303   檀特山&京見山〜白毛山〜トンガリ山


檀特山は高さに合わず大展望。次に登った京見山は古墳、古墳、古墳の群集



下大田登山口〜檀特山(だんとくさん)165.1m四等〜川島〜下太田廃寺跡〜

丁古墳公園〜 勝山町のぎ保育園〜京見山〜白毛山〜トンガリ山〜才



◎所在地 : 姫路市勝原区・広畑区と揖保郡太子町の市町境界

◎地形図 : 2万5千図 『網干(あぼし)』 『姫路南部(ひめじなんぶ)』 

◎山行日 : 2004. 6. 6 (日) 降ったり止んだり

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=57

◎コースの見所 : @ 檀特山からの大展望  A 下太田廃寺跡(県指定文化財)

             B 勝山町丁(よろ)古墳公園 

             C 京見山から白毛山ルートに点在する古墳群特に4ツ塚古墳

             D 京見山・白毛山・トンガリ山等からの展望

◎走行距離 : 往路 29.5km  往復 66.5km



自宅発(7:47)〜姫路B/P〜太子東〜R=179(旧R=2)〜太子町太田交左折〜

R=421〜新幹線高架下1・S/G(8:42)〜発(8:59)〜2・下太田登山口(9:24)〜

3・檀特山165.1m四等(9:40)〜発(10:19)〜東南と川島分岐(10:21)〜

4・川島(10:40)〜1・S/G(10:49)〜5・下太田廃寺跡(10:53)〜発(11:02)〜

勝原町丁(よろ)古墳公園〜6・のぎ保育園 32.5km(11:18)〜発(11:21)〜

7・(11:46)〜8・京見山216.1m四等(11:54 おにぎり)〜発(12:40)〜

9.(12:48)〜10・引き返し(12:51)〜9.(12:54)〜11・泣き坂(13:00)〜

12・(13:07)〜四ッ塚古墳(13:08)〜13・(13:25 おやつ)〜発(13:32)〜

14・白毛山(13:44)〜発(13:58)〜15・トンガリ山(14:12)〜発(14:21)〜

16・(14:33)〜17・(14:40)〜18・熊見B/S(15:08)〜

19・R=421勝原橋(15:29)〜1・S/G(15:49)〜発(16:25)〜往路〜自宅(18:16)


※写真乱れあり

天気が良ければ生野町と神埼町の境界を歩く予定だったが朝から小雨が降っていたので「傘を差してでも歩ける所」と言うことでこのコースに決めた。(はりま歴史の山ハイキングの本参考)井上さんは「阿舎利山へ登る」と言っていたがこの天気でどうしたか・・?。姫路B/Pを太子東で降りR=179を西走。太田交差点手前のローソンで道路地図をコピーする。

(この辺りの地形図を入手していなくて道路地図で対応する=後日購入済み)その先の大田交差点を左折して車を止める所を探しながら走り、新幹線高架下の空地に止めさせてもらう。1・S/G(8:42)檀特山の下を新幹線のトンネルが通過していた。発つ時は霧雨が降っていたが間もなく止んだ。

新幹線高架下を西へ歩き、大津茂川に沿って南下して市営住宅の山手に在る下大田登山口から上り始めた。2・(9:24)整備された道は竹藪から始まり混生林へと変わって尾根に着く。南尾根からも道が上がってきていて探索に入ると直ぐの所に横穴式の古墳が1基在った。

元に戻って頂上を目指す。少し薄暗いが道端の草刈もされて歩き易い。緩い上りが続いてやがて明るくなると大岩や展望台が見えてきて頂上に着いた。3・(9:40)60歳過ぎの男性2人が居られて山の話や京見山への登山口を教えてもらったり展望台に上がって展望したりして時を過ごす。


檀特山頂上 手前から上って向こう側へ下った

展望台の上には360度パノラマ写真が分割で掲示されていた。目を惹く山では西方面で後山・三室山。北では東山・段ガ峰・粟鹿山までも見えるらしいが、今日はあいにくの空模様でこれらの山は確認できなかった。見えたのは大撫山・三濃山・大倉山・的場山位だった。東は京見山から白毛山の連山。南に播磨灘と家島群島その先に淡路島や鳴門大橋が微かに見えていた。

