bR34 しら坂〜西山ノ北〜上鴨川〜才ノ神

今日も立った『しら坂』に、界を北上婆婆岩へ。
この婆婆岩の上に立ったが後で後悔バチアタリ!!所々でシダ柴藪在り。
コンパス落として探すも出てこず早くも罰が当ったか。
どうにも進めぬバベ藪開いて、『大峯』手前で界から外れ、ほぼ直線で南へ下る。
一ヶ所迷うも復帰して、後は無事に下山する。
上鴨川〜しら坂〜378m〜婆婆岩〜西山ノ北(334.1m四等)〜327m〜342m〜
大峯(618.2m四等)手前から町境界を外れる〜南尾根南下〜上鴨川(437.3m四等)
〜394m(遊歩道終点)〜才ノ神(347.9m四等)〜265m〜上鴨川。
◎所在地 : 加東郡社町上鴨川『やしろ鴨川の郷』を取り巻く尾根
◎地形図 : 2万5千図 『比延(ひえ)』 『谷川(たにかわ)』
◎山行日 : 2005.3.19 (土) 晴れ
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=58
◎コースの見所 : @ 婆婆岩 A 婆婆岩前後のミニ岩稜
B 数ヶ所で見下ろす『やしろ鴨川の郷』 C 才ノ神東面の断崖
◎走行距離 : 往路 37.8km 往復 81.4km
自宅発(7:30)〜R=175〜小野市中古瀬南交R=567〜社町松尾交右折R=372〜
1・(8:40 発9:00)〜2・(9:25)〜3・しら坂(9:31)〜4・(9:37)〜5・(9:40 発9:43)〜
6・婆婆岩(9:55 発10:00)〜7・(10:10)〜8・(10:20)〜9・西山ノ北334.1m四等
(10:27発10:35)〜10・(10:45)〜11・峠(10:50)〜12・(10:59)〜13・(11:12)〜
14・(11:18)〜15・(11:27)〜16・(11:30 発11:33)〜17・(11:38 コンパス探し
おにぎり 発12:11)〜18・(12:33)〜19・(12:53)〜20・(12:58)〜21・(13:01)〜
22・(13:15 発13:26)〜23・(13:34)〜24・(13:48)〜25・(13:55 引き返し
コース外れる)〜26・コースに復帰14:18)〜27・(14:28)〜28・上鴨川437.3m四等
(14:35 おやつ 発14:52)〜29・(15:02)〜30・遊歩道(15:12 発15:18)〜
31・遊歩道(15:27)〜32・才ノ神347.9m四等(15:50 おやつ 発5:55)〜
33・(16:10)〜34・里(16:30)〜1・(16:46 発17:00)〜R=566〜しら坂トンネル〜
R=175〜自宅(18:22)
前回、しら坂を踏んでいるから、そこまでは心配なく行けるので気楽に走る。コースも周回で、後はシダ柴藪の覚悟と体力の勝負。マップ計の針は7〜8kmを指していたので、縦走時間は7時間を覚悟した。しら坂から大峯(618.2m四等)南まで(’02.12.1西光寺跡から南下して、しら坂方面を目指すもここでコースから外れてしまった地点)歩くと西脇市の境界(山域のみ)はほぼ走破することになる(少しの虫食いが残る)と言う記念すべきコースとなるから、今日は「コースを外さないように」を願った。
1・(8:40 発9:00) 妻は前回通りのコースでしら坂を目指し、私は前回見て気になっていた、石室からの踏み跡を確認するため、そこから上ることにした。石室の位置を、地図で確認しないまま先入観で山へ入っていった。始めは踏み跡が付いていたが谷筋を上っていく内に消えてしまい、仕方なく右の尾根に取り付いた。コシダの下に道は付いていて、この時点では峠道が付いている尾根に乗っていると思っていた。シダが消えて柴藪っぽくなるも踏み跡らしきものを辿って上ると、尾根から右に外れていき、想っていた通りの状況に満足していた。
