まだ先は長い。706mピークへ快適な尾根道を辿る。左の雑木林には真紅に葉を染めた木を沢山見るがドウダンツツジだとすごい。706mピークからは樅の木が目立ち始め、下った所の清水坂あたりにも太いのが生えている。(15・12:55)峠のお地蔵さんに手を合わす。峠の北に約1辺2m高さ1mの3方石垣囲いだけが残っていた。

その南に向かい合って小さな石垣囲いの中に高さ60pのお地蔵さんがまつってある。台座の前面に清水・轟・西山・山口・市原・三谷。丹治・大袋村と刻ってああるので加美町の住民達が建てたのだろう(弘化3年建之であった)竜ヶ岳へはゆっくリズムで40分位で着く。途中3ヶ所の展望所が出来ていて大井戸山から千ヶ峰の方が見える(19)で東への破線を下見して竜ヶ岳(13:40 3回目)ここは度が過ぎる程の切り開きがされていた。

大井戸山から妙見・烏帽子・笠形山 千が峰からマタニ・三国・粟鹿山が晩秋の色濃くして我見入るなり。のんびりしていると、ビデオカメラを手にしたご夫婦が上がって来られて、しばらく会話をして(14:15)頂を後にした。ご夫婦は初めての竜ヶ岳だった。サテ、次に向うは鳥羽坂であるが、’97.8.17同じく鳥羽坂へ向ったものの(21)から西の尾根に乗ってしまい計画を果たせないままになっていた。

(この頃は地形図を持たずに歩きまわっていたのと町界は、かなりのヤブで西尾根の方が開けていたので誘いこまれた)今回は地図は持っているし町界も開けていたし何よりも注意をしていたので難なくクリアーした(21・14:25)頂上から加美町側は雑木林氷上側は杉や桧の植林帯が続く。明るかったルートも(23)辺りから怪しくなり始めて(24)へは小ヤブになる。(24・14:50)

ここを少し下ると鳴尾山への尾根と、右に水山から安全山その手前山間谷間に達身寺を確認し、奥に五台山から5台山もハッキリみえた。傾斜が緩くなり赤松が多くなり始め更に下っているといきなり峠の石仏(御大師さんと思う)に直面する。地図の破線の手前コルである。’01.12.15播州峠から町界を辿ってきた時にも疑問に思ったことである。

破線と町界が交差する所が峠となる筈であるのに石仏のある位置はそれよりも4〜50m低いコルである。地理院の破線が正しくて、いつの時か誰かが現在地に移したか知る由もない。(この件については「兵庫丹波の山」著者慶佐冶氏も疑問視されている)’01にこの峠に立ったときは、峠の北の699m地点からポールに誘われて南尾根に下ってしまい途中から峠へ辿り着いたので破線の交差点は通過していない。

そこで、今回破線を確認のためバイクをデポしてその地点へ向った。その気で注意深く、よくよく見るとそれらしきものを感じないでもなかったが実際はどうなんだろう。峠に戻る。台座の高さ47p×38p×p39p蓮台17p石仏53p文化7年の銘あり。この石仏を後にする(25・15:25発)

薄暗い杉林を北の谷筋へ向って斜め下り。小尾根に出たらそれを下る。そして標高500m地点位の所で林道に出る。ジグザグに下りやがて集落の最上部にでる。(28・16:00)私はここからバイクに乗って車にもどり折り返し妻を迎えに走り、春欄荘の風呂で汗を流して帰路に就く。
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やがて名水「文殊の水」が湧き出ている所にさしかかると、70歳位のご夫婦が2リットルのペットボトルに水を汲んでおられた。「何処から来られた」かと尋ねると神戸市長田区からであった「兄弟の分も」とのことで、P・Bを数えるとなんと200本位あった。聞くと、この水は長く置いても変質しないとのことであった。やはり名水なのだろう。峠への途中4号大釜線に誘い込まれ、7分のロスタイム。

結局峠まで1時間45分かかって(5・10:56)に着いた。氷上へ下る林道を覗くと、草木が道を覆いかなり自然にもどっていた。今では、車は完全に通行不能で人も滅多に通っていない様だ。サテ、峠からの町界尾根はどんな状況なのか、向井さんのレポを読み返さず来たが多分ヤブが在ったように記憶していた。オニギリを食べて峠を後にする。

尾根へは踏み跡と赤テープのマーキング有り。短急上りで尾根に着く。氷上側は凄い切れ落ちだったが尾根には、明るく素晴らしい踏み跡があった。大きなU・Dもなく何処まで続くのか。(8・11:30)正確にはもう少し手前だろう。ここの岩尾根は、北から東が全開して竜ヶ岳とそこへ続く尾根。その右奥にカヤマチから安全山への尾根が延々と横たわっている。

そして安全山と東峰山の間奥に五台山〜五大山も確認できた。切れ落ちた谷の下にはT・サイプレスG場の唐松だろうか赤茶の点在が目をひく。(9・11:45)ここに立つと大井戸山の方が全開となる。ここからが草と柴のヤブであったらしいがラッキーにもつい最近わずかながら切り開きがされていた。それでも歩き辛い状況がコル先の山肌の中腹まで続いた。

