bR26 吉島古墳跡〜大寺山〜篠首〜高倉山〜ふたご山
遠望すれば、フタコブラクダの背中のように、気を惹く尾根が心に残り、
地図を広げて机上登山。今度は気になる吉島古墳これで決まった登山口。
山塊端の高倉山から下った支尾根の先端は、
その名も点名「ふたご山」ちょちょいがちょいと思っていたが・・・。
宮内地区(新宮中学)〜吉島(よしま)古墳跡〜335m〜大寺山(城跡?寺跡?)〜
篠首(しのくび)378.6m三等〜373m〜高倉山(427.1m四等)〜
ふたご山(147.5m四等)〜平野地区。
◎所在地 : 揖保郡新宮町栗栖川と篠首川に挟まれた山塊
◎地形図 : 2万5千図 『安志(あんじ)』
◎山行日 : 2004.12. 11 (日) 晴れ(ぽかぽか日和)
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=57
◎コースの見所 : @ 登山口に在る「古新宮焼窯跡」
A 吉島(よしま)古墳跡とここからの大展望
B 随所にある高木雑木帯 C高倉山からの展望
◎走行距離 : 往路 @48.6km A51.7km 往復 99.8km
自宅発(7:36)〜加古川・姫路・太子・龍野・R=29B・P〜R=29〜龍野市追分交左折〜
R=724〜新宮町〜R=179〜1・平野(8:50)〜2・新宮中学(8:56 発9:18)〜
3・峠(9:35)〜4・吉島古墳跡(9:51 発10:00)〜5・(10:16)〜6・大寺山(10:18)〜
7・(10:26)〜8・(10:38)〜9・(10:53 迷 発10:59)〜10・篠首(11:08 おやつ
発11:27)〜11・アンテナ(11:35)〜12・(11:50)〜13・(11:53)〜14・(11:58)〜
15・(12:10 おにぎり 発12:44)〜16・(12:58)〜17・(13:12)〜18・高倉山(13:22
発13:51)〜19・(14:10)〜20・峠(14:30)〜21・(14:40)〜22・ふたご山(14:48
発14:57)〜23・神社(15:16 発15:25)〜1・(15:36)〜自転車で走る〜2・(15:48)〜
A・妻合流〜新宮町福祉会館(15:57 発16:17)〜往路〜自宅(17:26)
この時期になると先ず「ハンターの入山」と「日没が早い」と言うことを念頭においてコースを考えなければ痛い目に遭うことがあるのは百も承知、今年はこれに加えて「風倒木」を考えなくてはならない・・・。12月12日久し振りに島田君からTELがあっていろいろと話したが最近上った山でやはり倒木に遭って計画通り進めなかったと言っていた。
この倒木は、これから長年に亘ってハイカーを悩ますことになると思う。その訳は倒木を処分するだけの人件費が捻出できるとは考えられず、倒木は放置される可能性が大きいからである。西播は植林が比較的に少ないと言っても、今日のコースを決めるに当たっても例外ではなかった。結果的に苦になる様な倒木に遭う事が無かったのはラッキイーだったかも知れない。
コース
310の点名祇園嶽や市野保からの展望で、井上さんから教えてもらったり、最近歩いたコースbR24・325・326からも西を見ると決まって目を惹く山容で、高倉山かその東の尖がり山は、“山立て”?に使われたと言っていた様に記憶する・・・。
そんな事などでここに足を向けて車を走らせた。R=179を走りながら、高倉山から南下した麓に点名ふたご山と言う双こぶの可愛いピークが見えたが何だか藪っぽかった。平野地区に入ったがこの辺りは道幅が狭くて余りうろうろ出来ず、自転車デポ地を見つけて自転車を下ろす。
1・平野地区(8:50) その後新宮中学へ向かったが中程に「西播磨文化センター」への道を見てふと思い出した事があった。
