長居する事無く原山を後にして(14)へ引き返す。西側山肌には高木雑木帯が残っていた。 14・着発(12:35) さて界は藪かそれとも開あるかな・・・。心配するほどでもなく 16・(12:45) 小柴藪の中に大岩が立ち並ぶピークだった。そこからの下りは中藪で岩盤あり岩の間を擦り抜けたりで、中頃で大天井の方から(14)への尾根を見たりしながら下り切って 17・(13:10) 上り返しも藪っぽく左は植林間伐が入っていた。しばらく急登の我慢、次第に緩くなって上り切り 18・(13:30) ここからも大天井や善防山・城山等が見えた。

界は間伐材が塞いでどうにも通れなく右の雑木林に逃れて下る。 19・(13:45) 色のきれいな大王松のマツボックリを拾っている間に妻は界から外れて尾根を下り続けていて後を追う(現在地確認が遅れてしまった) 20・(13:50) この辺りと思う所から界に乗ろうと思ったが植林帯の激下り、R=24沿いは高い法面と分っていたがそれなりに下るしかなかった。下り着いた所はやはり高い法面で左へトラバースして界と思う所から笹藪を突き抜けて舗装路に出ると西脇市と八千代町の界から3m位八千代町に寄った地点だった。21・R=24(14:20)
『今年の元旦登山を何処にするか・・・』と考えている時ふと閃いたのが点名『大和』昨年12月7日に上った黒木山、この時に見た地形図に『大和』が在って、これが強く記憶に残っていたようだ。これほど里に近い三角点もそう多くは無いだろう。点名『大和』を出発点としてその後どうするか・・・。「これで今年の元旦登山は終わり」って言う訳にはいかないだろう・・・。

地図を見ていると東方に五つの支尾根を持つ三角点『原山』が在って、そこへも、そこからも未だ辿っていない町界が在ったのでこれを辿ることにした。7時38分朝日は既に昇っていたがその顔は見えなかった。R=24に入って『ニケ坂』加西市と西脇市を分けるを峠に着く、境界を東へ辿れば五峰山の方へと行ける。途中までであるが昨年あの島田・向井コンビが辿っている。

私も何れ辿ってみたいと思っているが激ヤブの所が在るらしい。坂を越えるといきなり物凄い霧が出た、しかし明楽寺を境に消えた。R=34に乗って大和川に沿って北上して行き登山口に着く。地図には載っていないが地道の道路が谷の奥へとついていて、その入り口の広場に車を置かせてもらった。 1・(9:00)

年の初め登山の初め、今年の目標は「計画したルートをどれだけ外さずに踏破できるか」と言うことなので、先ずは慎重に地形を読んで”現在地良し”上り口を何処にしようかと思案しながら準備をする。 発(9:20) 地道を少し歩くと右山肌に舗装路が上がっていてその上に数軒の家が建っていた、”よしここから入って行こう”と上がって行くとそこはこじんまりとした別荘が数軒建っていた。

右寄の舗装路を上がって行くと数分で行き止まりになってそこから山の中へと入る。植林から直ぐ雑木林になって木の間をすり抜けながら上ると出足は好調早くも『大和』に着いた。 2・△大和(9:30) 私達を警戒してか民家の方から犬の鳴き声が絶えない。慎重過ぎる位の現地確認をして(これを何時まで続けられる事か・・・) そして ”大和発進” しばらく緩上りの後、短急登して 3・(9:45) 

少しシダが出て藪っぽくなる。ぼや〜と見える御来光に向かって上って行く。右檜林左は雑木林になる、尾根にはどう言う訳か突然踏み込まれた様な跡が出た。左の谷深い雑木林に冬鳥だろう物凄い大群の小鳥が”裸木にとまっては飛び立つ”を繰り返していた。その雑木林の梢越しにこの後立つであろう原山を頂点に左右に雑木尾根が肩を落としていた。振り返るとR=34の向こう側に美しい尖がりピークを二つ持つ尾根が見えて気を惹く。
◎所在地 :多可郡八千代町大和から八千代町と加西市境界〜八千代町・西脇市境界

◎地形図 : 2万5千図 『西脇(にしわき)』  

◎山行日 : 2004. 1. 1 (木) 薄曇り(寒くなく快適)