妻に声を掛ければ返事があるだろうと思ってオーイと声を掛けるが反応なし??9時20分妻から「峠に着いた」と連絡が入る。斜め上へと上って尾根に出た。てっきり峠に出るものと思っていたが出てみると峠からかなり西のコルだった。
2・(9:25) 前回の岩盤の所で正面が全開、今日の方が視界が良く笠形山から千ヶ峰も良く見えた。地図を見ると1本西の尾根を上がっていた。急いで峠へ向かう。コブに上がる途中、前回は気が付かなかったが歩いている尾根の直ぐ西に高さ2m位だったか垂直に切れ落ちた大きな穴のような所が在り。シダが生えて足元が分からず落ちていればと思うとゾッとした。(ここを歩かれる方は気を付けてネ)
3・しら坂(9:31) 妻は一休みしていた。先ずは『婆婆岩』へ向かう。天気は上々、相当人が入っているようで、良く踏まれた道が付いていた。間もなく道と同じレベルで大岩が在り、西180度全開で、展望良し。緩く下って上り返しは早くも暑いくらい・・。
4・(9:37) 心地よい横ばいを行くと岩峰で、これまた展望良し。北尾根に婆婆岩だろう岩が白っぽく見えて、右下にはエメラルドグリーンの池の畔に赤茶の屋根の『あぐりぴあ』が映えて美しかった。
5・(9:40 発9:43)
私が登山口にした所に建つ祠 (5)からの展望 建物は「あぐりぴあ」左最高峰大峯・右肩西光寺山
岩峰と言っても尾根先で危なさは全く無く、右に巻いて下って婆婆岩へ向かう。視界はバベとソヨゴに閉ざされる。緩い上りに入ると岩稜になって、何と表現すればいいのか『婆婆岩』についた
。6・婆婆岩(9:55 発10:00)高さは3m位周りは5〜6mと見た。なぜこのように立ち岩として残ったのか・・・出来たのか・・・根元がくびれていて社町側にやや傾いている非常に不安定な岩である。見ているうちに「この岩の上に立てないものかなー」と思い始め、手掛かりの観察に入ると南側にルートが出来て、安全第一で登って見るとどうにか登れた。空を流れる雲を見ると自分も雲と同じスピードで動くので雲を見ないようにして妻に写真を撮ってもらった。(婆婆の頭に立って罰が当ったのか跡でコンパスを落としてしまう破目に遭うとは思いもしていなかった)

婆婆岩の上に立つ北から
この後も岩稜が続いて
7・(10:10) バベが尾根を塞ぐが道はしっかり付いていた。以後地道になるが所々大きな露岩や岩盤も通過する。大坂山方面が全開したりもして
8・(10:20) ここから東の谷へ踏み跡が下りていた。上り返しに少しシダが出たが上り切ると向きが変わって間もなく
9・西山ノ北(10:27) 西への尾根にも踏み跡が付いていた。近くで、今年初めて本鳴きのウグイスの鳴き声を聞いた。なぜか沢山の空き缶が散乱していて片付けて発つ。
発(10:35)
緩く下っていくと右が開け、目を展じると、なんと婆婆岩が尾根の上に突き出ていた。その姿は異様にさえ感じた。緩く上って
10・(10:45) 右低木の上から『かもがわの郷』が見えた。下りで左に大坂山ほうめんが見え、コルは峠になっていて、西脇市側は雑木林に逆戻りで斜めに下っていた。
11・峠(10:50)
ここからの上りはシダで塞がり、上り切ってもシダは続いたが丈が低くなった。 12・(10:59) 塞がり気味のシダを分けて進んでいると岩盤尾根になって左が全開し、G 場でプレイする人の姿がアリのように小さく見えた。展望も良くて、比延山城跡から東へ延びる尾根もなかなか魅力あり。笠形山方面も見えるが千ヶ峰は前山に隠れて見えなかった。尾根先からこの後辿る最高点(点名大峯手前)までとその後の下り尾根が視程に入り「これは手強い」と思った。高低差が無く現在地が曖昧なまま進んで 13・(11:12) そしてウラジロ藪を下ると 14・(11:18)
