4・732m
5
bQ41 白口山〜岩峰〜小畑山 ※写真画像乱れあり
25
24
22・林道終点
夜来の雨で霧が残る白口郷に車を止めて銀の郷から白口峠。お大師さんにお参りすませ
今日は南の町界縦走.。白口山から小畑山へ13ピークは岩峰だった。
東西に、迫り出す大岩その上からの大展望に歓喜感激。
白口集落S/G〜白口峠〜生野町・神崎町境界南尾根〜732.0m〜白口山(814.4m三等)〜
岩峰〜小畑山(957.0m)〜886.0m〜地形図白口への破線を下る〜671.0m〜白口集落
◎所在地 : 朝来郡生野町と神崎郡神崎町の境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『生野(いくの)』
◎山行日 : 2002. 9. 8(日) くもり
◎山行条件 : MTB/妻(MTB乗り短く所々NO.23からは林道) Agi=55
◎コースの見所 : @1・ 大師堂 A13・ 岩峰と大展望 B18・ 小畑山からの展望
C24・ 白綾の滝 D白口集落の33体観音
◎走行距離 : 往路71.2km 往復141.9km
自宅発(7:30)〜明姫G/R〜姫B/P〜播但道〜生野南L/P(8:24)〜R312〜R429〜
R367〜猪野々〜乙女の滝〜白口着(8:44〜9:10)〜1・白口峠(9:30〜9:35)〜
3・(9:50)〜4・(10:02)〜5・(10:10)〜6・(10:20)〜7・(10:22)〜
10・白口山(10:40 おやつ 10:50)〜12・(11:07)〜13・(11:12〜11:25)〜
14・(13:44)〜16・(11:55 おにぎり 12:17)〜17・(12:25)〜
18・小畑山(12:35〜12:55)〜21・(13:30)〜22・(14:30)〜27・(15:00)〜
S/G(15:20〜16:48)〜自宅(18:59)
この山域へ足を踏み入れたく思いながら、長い年月がすぎた。白口峠から北の町界は槍が峰(生野・加美。神崎)まで2回に分けて踏破しているが南の町界はやっと今日が初めてとなる。島田くんからのレポートも参考にして胸ワクわくで家を発つ。生野に近ずくとよくあることの霧が発生する。膨らんでいた胸に暗雲が……。幸いにもその霧は上層であった。
夜来の雨で水量を増した白口川を見ながら白口地区へ向う。紅葉の時期なら、それを存分に楽しめるだろう谷間だった。乙女の滝は水量が多過ぎて乙女でなくなっていた。集落の入り口左急斜面には数え切れない数の墓が建っていた。車を止める所を探しながらゆっくり走る。結局最奥民家から100mくらい上の広場(民家跡)に止めさせてもらう。
サテ,先ずは峠へ向って歩く。左右の山肌には数多くの石垣と平地を見る。家屋跡だろうが今は、5〜60Y生の杉が育っていて時世の移り変わりの厳しさをかんじた。 道が左右に折れだすと間もなく峠だった。(1)9:30 そこに建つ大師堂にお参りする。お堂前の法面に湧き出ている水を頂いていよいよ南町界尾根に踏み込む。少し上ると横ばいが続く三菱のプラ杭と切り開きあり(2)先コルに峠道あり。
東が開けて山並みが見える。(4)10:02 へは急登である少し休んで発つ。左太い赤松と雑木林も直ぐに植林帯に戻り (5) となるがそのまま東尾根を進まぬように要注意。西へ下り上り返しの尾根は藪のため北の植林へ逃れて(6)10:20 浅い霧の中左右桧林の界を上り下りしてだらだら上りの後 (10)10:58 白口山着東面は範囲狭いが雑木林である。
おやつを食べたが北よりの風が肌寒く展望もないため早々に立ち去る(数メートル先で東が少し開ける)しばらくほぼ横ばいが続く。(13) への上りは大岩が右に左に点在するが (12) 辺りかコース左の大岩の上に立つと千ヶ峰の方が見えた。更に上っていると山全体が岩となりはじめる。その岩を巻いてとりあえず (13)11:12 ピークに立つが展望なし。
5
11
9
3
16・
930.0m
↓
27
26
23
21
20・886m
19
18・小畑山・857m
17
15
13
12
16・越知坂・936.6m
8
7
6
10・白口山
314.2m
工事中の林道に上がり白口へ向って下る。(23)14:35 東の谷に林道あり。ゆる下りが続き左の大きな谷川に滝を見る。谷川を渡り見に行くと白綾の滝だった (24)14:54 林道に戻り少し下ると林道の分岐あり。下ってきた林道へは、車両乗り入れを防ぐ鎖が張られていた (25) で島田君達はこの分岐で真東の谷の林道を辿っている。そこの橋の所が白綾の滝への入り口でもあった。
道は更にゆるくなり (26) では右を流れる川の傍に門の様に積まれた石垣をみてお寺の跡かと想像する。林道入り口 (27)15:00 右に直ぐある33体観音さんにお参りして車に向う。集落最奥の民家に居られた老婦人と挨拶から会話になり昔の話を色々と聞かせてもらった。