◎山行条件 : MTB/妻      Age=56

◎コースの見所 : @459.0m(大日如来石仏と展望)  

◎走行距離 : 往路 44.0 km  往復 88.7km



自宅発(7:38)〜R=18(加古川小野線)〜小野市市場町交左折〜R=23〜

加西市桑原田交右折〜R=79〜河内町R=24右折〜八千代町保木R=34〜

八千代町大和1・S/G(9:00)〜発(9:20)〜2・大和201.0m四等(9:30)〜

発(9:40)〜3・(9:45)〜4・(10:08)〜5・(10:20)〜6・町境界(10:30)〜

7・459.0m(10:40 大日如来石仏 おやつ)〜発(10:48)〜

8・小天井460.2m(11:05)〜9・3市町境界(11:10)〜9−1(11:15)〜10.(11:25)

〜11・(11:30)〜12・(11:45)〜13・(11:50)〜14・(11:55 おにぎり)〜発(12:05)

〜15・原山497.1m二等(12:15)〜発(12:20)〜14・着発(12:35)〜16・(12:45)〜

17・(13:10)〜18・(13:30)〜19.(13:45)〜20・(13:50)〜21・R=24(14:20)〜

同所からバイクで走る(14:30)〜1・S/G(14:55 引き返し)〜22・妻と合流〜往路〜

加西市青野町『根姫の湯』(15:20)〜発(16:16)〜往路〜自宅(17:08)


次第に傾斜がきつくなって最後の30m位は激上りで 4・(10:08) 北尾根植界は完璧な切り開きだった。少し上ると右手に鎌倉山が見えた。踏み跡らしき物は在ったが無きに同然の中上りをして界に出た。鎌倉山回峰道か・・・?。 6・(10:30) このルートは3年前島田君が地図とレポートを送ってくれて辿ったコースだ、この頃は余り人が入っていなく所々塞がっていた。

またコースに点々と16体だったか石仏が有ったと記憶している。(当時島田君にはこれだけでなく他にも沢山の地図とレポートを送って貰った事を今も感謝して忘れない。)ここからはハイキングの気分で歩いて前方が明るく開けると  7・459.0m/大日如来石仏(10:40  おやつ(10:40) 薄暗い林の中で殆ど人知れず佇んでいた石仏『大日如来』だったのに前方の木が切り倒されて全開となって石仏は丸裸。

高さ90pの石組みの上に36p×21p×21pの台座そして高さ80p最大幅40pの石仏は、夏の暑い日差しや冬の吹きさらしに耐えられるだろうか・・・。しかし反面無かった展望が得られて志方の城山や善防山等も見える様になっていた。また地図にある正面尾根の破線ルートも有りそうだったが確認はしていない。おやつも食べて 発(10:48) 
バイクでビユ〜ンと下りたい所だが妻がいるのでそうもいかない、と思いながら下っていると道の直ぐ左脇の岩の上に不動明王の石仏が立っていた。そしてコルに着いた時前方より人の声がしてその姿が見えてきた。見ると70〜80歳の(夫婦と知り合い)3人だった、MTBの話に始まり「大和から上がって来た」と言うと婦人は大和近くの三原から河内町に嫁いできておられた。

そして何時ごろまでか大和や三原等は当時の加西郡内に所在していて峠(現在の境界)を越えて加西郡で行われる運動会に参加していたと、昔話をつい最近の事のように話された。お互いの健康を祈って別れる。次ピーク右山肌にトラバース有るも尾根を行く。そして上りきった所が『小天井』だった。 8・小天井460(11:05) 加西ライオンズクラブがステン打ち抜き製の表示板を設置していた。

北方向に狭いながら切り開きが有って笠形山が見えた。明るい低木雑木帯を進んで 9・3市町境界(11:10) 北の破線は確認できず、界は柴藪っぽい、元旦でもあるしここで甘えが出てしまって、前回ここから南へ下ったコルから辿る境界へ向かって水平道を確認していたのでここはそれを使って界に乗ることにした。

