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美しい名前の『椿峠』それに似合わぬ藪上り、その後は巡視路、自然歩道、

小野豆で散策遠足気分。おっとどっこい先は長いぞ龍野古道(仮称)に感動し・・・。



椿峠(R=5)〜点名・椿峠(327.9m四等)〜近畿自然歩道〜小野豆(おのず)〜平家塚〜

広根方面へ下る〜龍野古道(山猿の仮称)〜峠〜周回〜峠〜町界南下〜平家山(ca430m)〜

躄(いざり)松(428.9m三等)〜自然歩道〜小河(おうご)地区



◎所在地 : 上郡町と相生市の境界とその周辺

◎地形図 : 2万5千図 『二木(ふたつぎ)』

◎山行日 : 2004.10.16 (土)  晴れ

◎山行条件 : 歩き/井上夫妻      Age=57

◎コースの見所 : @ 点名椿峠手前反射板からの展望  A (9)峠の石仏
             B 小野豆地区に立つ案内板(源氏と平家の合戦&落人伝説など)と
                ジャンジャン穴や平家塚からの展望 C龍野古道の道標と石仏 

◎走行距離 : 往路 55.7km 往復 110.0km



自宅発(6:45)〜加古川・姫路・太子B/P〜福田L/P(7:30)〜R=5〜真広交(7:49)〜

小河交右折〜R=449〜近畿自然歩道出入り口1・S/G(8:00)〜R=5〜

2・椿峠(8:07 発8:20)〜3・(9:00)〜4・(9:07)〜5・(9:11)〜6・椿峠(9:25)〜

発(9:35)〜7・鉄塔(9:40)〜8・自然歩道(9:53)〜9・石仏(10:00 発10:06)〜

10・小野豆(10:24)〜11・ジャンジャン穴(10:36 発10:40)〜12・平家塚(10:43)〜

おやつ 発10:49)〜13・近畿自然歩道広根入り口(11:07)〜14・池(11:15)〜

15・龍野古道分岐(11:30 発11:35)〜16・道標(11:40)〜17・(11:43)〜

18・峠(12:06 発12:12)〜19・(12:21)〜20・鉄塔(12:31 おにぎり 発13:00)〜

21・(13:07)〜18・峠(13:19)〜22・鉄塔下(13:30 発13:36)〜

23・(13:43 現在地確認 発?)〜24・(14:07)〜25・(?)〜26・発(12:23)〜

27・平家山(14:32 発14:38)〜28・躄松(14:48 おやつ 発15:15)〜

29・(15:25)〜30・鉄塔下(15:35)〜31・近畿自然歩道(15:44 現在地確認)〜

石仏(15:50)〜忘れ物〜8・(16:05)〜32・鉄塔下(16:17)33・宇麻志神社(16:35)〜

1・S/G16:43)〜2・椿峠(16:50 発17:00)〜往路〜自宅(18:10)



今日は、楽しみと言うか、思いが叶うと言うか、そんな事が二つある。一つは「龍野古道はどんな道で峠では何に出会えるか」二つ目は「10日に外した町境界が歩ける事」両夫婦で歩く予定が私の方は単独になった。天気は上々、井上さんとの待ち合わせ場所は同じ所、今日はB/Pが混んでいて思うように走れず一寸焦ったが何とか時間内に着けて先着の井上さんと発つ。 (7:30)

R=5は『走るのに好きな道』の部類に入りる。色付き始めた柿や少し秋色を感じる山を見ながら走った。小河地区へ入る道は・・・と気にしていたがトンネルを通過してから過ごしている事にきずいて引き返した。(井上さんは行き過ぎが分かっていたらしい)近畿自然歩道出入り口の所の道が膨らんだ所に井上車をデポして椿峠へ向かう。1・S/G(8:00) 

