大箕山
bQ77
中佐治〜榎峠〜榎峠〜高砂峰〜百万岩(夫婦岩)
R=429
↓
お寺(養徳寺)と下って来た尾根を振り返る
9
6
青垣町へ青垣町へと今日で続けて4回目、見る度目を惹く山と岩に
グルリと回って辿り着けば(百万岩)予想以上の大展望。
青垣町沢野〜中佐治(愛宕山?・小和田城址)295.0m四等〜榎峠〜府県境界東尾根〜
榎峠(344.1m三等)〜府県境界から南西に外れる〜374m〜420m(高砂峰)〜
百万岩(夫婦岩)〜養徳寺
◎所在地 : 氷上郡青垣町中佐治と奥塩久・口塩久の間の山域
◎地形図 : 2万5千図 『黒井(くろい)』 『福知山西部(ふくちやませいぶ)』
◎山行日 : 2003.10.19 (日) 晴れ
◎山行条件 : MTB/妻 Age=56
◎コースの見所 : @百万岩(夫婦岩)からの大展望
◎走行距離 : 往路 72.9km 往復 152.0km
自宅発(7:30)〜R=175〜西脇市〜氷上町稲継交左折〜R=7〜
青垣町『道の駅あおがき』から右折〜沢野地区1・S/G(9:17)〜発(9:40)〜2.(10:00)〜
3・(10:13)〜4・(10:20)〜5.中佐治295.0m四等(10:25)〜発(10:35)〜
6・(10:45)〜ルート探し下り始め(11:00)〜7・(11:10)〜発(11:23)〜8・(11:40)〜
9・榎峠(11:57)〜発(12:00)〜10・榎峠344.1m三等(12:10 おにぎり)〜発(12:25)〜
11・(12:55)〜12・(13:05)〜13・(13:10)〜14・374m(13:20)〜15・(13:35)〜
16・高砂峰420m(13:50 おやつ・展望)〜発(14:15)〜17・(14:25)〜
18・百万岩(14:40)〜発(15:23)〜17・(15:30)〜19・(15:35)〜凄い柴ヤブ〜
20・(15:38)〜21・(16:00 下り開始)〜22・養徳寺(16:10)〜1・S/G(16:30)〜
発(17:00)〜往路〜自宅(18:57)
この辺りの山域の情報を得ようと「慶佐次 盛一 著」の『兵庫丹波の山(上)氷上郡の山』を開いて見ると「高砂峰と榎峠」の紹介が有った(1986年11月)それは五台山のミニ版と思う台形の山容で気になっていた山が「高砂峰」だった。青垣町へ向かうとなると4回連続になるがこの山に決めて家を出た。
慶佐次氏のコースをトレイスだと時間的に余裕が有るので、近くに在る「中佐治」を加えることにした。「中佐治」は城跡で尾根縦走も簡単そう。後は回る方向決めである。コースの見所の百万岩は、山肌の中腹に在り地形図には岩マークが無い。下りでその岩上に出るのは私如きの読図では至難の業とも言える。
しかし敢えてそれに挑む事にして時計回りに決定した(慶佐次氏は逆回りで中佐治は踏んでおられない)もう一つの目的は、「榎峠と中佐治地区をつなぐ破線コース(旧峠道)が今も残っているか・・?」の確認だった。中佐治へは3本の取り付き尾根が有り、何れにするかは「現地での状況判断」と言うことで沢野へ向かった。
R=427から高砂峰と百万岩を遠望確認したが果たして白い塊の百万岩にうまく乗れるだろうか・・・。駐車Pを探しながら山裾を走っていると墓地下ではあるがこれ以上無い絶好ポイント(宅地造成地)が有った。近くの人に駐車の快諾を得る。沢野地区1・S/G(9:17 発(9:40)この時点では登山口は未だ決まってなく「一番西の尾根から」とも考えていた。横を見ると、古びたお堂の前に石灯篭と石碑が建っていた。
見に行くと灯篭は文政4年(1821)建之、自然石の石碑には「愛宕山 経塔」と彫ってあったと判読。地元では中佐治を愛宕山と呼んでいるようだ。道も尾根についていたのでここから上った。直ぐに石仏や五輪塔が祀られていてその少し上に小さいが稲荷神社があった。桧林の尾根に踏み跡が続いていたが一部ヤブっぽい所も有り。