ここからの上りは今日最大のウラジロ藪だった。丈は腰辺りまであってそれが絡み合い、しかも急登だった。中ほどで振り返ると婆婆岩までの尾根がほぼ確認できた。 15・(11:27) 少し先へ進むと今度は今日の最高点が見えて、2002年にコースから外れた地点を探すが地形が扁平で、特定出来なかった。踏み跡を歩いて 16・(11:30) ここで342m地点の方へ誘い込まれたが直ぐ気が付いて方向を確認して界に乗った。 発(11:33) 緩く下ってシダ柴藪になって軽い切り開きをしながら横ばいを行く。右が開けて現在地確認に入ったときコンパスが無いのに気が付いた。 17・(11:38)
コンパスを探しに(15)まで引き返したがコンパスは見つからなかった。(16)で使っていたかも知れないが・・・(17)へ戻っておにぎりタイムとする。コンパスは予備をもっていたので心配は無かったが、前回地図を落として、対策をとりながらコンパスに対策をとらずに落とした事に後悔した。お婆の頭に土足で立った罰か・・・。(実は婆婆岩のいわれについてはこの時点で全く知らなかった。後日島田君のHPを読んで知りました) 気を取り直して 発(12:11) 右は植えっぱなしのヒノキが生えて左はなんやかんやの混生林。
しばらくすると尾根が開け、露岩も出て松の低木と調和して気持ちが和らいだ。しかし、前方に急登が待っていた。比延山城跡から東に延びてこの先で交わる長い尾根に惹かれながらコルに着いた。 18・(12:33) 左は広くザレて、右の谷へ踏み跡が付いていた。始めは踏み跡らしきものが付いていたが傾斜がきつくなり始めると消えて、ウラジロと柴の藪でどうにも上れなくなった。左の岩場に逃れ、バベを切り開きながら上るとウラジロは消えたがバベが行く手を遮って進むに進めない所もあった。岩の上から振り返ると、辿ってきた尾根と霞ながら大坂山の方まで見えた。

(17)先の横ばい尾根前方尾根19番 (18)からの上りで振り返る手前からの尾根17番・15番・最奥大坂山
やがてバベが消えてヒサカキになると、かなり上り易くなって上り切ると左比延山城跡からの踏み跡が付いていて藪から開放された。 19・(12:53) 展望は完全に閉ざされて、マーキングが出た。、緩く上って20・(12:58) なぜか広い開が在って下り切ると西脇市側の谷に道が下りていた。(社町側には無し)21・(13:01) 上りからは開も狭くなったが歩くのに全く支障なし。右が杉林左雑木林の薄暗く長い上りが続いて、何となく記憶にある所に着いた。あたりを歩いていると記憶がよみがえって前回計画コースから外れた地点に間違いない事が分かった。 22・(13:15)
西光寺山の方へも歩いたりしていると前回巻いた布が残っていた。(参考=西光寺山の方から境界をあるく場合は最高点直下にデッカイ立ち岩が在るのでこの岩を目指して下ると良い。しかし立ち岩はもう一つ谷面にも在る、この方は最高点からは見えないが一見の価値あり) 発(13:26) 開はこちらの方が明らかに広く右杉林左雑木林の植界を下り、緩く上って。 23・(13:34) (前回はここから西へ下って谷筋を歩いて上鴨川の郷に出た)
