどん下るだけ、下りに何時も思うことは「これを上るとすると・・・」道は大杉ダムから整備されていて行政の道標も点々と出てくる。間もなくブットイ樅の木に対面する・目高で2m余り(※)あった。 (14:28) マッタケ山に入ってユニヒモがクモノ巣状に張り巡らされて何ともうっとしい。大杉ダムからの遊歩道が上がってきていて、その先コブがツツジ満開のコケズラシ山だった。 13・コケズラシ山310.3m四等(14:37)

 その後も“これでもか”と言わんばかりのヒモに黄色の鹿網が張ってあったが、救いは網の下が開くように引き上げられていた事。これは、多分動物が往来できるようにとの心配りだと私は思った。横へよこへ進んで鉄塔に出た。 14・鉄塔(15:00) 大杉ダムの桜がきれいだった。東は頭上の電線が延びるはるか先に室山が同定できた。足元を見るとワラビが出ていて辺りを探すと沢山出ていて、本格的にワラビ採りに入った。東面を20m位下まで下ったがイノシシだろうか一面掘り返していた。しかし、満足するだけの量が採れて今年の初物を味合う事が出来た。ついでにおやつを食べて 発(15:40)

道は明るく、間もなく右桧林の中から03年3月ダムから上ってきた巡視路が合流、その先上り取り付けで道は尾根から左へ逸れていた。尾根には道の跡は在るが塞がり気味。99年6月に石像寺から上って来た時は明るい道だった。しばらく地図とコンパスで確認するがやはり塞がり気味の尾根が正解で上って行く。一難去ってまた一難、南に延びる尾根の方が明るい切り開きあり、展望は利かない、う~んこういった地形の所は難しい・・・。しかし決めた方向が正解で間もなく前回巻いていた布が出てきて胸を撫で下ろした。やがてしっかりした道になって水平尾根に石標が建っていた。 15・岩倉山372.5m三等(16:10) 

前回のプレートが残っていて、表は知らない人には全く読み取れないまでに剥げていたが裏はしっかり読めた。三角点先の方向転換は記憶に残っていて間違うことが無かったし誰かのマーキングもこの方向に付いていた。ここからの下りもしばらくは記憶に有ったが次第に記憶と全く違う林相になっていった。所々に布が残っていたがまるで違う所を歩いているように思いながら下る。左植林右混生林も凄く深い山で、界杭も続いていた、これに沿って下ると西へ寄ってしまうところは上手くクリアーしていた。尾根先に出てここにも布が残っていてホッ。 16・(16:29) 

ここを更に下の尾根先と思って、やや西に振って下った、すると地図と傾斜が合わず??コースを外していたがもう復帰する元気も無くそのまま下って林道に出た。 17・(16:50)少し下ると林道分岐が在ったので現在地がほぼ確認できたが山裾の道は近年使われていなく入り口は一見道に見えなかった。右の鹿金網に沿って歩き、前方が明るくなってゲートを抜けて下ると「スポーツピアいちじま」に出た。 18・グランド(17:05) 

ナイター設備も整った素晴らしいグランドでは硬式野球の本格的な練習をしていた。てくてく歩いて石像寺へ向かった。最後の下りルートに少し不安があって、登山口決めた時からの心配が不幸にも当ってしまった。しかしこれが「界を外す」と言う間違いなら又宿題を残すことになったが、界で無かったのでこれはこれで良しとする。 石像寺(公民館)1・(17:19) 自転車で走って、車をリターンさせて着替えてから石像寺の四神相応の庭を観に行った。

  
磐座 99年6月の写真              青龍           玄武
寺の裏山に在りここに下りて来る予定だった。

  
白虎            朱雀

『ここ石像寺は、磐座寺ともいわれ、裏山中腹にある磐座(岩を神格化したもの)から発想を得て、本堂前庭に日本庭園史に特筆される、“四神(青龍・玄武・白虎・朱雀)相応の庭”が造られており来訪者の目を魅きつけている・・・』 平成2年度  林野庁・兵庫県・市島町看板より

※念のために記しておきますが、わたしが時々『奉仕作業?』的な事をしたと書いていますが、出来るだけ「事実を残しておく」との思いであり、全く誇示の気持ちはありません。従ってコースを外した事も、その時々の思いもありのまま書き残す事にしています。


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13・コケズラシ山・310.3m
14
16
17
15
岩倉山
372.5m
12
5・室山・313.0m
11・行者山
8・峠
10
9・荒木山・416m