S.64年の秋に、このセンターをS/Gで山崎町〜R=53〜南光町下三河〜R=53〜R=179〜佐用町〜上月町〜R=179〜R=373〜上郡町〜R=5〜龍野市経由でセンターへ戻る『センチュリーラン』と言う自転車レースに参加した。これは順位を競うものでなく自分のペースで走って良く、普通の自転車で参加も出来た。(しかし時間制限の関門あり)私はゴールの順位を貰ったが何名が参加して何番目でゴールしたか覚えていない(後の方だったと思う)
2・新宮中学(8:56) グランドでは女子のソフトボール部が練習していたが八千代町の中型バスが来ていたところを見ると練習試合をするのかも知れなかった。車を止めた所は『古新宮焼窯跡』の崖の下だった。『古新宮焼窯跡』の看板概要。S.50年に発見され、発掘調査の結果、出土遺物に陶器が全く無い事からこの窯は磁器のみを生産していた。陶器を焼いた窯より当窯の方が古い様相をもっていることから当窯を『古新宮焼窯跡』と呼ぶことにした・・・。
発(9:18)
高倉山へは主に吉島地区の北に在る、アンテナマークの所(点名吉島 194.6m)から目指すようだが、私は地図を見ていてこの上に記された『吉島古墳』に興味を持ってここから上って吉島古墳を見て高倉山へ向かうことにした。校舎のあちこちに分かれてブラスバンド部(吹奏楽部?)が練習していて、その音を聞きながら見当を付けた上り口へ向かった。
さて、何処から尾根に乗ろうかと地形を見極めながら歩く。崖マークは採石跡か・・その手前側の崖に沿って上って行った。尾根に乗るとシダ原の急登になったが獣道らしきものがついていた。中学校からブラバンとテニスボールを打つ音が途切れることなく響いていた。振り返ると視界が開けたが、それに見入る事無く上って肩に着いた。
(9:18) 少し下るとそこは峠で道標が立っていた。
3・峠(9:35) 西へ下れば『宮内古墳群』東へ下れば『吉島地区』尾根西上方へが吉島古墳だった。
峠から、幅1m位の道が整備されていて、古墳跡を目指した。地図にある古墳マークは峠から直ぐの所にあるがなかなか見えて来ない・・・降り積もった落ち葉を踏んで谷を過ごし尾根を上ると、立ち木が切られ開けてきた。季節はずれのモチツツジ数株が美しい花を咲かせていた。上り切った所が 4・吉島古墳跡(9:51) ここは車で走りながら「尾根にはげた所がある」と見ていた所だった。S.53年に国指定史跡になっていた。標高250mにある全長30mの前方後円墳で6面(2種類)の鏡とガラス玉・刀剣・土器片が出土して、同じ鏡が奈良・京都・滋賀・大阪・群馬から出土している等々記された看板が立っていた。
看板が無ければ、カヤが生えた只の尾根肩としか思えなかった。ここからの展望は大パロラマで東は先週にかけて歩いた屏風岩から点名挟戸までの山塊が目を惹いて点名挟戸に付いた遊歩道の全体像が掴めた。南は鶏籠山・城山・大倉山等がやや霞みながら見えた。また進む方向に「大寺山廃寺」の案内があった。 発(10:00) 高木雑木の自然林の尾根には幅2m位の完全な切り開きが有り、難なく気持ちよく歩けた。特に上り切ってからは横ばいで一抱えもあろうかと思うクヌギやアベマキが残っていて感動しながら歩いて 5・(10:16)
北の谷に在る最奥の『大谷』から『大船』辺りが見えた。方向を確認、ここにも「大寺山廃寺」の道標あり。そこまでの距離が記されていないので、何処に在るのか分からないまま歩いていると直ぐ先のコブ南面に『大寺山城』との杭が立っていた(ここまでの道標杭全て行政が設置) 6・大寺山(10:18) 寺跡?それとも城跡?南面の尾根に数段確認したが郭跡か・・・。ここで(5)南面下からここを通過して先へとついた水平道跡が在った。
先の尾根へのトラバースかと思った。私はコブコブ尾根を歩くことにしたがここから藪っぽくなり松の倒木が出た。 7・(10:26) 尾根は笹藪で、やや開けた尾根の北側を歩いた。中上りでコブを越えて開けた鞍部を上って 8・(10:38) 少し藪っぽいがクヌギやアベマキが生えた横ばいを行く。右前方に高倉山と尖がりピーク方面が望めた。やがて露岩尾根になった先で尾根南に幅1m近い明らかな道跡を確認し不思議に思いながら行く。 9・(10:53)
