04-323
峠に着けば凄い霧、ウラジロ地獄を通過して、
着いた賀波山初めて展望、感状山の城跡確認。その後視界が閉ざされて、
界尾根縦走悪戦苦闘も二人で何とかクリアーし、三角点の地獄谷、
展望楽しみしてたけど何も見えない塞がりピーク。この後辿ったある谷筋で何とも凄い物を見る。
二木峠(R=5・竜野市と相生市の境界)〜186m〜賀波山(かばやま)208.0m四等〜
244m〜320m〜300m〜地獄谷(314.1m三等)〜297m〜林道〜町境界〜
364m〜牧場跡〜西の峠池。
◎所在地 : 相生市矢野町と竜野市揖西(いっさい)町の町境界(いずれもR=5の北側)
◎地形図 : 2万5千図 『二木(ふたつぎ)』 『龍野(たつの)』
◎山行日 : 2004.11. 7 (日) 曇り
◎山行条件 : 歩き/井上主人と私の妻 Age=57
◎コースの見所 : @ 赤穂郡と揖西郡の境界石標 A 賀波山と(26)鉄塔からの展望
B (28)谷筋の隠し田(隠し田であれば)は枚数石垣共に凄い
◎走行距離 : 往路 45.0km(峠池) 二木峠55.0km 往復 98.7km
自宅発(7:04)〜加古川・姫路・太子B/P〜福田L・P(7:35)〜R=5〜菖蒲谷へ右折〜
1・ゴール地点峠池(8:05 発8:10)〜2・スタート二木峠(8:20 発8:37)〜3・(9:14)〜
4・(9:25)〜5・
赤穂・揖西郡石標(9:35)〜6・賀波山(9:42 おやつ 発9:57)〜
7・(10:16)〜8・(10:23 発10:28)〜9・
二木・小犬丸村石標(10:39)〜10・(10:48)〜
11・アンテナ(10:55)〜12・(11:00)〜13・(11:25)〜14・
二木・金坂村石標(11:38)〜
15・(11:54)〜16・(12:08 おにぎり発12:30)〜17・(12:34)〜18・(12:40)〜
19・(13:00)〜20・(13:08)〜21・地獄谷(13:15
おやつ発13:30)〜22・(13:36)〜
23・(13:39)〜24・(13:45)〜25・(13:57)〜26・鉄塔(14:00 発4:08)〜
27・林道(14:20)〜28・隠し田(14:32〜14:40)〜29・(12:50 おやつ 発13:00)〜
30・峠(15:10〜15:17)〜31・林道(15:38)〜32・牧場跡(15:53)〜
1・ゴール峠池(16:07)〜2・スタート二木峠(16:30 発16:35)〜往路〜自宅(17:46)
8月21日(コースbR13)千原峠から遠坂峠をMTB登山してから歩きばかりの山行きをしている。MTB登山も翌日に疲れが残る様になってきて、年齢を考えると、そろそろMTB登山から身を引く潮時かも知れない・・・。とりあえず今年の目標で、「親不知から遠坂峠の県境を歩き終える」事が出来て今ではMTB登山に対しての意気込みが余り湧かなくなっている。とは言ってもMTB登山に未練が無い訳でもない・・・。
今日も西播へ向かって自宅を発った。このコースは、コースbR11「大成池〜新池〜町境界〜西進〜457m〜3町境界南下〜牧場跡〜西の峠池」を歩いた時から考えていた。幅広尾根や支尾根も多く尾根が確かでないので私にしては結構難しいコース。しかし井上さんが同行ということで先ずは一安心。
福田L・Pを下りて、待ち合わせ場所へ行くと井上さんの方は主人だけだった。R=5へ向かって眺める山並みはもやっていた。井上さんによると昨日も同様だったらしい。R=5から菖蒲谷森林公園へ向かって右折する。ここへの道は夜間若者達がサーキットコースまがいに使うため、夜はゲートが閉められる事を知っていた。それが朝の何時に開くか心配していたがAM6時に開放されていて目的の峠池へ向かう事が出来た。
一気に高度を上げて行く。ゴール地点の峠池の近くの広い駐車場に井上車をデポした。
1・峠池(8:05 発8:10) 二木峠に向かって下る時、下界には雲海らしきものが見えた。二木峠近くはその霧に巻かれていたが視界が悪いと言う程でもなかった。車は峠の南に在る会社の入り口の広場に置かせてもらった。
