コースbR12千原峠の道標石仏で指し示している地名がほぼ解明しました。
多分これが正解だと思います。興味のある方は参考にしてください。
これを解くにあたっては太子町の井上さんが尽力下さいました。

下山予定の分岐になる462mから右へ流れ落ちる大小2本の支尾根の地形を入念に観察した。長くハッキリした方が下山に使う支尾根だった。先は未だ長い。界は(7)から巡視路ですこぶる歩きやすい、右が自然林になってほっとしながら進んでいると大きなクルミの木が生えていて、あのクルミの殻の謎が解けた。その先コルに赤白鉄塔が建っていて京都側には鉄塔がほぼ直線に並んで建つと言う珍しい光景を見た。(12:47)

そこから植林帯を上り返していると京都側へ消えかけた巡視路が付いていた。その先今度は兵庫側にも付いていた。そして(10)にさしかかった時、太くて元気な山桜が生えていた。10・さくら(12::57)幹周りを測ってみると、目高で2m40cm有った。昔から大切に守られてきたのだろう・・・。広尾根になって界をつかみ難いがそれなりに歩いていると左に作業道が出た。これは今年の4月10日に烏帽子山から万歳山分岐へ辿ってきた時見かけた作業道の延長だった。

右の若い桧との植界が府県界で、丘ピークを越えて下ると見覚えがある万歳山分岐だった。11・(13:00)〜発(13:07) 前回も巻いてあった、ホワイトバードのマーキングあり。少し休んで発つ。ここからは2度目なので難なく進む、前回尾根の左に付いた道?の様な所を歩いているうちにあの展望所(初めて歩く人には立ち寄って欲しい)に出てしまったが今日は忠実に界尾根を歩いた。右に岩盤の切れ落ち(人工的にも思える)の先が分かりにくいが右の植林に沿っての下りが界尾根だ。

間伐材を乗り越えてコブを一つ越え、緩く上って行くと左に壁が出る、これが前回立った462mピーク。 12・(13:40) 太い杉の木に白のプラスチックプレート(30cm×7cm)足立和久と記してあった。足立左衛門尉遠政といえば山垣城を築城しで全国の足立氏の祖と言われている。(慶佐治盛一氏著書による)その子孫か?その右の急下り斜面に支尾根があり「これが下りに使う尾根」と思い込み、それを下り始める。下ると直ぐ右に岩場が在り竹林も出て深い谷。

しかし在る筈の無い尾根先に出て、下り尾根を間違った事に気が付く。左に回り込んで下って、開けた谷に近づくとそこには林道が上がって来ていた。 13・(14:00) 林道は未だ上へと続いていた。左の細流に沿って下って神社の所に出た。 14・(14:12) これは予想通りだった。神社は『武大神社』で紀元2600年記念で社屋が建てられていた。そこからも高速道路の高架橋工事が見えてその横を通過して遠坂川まで下り、地図に無い道がついていて工事警備員に道を尋ねる。ここで妻と別れて川沿いの道をバイクで走って車に向った。

以後妻と合流して広場(15)で着替えて、旧今出地区に出来た親水公園『今出せせらぎ園』でそばを食べて降り始めた雨の中、『千原峠〜遠阪峠』の遠阪を下見をして帰路に就き、高源寺で仮眠して自宅に帰った。    今出入り口〜遠阪峠=約3.4km 
312