男性2人は下山されて私達も下り始める。(10:19)緩い下りでコナラの林が続いた。間もなく左へ『東南入口』の分岐が出た。直の『川島入口』を進む、今度は右に細いふみ跡で『削治岩(さくじいわ)』の案内が有って少し辿って見たが着きそうにないのであきらめて引き返した。完全整備の道が中下りになってジグザグと下っているとここにも『削治岩』の案内が有った。

上で周回と分かっていたら見に行ったものを・・。なんて思いながら下っているとこじんまりした『川島神社』が在った。少し下に地道があって、それを南へ歩いて途中から見頃のアジサイを見ながら舗装路に出て車に戻った。1・S/G(10:49)少し休んで次の目的地の下太田廃寺跡へ向かった。標識に従って行くと直ぐに着いて、それは田圃の中に在った5・下太田廃寺跡(10:53)

この寺の創建は奈良時代前期(白鳳時代=7世紀末)と記されていた。そこからも檀特山の全容が良く見えた。周りの田圃は田植えの準備で忙しそうだった。その後いよいよ京見山の登山口へ向かう。発(11:02) R=421に乗って間もなく左山裾に入り組んだ勝山町に入って行くと右に瓢塚(ひさごづか)の頭がチラリと見えたが過ごして奥へと入って今度は丁(よろ)古墳公園に立ち寄る。

15m×20m位の面積の公園には5基の横穴式古墳が元のまま保存されていたが、余りにも接近していることが不思議に思えた。(この辺りには100基近い古墳が在ったらしい).道が細くなって心配したが更に奥へと入って行くと『のぎ保育園』が在り隣接する広場に車を置かせてもらった。雨の心配は全く無くなっていた。6・(11:18)ホトトギス・ウグイス・ヒヨドリが鳴いていた。

そこからの谷筋を上って行くとメジロを捕獲している人がいた。 おとり籠=1(とてもよく鳴いていた) 予備籠=2(風呂敷に包んでいた) 小物類=色とりどりのビーズの様なものが入っている箱等 鳥もち=1本 私たちに見られて都合が悪いと思ったのだろう捕獲していた一羽を逃がした。(メジロは保護鳥で県知事に認可を得て一人一羽だけ飼える事のなっていると思う)

谷を北へ回り込んで突き詰めた所で左右道に当る。右に折れて直ぐ今度は左折「京見尾根直登上コース」に乗る。短急登で尾根に着く。尾根(11:40)右(東)に折れてコブを一つ越えると7・(11:46)春日神社・山戸へ1.7km京見山へ300m原へ1.0km等の案内板が立っていた。古墳を覗いたりしながら緩く下って上り返して京見山に着いた。8・(11:54)南北が切り開かれていて北は大撫山から的場山辺り黒尾山・東山・明神山・高御位山等は確認できた。南は姫路港から家島等。白毛山の大きなアンテナも目を惹いた。


京見山の北側展望                        南側展望

展望したりおにぎりやおやつを食べたりしていると30歳位の男性(神戸から来た人)が上って来て自家弁を食べて白毛山を目指してサッサッと下って行った。雨は降りそうになかったが私達も白毛山へ向かう事にした。発(12:40)短中下りして上り返していると道の直ぐ左に自然のままの石を上蓋に利用すべく、その下をくり貫いて古墳を造りかけて中断したと思われる穴を発見・・・と思ったのは好奇心旺盛な私の思い過ごしか・・??

上り切った丘に「右則直(のりなお)左一本松至才登山口1100M」の案内が有った。 9・(12:48) 京見山で見た「則直・白毛山」の案内で則直の方向に行けば白毛山に至ると思っていたので、妻が「才の方へ行くのでは・・・」と言うのも聞かず、迷わず則直の方へ向かって緩く下り明るく開けた所で振り返ると、目指す白毛山の大きな中継等が見えて反対方向に下っていた。(12:51)先ほどの分岐へ引き返えして一本松至才登山口の方へ下って行く。

混生林を下って行くと、太子町の原と広畑区才地区とを結ぶ最低鞍部「泣き坂」に着いた。11・(13:00)この峠名の由来は『羽柴秀吉の播磨攻めで落城した英賀城の落武者が泣き泣きこの峠を越えた』と言う言い伝えかららしい。どちらにも同じ位の明るい踏み跡が付いていた。短中上りの後横ばいを行く。 12・(13:07) 緩く下っていると「四ツ塚古墳」の案内が有った。立ち寄って見ると大規模な2基の古墳が隣合わせに在った。(後2基も近くに在った)

展望したりおにぎりやおやつを食べたりしていると30歳位の男性(神戸から来た人)が上って来て自家弁を食べて白毛山を目指してサッサッと下って行った。雨は降りそうになかったが私達も白毛山へ向かう事にした。発(12:40)短中下りして上り返していると道の直ぐ左に自然のままの石を上蓋に利用すべく、その下をくり貫いて古墳を造りかけて中断したと思われる穴を発見・・・と思ったのは好奇心旺盛な私の思い過ごしか・・??