椿峠は今も崩落復旧工事をしていた。峠の手前、旧道と思われる道に止めさせてもらって朝霧が流れて行く中で支度をする。2・椿峠(8:07 発8:20) 旧道を歩いて界まで行くことにした。舗装は残っているがなんやかんやが邪魔して歩きにくい、ついには笹薮になってしまう、掻き分けて進むと本道に出た??そんな私たちを見た工事の人も??だから『何か探すのですか』『山登りです』

峠の名からすると、昔は椿が群生していたと思われるが山へ何処から入るか思案する位の笹柴藪だった。それに潜り込んで上っていると尾根右下に道跡が出てそれを歩くもイバラが多くてこれまた難儀した。やがて桧林になって尾根に取り付いた。やっと藪から開放されたと思う間もなくまたもや笹薮、今度は本格的、「山歩きはこうでなくっちやー」と強がりで進む。早くもウグイスの地鳴きを耳にした。東が開けて稜線の上に宝台山に建つ群塔の一部かドームの様な金属物が見えた。(3)への取り付きで右の谷から道が上がってきていたが直ぐに立ち消えてしまい、今度は上りの本格的な笹薮5mも離れると姿が見えなくなった。

上りきると高木雑木帯が待っていてホッとする。 3・(9:00) ここからはるんるんで歩ける雑木帯 4・(9:07) 一寸上って 5・(9:11) 右尾根から進行方向へ向かって明るい道(巡視路)が出た。とにかく鉄塔が多いのでそれに比例して巡視路も多いと言う事、巡視路には助けられたり惑わされたりするが本当に困っている時に出会った時は助かる。点名椿峠手前左山肌に初めて見る二枚向き合った形で反射板が建っていて展望あり、宿・中野地区と周りの山が全望できた。(宝台山に建つ群塔も見えたかな)

上りきるとはげ山になっていて一本目の送電線は廃線で鉄塔痕だけが残っていた。その先のコブに椿峠の石標が立っていた。 6・(9:25) 展望は木に囲まれてほとんど無かったと思う・・・? 発(9:35) 下っていると左(西)へ巡視路あり、左桧右ほとんどヒサカキの林、上り切ると紅白鉄塔。 7・(9:40) ここからほぼ横ばいで尾根先へ、巡視路は右へ下っていたが忠実に界を辿ろうと尾根へ入り、方向を定めて下る、やっぱり・・・直ぐ巡視路に合流。コルに着くとそこは 8・自然歩道(9:53) 宇麻志神社1.1km平家塚ふれあい公園1.2kmの道標。

枝葉の重なる道を緩く登って行き横ばいになった所が 9・石仏(10:00) 大師坐像で今は吹きさらし状態だが当初はお堂の中に安置されていたのだろうかほとんど風化していない。発起人=安藤周平 建之=明治二十八年一月 その斜め前には『本山遥拝所』と彫られた石柱が立っていた、源氏の落人がここから思い出の京都の方に向かって拝んだ所かもと想像すると・・・。  

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28・いざり山428.9m
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bR20   椿峠〜龍野古道(山猿の仮称)〜平家山〜躄松
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椿峠・6
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ここから北に向かって巡視路が上がっていた。 発(10:06) 横ばいから下り始めて前方が開けて前回歩いた『福峰山』がまるで要塞のように集落の背に迫り出して見えた。『福峰山』は城跡かも・・。更に下っていくと小野豆地区手前高台に鳥居が建っていて、お社はと探したがそれらしき物が無く鳥居をくぐると先は谷へ下ってしまうと言う何とも不思議な神社。ジグザグと下って 10・小野豆(10:24) 下りた所に在る集会所脇に立つ看板には「ここ、小野豆の集落は寿永4年壇ノ浦の戦いに敗れた平家一族の重臣平経盛(たいらのつねもり)平清盛の実弟が、4人の家来と共に源氏の追手を逃れ、この山里の地に落ちのびてきたと言い伝えられています・・・後も続く。またその横に『ジャンジャン穴』なる物が200m先にあるとの案内あり「これってなにかなー」皆興味を持った。