南と西に切り開きがあり、私は迷わず道跡が続く方向の南尾根に踏み込んだ。道は直ぐ下のコルから西尾根へ向かって水平についていたが道には木が生えていた。そのまま進んでいると前方が切れ落ちとなって、コースから外れていることに気が付いて引き返し、(9)に戻って 発(10:59) 相変わらず左右の切れ落ちは凄い、(9)からの道はコルに来て尾根に合流していた。特に北面は岩壁の様相でもあった。すばらしい雑木尾根を歩いて 10・篠首(11:08)
展望はきかなかったが気温も適当で、のんびりとおやつを食べながら井上さんにTELをすると息子さんが出られ、井上さんは居られなかった。(山からするのは好まないが近くに来ていて素通りするのも・・・と思って) 発(11:27)
祠前に戻って下山尾根を探る。下山口となる尾根取り付きは確認出来なかったが地図によって位置を読み取ってほんの少し引き返すと、そこに切り開きとマーキングがあってそれを下る。発(13:51) 自然林の中下りでかなり踏み込まれた道だった。初めの緩みから右側が桧林に変わって、2度目の緩みから左の谷を隔てた上方に辿ってきた(14から16)の尾根と南山肌が見えた。 (14:06) 間もなく急下りにかかると下方尾根先に「ふたご山」を持つ小ピークが縦に並んで見えた。 19・(14:10)
おにぎりを食べながら見た、この尾根の中腹に付いていた真新しい道に、何時出るのかと思いながら下っていると間もなくその道に着いた。 (14:15) 道は谷筋に向かって急斜面の山肌を緩く上がっていて私はどの辺りまで付けられているのか確認に入った。その道は50m位上った所で行き止りになっていて引き返した。その道を下ろうかとも思ったが思い直して尾根に乗って下った。小さなコブを越えると峠に着いた。 20・峠(14:30)
峠は幅2mと言うか普通車なら通るに十分な幅の地道の道が付いていた。西へは「能地」東は池を経て栗栖神社へと下っているようであった。(上での新道もこれにつながっているだろう)右桧林左自然林との界の急上りをして 21・(14:40) 西側と北が開けて(12から17)の尾根とそれらの南谷と山肌が見えた。そこそこの踏み跡があったが「ふたご山」への上り返しからは塞がり始めて最後は尾根西に外れて三角点の石標に着いた。 22・ふたご山(14:48) ここからは「篠首」辺りまでも見えた。少し南へ移ると南面が全開して点名市野保が座する長い尾根がかすみながら見えた。発(14:57)
さて、何処から何処へ下ろうかと思いながら、下り易そうな東向きに下っていった。始めはこれなら5分も有れば下り切れると思った。ところがどっこいそうは問屋が卸さなかった!! 10m位下っただろうか笹(私の田舎では“鉄砲竹”と言っていた)が出てきて次にトゲトゲの木が沢山でてきた、この木は間違い無く「タラの木」だと思った。傾斜がきつくなってきて木にすがろうとしてもほとんどが「タラの木」で掴むにつかめない、それでも仕方なく掴んでしまったこともある。
私一人なら体力まかせに笹を掻き分けて下りもしたが妻を待ちながらと言う事で時間がかかった。また笹の丈が身の丈をはるかに超していて「少しでも楽な方向」と思っても笹に埋もれて全く分からない、何とか下りきったが笹は一層密になってしまった。こんな中でも獣は通っていて、そのわずかな隙間(身を屈めると見つけることが出来る)を辿っていると谷川に出てそれを渡って道に出ると丁度鳥居の所だった。 23・栗栖神社(15:16) 境内に入ると大きな古杉が一本根元から倒れていた。 発(15:25) 大きな鹿網ゲートを抜けて集落に入って自転車デポ地点へ向かった。 1・(15:36)