方向を確認していると進む方向に明るい切り開きが在った。ここからは藪を覚悟していたのでラッキーと思いながら雑木林を下った。傾斜が緩んで尾根先、大きな岩が重なっていた。岩の間を抜けたりの中下りをしてコル 24・(13:48) 私は道と見たがそれが横断していた(分かりにくい)コブを越えて尾根先から少し下った所で方向を確認する。 25・(13:55) やや 塞がりながらも開が在ったが決めかねた。と、言うのも地図に磁北線を引いてなく、勘で、西偏7度で見たが開尾根が南向きすぎていた。思案の結果尾根先へ引き返し、西寄りの尾根に乗って下り始めたが今度は地図の地形と傾斜が合わず結局初めの尾根が正規尾根と分かりそれに上り返した。 26・コースに復帰(14:18)
緩く下っていると、気象観測用のものかは分からないが破裂した白い大きな風船の残骸が落ちていた。間もなく尾根先に出た。前方が開けて、この後辿る幾つかのピークがほぼ一直線上に見え、直ぐ先に在る『点・上鴨川』が険しく尖がっていた。右には大坂山方面も見え、急下りをしたコルは深い掘り切りになっていた。 27・(14:28) 南に巻いて下り着いて探索に入る。西の谷へは下れなくもなかったが道は付いていいなく?、東の広場の方へ行って見ると、地図の道が舗装路で上がってきていた。

(26)先の尾根先からの展望・手前ピーク28番・右30番 (27)の掘り切り 西から
妻は尾根通しで私は東面から上った。短い横ばいの後の急登は堪えたが上り切ると 28・上鴨坂437.3m四等(14:35) 東が開けて梢の上からR=372の奥に西寺山が見えていた。おやつを食べて発つ。 発(14:52) そこからは、露岩も在ったりして、ほぼ横ばいが続いてときおり鴨川の郷のテニスコートとそこでプレイする人達が見えた。 29・(15:02) すこし藪っぽい所を通過したりして 30・遊歩道(15:12) 婆婆岩の方から眺めていた展望台があるピークだった(このピークに展望台は無い)。半丸太のベンチと植生についての案内板が立っていた。 発(15:18)
ここからの下りは尾根が無いので、軽いシダ柴藪をコンパスで方向を決めて下るしかなかった。コルに近づくと下草が刈られて歩き易くなって下り切った。 31・遊歩道(15:27) ここにもベンチと道標が立っていた右(西)の谷に下れば『どんぐり広場』=鴨川の郷へ。尾根へは『鴨川の里・キャンプ場』となっていた。どんぐり広場の方へ下って、途中から右に上れば東屋を経て(30)地点へ至る。
遊歩道で尾根を上る。直ぐに緩んで次のコブ手前から遊歩道は左山肌へと外れて、鴨川の里・キャンプ場へ下って行っていたが激斜面をどのように下っているのだろう・・・。さて、名前からすると何か在りそうな点名『才ノ神』が近づいていた。『あぐりぴあ』とエメラルドグリーンの才ノ神池がマッチして美しく、朝方歩いた婆婆岩辺りの尾根が良く見えた。岩稜の横ばいを行って 32・才ノ神(15:50) 祠でも在るかと想っていたが何も無かった。R=372と傍の神池とそこへ鋭角で滑り込む断崖が美しかった。西は笠形山・飯森山・千ヶ峰までが同定できた。 おやつを食べて 発(15:55)
微かな踏み跡を歩いて下る。シダで塞がったりしたが、間もなく上が扁平な大きな大きな岩が在ってその上に乗ると(簡単に乗れる)展望良し。しら坂トンネルの上の尾根に婆婆岩が見え、相変わらず『あぐりぴあ』と池が美しい。この後下る尾根も見えて、今日の山歩きも後少し。 33・(16:10) 視界が閉ざされて薄暗い林の中を進んで尾根先に立つ、地図マークでは、このまま直に下ると崖の上に出てしまう。急斜面を途中から右に振って下り。民家が見えた所から下った。 34・里(16:30) 車へ向かう途中再び通りかかった問題の道標、字が埋もれていると思われる道標の付け根を持っていた鎌で掘ると、字が出てきたが判読できなかった。
前回の写真=しら坂に向かって見て正面になる