やがて城跡の証しである郭跡が現れ、4段目で平坦な頂に着く。 2・(10:00) 掘り切りを通過すると傾斜が増して、再度ヤブっぽくなり大岩が重なり愛宕山の名に相応しくなるもそこだけだった。 3・(10:13) 城跡の雰囲気すら無し。次のコルからは柴と笹薮になり尾根右の桧林に逃れて上った。 4・(10:20) ここからの尾根は開けて緩く上り返して柴に埋もれそうになった中佐治の四等石標に着いた。5・△中佐治(10:25 発(10:35)
展望無し。プレートを付け方向確認して発つ。雑木尾根から下草無しの植林平尾根を下って 6・(10:45) 東へ急下りをしていると明るい道に出た、計画ではそのまま尾根を辿って峠を越す太い道に出て榎峠へ向かう予定だったが、尾根が町界で無いのでここは出た道を使って早く中佐治地区奥に下る事にした。
その道は6番ピークの東側を通って北尾根に下っていた。始め明るかった道は東に振って消えてしまった。激急斜面の植林帯をずるズル下って着いた所は身の丈以上の猛烈な笹薮帯にイバラも有る最悪条件。それを抜けると高さ2m位の側溝のある溝が待っていた。それをクリアしてバイクを置き橋を見つけて今度は妻を迎えに戻って無事里に出た。 7・(11:10)

13
12
7
8
A
向かい側の山裾にいた夫人(70歳代)に榎峠への古道を訪ねると、何時もながら自転車(MTB)を持っている関係で先ずは車道(R=429)を教えて下さった。古道は「草と笹に覆われている」との事だったが前回この山域を通過した時植林帯だったのでそんなに心配をする事無くお礼を言って別れた。曲りくねったR=429を上り下りする車の音が長く山腹に聞こえていた。
破線の分岐先辺りまで確かに草が多い林道だった。 8・(11:40) (11)への破線に入りかけたが峠への道に乗り換えて峠に向かって薄暗い植林帯を上る。かなり奥まで畑跡が残っていて緩かった傾斜がややきつくなって間もなく舗装路のR=429が通る榎峠に出た。榎峠はまたの名を『縁切り峠』とも言い、花嫁行列はこの峠をさけたともいう。また、昔は追い剥ぎも出たと言う話もあるらしい。 9・榎峠(11:57)
百万岩のテラス・襲われた伝書鳩の羽根
百万岩の東面身を乗り出して撮る
短いながら激上りを前に少し休んで発った。そして 10・榎峠(12:10) 丁度一週間前に踏んだピークで今日もおにぎりを食べて(12:25)に発った。少し進んだ秋をゆっくりと道草もしながら歩いた。この後(12)までのコース状況はコースbQ76を参照下さい。先週見た通り(12)からの尾根は難なく進めた。(14)ピークの東山肌から上がってきた踏み跡が(13)ピークの東を通過していた。
左桧右赤松主体の混生林の界から混生林尾根になって(14)に着く(13:20)ここでいきなり膝上高さの笹が出てルートが消えた。しかしそれは、すぐに突破できて明るい界に戻った。その後は尾根右マッタケ山となってヒモが張られていた(青垣町森林組合所有)それに沿ってだら上りが続いて420m地点、後はほぼ水平の広尾根を行き最高点に着いた 16・高砂峰(13:50) ピークから東の方へ少し下ると雑木の間から吼子尾山だけが見える頂だった。
昔は米相場を知らせる白旗を振ったとも、京都の愛宕山や若狭の青葉山、由良ケ岳も見える展望のきいた山だったらしい。おやつのオレンジを食べていよいよ百万岩へ向かって下り始める。(14:15)百万岩は地図に岩場マークが入っていないのと朝方の遠望は曖昧な見方のため地図上で所在地が特定できず始めの尾根らしき所を下った。
雑木帯の急下りの後緩くなって未だか未だかと百万岩を求めて注意を払いながら下っていると左右峠道が在ったと思える所に出た。 17・(14:25) 百万岩は何処にあるのか・・・と思いながら歩いていると左手樹間から百万岩と思える白い大岩が見えた。少し引き返して先程の峠道らしき所に戻って大岩の方へ向かっている踏み跡を辿った。