地図のお寺印の所は更地になっていた。ず〜と以前に通った時はお堂が建っていたと思いながら上がっていると『ふれあい公園』の案内があってそれに従って上ったが“ふれ合い”をするには長く急な坂道を上がらなくては着けなかった。 11・公園(10:36) そこがジャンジャン穴の在る所だった。木製のテーブルと椅子が2セット設置されていて、広場奥右にジャンジャン穴なるものが在った。ジャンジャン穴の右横に『平家の落武者とジャンジャン穴』として案内板が立っていた。

それによると「落武者(上記赤字)がこの穴を見つけて生活をしていたことや残党狩りに見つけられて自害(61歳)に至ったエピソードなどと共にこの洞窟の名前の由来が記されていた。名前の由来は、穴の中に向かって声をかければ、中から、ジャンジャンと反響することから付けられた」そこで私は穴のなかに向かって「おーい」とかの声をかけたが反響や如何に・・・。この穴は古墳のように思ったがその様なことは一切記されてなく、穴は鉄柵で塞がれ、奥の方は丸く広がっていて石積みでなく地肌であった。 発(10:40)
反射板からの展望
別荘地帯
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山田山



(9)地点大師像と『本山遥拝所』の石柱
公園から直ぐ上が車道でその上が平家塚だった。 12・(10:43) 展望しながらおやつを食べる、(何時もながら井上さんにおやつを頂く)そこには金属板に書かれた展望図があって、家島群島・小豆島・屋島等が記されてあった。家島群島と小豆島は視程に入った。天気が良く、まるで遠足気分にハマッテいた、残りの距離を目算すると今までの4〜5倍はありそうで早足モードに切り替えて発つ。(平家塚は立派な石塔が建っていたが写真を撮り忘れた) 発(10:49)

直ぐ先の池の所から地道に変わって少しずつ上って行き峠を越して緩く下って行くと10月2日に広根から上がって来た所に着いた。 13・(11:07) 今日は通行止めの看板が立っていたが2日に歩いているので、自己責任の下に下って行く、池の水が抜かれて堤の石垣が底まで見えていた。 14・池(11:15) 直ぐ下左に在った滝は水量が減って滝とは言えなくなっていた。『龍野古道までこんなに距離があったかなあ』と思いながら下り続けた。井上さんが『通行止めの原因は池の水を抜くためだったかも知れない』と言ったがそうかもしれない。そしてやっと龍野古道分岐に着いた。 15・(11:43)
ふれ合い公園と『ジャンジャン穴』
平家塚からの南展望・小豆島や家島群島も見えていた
宝台山
  ↓









龍野古道入り口(谷を渡って直ぐ)
龍野古道分岐の道標
道標には「右 おのす=小野豆 左 たつの=龍野市」と井上さんとの判読は前回通り。 発(11:35) 龍野古道はどんな道なのか・・・心わくわくさせて踏み込む。道は左右岩盤の深い谷間奥へと上っていた。 16・(11:40) 南のこれまた深い谷の分岐にも道標が立っていた。ここのは「左 たつの 右 山みち」だった。薄暗くて文字もハッキリしなく、カメラを向けるも写真に撮り辛いと思っている時、井上さんが地図のビニールケースを使ってレフ板代わりにして照らすと、これが効果あって自然のまま撮ることが出来て私には新発見だった。

谷筋だけに杉が生えていて他は藪椿・シデ・ケヤキ等・・・そこから50m位上った所で左急斜面に巡視路がついていた。ガラ道を上って 17・(11:43) ここで方向が変わる、道の右面に石垣が残っていた。それを観察していると一抱え位の方形の石組み穴を発見、橋と思える構造だったが地形的には不本意な所で・・??。道は大して荒れることなく形跡を保っていた。