上り切った丘に「右則直(のりなお)左一本松至才登山口1100M」の案内が有った。 9・(12:48) 京見山で見た「則直・白毛山」の案内で則直の方向に行けば白毛山に至ると思っていたので、妻が「才の方へ行くのでは・・・」と言うのも聞かず、迷わず則直の方へ向かって緩く下り明るく開けた所で振り返ると、目指す白毛山の大きな中継等が見えて反対方向に下っていた。(12:51)先ほどの分岐へ引き返えして一本松至才登山口の方へ下って行く。

混生林を下って行くと、太子町の原と広畑区才地区とを結ぶ最低鞍部「泣き坂」に着いた。11・(13:00)この峠名の由来は『羽柴秀吉の播磨攻めで落城した英賀城の落武者が泣き泣きこの峠を越えた』と言う言い伝えかららしい。どちらにも同じ位の明るい踏み跡が付いていた。短中上りの後横ばいを行く。 12・(13:07) 緩く下っていると「四ツ塚古墳」の案内が有った。立ち寄って見ると大規模な2基の古墳が隣合わせに在った。(後2基も近くに在った)


私が発見?した古墳造り中断跡?               4ツ塚古墳の一つ奥行き10m近く有る

緩く下ったコルには左に明るい踏み跡が在ったが何処からのものだろう?。左に白毛山の中継塔が見えていた。短中上りを終えると東面全体が岩盤の平ピークに着く。ここにはイバラが群落していての白い花がいっぱい咲いていた。13・(13:25)深い谷向かいにこれまた山全体が岩の「トンガリ山」が見えた。ここでおやつを食べて発つ。(13:32)ネジキの白い釣鐘状の花房が可愛く下がっている中を下り、中上りで着いたピークは「前方後円墳」との案内板が立っていたがどう見てもその様には見えなかった。

その直ぐ先で右へトンガリ山への分岐だった。左桧林右潅木の界を上っていくと舗装面に出てデッカイ中継塔の建つ白毛山だった。14・(13:44)北への境界を探索すると微かな踏み跡が在ったから更に北へ行けなくもないようだった。展望は南が開けて広畑区や飾磨区が足元下に見え、播磨灘の先に見えた島は淡路島だろうか・・。京見山方面も見えて、辿ってきた山の頭が覗いていた。初めの計画では「舗装路を下って車に戻る」と考えていたが妻の案でトンガリ山経由で広畑区の才へ下って帰る事になった。

      
 イバラ           ネジキの花            ささゆり 

(上写真3枚白毛山までに出会った花の一部)分岐に引き返して、トンガリ山へ向かう。緩く下っていると左へ踏み跡が在り蒲田へ下れるようだ。(更にもう一本在ったかもしれない)コルから才への近道あるも過ごしてコブを越えて行くと前が開けてトンガリ山が見えてきた。左の一枚岩盤に才へ下るルート在り(ロープも備えて有る)右に才への一般コース在り。上り切ると木製のベンチやテーブルが有って抜群の展望。泣き坂への道もちらりと見えた。15・(2:12) 発(14:21)


 トンガリ山から京見山を眺める         バス道で見かけて道標(右=びぜん・たつの  
                         左面=あぼし・むろ付)と彫って有る

分岐に引き返して谷筋を下り、泣き坂への道に合流。16・(14:33)明るい踏み跡を下っていると「今から京見山へ上る」と言う夫婦に出会った。薄暗い中の墓地を通過して民家の横に出た。17・(14:40)後は山裾の舗装路からバス道に出て、てくてく歩いて車に向かったが一時的に大雨も降ってきて傘を差したりもした。18・熊見B/S=15:08 19・勝原橋(15:29)ここの尾根先に登山口の札が掛かっていた。そして車に戻って広場の木陰でゆっくり休んだ。

※私たちが檀特山に上る前に井上さんも上って既に下山されていた。
  (檀特山は太子町東南在住の井上さんのホームグランドと聞いている)

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