下っていると男子中学生と両親が上がって来ていて挨拶を交わす。そしてコルに着く 9−1(11:15) 使う予定の水平道は変わらず現存していてそれを辿って界に向かった。「人手によって作られた山越え道を今も使う人は居るまい」と思うがど言う訳か不思議にさえ思える位やけによく踏み込まれている何故だろう・・・?界に着いて(9)地点への界を覗くとMTB連れでも苦無く十分歩けるじゃあーりませんか・・・藪はピーク辺りだけだったようだ。

踏み込まれた道は界と共についていて、(10・11)共に藪っぽいピークの左を水平にトラバースしていたが私は(10)を越える、猪の擦り痕が多い、そして(11)も越えていった。 11・(11:30) やがて尾根となるが尾根は人一人が丁度通れる位の幅で、人工的としか思えない形状で土が盛られていた。この様な盛り土は時々目にする事があるが私なりの解釈では『雨水の取り合い』による分水嶺でないかと・・・?

また盛り土の左右の平地は盛り土を取ったために出来たと考えると理屈は合うが・・・。それとも単なる境界なのか・・・。裸木の間から明楽寺側の深い谷に在る溜池等も見えた。ほぼ横ばいが続き、気になる明楽寺と大和を繋ぐ破線地点に着いて、往時の道が残っていないかと探索したが見つけ出すことが出来なかった。(今思うと大和側の尾根は広々していたのでもう少し念入りに探しておれば道を見つけられたかも知れない)

それにしてもこんな傾斜のきつい所に道がついていたとは・・・。(13)辺りから道が曖昧になっていき、柴に塞がるも確かな跡が残っていた。それを辿って 14・おにぎり(11:55) 現在地確認してここで昼食、北風が木の間から吹いて来てちょい寒、木々が葉を付ければ展望は望めないが今の時期なればこそ木の間から大天井・小天井方面が見えた。

おにぎりを食べて今日2つ目の三角点『原山』へ向かう。 14・発(12:05) コブを越えて上り返しまでは”るんるんコース”だったが 上り返しから少し藪っぽくなって原山に着いた。 15・原山497.1m二等(12:15) 先ず目に付いたのが石標の傷、誰も余り関心を持たない山と思っていたが上面の四辺は小さいながら欠けていた「二等が故に」だろうか・・・。

東尾根へも見える範囲歩けそうで、北に在る365m地点へも高い確率で辿れると思うので、このコースは周回が可能だろう。(後日島田君とのTELで島田君は二ヶ坂方面から巡視路で釈迦如来から大天井を経て原山に立ってから鎌倉山方面への市町界を進み遠坂(R=369大和北条停車場線)の方へ辿っていた事を知る)

NO.283  大和〜町境界〜459m(大日如来)〜小天井〜原山
15・原山・497.1m
皆さんもよく見られる石碑の手前に下りついた
(18)地点先のコース状況 こんな所も有る
 元旦登山は何処にする・・・ふと閃いた山名『大和』は何だか縁起がよさそうだ。

それが在るとこ何処かと言えば、これまためでたい八千代町。直ぐに着いた点名『大和』

界に出ればるんるんコース、大日如来に手を合わせ小天井から3町境界。

時として見る尾根に盛り土、立った点名『原山』先の下り以外は楽しめコース。
多可郡八千代町大和(原かも知れない)〜大和(やまと)201.0m四等〜

八千代町と加西市境界〜459.0m(大日如来石仏)〜小天井(420.1m)八千代町と

加西市と西脇市3市町境界〜八千代町と西脇市境界〜同境界から北へ外れる〜

原山(497.1m二等)〜境界へ戻る〜八千代町と西脇市境界を下る〜R=24 

21

19

@

2・大和・201.0m

14
13
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近くにある八千代町と彫った大きな石碑の所で「本日の計画ルート踏破達成度95点位か・・・」と思いながらしばらく満足感と開放感に至たる。その後私はバイクで走って車へ向かった。
『原山』南から写す
(11)地点先の盛り土尾根(界)アナタならどう思う?

16

20

7・
459m
10
11

12

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(7)地点で南向きに立つ大日如来石仏
(7)地点 大日如来からの展望
(5)地点の雑木尾根を振り返る
S/G地点から 先のY字路を右に入って行く
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