ガラからザレに変わって中上り、右に炭焼き釜跡があり、かなり形を保って残っていた。釜に接して生える杉の太さからして樹齢40年、釜から人が離れて少なくみても40年は経過しているだろう。昔人はどんなことを思い歩いていたのだろう・・・。やがて谷は左右二分する、そこには建物跡かと思う位の石垣が在ってよく見ると、でっかい炭焼き釜跡だった。いかにも右の谷が峠への道のように見え、思ったが、豪雨で荒れた左の谷が古道だった。ここには太いモミジの木が生えていた。

谷を突き詰める。私は道標が在った事から、「峠には必ずお堂跡か石仏が在ったはず」と察していたから、先ず瓦の破片が無いかと目配りしながらジグザグと上っているとその瓦の破片を見つけて“やっぱっり”と思った。 18・峠(12:06) 峠には予想通り立派な石仏(地蔵菩薩)が3段の石垣囲いの最上段140cm四方に建っていた(瓦も散乱)。嘉永二年(1849年?)酉年十一月吉日 施主 久左エ門・和十朗・利右エ門・藤○朗・源左エ門。石仏のサイズ=高さ60cm最大幅?。清涼飲料水の空缶に生きいきしたお花(葉)が供えてあったが・・・。

前回立てなかった峠に立てて満足だった。小河へ下る道もハッキリ残っていて後で歩く南西界尾根とその右下に水平に巡視路がついていた。私の計画では時計の針の逆回りでここへ帰ってくる事にしていたが現在地に立った判断で時計の針回りに変更した。(井上案)腹が空いてきたが、おにぎりタイムは(20)の鉄塔にして発った。 発(12:12) 
←道の変体文字
   と思われる
(井上さん調査)
巡視路だと思うが余り明るく無い潅木帯の中上りが続いて上り切ると横ばいになった。 19・(12:21) 踏み跡を辿って行くと左へと向いていたが、右へと折れて行く。展望が有るかと思っていたが全く無し、藪っぽくなるも突っ切ると左右に走る明るい巡視路に出た。ここに布を二本巻いて右に折れて直ぐ前回(10月10日)立った鉄塔に出た。 20・(12:31) ここでおにぎりタイムとする。 前回私が現在地確認出来なかった事から正確な位置確認を井上さんがGPSによって行ってくれた。お腹ふくれ位置も確認できた。 発(13:00) 

この後は前回と同じ道(巡視路)を下って 21・(13:07) ここから探索した谷へ下ったが間もなくハッキリ道だと分かるようになって、やがて峠から下ってくる道に合流した。小河へも確かな道が下っていた。ここで奥さんを待って峠へ上り返した。 18・峠(13:19) 左側に惑わされた429mピークを見ながら快適に巡視路を進んだ(界尾根から少し南側に外れていた)やがて、前方が明るくなったかと思うと紅白の巨大な鉄塔に着いた。 22・(13:30) 東南向きに大きなソーラーパネル が二枚設置されていて、何故??と不思議に思っていると奥さんが建物に書かれた「航空障害灯制御版」を見つけられて不思議が解決した。鉄塔に取り付けられた発光灯?の電源だった。
石段
石段
石段
←石仏
(18)峠の写真 南から(露光不足でダメ写真)
(20)でGPSの衛星捕捉を待っている井上さん


雑木の梢上から進行方向(南)全開していて(西も見えていたかも)躄松だろうこれまた紅白鉄塔、その右に愛宕山から福峰山だろう尾根を確認した。 発(13:36) 巡視路は続く、次の410m井上さんが“飛行機”と言った地形の所(なるほど、ここの等高線は飛行機または鳥に似ている)現在地確認するも巡視路を歩いたものだから現在地がだんだん曖昧になっていて少し??東の水平尾根に巡視路?が在ったので間違いないだろう(410mは越してなく東尾根を横断していた) 23・(13:43 現在地確認 発13:48?) 