2・二木峠(8:20 発8:37) 取り付きは高い法面のため少し引き返した所から山へ入った。藪っぽい
急登をを上りきっても藪っぽさは続いて、やがて一面丈の低いシダが出て早速やって来たか・・・と思ったが獣が歩いているのだろう踏み跡が在って古い道の跡でもあった。
シダは消えたかに思って着いた初めのピーク。
3・(9:14) 下る方向を見てアッと思った。身の丈を越しそうなウラジロが密生それも急下り、私の言うところの「ウラジロ地獄」であった。谷の向こうに辿り着くはずの尾根が横たわっていてやけに遠く感じた。ウラジロ地獄に突入したが下りで良かった、シダを体力任せに掻き分けて下って行くと二段になっていた。城跡か?とも思った。幸いにもそれは中程で消え、下り切ったコルを私は峠だったと判断した。そこには赤穂・揖西の郡界石標が立っていた。赤穂・揖西が未だ郡部であった頃は何年前だろう・・・。
(4)に立つ石標 南から (7)にも生えていたぶっとい「やまもも」
4・(9:25) ここからは道と思える踏み跡が続いて賀波山分岐に着いた。
5・(9:35) 郡界石標あり) 西に折れると賀波山の三角点があるはず・・・あるかな・・・と思いながら進むとそれは静かに立っていた。
6・賀波山(9:42) 正面が全開で直ぐ目に付いたのが感状山城跡で、かなり険しい姿で見えた。巨大な紅白鉄塔が四本、左下谷に一本の人工物は播磨道の高架橋、また三濃山だろうか頂上のアカガシらしきものが見えていた。おやつを食べて発つ
(9:57)
分岐に戻って界を進む、地図では直線になっているが現地はクランク状で進む。
7・(10:16) ここにも写真のような太いヤマモモが生えていた。これは上り始めから等間隔で生えている事から郡界見出しとして植えられたものだと確信した。この先で初めの難関、二人で現在地確認(井上さんは例の物で)地形と地図がバッチリ、例の物もしっかりと現在地を捕捉していた。幅広尾根を下る途中太くて元気な山桜が生えていた。
8・(10:23 発10:28) ここからの上りは地形が複雑でシダ藪っぽくなった。上り切った所に 北二木・南小犬丸村の石標が立っていた。
9・(10:39)
踏み跡は続いて右高木雑木の中に深い谷を見る。
10・(10:48) 更に上るとこんな所にTVの受信アンテナが二本立っていた(廃棄)
11・(10:55) 緩く下って横ばいの後下ったコルに突然林道と思われる道がついていてビックリ。
12・(11:00) 北へは水平に南は谷を下っていた。この道の用途を考えると北に在る池と関係があるかと思われる・・・。(この辺りはポイントbェ不明確かも知れません) 発
(10:10) スタートしてから賀波山で展望が開けて以後相変わらず展望が無い。しばらく緩い上りが続いて
13・(11:25) 短く下って上り返した所には二木・金坂村の石標が立っていた。
14・(11:38)
モチツツジが咲いていた 表:金坂村 裏:二木村と彫ってある
左樹間から山並みがチラリチラリと見えるが何処がどこやらさっぱり分からない。相変わらず大きなヤマモモが点々と生えている(植えてある)一本ものは一抱え、株立ちのは二抱え以上あるものもあった。 コブを越えて
15・(11:54) 展望の良い所でランチと思って歩いたがそれは望めず、明るい高木雑木帯の中でランチタイムとなった。
16・(12:08) おにぎりを食べてさあー出発という時、車に忘れて来たと思っていたボイスレコーダーがロードジャージ後ポケットで見つかる。ここまで手書きで来た苦労から解かれた。
発(12:30)
直ぐ先のピークの北面上部に生える桧のほとんどが台風でなぎ倒されていた。
17・(12:34)〜18・(12:40) シダが出るが丈が低く問題なし。 ソヨゴ・リョウブ・アベマキ・コナラ等の林が続いた。相変わらずでっかいヤマモモが生えていた。株立ちと一本物とが有ってそれは何故か・・・と考えながら歩いていてふと思い出した事があった。それは『ある地点にどうしても育って欲しいが人里から遠いため人手が加えられない時は数本まとめて植える、一本また一本枯れても三本目が根付いてそこに育っていく』まとめて植えた木が全部育って株立ちとなったのか・・・なんて思っているといやに沢山のマーキングが目に入る。