久し振りにやって来ました府県界。千原峠の隧道が見たくて来たんじゃ無いけれど、

峠に残る石仏三体昔の雰囲気肌に感じて・・・。



千原(ちばら)峠〜府県界東進〜355m〜513m〜
            
府県界外れ万歳山へ向う〜462mからR=427(徳畑)へ下る。



◎所在地 : 氷上郡青垣町遠坂と天田郡夜久野町千原の府県界など

◎地形図 : 2万5千図 『矢名瀬(やなせ)』

◎山行日 : 2004.7. 31 (土) 曇り時々小雨後雨

◎山行条件 : MTB/妻      Age=57

◎コースの見所 : @ 千原峠の隧道と石仏  A (9)からの展望

◎走行距離 : 往路 79.8km   往復 175.3km



自宅発(7:33)〜R=175〜山南仁王道の駅(8:44)〜氷上町稲継交左折〜R=7〜

青垣町〜道の駅あおがき(9:15)〜発(9:25)〜小倉交右折〜R=427〜

遠坂1・S/G(9:43)〜発(10:00)〜2・千原峠(10:20)〜発(10:33)〜

3・(10:49)〜4・355m(10:55)〜5・(11:13)〜6・(11:35 おやつ)〜

発(11:43)〜7・(11:52)〜8・(11:56)〜9・(12:20 おにぎり)〜発(12:40)〜

10・さくら(12::57)〜11・(13:00)〜発(13:07)〜12・(13:40)〜

13・林道(14:00)〜14・神社(14:12 散策)〜1・S/G(14:33)〜15・(14・40)〜

発(15:10)〜R=427〜せせらぎ園(15:15 そば食)〜発(15:51)〜遠阪峠(16:00)〜

引き返し〜R=429〜(仮眠)〜加美町〜中町〜西脇市〜R=175〜自宅(18:46)


千原峠〜府県界東進
14
13
11
9−1
10
4・355m
隧道の高さは180cm位で幅は荷車が通れる位は確保していると思えた。中程で頭上から京都側へ鳥が飛び去って行く、そして少し湧き出た水も京都側に流れていた。10m足らずの隧道を出ると前が開けて植林の谷が重なっていた。数メートル下った所左にに石仏が2体たっていた。写真(2)の方には「右ちはら 左すえ」と刻んであった。『すえ』『ちはら』の地名から見ると兵庫側から京都側へ下る人用で地図の破線分岐に立っていたと考えられる。

問題は(2)の方で「右ぬかた かや」これは地名と合致したが「左東ゑかすか」私はこう判読したが書体くずしてあり不明。関わりが有りそうな地名を地図で探したが見つからなかった。(島田君の2001.9.2のレポートも参照して下さい)界への上り口を探したが兵庫側が無難で隧道を引き返した。すると再び鳥が飛び去った、それはコウモリだった。島田君のレポートでもコウモリが居たと記しているが同じコウモリだろうか・・・。

 太い杉の間をぬって界に乗って短急登で肩に着く。横ばいで下草なし、京都側は殆ど伐採されて明るく開けて遠望がきいた。それも間もなく塞がって植林帯に入って風が止む。緩く上って 3・(10:49) 右に支尾根が出る。横ばいを進んで小高い355m地点ここの桧に巻かれた幅広赤ビニテープにホワイトバード’04.1.3の記録あり。これは私が今年の4月10日に立った烏帽子山にも巻かれていて、なんと榎峠から遠坂峠まで縦走すると記していた兵庫分水界縦走の凄い2人組みである。(烏帽子山通過11時35分だつた)

その直ぐ先で尾根は北東へ出ていて誘い込まれそうになってコース確認に手間取る。 4・355m(10:55) 「界は尾根に付いている」と思いがちでこれが災いしていた。右へ90度折れて界に乗って下った。黄色のプラ杭は南西尾根に下っていた。上り切るとまた横ばいで 5・(11:13) 明るい尾根が東に出て要注意。植林が続いていたが右に太い赤松が主体の自然林が出て下の方に高速道の工事と集落が覗く。

少し下草が出たが問題なし。そして自然林が消えて今日のコース中一番の難所に取り付く。それを少し上った時、京都側が開けたのでおやつタイムにした。 6・(11:35 おやつ 発(11:43)京都側は知ろうとしないので何処が何処やらさっぱり分からないが末地区だろうか集落も見えていた。そんな時小雨が降り始め先を急ぐ。 発(12:40) 急登が続く。途中から私だけ南に突き出る尾根の方へ向かう。