中腹からは、岩場の中上りになるがルートは明るくなり大井戸分岐に着く(10・12:10)北面がポッカリ開け三国岳方面が見える。その北へ向って中下りしてコブを1つ越えると(12・12:20)地図でも大きな岩場マークが入っている所の尾根に着く。ここは大岩が重なり合っていて、その岩のテラスで展望を楽しみながらおにぎりを食べた。

R=427を通る度に、大井戸山(山名は地元の人おしえてもらう)を何時も見上げながら上ってみたいと思い続けていた。’96.7.26にルート不明ながら思い切って清水坂からチャレンジする。当時の尾根は人跡まれで不安を抱きながら辿り、この展望ににえらく感動をした。そしてこの先の(13)地点ではかなりの切り開きをしたりした。

この(12)地点同様その展望に歓声を上げたものだ。が今はルートも開けてしまい、ただの通過点としか思えなかったことが何か寂しくもあった。とはいえ、ここからの展望は1級品である。(8)の展望に加え弘浪山に白山等もみえる(12:30発)その後横ばいで(13・12:34)ここも大岩の上から大展望。

マタニ山から鋭い尾根の加美アルプスを経て三国岳、その右手前にこの後目指す竜ヶ岳への尾根が、杉の緑と雑木の枯れ葉色に染まり実に美しい。その尾根の右には、(12)と同じ展望が得られ。ここは清水から上るコースだと、発ってから初めての展望所となるので初めての人には感動ものだろう。
bQ49   篠ヶ峰〜大井戸山〜清水坂〜竜ヶ岳〜鳥羽坂    


 峠から、町界北の山肌は想像超える切れ落ちで、カヤマチ山から安全山 五台山から

五大山 竜ヶ岳を彼方に望む。地図をたよりに辿った尾根で感動した場も今は拓け、

スイすいスイと清水坂。竜ヶ岳でのんびり休み、鳥羽坂から鳥羽へ下る。



加美町丹治公民館〜文殊の水〜氷上町への峠〜大井戸山(784.2m四等)〜清水坂〜

竜ヶ岳〜25:鳥羽坂(15:12)破線ルート探




◎所在地 : 多可郡加美町と氷上郡氷上町の町境界尾根

◎地形図 : 2万5千図  『丹波和田(たんばわだ)』 『大名草(おなざ)』

◎山行日 : 2002.11.23(日) 晴れ

◎山行条件 : MTB/妻    Age=55

◎コースの見所 : @さくら公園のさくら又はもみじの紅葉 Aai8)(12)(14)からの展望
            
             B竜ヶ岳からの展望

◎走行距離 : 往復128.6km



自宅発(7:18)〜R=175〜西脇〜中町〜R=427〜加美町丹治公民館S/G(8:55)〜発(9:15)〜

文殊の水(9:43)〜5・氷上町への峠(10:56)〜発(11:00)〜6・(11:09)〜8・(11:30)〜

9・(11:45)〜12・(12:20おにぎり)発(12:30)〜13・(12:34)〜15・清水坂(12:55)〜

19・(13:30)〜20・竜ヶ岳(13:40)〜発(14:15)〜21・(14:25)〜24・(14:50展望)〜

25:鳥羽坂(15:12)破線ルート探し〜発(15:25)〜27・(15:37)〜28:(16:00)〜

バイクで走る〜S/G車(16:30)  画像乱れあり



このコースは島田一志君とメイコンビの向井さんも既に辿っている。(私は清水坂〜大井戸山を’00.7.2に辿っている)あえて今、私がこのコースを選んだのには訳がある。その訳とは、峠から大井戸分岐と竜ヶ岳から鳥羽坂を踏破すれば、加美町の町境界(山域のほんの一部を残し)を一周することになるからである。ここまでくるのに、数えれば、20回(コース外れも含む)位の山行を要している。中でも、金蔵寺〜千ヶ峰では現在のようにルートが整備されていないうえ、概念図を頼りに辿ったので3回目でやっと全コースが繋がったと言う辛くも楽しかった想い出がある。

丹治公民館に車を置かせてもらったが、その近くの民家で凍りコンニヤクの製造を見た(後日新聞に載る)。丹治公民館S/G(8:55〜9:15)そこを発って間もなくさくら公園にさしかかるが、そこに在るお堂の所のもみじが見事に紅葉していた。近くに居た地元の人も「今が最高の見ごろ」と言われた。その感動を抱きながら峠へ向ってゆっくりと上る。
16
17
25
26
24・678m
23
20
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13・からの展望

竜ヶ岳
 ↓

水山
 ↓

カヤマチ山
  ↓
三国岳
 ↓
 
近くの田で凍らすためにかに棚に広げたコンニャク
民家の庭先で乾燥中?のコンニャク
28
13
19
22
21
14・706m

706mピーク
   ↓
10
15
12

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