19・(13:00)
東の尾根から黄色と赤の作業用のビニテープだった。また標柱も立っていてその天に界の方向を示すへの字矢印マークが入っていた。地獄谷近しとは言っても何故か藪っぽくなった。
20・(13:08) そして地獄谷に着いた。
21・(13:15) 凄い展望を期待していたが何も見えなかった。東に在る池と展望を求めて頂から離れると直ぐ北西が開けて三濃山と思える山容の山も見えたが池は気配さえ無かった。おやつを食べて発つ。
(13:30) 下り始めは柴藪だったが下りきると明るい切り開きとなってるんるんで歩けた。
22・(13:36)
地獄谷の先藪が開けた界 (24)先の分水界はお見事
横ばいが続いて
23・(13:39) ここから界尾根から南に外れ、尾根下に付いた道を歩く。
24・(13:45) 再び界に乗る。道はすこぶる良くなり、シダの中によく踏み込まれた道が横ばいで続く。右の尾根にも踏み跡在り、少し上って
25・(13:57) 道は横ばいに在ったが正面の鉄塔へ向かう。
26・鉄塔(14:00) 賀波山以来の大きな展望を得られた。が山容に特徴が無いので何処がどこやらよく分からない。
発(14:08) 巡視路が北へもついていたが過ごして東の道に入ると辿ってきた道に合流し、明るく開けた空の下、赤土の地道になった。
界は297mを越していたが踏み込まず道を歩く。やがて大きな広場に出て、その先端へ行くと車池へ通じるのか林道が下っていて(破線)北へ下ると直ぐに本線の林道に出た。
27・(14:20) 続きの界は林道を横断していたがここも過ごして、林道を歩く。直ぐ先で近畿自然歩道釜出への下り口 が在った。次に界が林道を横断する所を慎重に探りながら進んでそこから林道を外れた。ここは尾根で無いのでコンパスで方向をセットした。(二人で確認)入り口こそ笹薮だったが直ぐに開けた。
28・(14:32)
水音と共に大きな岩が目に入ってそこへ行って見ると沢山の石垣群が在って『これは何じゃ』と思う。初めは時々目にする昔の「土(石)留め」かと思ったがよく見ているとそうでも無い、一番下の本谷に近いのは100u位有ったかと思う、上へいくほど小さくなっていたが数えると7〜8枚(段)は有った。井上さんと妻は最下段のしたを通過していたが私はその段を通って本谷の方へ行った。するとそこにも小さい(狭い)ながら斜面にへばり付くように何段もの石垣が在った。地形を見ると集落から険しい谷の奥に在ることから、もしかするとこれは昔の『隠し田』では・・・と思ったが真実は如何に・・・。上郡町を襲ったあの集中豪雨にも耐えた石垣は地形、地質、水量を知り尽くした人が積み上げたものだろう。
発(14:40)
下から2段目の石垣まだ上へと続く (32)と(1)の間・牧場跡のススキ
谷からは急登でヤブツバキの群生だった。それを上り切った尾根は展望が無かったがおやつを食べる。 29・(12:50 発13:00) 先の尾根までは下草も無かったが尾根からだんだん塞がり気味になってその先コブでは竹藪になった「どうする井上さん・・・」心配したが良く見ると踏み跡が在ってそれを辿って緩いコルに着く。 30・(15:10) ここも竹薮で道幅1.5m位の峠になっていた。現在地確認したが井上さんと私の思いが合わなかったがここは私の方を信じて貰って発つ。 (15:17)
界は先の364mピークを越えていたが界尾根の左下に道跡が残っていてそれを歩いた。尾根を越えると、道は横ばいのまま続いて、所々に倒木もあったが364mを回り込むと明るい道になった。その後も変わらず横ばいに進んで林道に出た。 31・(15:38) そこからは林道を歩いて見覚えのある造成地下に着き、そこから造成地に上がって 32・牧場跡(15:53) 後は前に歩いたこれまた横ばい道(幅2m位)を歩いて車デポ地点に帰り着いた。 1・(16:07)
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