先端に出ると、赤白の鉄塔が建っていて、大箕山の後ろに岩屋山の鉄塔が覗いて右奥に雲を被りかけた粟鹿山が見え、その手前に点名稲土が見えた。また遠阪峠の方から禿げ尾根とピークが粟鹿山の方に連なっていた。 7・(11:52)界へ戻るとここにもホワイトバードのマーキングあった。 8・(11:56) その後の横ばいでは京都側が見え隠れする。そして本当に薄暗い植林帯を行く、左の谷から甲高い鹿の鳴き声がする。横ばいは続く。

(8)からクルミの殻が点々と落ちている・・・こんな山の上に・・・不思議に思いながら進む。やがて右が明るくなり始めて赤白の鉄塔が見えた。界にバイクを置いてその方へ行くとここも展望良し。 9・(12:20 おにぎり 発(12:40) この後辿る分岐から462mへその先には、お見事な形の万歳山その遥か彼方に水山から安全山を同定したが粟鹿山は雲の中だった。いつの間にか止んでいた小雨がまた降り始めたが桧の下で雨を避け展望しながらおにぎりタイムにした。

京都側石仏(2)
京都側石仏(1)
京都側から見る隧道
兵庫側の石仏
親不知から府県界を辿って遠阪峠へ向かう(逆も有り)事8回目となる今日のコース。今日うまく行けば、後ワンスパンで遠阪峠まで繋がることになる。台風10号の影響で天気は不安定、雨を覚悟で家を出た。R=7に乗るとR=427にかけて、あちこちで高速道路の工事が進んでいて、気分良く走っていた道も周りの景色とのバランスが崩れて目障りと思う。青垣町の道の駅で休んで(野菜を買う)道の駅あおがき(9:15)〜発(9:25)

遠坂トンネルへの道と分かれて下千歳橋を渡り峠へのスタート地点を探す。どこを見ても車を止められそうな所が見当たらず引き返して道から峠側へ入ってみると運動広場が在ってその脇に止めさせてもらった。(駐車場は無し) 9:43凄く蒸し暑かったが雨はまだ落ちてなく雲の流れも遅かった。支度をしていると畑仕事の人(70歳男)が来られて千原峠への道を尋ねると(住民との会話のきっかけとしてよく活用する

)『千原へだと車で矢名瀬へ回った方が早い』と言われたが「山歩き」との事情を言うと『峠にはトンネルが在って車が通れるほどの道も上がっている』と教えて下さった。遠坂1・S/G(9:43 発(10:00) 集落から離れて間もなく金網の柵を通過すると薄暗い植林帯となる。気持ちよく伸びた太い桧や杉の中を上る。地図の初めのピンカーブから上の谷にはミツマタが群落していいた。

右左に何回も折れ、旧峠道と思う道を見たりしながら峠に着いた。正面に岩盤をくり貫いた、あの隧道が見える。2・千原峠(10:20 発(10:33) 軽の4輪駆動なら上って来れると思う。兵庫側に小さな祠(高さ約50cm)の中に石仏が安置されていた。宝珠を抱いた石仏には「小倉村久右エ門」と刻まれていた。隧道の前に立つと京都側から強い風が吹き抜けていて、まるで扇風機の風に当たっているようだった。

@

12
歩きの記録に戻る
トップに戻る

右 ぬかたかやみち
ぬかた=額田(京都府天田郡夜久野町)
かや=加悦(京都府与謝郡加悦町)
        この二点は島田君も読んでいる。

問題は左です。
「ゑ」の字の上の字は「春」をくずしている。
したがって 左春恵かすか と読む。
春=「す」と読めることから「すえ=末」となる。

下の「かすか」は知って驚くなかれ、井上さんが地形図より探し当てられました。2万5千図「直見」の右下に「門垣」と言う地名が在ります。なんとこれが「かずか」なんです。ルビがうってあるので確かです。「かすか=かずか」これで方向もピッタリ合いました。ただ現在地の石仏を正面に見た場合は二体とも地名の方向が合わないので現在地へ移動されたのでしょう。






←万歳山




11
(9)からの展望
(9−1)から京都側の展望