直ぐに谷筋に着いた。そこから先は岩肌の上を行くのでバイクと妻はそこに残して一人で行った。雑木帯の急斜面を横切っていると切り立った白っぽい岩壁の上に出た。 18・百万岩(14:40) 東面は垂直の岩壁で一番高い所で10m位有ったと思う。あまりりにも展望がいいのでトランシーバーで妻を呼び寄せた。
この後下った尾根の右奥に中佐治の尾根、その奥にピラミダルに飛び出た大箕山、その左岩屋山と三角錐のカヤマチ山から水山、前山に消され途切れる。続き尾根の先端に安全山、東には吼子尾山とそこから下った尾根筋、慶佐次氏は北に万歳山や湯舟山も同定されているが私には予想はして見るも同定はできない。広くは無いが岩上のテラスを探索していると一部に鳩と思える羽根が集積していた。(周りにも散乱)
見ていると伝書鳩の足輪が3個落ちていた。黄色の輪2個には(JPN03 XX12438)(JPN03WB07567)と記され後1個は赤で電話番号だろう(福田0738−22−9767)と入っていた。調べて見ると和歌山県日高郡印南町だった、そう言えば今田町の虚空蔵山でも拾った事が有り(九州の久留米市の人だった)その由を連絡をすると『レース中に隼にでも襲われたのだろう』と言われたが大して悲しがられる様子でもなかったので『こう言う事は常に有ることなんだろう』と思った。
足輪のついた足の一部と頭の生なましい残骸が有り、鳩は襲われて余り時間が経過していなかった。そこで、近くに隼等猛禽類がいないか耳を澄まし辺りを見渡したたがそれらしき猛禽の姿も鳴き声も確認できなかった。太陽は岩屋山の上に差し掛かっていて、大箕山から水山までの写真は逆光で白く飛んでしまうのを覚悟で写真を撮った。
青垣町の町並みも見え気温も最適で景色に酔いしれた。『秋の日暮れは釣瓶落とし』のことわざが有るように何度かこれで痛い目にあった事が有るのでそうそうゆっくりもしておれなかった。
(10)榎峠東より写す中央の木がイヌシデ
榎峠(R=429)への上り中間点(古道)
←三角点
(7)から見るブルーの建造物は高速道路の橋桁
登山口のお堂と灯篭と石碑
さてここからの下りは・・・。バイクをデポしている所から下れば(慶佐次氏が上ってこられた足元の谷筋)一番近道であったがV字でかなり険しい滑りそうな岩盤状の谷だったので、かなり長くなるがここへ着く前に下っていた目前の尾根を下る事に決めて、そこへ引き返した。 百万岩発(15:23) 尾根に戻って歩き始める頃には植生のせいもあるが早くも薄暗くなり始めて焦りを感じた。
19・(15:35) 確かな踏み跡は里まで続いていそうだったが次第に塞がってきて(20)からの下りは踏み跡が残っているが猛烈な柴ヤブになってしまった。下りきったコルに峠道が有ることを願っていたがそれも無く「こいつは困った」と思っているとヤブが少しずつ開けて上り返しから明るく開けた。「もう大丈夫」と思っていたら(22)からまたもやヤブになって(21)へ引き返して急斜面の杉林を下った (16:00) そして 23・養徳寺(16:10) 里に下りると周りは未だ明るく秋色をした太陽の光が射していた。
18
17・百万岩
16
20
19
23
22
21
15
14・374m
5中佐治・
295.0m
4
3
バイクを押しながらてくてく歩いて車を目指していると(24)地点の一角で3社?(3体の社=台座も入れての高さが150cm位?)が祀られていて古い石柱には『愛宕山』と彫られていた。ここでも『愛宕山』が出てきてなんだか「謂れ多きもの」を思ったがそれを尋ねる事も無く車に戻った。(16:30) 岩屋山の右肩に落ち始めた太陽に染まり、長閑な里の秋を感じながら時を過ごして帰路は加美町回りで自宅にむかった。
20ピーク
22ピーク
21コル