話の内容を箇条書きにすると
@この地区の名を「わかばやし」とも呼んでいる A神社下手にある坑道(鉄格子で塞がれているが、覗けば坑道を支える丸太も朽ちることなくのこっていた)は13段の階段を降りて金香瀬山まで続いていると母から聞いた Bある日ふた抱えもある大杉が揺れ始めたかと思うと地中に埋没した。つまり坑道の陥没によるものである
Cまたある時は、川床が陥没して川の水が坑道に流れ込んだ。
現在の川床はそのさいに迂回させたものである D現在神社前辺りにある広場には大きな家があったがその家もある日突然埋没した
Eその広場から橋を渡ると直ぐにお堂があり、その横のなんでもない山肌にブロックで塞がれた坑道跡がある。そこの鉱脈は銀含有量が非常に多く持ち主は大儲けをした。
F33体観音菩薩石像を愛宕山(車を止めた所の上の山と言われた)から石像を一体づつ背負って降ろしたのは、私達である(なぜか女ばかりで降ろされたらしい)等々である。また、ここの神社の鳥居下に建つ石灯篭には、菊の紋が入れてある。と言うことは多くの銀を国家に献上していた証か…? 栄枯盛衰世の習。
歴史的にも貴重な当集落も近い将来廃村になる可能性ありとみるのは、私だけではないと思う。そんなことを想いながら、身を置いている所に差し込む陽の光は一日の終わりを告げようとしていた。
桧和田山=桧皮山で桧皮葺の桧皮を取る為の桧林の山だったのではないかとも想像する。
更に下ると谷も開ける 22−1辺りから
林道終点から少し下った辺り
下り始めから再度シダが出る。ルートも無し、おまけに足元はシダに隠れたゴロタ石とあって捻挫しないように気を付けて下る。やがて杉林になるとシダも消えて細流がでる。細く深い谷筋に倒木で下れず、右山肌をトラバースして谷へ戻ると、そま道が出て細流と共に下る。右や左からの谷川が本流に合流して水かさが増える。本流しかりそれらの谷川には必ず滝を見る。やがて (22)14:20 林道工事の先端が左山肌に上がってきていた。ここで突然谷川より『うりぼう=猪の子供』が谷の右山肌の雑木林の中へ走り去る。
消えかけた作業道にでた。この先から右に折れて谷を下った
(21)からのシダ原下り
そこで、東面の1段下に迫り出している大岩あり。その上に立つと頭を霧に隠した千ヶ峰から笠形山方面と手前谷間に岩屋地区が見えた。こんどは西の岩場へ移る。この岩場には強烈だろう風雪に耐え、生き永らえ変形した桧の古木が2本生えていて、この岩山は神の対象になりそうにも思えた。尾根に戻り (16) へ向うが短い岩稜だった。
(14〜15) の間は横ばいの素晴らしい雑木帯。(16) への上りも大きい露岩ある急登が待っていた。中ほどで北が開けるところあり。傾斜が緩むと間もなく (16)11:55 ピーク着。西面が開けて小畑山から霧で見え隠れする白岩山〜高畑山がみえる。東の樹間からは千ヶ峰の方がみえた。ここでおにぎりを食べながら白口へ下る谷筋を確認するがかなり深く長いものであった。
(17) コルへのゆる下りは左桧右笹の中にウツギとリョウブ等の混生林だったと思う。丁度見ごろのススキの穂に秋を感じながら上り返す。尾根は笹とシダ薮になり心配したが、西面に消えつつある作業道を見つけ其れを上る。道は小畑山ピーク西10m位下を巻いて町界の方へのびていた。小畑山ピーク (18)12:15 は低松とススキそしてイガグリをいっぱい付けた山栗の木が沢山生えていた。
東面180度が開け千が峰から笠形山桧和田山の方も全開。その東面少し下った所にS・57.11.2日付けの越知一小学校登頂記念杭(H50センチ)がまだきれいな姿で立っていた。当時の遠足山だったかと想う。消えかけた作業道に下る (12:55) 道は更に消えながら東の尾根に下っているようだった。それから外れて町界に乗り、小笹藪のゆる下りで後はほぼ横ばいが続く。
尾根の笹も枯れ果てて軸だけになっていて歩き易かったがもしもこれが生きていて、更にMTB連れでは相当苦労をしただろう。左桧林の植界をゆる上りして (21)13:30 南が見えて岩屋の集落がみえた。そこから (21) までは背の低いシダや笹ルートだった。桧和田山と高畑山へのルートを確認して、白口へ下る破線ルートを探すがその方向は一面深いシダ原だった。そのシダを分けて谷の頭に下ると消えかけた作業道にでた。
2枚ともデジカメで撮ったものの貼り合わせをして取り込んでいる。霧のせいもあるがパッとしない。
西面の大岩の上から
高畑山には霧がかかっている
飯森山の左の方は霧のかかった千ヶ峰も見えた
(13)ピーク東面の大岩の上から
小畑山
↓
笠形山
↓
飯森山 ↓
白岩山
↓
高畑山
↓
小畑山
↓
930.0m