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bQ45  古城山〜釜床山〜岩津分岐(折り返し)


トンネル出ると雨だった。古城山は展望ゼロ視界はせいぜい数十メートル。

たよりは地図にコンパスと日頃鍛えた?山猿ナビ。

なんども何度も見るうちに雨に濡れて地図がぼろボロ。現地確認ままならず

マダマダ先と思って立った笹原ピークの三角点は、目標手前の釜床山。雨降る中で意を決し………。




びわの丸公園S/G〜古城山〜523.0m〜釜床山(648.8m三等)〜生野・朝来町〜

境界尾根北上〜朝来町岩津へ下る破線上526.0m(折り返し)〜釜床山〜

生野・朝来町境界西へ下る〜464.0m目指すもルート外し上岩津への破線に下る〜S/G



◎所在地 : 朝来郡生野町と同群生野町・朝来町境界尾根

◎地形図 : 2万5千図  

◎山行日 : 2002.10.20(日) 雨 (びしょぬれ)   

◎山行条件 : MTB  (MTB乗り短く所々)  Age=55

◎コースの見所 : @生野城跡(いくのじょうせき)A釜床山頂上の笹原Bコース脇に点在する石仏

◎走行距離 : 往復 128.7km

◎播但道料金 : 往復 2,800円 




自宅発(6:52)〜加古川B/P〜姫路B/P〜播但道〜生野南L/P〜S/G・びわの丸公園(8:03)〜

発(8:25)〜びわの丸(8:44)〜別郭(9:08)〜三〜二曲輪〜1・主郭(9:10)〜探索〜

発(9:25)2・採石場上(9:30)〜3・(9:40)〜5・(9:50)〜6・(ルート探し発10:35)〜

ルート外れる〜8・予定ルートに乗る(11:00)〜9.(11:07)〜10・(11:30)〜

11・
釜床山648.8m三等(11:40)〜発(11:50)〜14・(12:06)〜16・(12:16)引き返す〜 

17・(12:20)〜発(12:22)〜14・(12:27)〜釜床山(12:45 おにぎり)〜発(12:55)〜

18・13:05)〜19・(13:13)〜20・13:40)〜発(13:50)〜21・(14:00)〜S/G(14:24)〜

発(14:45)〜往路〜自宅(16:28)



※画像乱れあり

天気予報では朝から雨だったが、空を見ると晴れ間ものぞきこれならいけると言うことで予定通り生野町へ向った。島田君のレポートを参考にして、びわの丸公園から古城山そして釜床山へ更に生野と朝来の町界を北上して9月1日に上生野から岩津へ下った時の町界からの分岐まで行き、分岐を確認して釜床山まで引き返す。釜床山からは西への町界をたどる計画であった。

しかし生野トンネルを出るとフロントガラスに雨が……。引き返して、雨を逃れ他の山へ移動も考えたがやはり予定通り実行に踏み切った。銀山湖マラソンの幟があちこちに立っていて車の流れもその方向へが多いところをみるとマラソン当日と思った。(S/G・8:03) びわの丸公園には、私一人が霧雨の中に立っていた。素早く支度をすませて案内に沿って上りはじめた。

すべり台のすぐ上方に間歩(まぶ)と言って公園建設中に偶然発見された深さ不明の戦国時代初期の坑道跡が在った(坑口は閉鎖されている)山肌をじぐざぐに上る。霧雨は北から南へと風に流され、生野市街は今まさにそれに隠されようとしていた。間もなく平地尾根に着く(びわの丸か…?8:44) 少し横ばいの後から尾根の右山肌をじぐざぐに上るがやがて白い裂石がやけに目に付く銀鉱石を採った残がいかと思う。

さいど尾根に戻り直ぐ上で道草していると銀を掘った縦穴を見る (8:48) その後別郭 (9:02) 三〜二の曲輪を通って (1・主郭9:10)となる。(三の曲輪には,公園に次いで生野城の遺構についての看板が立っている)主郭に残る大岩は取り除こうとした形跡を見る。


主郭に当時のままであろう形で残る岩(西より撮る)と三の曲輪に立つ看板。岩の大きさは、バイクのサイズと比較すると分る。また、霧雨の度合いも分る。

つぐみとシジュウカラのさえずりそして微かに車の音が耳に入ってくる。 兵どもが如何にして……。バイクを置いて北の尾根へ踏み込み段を3段まで確認して引き返す。この頃から霧雨が雨に変わっていく。主郭に戻りいよいよ釜床山を目指すことになる。主郭から5mほど下ると、広いところでは幅10メートル位の横ばい尾根となる。

