324  下笹〜挟戸


このコース、神のお告げで決めました。スタート間もなく藪谷筋に洗い出された石畳、

こんな所にこんな物が長く続いて二度ビックリ・・・。


神は私にこれを見せたく、夢見のように教示かな。ポイントポイント完全走破


おまけは二つの3町境界。




川東〜町境界〜北進〜386m〜254m〜下笹(351.5m四等)〜

397m(3町境界)〜挟戸(せばと)431.1m三等3町境界近く〜R=80(宇原坂)



◎所在地 : 揖保郡新宮町上笹・下笹と姫路市林田町松山の境界(主に)

◎地形図 : 2万5千図 『安志(あんじ)』

◎山行日 : 2004.11.20  (土)  晴れ

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=57

◎コースの見所 : @ 川東〜町境界に残る石畳  A (12)ぶっとい山桜とアベマキ

             B 宇原坂の石仏 

◎走行距離 : 往路 ?km 往復 ?km



 初めにお断わり
11月27日の山行きの山中にて11月20日の山歩きのデーターファイルを
誤って消去してしまった。したがって、このデーター(ポイントタイム)は写真からのものや、
薄れいく記憶を辿ってのものです。

自宅初(7:30)〜加古川・姫路・太子・龍野B・P〜福田L・P〜R=435〜R=724〜

R=179〜R=26〜新香橋〜R=432〜宇原〜R=80(山崎・香寺線)〜

1・(9:00 自転車デポ)〜川東へ戻る〜2・(9:10 発9:27)〜3・(9:41)〜

4・(10:18)〜5・峠・鉄塔(10:23 おやつ 発10:30)〜6・(?)〜7・(?)〜8・(?)〜

9・(?)〜10・(11:30)〜11・(11:49)〜12・下笹(12:08 おにぎり 発12:23)〜

13・(12:41)〜14・(? 3町境界)〜15・(13:26 遊歩道)〜

16・挟戸(13:40 発13:45)〜17・(13:50 3町境界)〜18・(14:17)〜

19・宇原坂(14:25 発14:35)〜1・(14:55)〜2・(15:05)〜A・妻合流(15:10)〜

B・休み(15:13 発15:35)〜香島橋〜R=26〜R=724〜R=29〜R=29B・P〜

太子・龍野B・P〜自宅(17:00頃)



※写真挿入不良有り


宇原地区と狭戸地区をつなぐR=80に乗って集落の外れに自転車をデポした。 1・(9:00) 折り返して登山口となる川東へ戻り、車をどこに置こうかとゆっくり走っていると下野公民館が在ってここの広場に置かせてもらって支度をする。 2・(9:10 発9:27) 天気は上々、上る谷筋は目視できていたのでその方向へ向かっていると60歳位の人(男)が三人で立ち話をされていた。先ず駐車の承諾を得る。『何処へ行くんや』『ここから尾根に上がって宇原地区と狭戸地区をつなぐR=80の峠まで』『わしはこの前山を見に行くのに歩いたけど尾根までは倒木もあって40分ほどかかったぞ』『まっ気を付けて行けよ』

集落の中を抜けて谷の入り口に着いた。 3・(9:41) ここには自然石で作った高さ2mに余るほどの一対の大きな灯篭が建っていた。谷には細流があってその左右に道が付いていて、さてどっちかなと思案している所へ、先ほど道を尋ねた婦人(70歳位)が来られて『左の道を山裾に沿って上ればいい』と教えて下さった。谷へ入って行くと何段もの畑跡が在って今は杉や孟宗竹が生えていた。緩く上る道はウラジロと柴とイバラそして倒木で次第に塞がり始めた。今では人が歩いた形跡もなし。

右下からの水音は消えることなく続いていた。ウラジロから開放されて高木雑木が目立つようになった頃、道が道と思えない溝状になってしまって、溝から飛び出し、右の方を見ると道らしき開きが在った。近付いてビックリなんと幅80m位で石が敷き詰められて上にも下へも続いていた。もう感動でしかなかった。下は何処からと思って少し下って見たが更に下へと続いていたがどの辺りから始まっているのだろう・・・。。これもまた台風、豪雨が洗い出した産物だろう・・・。これほど見事に敷き詰めるからにはそれなりの訳があっての事だろうが、今思えば、帰りに川東の住民に聞き取り調査しておけばよかったと思う。 
19
18
      16
     宇原
  