少しの間左側が桧林右は赤松が多い界を行く。ほとんど高低差無い横道が長く続くも展望は無い。そして緩い峠のような所 24・(14:07) 左(東)へが界のような気がするも凄い笹薮(界から北へ外れれば歩けそうだった)で見て見ぬふり(界でないかと思いながら過ごす)をしてそのまま進んだ、右が桧林になる、横ばいのまま進んで、とうとう「これはまずい」と左の雑木尾根に上がり、ここで現在地確認に入る。 (25) 私は道なりに下ってみると自動車が走る音がしてきて更に下ると今日見覚えのある近畿自然歩道に出た。引き返して界に向かって発つ。 25・発(12:23)

下草無く歩き易い、やがて右桧林になって幅2m位の昔道に出た。界尾根に着くと笹薮っぽくなって掻き分けながら上る。上りきって横ばいで東向きに進んで尾根先、ここが平家山か??探したが山名板も無い、井上さんがGPSで現在地確認すると間違いなく平家山だった。(東に躄松の鉄塔が見えていたのも決め手の一つ、尚本による平家山の標高が430mのため、この辺りで430mを探すとここしか無いのでここを平家山とした) 27・平家山(14:32 発14:38)

下っていると右山肌から水平に巡視路が来ていてそれに乗って緩く上って横ばいに進むと明るく広大に開けて紅白巨大鉄塔 28・躄松(12:48) 三角点の石標は鉄塔の中央に立っていた。北北西のかなたに見えた山は三室山と後山かと思ったが・・・南南西には瀬戸内の男鹿島が見えた。おやつを食べて発つ。 (15:15) 






(22)鉄塔から南を眺める
(22)鉄塔用ソーラーパネル(W=10m?)
同じ道を引き返して界に付いた巡視路を下る、予想では朝10時に見た石仏の所につながっていると思った。(29)へ上り返すと西面に西向きの反射板が立っていた西から南の展望があったかな?ここでGPSで現在地確認すると人工衛星12個の内8個を捕捉していてピンポイントでバッチリ確認できた、これを使いこなせたらイザと言う時には強い味方になってくれると思った。 29・(15:25) 下ったコルから巡視路は小野豆地区の方へも下っていて、それに乗って下るところで井上さんが「待った」をかけて難を逃れ、尾根を上がり紅白鉄塔下を通過して 30・鉄塔下(15:35) 

緩い勾配のピークを越えて巡視路から外れて踏み跡無き植界の境界に乗って下って自然歩道に下り付いた。 31・近畿自然歩道(15:44) 本当に境界を下っていたか最後の現在地確認すると10mくらい北に寄っていた。跡は自然歩道を歩いて小河へ下れば車が待っている。 石仏(15:50) ぺちゃくちゃと喋りながら下っていると石仏先で井上さんが忘れ物(物は内緒)に気が付いて、自然歩道に下り付いた所まで取に戻る(待ち時間5分?) 8・(16:05) 

265m前後の北面は急斜面に付いた横ばいの感動的スバラシイ道を歩く。下りに入って間もなく 32・鉄塔下(16:17) しっかりした道を下って 33・宇麻志神社(16:35) なかなか立派な造りの神社で、境内から井上さんの車と立派な石灯篭が見え、山に陽は当たっていたがもう
夕方の雰囲気だった。 井上さんの万歩計は2万歩を軽く越していた。3人さんよく頑張りました。1・S/G16:43)〜2・椿峠(16:50 発17:00)

後日地図を見て復習をしていると、最後神社に下る所で破線は神社の西に付いている、当日私達は神社の北に下っていた。ここの下りでは鉄塔下を二度通過する(初めて歩いた時)と思っていたのに一度しか通過せずおかしいと思っていた。神社西の谷へ林道が上がっていたから正規の近畿自然歩道は地図破線だと思う。まっどっちでも合流すると思う。
芸術作品?とさえ思ったボールトナット
躄松に建つ鉄塔 西から
 ↑
石標
ジャンジャン穴
    ↓
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宝台山以外は写真では見えない