すぐにH10センチ位の石段が4〜5段あるが果たしてこれは城にかかわるものかどうかは定かでない。霧の為展望が無いままふと右を見るとそこはもう採石場の断崖上で落差は百数十メートルは確かで,かなり高所でも平気な私もタジログ高さであった。踏み跡は明るく (3・9:40) T字尾根に着く。東に折れて少し上ると尾根から左に外れる

山肌を水平に進んでいると右上から降りてきたケーブルが地面を這って進行方向に延びていた。やがて尾根に乗ると直ぐに右 (4) に踏み跡を見る。左右混生林の尾根であるが太い赤松も沢山生えている。(5) ピーク手前からケーブルは東へ下っていた。軽い柴藪で (5・9:50) 3・に次いで2つめの進路注意点である。その後ルートは、笹で少し塞がれぎみになるが恐れず直進する。

展望が無いだけにコースどりには神経を集中していたがこの後、最大のピンチにはまる。 sateそのピンチとは……。やがて(5−1)となるが尾根が消えルート確認する。周りの展望は全くないが意外と落ち着いていた。右へゆるく下ると正面に尾根が出て小柴藪の尾根をを進む。間もなく(6)に着く。晴れていれば、おそらく前方にドッシリと居座る釜床山が見えるはずであるが何しろ相当深い霧で何も見えない。

尾根は西へ延びるが右へ下る。(10:35) 少し下ると(7)進行方向は柴藪でバイクが共では通過は困難それに島田君のレポートでは藪と言う言葉が出ていなかったのでこの藪突破はルートが違うと思い込む。周りを見るとそこは右手前から、当時はかなり利用されていたと思われる道(踏み跡より幅が広い)がほぼ自然に返りつつも確認できた。

たぶん奥銀谷とR-312側の小田和の破線ルートと繋がっていた峠道であったと想像する。現在地を確認しつつも確信なく(6)へ戻り思案するが方向的にはこれしかなく思い直して再度(7)へ下る。小田和の方の杉林の中に続くかすかな踏み跡が巻き道であることを願ってそれを辿る。間伐されて1年足らずの倒木を乗り越えて(7−1)までいくが巻くどころか方向は離れていくばかり。

これまた倒木を越え急斜面を滑りながら横ばいで正規尾根へ向った(途中で間歩を1つ見る)やっとのおもいで正規尾根に着くもその尾根は変わらずの柴藪だった。しかし、幸いにも尾根の西下に植界の切り開きありそれを辿った。結果的に(6)先の柴藪は恐れず突入が正解だった。これも晴れていたら何の問題もなく釜床山に着けたと思う。切り開きはやがて(8)で尾根に交わる(11:00)

鹿網を越えて尾根直ぐ右の桧林の中を行く。523.0mは難なく通過して(9・11:07)小和田への道もある筈と思ったが草が茂り分らなかった。しかし523.0mピークの東山肌を経て、奥銀谷へ下るルートは確認できた。また雨粒も大きくなりそれを探すよりも先を急いだ。釜床山への上り返しは小草藪だったが、今日のただ1度の展望で東の竹原野地区が霧の切れ間に覗いた。(11:15)

左から1本目の巡視路あり(11:20)2本目が尾根から右へ入っていた。島田くんはこれを辿り鉄塔したで展望を楽しんでいるが今日の天気では立ち寄っても意味がなく通過する。草は消えるも中上りが続く。太い松の木と雑木林をほぼ直線に上り傾斜が緩んでくると間もなく(10・11:30)ここは晴れていても展望は得られないピークだ。雨の中1羽のヤマドリが飛んできて私にきづき直ぐにまた飛び去っていった。

地図は運悪く丁度縦走ルートに折れ目が入り等高線もピークも読み取れない状態になってしまっていた(地図を入れるケースはいつも携帯しているがそれに入れると地図が読みずらくめったと利用しない)。しかし、釜床山の字は読み取れて助かる。木の葉に溜まった雨がボタボタと落ちてきた。そんな中ではあったが少し休んで発つ。ほんの少し先でルートの真上に、両手いっぱいに乗らない量のシメジが生えていて、今日の恵みと感謝して頂く。

香り松茸味シメジと言われているだけに、きのこ汁で食すると本当に美味しかった。(とはいっても100%本シメジである確信はなく食後しばらく不安だったのが事実である)ゆる下りゆる上りのあとに着いたピークは、膝下近い丈の笹原に少し秋をにおわす雑木林。雨中霧がたちこめてなんとも幻想的(11・11:40)ふと足元を見ると三角点標柱あり傍には測量用ポールがころがっていた。