   431.1m
15
14・397m
13
12・下笹・351.5m
11
10
7・386m

@

見事な石畳 実物は凄くきれいです
(3)谷入り口の灯篭と祠 手前が谷へ
南の谷が本流らしくそこを過ぎると水の流れがなくなった。傾斜が増すにつれて石畳も荒れていくが(4)の辺りまで確認できた 4・(10:18) クヌギやアベマキは葉先を傷めているがそれなりの黄葉を楽しみながら上って終盤はジグザグとなって峠に着いた。 5・峠・鉄塔(10:23) ここには柿の木が三本生えていたが熊の爪痕は無かった。おやつを食べて 発(10:30) 辿る界に巡視路が在りそれを上る、間もなく巡視路は西の尾根の鉄塔へ向かって行き巡視路から分かれて直登する。 6・(?) 踏み跡は無いが難なく歩け、尾根には意味不明の溝が掘られて頂上へ向かっていた。

傾斜が緩むころ溝は岩場で終わっていた。横ばいとなって 7・386m(?) 先端に立つと東から北が開け林田町山田地区や新宮町下笹・上笹地区も見え、遠くの山並みも見えた。ここからは自然林の心地よい尾根歩きで(8)に着く。 右(東)は潅木左(西)は桧林になって界を進む。(9)からは左右自然林に戻って(7)から続く踏み跡を快適に辿る。下ったコルは峠の形跡在り。10・(11:30) 次254mから左(西)が桧林になって、コブを二つ越えると前方が明るくなったかと思うと久し振りに西が全開した。振り返ると(7)からの尾根と新宮町の高倉山の二コブピークが目を惹いた。 11・(11:49)

シダが出たが丈が低く問題なし。ダラダラと上って植界の三角点、展望無かったがここでおにぎりタイム。 12・下笹(12:08 発12:23) 植界は続いて、下ると太いクヌギやアベマキ・山桜を見る。コブを越えた所で目を見張る双幹の元気でぶっとい山桜が生えていた。目高で測るとなんと2.4m(実測)もあった。またそのすぐ先にこれまたこれまで単幹では見たことも無い一抱え半ものぶっといアベマキが生き残っていた。 13・(12:41)
その後も東は高木雑木帯で緩い上りが続いて、待っていた3町境界に着いた。 14・(?) 東への尾根は下草の無い歩きたくなる尾根だった。この後は記憶に残っていない・・・そして少し複雑な地形の自然林を中上りをしていて、上方が開けたかと思うと遊歩道に出た。 15・(13:26) この道の一部は(東屋も在り)自転車をデポする時車で走りながら見ていたがこんな所に回り込んでいると思っていなかったのでビックリした。道は界尾根左下を平行に走って三角点の下を通って界に沿って下っていた。三角点はこの辺りに在るはずと道から尾根に上がって探すと直ぐに見つかった。 16・挟徒(13:40)
ぶっとい山桜 東から
太〜いアベマキ 西から
展望は無し。 少し休んで発つ。 (13:45) 道に下りると樹間から南が見え隠れするが期待外れ?。私は再び界尾根に上がって3町境界へ戻って方向を確認する。 17・(13:50 3町境界) 界には切り開きが有って難なく下り始める。もう残りわずかの距離となっていた。二度目の緩みで開が閉ざされ始めた。 18・(14:17) 左右共凄い切れ落ちの自然林で左下に宇原地区等が見え、視線を上げると宇原坂から北への山塊が大きく座していた。サテここから界を下ると宇原坂では高い法面の上に出てしまう、そこで少し西寄りの尾根を下った。

中程から植林の右の谷へ下ったが谷筋は地滑りを起こしていて植林も根こそぎ流されていた。下り付いた所は丁度法面が切れた所だった。 19・宇原坂(14:25) 東を見ると法面の上にお堂が建っていて中に石仏が祀られていた。横に立つ角標に『文政十三年(1830年)出羽国友之助他七人の発願で宇原村の人々の協力のもと三界万霊の菩提を祈願して健立された』昭和45年坂道の改修で現在地に移されたと。記されていた。 発14:35) 舗装路をテクテク歩いて下って 1・(14:55)〜自転車で走って 2・(15:05) 引き返して A・妻合流(15:10)〜B・休み(15:13)〜発(15:35)帰路に就いた。
(15)遊歩道に出た所
(16)・挟戸三角点石標で見つけた・・・
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