前回の読み左=『やしろ・いつ』 『右=たかの・こう』今日標の付け根を掘った結果左=『やしろ・いつ』の下に『川』と思える字が一字出てきたが欠けていて判読不能。右=『たかの・こう』の下に一字出てきたが欠けていて判読全く不能。更に掘れば字が出てくる可能性もあると考えられる。
◎道標の読みにおいて、お世話になっている井上さんによる読み(この道標がもともと現在地に現在の向きで建っていたか否か不明として)左=『やしろ・ほつけ』『ほつけ』=「ほっけ」=加西市の『法華山一乗寺』を指している
◎播州清水山にとてつもなくデッカイ『法華山』との石碑が建っていることからも西国札所三十三所巡礼の道標?右=『たかの・こうや』『たかの』=「はがの」=波賀野で篠山市を通る福知山線に『古市駅』が在りその近くに波賀野と言う地区が在る『こう』=「こうや」=高野(恒屋)。
私も思う
@「い」の字は確かに「ほ」と読める。「け」の字は掘って出てきた「川」と思った字が
「け」の字かも知れない
A更に掘れば「ほつけ」の下に「さん」が出てきて『ほつけさん』となるかもしれない。
私のこじ付け=「たかの・こう」=「しかの・こうめいじ」上写真「た」はどう見ても「し」とは読めないが、しら坂を越えて西脇市側に下ると鹿野町が在る。「こう」の下に「めいし」と出れば五峰山に光明寺が在るし地名でも二箇所光明寺が在るので納得?
何れにしても右の『た』の読みは無理がある帰路は今まで通ったことのない「しら坂トンネル」を通って帰ったが車の渋滞もあって時間がかかった。
◎婆婆岩や数曽寺山塊のレポートは『やまあそ』の島田君も数多くされています。
私のものより情報も多く、的確で画像もキレイです。
コースbR33と334の道標について新着情報。
春以降ずっと気になっていたことですが、大柿様のレポートbR33と334に記載の私の推定した道標の解読「は(た)かのこうや」を載せてもらっていますが、「西国三十三所巡礼道」について調べていると、第27番・書写山円教寺から第28番成相山成相寺までの巡礼道は2つある事を知りました。
基本ルートは円教寺→生野峠→夜久野→加悦→成相寺ですが、発展ルートとして円教寺→第26番・法華山一乗寺→第25番・御嶽山清水寺→古市→瓶割峠→塩津峠→福知山→宮津→成相寺と巡礼する人が増えたようです。私の推定した「は(た)かのこうや」が正しくない理由は下記です。@右の第一文字を何と読むかですが「は」・「な」の変体かなと似ておらず、 「於」の変体かなに似ているので「お」だと思います。
「おかの」と考えます。Aしかし、WEV“篠山市の地名考”を調べると明治22年(1889)の町村制施行時に篠山城の西北西の11箇村を「岡野」地区と呼んだそうです。B私が読み方を調べもせず、「恒屋」を「こうや」としましたが、正しくは「かきや」と呼ぶそうで、コジツケも度が過ぎると思います。反省しています。C「こう○」ですが、現在の地名にズバリはありませんが、名残を残す地名として東河内(とうこうち)、河内台(こうちだい)が在り、往時は「河内(こうち)」と呼ばれていたと思います。
河内地区は上記Aの岡野地区の西 隣になり、巡礼者にとって主道(瓶割峠を越えて国領へ)と脇道(佐中峠 を越えて国領へ)を選ぶ重要なポイントなので地名表示して然りと考えます。D故に「おかのこうち」と二重に念をいれた道標があれば、巡礼者は大安心出来たとおもわれます。
上記の考察から、私は「右 おかのこうち」 「左 やしろほつけ」と刻んであってその下に「道」と言う分字が刻んであると推察します。従って、私の推察した「は(た)かのこうや」は誤りですので、抹消して頂けたらと思っています。以上 いつもお世話になっている私の山友 揖保郡太子町の井上様から8月20日に封書で頂いた文書から抜粋。
トップに戻る 歩きの記録に戻る