R-312へ下る町界尾根  ポールの根元に釜床山の標柱がある。右奥へが岩津分岐への尾根

これを見ていつも思うことがある。それは、ポールは何故使用後に放置されているのか知りたいところである。R-312へ下る町界尾根を確認して岩津分岐を目指すことになるが雨と残る体力つまりR-312へ下る時間と体力も考えて分岐へは、バイクもザックも釜床山にデポして空身で発つ(11:50) 雑木帯の緩い下りから杉林の中下りのあと傾斜が緩みかけた(13)辺りであろうか西へ向って明るい水平道あり

(島田HPの写真がそれかと思う)感覚的にはほぼ横ばいで杉と雑木の植界を行く。左手に感動的な素晴らしい雑木林が現れる。(14)辺りか(とにかく走るように進んだこともあり現地確認が不確定)尾根直進はピークへであったがピークとりつけに七四番の石仏あり(願主播磨長谷川と刻)向い側には岩津の方を指した手を彫った石があった。(14・12:06)ここからかすかに確認出来る水平道があるのを見逃さなかった。

七四番の石仏to向かい合う指差し石 これは岩津分岐近くの松林に残るかすかな道

左肩下がりの斜面でバイクで走れるようなものでなく担ぎでも一寸歩き辛い所もある程度のものである。(13〜14までは乗れる)そのかすかに残った道(あえて道と言っておこう)を行く。山肌全体が素晴らしい雑木帯である。相変わらず展望はゼロ。どんどん進んでいるといきなり、今年の9月1日上生野〜鷲原寺の時の下山口の(15)に着いていた。

今日は、地図破線ルートを確認のため短い笹薮を分け(16)までいってみると雑木ピークで獣道程度のものは在るように見受けた。この破線ルートと9月1日に下った石仏ルート価値関係はいかに……?このピークに立てば晴れていると釜床山はもちろん360度の展望が得られることは間違いないだろう(16・12:16)休む事無く折り返して、町界へ上り返す。

朽ちた松ノ木(町界よりも西に下っているかも知れない)の所に岩津・釜床の方向を記した赤のビニテープを巻いて元来た道を引き返す(17・12:20)往路で2〜3本巻いていたジャージがルート確認に助かる。往路と復路とでは周りの景色等が違って見えて「別の道を歩いている」と思う時も有る。釜床山へ戻り、アセビの木の下で雨宿りをしながらおにぎりを食べて(12:55)R-312へ下り始める。

頂上の笹原は、直ぐに消えて雑木林の中下り(18)辺りであの水平道に交差した。そこには、大師座像の石仏が静寂の道端に鎮座していた(基台も入れて高さ30p幅25p位だったと思う)播磨・車屋庄三郎と刻。バイクが共でも苦にならない混生林を下りきり一寸上って岩ピーク(19・13:13)横ばい尾根を西へ直ぐに尾根分岐になりここで地図によるルートの確認を怠りと言うより、何が何でも町界をたどると言う気力が薄れて勘に頼ってしまい町界ルートを外し北西へ踏み込む。

地図のシワでも分るように凄い激下りが始まる。雨のせいもありズルズル滑り尻餅の連続で身体のほとんどがどろどろになった。下り切る手前は岩盤の急斜面で大変危険だった。
下り切ると(19−1)辺り少しの間ゆる下りとなるが、再度の短い急下りが待っていた。ここを下っているとき左手の谷向こうで、ばしばしガサゴソと不穏な音を耳にした。

大型の動物が歩いている。こんな雨の日に山歩きをする大・・・・者が他にも居たか・・・・。その音の進行速度から推測すると熊か・・・・。谷に降りて(20・13:40)東の谷に、確認できる範囲で落差30mの滑ら滝発見そこでよせばいいのに上流が見たくなり滝の右肩を上り始めた時太股がつった。

運悪くある筈のエヤーサロンパスが無い何か無いかと探してみると、あったアッタ虫除け虫さされに使うウナクールが、これを塗って急場を凌ぐ。その後谷を少し下ると林道が出て鹿網を通過して(21・14:00)集落に出て雨の中バイクを走らせ車に戻る。

公園の水道を借りて靴や衣服に就いた泥を落として帰路に就く.。そして、家に着きふと右手を見ると指の間に蛭が一匹血を吸っていた。また風呂に入って気が付いたが足に二箇所血を吸われた跡があった。手には手袋足はロングスパッツを履いていたにも関わらずやられてしまった。



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S/G